三宅唱×シム・ウンギョン「旅と日々」特集 | “つらつらと朝になるように描かれる回復劇”をイラストとレビューで深掘り

三宅唱が監督を務める映画「旅と日々」が、11月7日より全国で公開される。

つげ義春のマンガをもとにした本作では、脚本家の李(イ)が、雪がふりしきる山奥の宿で“べん造”という宿主と出会うことから物語が展開していく。シム・ウンギョン、堤真一、河合優実、髙田万作、佐野史郎らが出演した。

この特集ではトモマツユキによるイラストと、映画評論家の轟夕起夫によるレビューで本作の魅力を深掘り。旅を通じて人が回復していく姿をつづる本作の見どころを紐解いていく。

イラスト / トモマツユキ文 / 轟夕起夫(レビュー)、尾崎南(作品紹介)

映画「旅と日々」予告編公開中

ロカルノ国際映画祭で最高賞!「夜明けのすべて」三宅唱の最新作

映画「きみの鳥はうたえる」「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」などで注目を集める映画監督・三宅唱。彼がつげ義春のマンガ「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」をもとに手がけた「旅と日々」は、うだつの上がらない脚本家・李(イ)が、旅先のおんぼろ宿で“べん造”という宿主と出会い、人生と向き合う物語だ。

「旅と日々」場面写真。シム・ウンギョン演じる李

「旅と日々」場面写真。シム・ウンギョン演じる李

日本では、映画「新聞記者」「ブルーアワーにぶっ飛ばす」などへの出演で知られる韓国出身のシム・ウンギョンが李を演じ、堤真一が雪国で暮らすべん造に扮した。物語冒頭で李が脚本を手がけた映画が劇中劇として登場し、夏の海で出会う2人を河合優実と髙田万作が演じている。さらに、思い悩む李に旅を勧める教授・魚沼役で佐野史郎が出演した。

また同作は、第78回ロカルノ国際映画祭にて最高賞である金豹賞とヤング審査員賞特別賞をダブル受賞。日本映画が金豹賞に輝いたのは、2007年の小林政広監督作「愛の予感」以来18年ぶりの快挙。同映画祭のワールドプレミアでは2800席が満席となり、上映後は5分を超えるスタンディングオベーションに包まれた。「静謐な傑作」(Público)、「深い感情を呼び起こす」(Asian Movie Pulse)、「観る者の感覚を巧みに刺激する」(International Cinephile Society)といった映画評が並び、同映画祭の選考委員会は「旅と日々」を「日本映画の最高峰」と評している。第30回釜山国際映画祭、第73回サンセバスチャン国際映画祭のほか、20を超える映画祭に出品。アメリカ、フランス、韓国、中国、台湾、香港、インドネシア、ポルトガル、ギリシャでの配給も決まっており、世界から注目を集めている。

トモマツユキがイラストを描き下ろし

プロフィール

トモマツユキ

イラストレーター。Webデザイナーとしての経験を活かし、シンプルにわかりやすく伝えるイラストを手がける。主にWebメディア・雑誌・学生新聞などで活動中。

轟夕起夫 レビュー

つらつらと朝になるよう泰然と描かれる回復の劇

まず、タイトルの響きに気を持っていかれた。新作「旅と日々」のことである。「Tabi to Hibi」。英題は「Two Seasons, Two Strangers」。実はさりげなく韻を踏んでいるのだ。

これは一種の宣言、ステイトメントだと感じた。つまりは、〈旅=非日常〉〈日々=日常〉という先入観、便宜的な区分けをいったん捨て去ってみようと。両者は地続きに繋がっている。互いに影響を与え合うなかで、波打つ感情のグラデーションこそが重要なのだ──と、そんな考え方へのお誘い。“旅”は確かに日常を踏み外した得難い体験として突出するが、漠然と積み重なってゆく“日々”にもまた生活の本質が宿されているのだから。

そうした日常と非日常をめぐる認識のもとで、三宅監督は諸作品を確かに息づかせてきた。例えば近年、「ケイコ 目を澄ませて」(2022年)は聴覚障害を持つプロボクサー(岸井ゆきの)がトレーニングや試合へと励む時間と同じくらい、それ以外の日々、普段の彼女を綿密に追って、挫折とリカバーの劇を綴った。「夜明けのすべて」(2024年)ではPMS(月経前症候群)とパニック障害を抱えるこの主人公たち(上白石萌音×松村北斗)の、無為な凪の時間をも含めた“生きることの刹那感”に焦点を当てていき、かけがえのない一瞬一瞬の描出が映画の背骨となっていた。

