SIRUP、性別適合手術をめぐる裁判をもとにした「ブルーボーイ事件」をレビュー「自由な選択ができる社会へ」

1960年代に実際に起きた、性別適合手術をめぐる裁判を題材にした映画「ブルーボーイ事件」が11月14日に全国で公開される。

本作の舞台は高度経済成長期、東京。国際化に向け売春の取り締まりが強化される中で、性別適合手術を受けた通称“ブルーボーイ”たちを一掃するため、検察が手術を行った医師・赤城昌雄を逮捕することで物語は展開していく。

トランスジェンダー女性を対象としたオーディションで選ばれた中川未悠が、手術を受けて女性として生きるサチを演じた。またサチの恋人・若村篤彦役で前原滉、赤城役で山中崇、弁護士・狩野卓役で錦戸亮、ブルーボーイのメイ役とアー子役で中村 中とイズミ・セクシーが参加している。映画「フタリノセカイ」「世界は僕らに気づかない」などで知られ、トランスジェンダー当事者である飯塚花笑が監督を務めた。

映画ナタリーの特集ではマイノリティに課されている問題や、社会の在り方に声を上げ続けているシンガーソングライター・SIRUPのレビューを掲載。作品を通して感じた議論し続けることの重要性、豊かな社会のあり方をつづった。また作品を紐解くコラムも掲載している。

レビュー / SIRUP文 / 田尻和花

映画「ブルーボーイ事件」予告編公開中

主な登場人物

サチ(演:中川未悠)

サチ(演:中川未悠)

東京の喫茶店で働く女性。逮捕された赤城医師のもとで性別適合手術を受けており、弁護士・狩野から証人として出廷してほしいと依頼される。

若村篤彦(演:前原滉)

若村篤彦(演:前原滉)

サチの恋人。性別適合手術を受けていることを知ったうえで、彼女にプロポーズした。

メイ(演:中村 中)

メイ(演:中村 中)

サチの元同僚で“ブルーボーイ”たちのリーダー。性別適合手術を受けており、裁判での証言を承諾するが「こんな裁判は茶番」だと思っている。

アー子(演:イズミ・セクシー)

アー子(演:イズミ・セクシー)

“ブルーボーイ”で、サチの元同僚。自分のバーを開く夢に奔走しており、裁判で証言台に立つことを決めている。

狩野卓(演:錦戸亮)

狩野卓(演:錦戸亮)

赤城医師が起訴された事件の担当弁護士。サチや“ブルーボーイ”たちへ証言を依頼する。

SIRUP レビュー

少しずつしか前進しない、それでも議論し続けることの大事さ

社会が変わっていく中で、たくさんの人々が犠牲になったり、つらい思いをしてきたんだと映画を観て改めて感じました。本作は実際の事件をもとにしていますが、これだけの出来事があったにもかかわらず、本当に少しずつしか前進しないんだなとも。でもつらい思いをした方々が社会を少しずつ前進させてくれたことは確かです。僕も日々発信をする中で、変化を期待しては破られるということは多いです。市民運動をしている多くの方も同じように感じていると思います。社会が動くのには時間が掛かる。けれど少しでも変わっていくこと、みんなで常に議論し続けることが大事だと考えています。

本作のキャラクターたちに感じたのはリアリティ。性別適合手術を受けた当事者同士であっても、考え方がそれぞれ全然違うなと思いました。“ブルーボーイ”のアー子は裁判ではっきり証言をし、矢面に立ちすぎてしまうほどの行動派。一方“ブルーボーイ”たちのリーダーであるメイは「社会なんて変わらないものでしょ」と思っているように感じました。最近SNSなどでは「当事者の中にも社会が変わらなくていいと思ってる人もいる。あきらめている人や自分は困ってないからという個人的な意見が目立ってしまって議論が前に進まない」などの問題が生まれたりもしていますが、そのような面を体現しているような人物。

