イタリア映画「
チェーザレ・パヴェーゼの同名小説をもとにした本作では、1938年のトリノを舞台に、洋裁店で働く16歳の少女ジーニアと3つ歳上の美しく自由なアメーリアが惹かれ合うさまが描かれる。ジーニアを
ジーニアをフィーチャーしたビジュアルには、車の窓越しに街を見つめる彼女の表情や、仕事に向き合う姿に「君もモデル? いいえ、洋服を作っているの」というセリフが添えられている。加えてアメーリアの自立した佇まいを切り取ったもう1つのビジュアルには、「絵のモデルよ 座ったり横たわったりして ポーズをとるの」という言葉が配置された。
「あのこは貴族」で知られる小説家・山内マリコは「憧憬のまなざしを向ける側、向けられる側。彼女たちは異性ではなく同性こそ自分たちに必要なことを、最初から知っているみたいだ。画面の隅々に青春のエッセンスがぎゅっと凝縮して、すべての瞬間がまばゆい」と本作を推薦。俳優・モデルの緒形龍は「儚さと美しさが繊細に織り込まれた美しい一作でした。Yile Yara Vianelloの目に宿る切なさと好奇心、そしてDeva Casselの圧倒的な美しさと凛とした気高さ。この二人が醸し出すケミストリーに、心が静かに満たされました」と語った。そのほか7名のメッセージは後述の通り。
緒形龍(俳優 / モデル)コメント
儚さと美しさが繊細に織り込まれた美しい一作でした。Yile Yara Vianelloの目に宿る切なさと好奇心、そしてDeva Casselの圧倒的な美しさと凛とした気高さ。この二人が醸し出すケミストリーに、心が静かに満たされました。
児玉美月(映画批評家)コメント
「軽薄な男たちといるより、女同士の方がいい」と語り合う女たち。
本当は誰といたいのか、本当は誰に惹かれるのか──彼女たちは心の奥ではきっと知っている。
「美しい夏」は、華やかな刹那と黄昏の憂鬱で彩られていたあの季節の記憶を、ここに呼び起こしてゆく。
関口英子(イタリア文学翻訳家)コメント
自立した女性アメーリアに惹かれ、背伸びして大人の世界に飛び込んだジーニア。憧憬や羨望、憂いや戸惑い、恥じらいや不安といった揺れ動くやわらかな感情を映し出す彼女の澄んだ瞳とまっすぐな眼差しに、パヴェーゼが繊細な文章で紡いだ、二度と戻ることのない美しい夏の青春と傷痕がすべて凝縮されている。
佐々木敦(批評家)コメント
パヴェーゼの名作小説の切なくも鮮やかなアダプテーション。
誰もが自分の「美しい夏」を持っている。
この夏、多くの観客に「あの夏」と出会って欲しい。
マッシ(ライター / エッセイスト)コメント
美しく、官能的で、そして強烈。人間の心の最も深い部分も表現していて、
最後まで視聴者の心を掴んで離さない。パヴェーゼの小説の古さを感じさせないほど、
現代を生きる僕たちの胸にも響いてくる。
水上文(文筆家)コメント
恋に落ちる二人の女性──ラウラ・ルケッティは、女性の身体を消費させず、異性愛規範によって掻き消されかねないクィアな感情を逃さない。だからこの映像美に浸ることが出来るのだ。レンズが捉えるすべての瞬間が忘れ難い。
山内マリコ(小説家)コメント
憧憬のまなざしを向ける側、向けられる側。
彼女たちは異性ではなく同性こそ自分たちに必要なことを、最初から知っているみたいだ。
画面の隅々に青春のエッセンスがぎゅっと凝縮して、すべての瞬間がまばゆい。
山崎まどか(コラムニスト)コメント
二人の少女がお互いに寄せる想いが「美しい夏」そのもの。
ジーニアとアメーリアが自転車で走るシーンのときめきが、
彼女たちが一緒にいられる季節がずっと続きますようにと
祈るような気持ちだった。
残酷な男女の世界の現実や、戦争や、あらゆる悲しみに
この輝きがかき消されることがないように。
和田忠彦(イタリア文学者 / 東京外国語大学名誉教授)コメント
「あのころはいつもお祭りだった」──ひるがえって今は、と問えば、失ったものの正体や在処に思いが向かい、あらためてその喪失の歳月がよみがえってくる。中編小説「美しい夏」をひらくこの一文を、ラウラ・ルケッティはどう読んだのか。その答えが、繊細にして容赦ない手捌きでわたしたち観客に手渡される。
映画「美しい夏」予告編
イーレ・ヴィアネッロの映画作品
リンク
佐々木敦 @sasakiatsushi
チェーザレ・パヴェーゼの名作小説の映画化『美しい夏』に推薦コメントを寄せました。パンフレットにも寄稿しています。 https://t.co/PBuAIKjCta