「旅と日々」場面写真

「旅と日々」場面写真

さて、「旅と日々」は東京の街の雑景からスタートし、一転、机を前に座った女性が鉛筆を持ち、ノートを開いて沈思黙考している場面へ。のちに日本語を話せるのが分かる韓国人の脚本家・李役は母国と日本、双方で活躍中のシム・ウンギョン。三宅組への参加は念願であった。やがて、ノートに鉛筆を走らせる音がする(「ケイコ 目を澄ませて」の冒頭のごとく!)。たった今、ハングルで書かれ作成されていく脚本のファーストシーン。そこに波の音が被さって、彼女の脳内映像が具現化されてゆく。

「旅と日々」場面写真

「旅と日々」場面写真

夏の地方の海岸。親戚の家が近くにあるという青年・夏男(髙田万作)は都会からやってきた渚(河合優実)とふと出会い、何となく島を散策して回り、言葉を交わす。翌日、約束を守って海辺で再会した2人は台風の近づく、誰もいない荒れた波間に体を浮かせ、雨に打たれながら泳ぐ。夏男はもっと沖へ、渚は浜辺へ……すると、ずーっと脳内映像が続いていたのではなく、時は流れており、脚本担当の李も立ち会う大学の授業の場にて、講義室のスクリーンに投影された完成作であったことが明らかになる。この時間省略と場面転換の鮮やかさよ!

「旅と日々」場面写真。河合優実演じる渚(右)と髙田万作扮する夏男(左)

「旅と日々」場面写真。河合優実演じる渚(右)と髙田万作扮する夏男(左)

「旅と日々」場面写真

「旅と日々」場面写真

ところで李は、一緒に作品を観た学生からの質問に対し、「私にはあまり才能がないなと思いました」と答え、完全に行き詰まっている様子。後日、教授(佐野史郎)に「気晴らしに旅行にでも」とアドバイスされ、彼女は意を決して旅に出る。そう、ここからが本作の後半。映画「旅と日々」は大きく分ければ二部構成なのであった。

トンネルを抜けると眼前は、真冬の「雪国」。しかし無計画に降り立った町ゆえに旅先のホテルはどこも満室で、かろうじて紹介されたのは山奥にある人里離れた宿。やっと辿り着いてみると、長らくお客が来ていない古ぼけたオンボロ民家だった。家主は、ものぐさな男・べん造(堤真一)である。人生の隠遁者と彼女が織り成すそこからの予想外の展開には、さながら囲炉裏で暖を取りつつ、熟練の長老の摩訶不思議な噺、語り芝居に耳を傾けているような気分になるだろう。

「旅と日々」場面写真。堤真一演じるべん造

「旅と日々」場面写真。堤真一演じるべん造

原作は、旅する伝説的漫画家・つげ義春が1960年代後半に発表した短編の代表作2本、「海辺の叙景」(1967年)と「ほんやら洞のべんさん」(1968年)。実際に経験したあれこれを“ジャンプボード”とし、多彩な日常の記憶を夢想と共にコラージュしてしまうシュールな作風が持ち味だ。だが、詳しく知らなくても支障はない。自ら脚色を施した三宅監督は「海辺の叙景」を前半部、圧倒的な自然描写を中心に映画内映画として巧みに使い、後半部の「ほんやら洞のべんさん」でも風景のスペクタクルは踏襲、漫画家設定だった主人公を脚本家に変えたとはいえ(つげ義春リスペクトを湛えた)、思わず微苦笑を誘うユーモラスな語り口をしっかり“自分のもの”としているので。

これまで通り、恋愛でも友情でもない、何とも名付けようのない人間同士の結びつきを探っていくのが三宅映画ならでは。それにしても劇中、李は脚本家として、いや、一個人として悩みまくっている。たびたび「すみません」と相手に謝り、誰と会っても恐縮し、べん造の民家では「私はもうダメかもしれません」とまで口にする。なのに、旅と日々を経て、いつの間にか「べらべらとよくしゃべるね」と言われる可笑しさ。むろん、その回復の劇は押し付けがましさなどなく、夜が明け、つらつらと朝になるよう泰然と描かれる。

「旅と日々」場面写真

「旅と日々」場面写真

旅の中に日常を、日常の中に旅を見つけるのだ。翻って、現実の“旅と日々”の景色には悲しいかな、つげ義春ワールドとは違い、何やら不寛容に満ちた世界が拡がっている。ならばと気分一新! 三宅唱監督の「旅と日々」は諦めずにもう一度世界と出直すこと、そして真っさらな眼で、映画自体とも素直に向き合うことを後押ししてくれる。