映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」を120%味わうための鑑賞ガイド | 世界的ロックスターの苦悩と情熱が交差する“魂の旅路”

映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」が11月14日より全国で公開される。主人公は、世界中で愛されるロック界のスーパースター、ブルース・スプリングスティーン。ある夜、若き日の彼はギターと4トラックのレコーダーだけを頼りに、誰もいない寝室で静かに創作を始めた──。

本作は、1982年に発表された名盤「ネブラスカ」の制作過程を軸に、キャリアの岐路に立ったロックスターの孤独と葛藤を描く音楽映画。「一流シェフのファミリーレストラン」で知られるジェレミー・アレン・ホワイトが、ギターの演奏や歌唱を自ら行い、若き日のスプリングスティーンの内面世界を言葉少なに体現する。監督は「クレイジー・ハート」のスコット・クーパーが務めた。

本特集では、映画ライター・森直人が作品の注目ポイントを解説。鑑賞前にも鑑賞後にも、理解を深めるために最適のガイドだ。なお音楽ナタリーでは、ミュージシャン・西寺郷太が映画の感想とスプリングスティーン愛を語るインタビューを近日公開。そちらもお楽しみに。

文 / 森直人

映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」予告編公開中

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」を読み解くために

“ボス”(The Boss)の愛称で知られ、世界中から多大な尊敬を集めるブルース・スプリングスティーン(1949年9月23日、米ニュージャージー州生まれ。現在76歳)。アメリカを代表するロックミュージシャンであり、史上有数の傑出したシンガーソングライター。力強く叙情的な歌声と、熱いステージパフォーマンスでファンを魅了し続ける、音楽史に不朽の足跡を刻んだ存在だ。

ブルース・スプリングスティーンが1984年から1985年にかけて開催した「Born in the U.S.A. Tour」の実際のライブ写真

ブルース・スプリングスティーンが1984年から1985年にかけて開催した「Born in the U.S.A. Tour」の実際のライブ写真

アカデミー賞に向けて賞レースでの成果も期待される話題の最新映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」は、そんな彼の若き日の魂の旅路を描いた物語。舞台となる時代は主に1982年。ニュージャージー州の自宅の寝室で自主録音された名盤「ネブラスカ」の知られざる制作背景に迫る。スプリングスティーンのアルバムでは、全世界で爆発的なメガヒットを記録した1984年の「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」が特によく知られているが、この映画が描くのはその誕生前夜に当たる時期だ。スターダムの頂点に立った裏側で、成功のプレッシャーと過去の痛みに向き合いながら、孤独の中で音楽を紡いでいくひとりの男の姿が描かれる。

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」より、若き日のブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」より、若き日のブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)

原作は作家でありミュージシャンのウォーレン・ゼインズが2023年に刊行した伝記本「Deliver Me from Nowhere(原題)」で、スプリングスティーン本人の承諾を得て映画化。スコット・クーパー監督のもと、主演のジェレミー・アレン・ホワイトをはじめ強力なキャストが揃い、従来の音楽伝記映画とは一線を画す、アーティストの内面と創造にまつわる苦悩を丁寧に見つめた傑作に仕上がっている。ここでは映画の見どころとなるポイントを整理して解説していこう。

Track1:まず知っておきたい物語の背景

ブルース・スプリングスティーンが6枚目のアルバム「ネブラスカ」を発表したのは1982年9月30日。当初はデモテープのつもりで、ニュージャージー州の故郷フリーホールド近くの小さな村、コルツネックに購入した新居の寝室で録音された内省的な異色作だ。ギター、歌、時にはハーモニカの極めて簡素なスタイルで、機材はティアック(TEAC)社の4トラックレコーダーを使用。この音源がそのままレコードになった。いまの観点からすれば、極私的な空間で制作・録音される“ベッドルームミュージック”の先駆的な一例と言える。

収録されたのは全10曲。なお、この時に録音された「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」など数曲は、のちにEストリート・バンドの演奏でアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」に収録された。

アコースティックギター1本でアルバム「ネブラスカ」を録音するブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)。孤独と向き合いながら音楽に没頭する

アコースティックギター1本でアルバム「ネブラスカ」を録音するブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)。孤独と向き合いながら音楽に没頭する