「ブルーボーイ事件」より、警察に連れて行かれたアー子たち

「ブルーボーイ事件」より、警察に連れて行かれたアー子たち

そんな中で主人公のサチは、恋人と静かに暮らすことを望んでいる。声を上げることにはたくさんの勇気がいるし、サチは大切な人との当たり前の幸せを得たいだけ。そんなサチが、物語後半に動き始めるという流れがすごくリアルに感じたんです。行動に移せないけど苦しんでいる人はたくさんいると思います。その大多数の存在が、サチを通じて表現されているのではないでしょうか。サチが手術後の心境を吐露するシーンには、普遍的な問いかけが込められているようにも思えました。自分らしくいられるような、たくさんの選択肢がある社会が、豊かな社会であると感じています。

中川未悠演じるサチ(左)、前原滉演じるサチの恋人・若村篤彦(右)

中川未悠演じるサチ(左)、前原滉演じるサチの恋人・若村篤彦(右)

性別適合手術を担当した医師を助けようとする狩野弁護士は、セクシャルマイノリティの当事者ではありません。裁判に勝ち、助けになればと思うあまり、裁判中にある言葉を口にしてしまいます。それがアー子や当事者たちを傷付けるのですが、実際にもよくあることでしょう。サポートを表明している人だとしても当事者の気持ちが確実にわかるわけではありません。1人で突っ走ってしまって炎上することも昨今のSNSでは多くありますし、そういった部分もリアルでした。

錦戸亮演じる狩野。裁判を続けていくうちに、彼の中で意識の変化が起こる

錦戸亮演じる狩野。裁判を続けていくうちに、彼の中で意識の変化が起こる

僕には「影響力を少しでも持っている人は、その力を社会のために行使するべきだ」という考えがあります。自分がカルチャーとして学んできたR&Bやヒップホップという音楽は、差別や困難と闘ってきたアフリカ系アメリカ人の文化にルーツを持ち、社会的メッセージとともに発展してきた音楽だと感じています。そういうものが自分の下地にある以上、社会をよりよくするために発信を続けていきたい。以前にヒップホップMCのShing02さんがライブで「ここが満員電車だったらすごく嫌だけど、同じ音楽を聴きに来ている同士だと思えばぎゅうぎゅうのフロアでも全然嫌な感じはしないよね」といった話をしたそうです。それを聞いて、マイノリティ性を持つ僕自身を、ボーダーなく受け入れてくれたのはやっぱり音楽だったなと思い出しました。だから自分の作る音楽やライブも、誰かを排除するようなものであるべきではないと強く思っています。そうじゃないと僕を助けてくれた音楽に対してすごく失礼だなと。

仕事をするうえで、さまざまな個性を持った人とチームやコミュニティを作ることがありますが、目標や共通認識がないとまとまるのはすごく難しい。ただ我慢するわけではなく、互いを受け入れ合って軌道修正していくことが大事です。チーム作りと社会を同じくくりにしていいのかは難しいですが、全体をよくするための共通目標をみんなが持っていれば、建設的な議論が生まれるはずです。何か意見したり、考えたりすることがもっと当たり前になってほしい。最近そういったことを時折考えていたので、この作品をこのタイミングで観られたのはとてもありがたい機会でした。

そして改めて、それぞれ自分が自分らしく生きることを選択すること(差別や加害にはNOを)が自由な社会になることを願います。

SIRUP

SIRUP

プロフィール

SIRUP(シラップ)

R&B、ネオソウル、ヒップホップなどをルーツに持つシンガーソングライター。2017年にTokyo Recordings(現:TOKA)サウンドプロデュースの楽曲「Synapse」でデビュー。2022年に自身初となる東京・日本武道館公演を開催した。これまでにイギリス、韓国、オーストラリア、台湾などのアーティストとのコラボ曲を発表。2024年には中華圏最大の音楽賞「GMA(金曲奨)」に楽曲がノミネートされるなど国境を越えて活躍している。デビュー8周年を迎えた2025年9月、3rdアルバム「OWARI DIARY」を発表。11月30日には自身がホストを務める音楽イベント「Grooving Night」を大阪・ビルボードライブ大阪で開催する。

コラム

「ブルーボーイ事件」とは…

1965年、3人の“男娼”に対して、当時の呼称で言う“性転換手術”を行った医師を東京地方検察局が麻薬取締法違反と優生保護法(※現在は母体保護法に改正)違反の疑いで摘発した事件のこと。検察側は、手術は生殖能力を失わせ、性別を男性・女性のいずれとも言えない状態にし、医学的な“治療”として最善かどうか未確定の現段階ですべきものではないと主張した。しかしこの背景には「売春防止法」の摘発対象になりにくかったブルーボーイ(※男性として生まれ、身体的な特徴を女性的に変えた人々を表す1960年代の俗称)を取り締まりたいという警察・検察の狙いがあったとする説もある。

結果として医師は有罪になった。ただ裁判では性転換手術に至る過程が問題視されたものの、すべての性転換手術を違法とはしていない。法廷で論議されたことがない未開拓の分野であり、医療行為として許されるものかどうか定説がまだないことを理由に、厳しい量刑を課すことができないと判断されている。しかし“性転換手術を行った医師が有罪になった”という認識が世間に広まり、日本で性別移行を望む人々と医療に長い間影を落とすことになった。

企画の核は当事者のキャスティング

性別適合手術(※当時の呼称は性転換手術)が違法か合法かを争った、1960年代の裁判から着想を得た本作。監督・飯塚花笑は「フタリノセカイ」を作ったのちに今回の題材に出会い、アミューズ主導のオリジナル企画公募に企画書と脚本の初稿を送って映画化を実現させた。トランスジェンダー男性である飯塚は、この企画の核を「当事者を当事者が演じること」と考え、さまざまな経歴を持つトランスジェンダー女性を集めたオーディションを実施。そして演技未経験だった中川未悠に光るものを見出し、主演に抜擢している。飯塚の「身の回りの友人たちを見ても、トランスジェンダーの俳優にキャリアを築くチャンスがなかなかないのは確かなので、一当事者としてこの状況を変えていかなければいけないという問題意識もありました」という切実な思いが本作で実った。

「ブルーボーイ事件」場面写真

「ブルーボーイ事件」場面写真

主演・中川未悠が魅せた迫真の裁判シーン

中川未悠演じる主人公サチは恋人からプロポーズされて幸せを噛み締めていたときに、突如、赤城医師の裁判の証人を依頼されることに。サチが心境を吐露するシーンは長回しで撮影され、すさまじい緊張感に包まれていた。その迫真の演技に感化され、弁護士・狩野役の錦戸亮は当初のプランを変えて涙ぐむ演技に変更したという。またドラァグクイーンのイズミ・セクシーが演じるアー子は、自分のバーを開こうと前向きに未来を見つめる人物。不条理への強い怒り、傷付きながらもそれに屈せず誇りを守ろうとするさまに、自身も鼓舞されるような感覚を抱く観客も多いだろう。連続テレビ小説「虎に翼」でもトランスジェンダーの人物を演じた中村 中の、堂々たる存在感にも圧倒される。裁判を茶番だと考え、国や社会に対する不信感に満ちたメイを見事に演じ切り、物語に確かなリアリティを加えた。

法廷に立つサチ(左 / 中川未悠)と狩野(右 / 錦戸亮)

法廷に立つサチ(左 / 中川未悠)と狩野(右 / 錦戸亮)

“自分のために生きる幸せ”を考える

本作では日常と裁判シーンが交互に映し出される。サチは今ある幸せを壊したくないと裁判に参加することを拒むが、その生活には躊躇やある種の後ろめたさのようなものがいつも付きまとっている。そんな彼女の前に現れたアー子の「なんにも隠さずに素直に生きられたら素敵だと思わない?」「あたいは女よ。女として普通に生きたい。ただそれだけなのに、どうして精神異常者なんて言われなくちゃいけないの?」というまっすぐな言葉は、サチの心を揺らす。そしてアー子の精神は、どこかで差別意識があった狩野の考えをも変えていく。終盤、覚悟を決めたサチは証言台で「誰かが決めた“女”というものに私はなれませんでした。それを目指そうとすればするほど私は私でなくなってしまう」と真摯な思いを口にする。社会の望む形に適応することが、自分にとって本当の望みなのか。サチを演じた中川は、本作を「誰かのためではなくて自分のために生きる幸せってなんだろうと問いかけてくれる、温かいストーリー」と語っている。