このアルバム「ネブラスカ」の誕生秘話とも言える映画の見どころは、スプリングスティーンがたった独り自宅の簡素な録音機の前で、心の奥底から湧き上がる魂の声を歌に変えていく過程にある。映画の中ではフラナリー・オコナーの小説や、スーサイド(米の伝説的なアートパンクユニット)の1977年の楽曲「フランキー・ティアドロップ」など、彼が当時傾倒していた影響元が示される。アルバムの冒頭を飾る曲「ネブラスカ」は、テレンス・マリック監督の映画「バッドランズ(旧邦題:地獄の逃避行)」(1973年)が描いた1958年のネブラスカ州で起きた犯罪事件にインスパイアされたもの。ちなみにスプリングスティーンは1978年の4thアルバム「闇に吠える街」で「バッドランド」(Badlands)という曲を発表しているが、こちらは同名映画とは関係ない。

アルバム「ネブラスカ」には「アトランティック・シティ」など、歌詞で一本の映画のような物語を語るストーリーテラーとしての才能が遺憾なく発揮された名曲が並び、パーソナルな内容にもかかわらず全米3位の大ヒットになった。写真家デヴィッド・ケネディによる米中西部の荒涼とした路上の風景を捉えたレコードジャケットも印象的で、スプリングスティーンのアルバムの中で最も重要な一枚として挙げる声も多い。1991年のショーン・ペン監督の映画「インディアン・ランナー」は、収録曲「ハイウェイ・パトロールマン」の歌詞を脚本の原案にしている。

ブルース・スプリングスティーンの6thアルバム「ネブラスカ」ジャケット

ブルース・スプリングスティーンの6thアルバム「ネブラスカ」ジャケット

スコット・クーパー監督も名盤「ネブラスカ」の深い魅力に取り憑かれたひとりだ。彼は映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」について、「この作品はいわゆる典型的な音楽伝記映画ではありません。最初から私はこの映画を、より静かで、心の内面に迫る物語として捉えていました。ブルース・スプリングスティーンの人生における、きわめて特別で、深くて個人的な時間を描く作品なのです」と語っている。行間から赤裸々に滲み出る、ロックスターになってしまった“ただの男”の等身大の苦悩。ヒットチャートや栄光を求めるのではなく、孤独と創造の原点に立ち返るその姿は、観る者の胸を深く打つはずだ。

Track2:“魂の旅路”を伴走した監督とキャスト陣

監督・脚本を務めたスコット・クーパーは、落ちぶれたカントリーシンガーの再生を描いた監督デビュー作「クレイジー・ハート」(2009年)でアカデミー賞2冠(主演男優賞、歌曲賞)を獲得した音楽映画の名手。音楽が生まれる瞬間の背景にある孤独と葛藤など、この作品と「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」には共通項も多い。

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」撮影現場にて、左からブルース・スプリングスティーン役のジェレミー・アレン・ホワイト、監督のスコット・クーパー、撮影監督のマサノブ・タカヤナギ

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」撮影現場にて、左からブルース・スプリングスティーン役のジェレミー・アレン・ホワイト、監督のスコット・クーパー、撮影監督のマサノブ・タカヤナギ

そして主演はジェレミー・アレン・ホワイト。ドラマシリーズ「一流シェフのファミリーレストラン」(2022年~)でエミー賞主演男優賞に輝いた目下期待度No. 1の若手俳優だ。今回はギターやハーモニカの演奏、歌唱トレーニングを経て、若き日のスプリングスティーンに心から寄り添い、魂を全身全霊で体現している。

雨上がりのニューヨーク。レコーディングを終えたブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)は自分の中の葛藤と静かに向き合う

雨上がりのニューヨーク。レコーディングを終えたブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)は自分の中の葛藤と静かに向き合う

脇を固めるキャストも名優揃い。スプリングスティーンの親友であるマネージャー、ジョン・ランダウ役を演じるのは、「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」(2024年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた当代きっての演技派、ジェレミー・ストロング。ランダウはもともとロック評論家で、「私はロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」という彼がリアルペーパー誌に寄稿した記事の鮮烈な一節はあまりに有名。1975年のサードアルバム「明日なき暴動」からはプロデューサーを務め、のちにマネージャーになった。長年にわたるスプリングスティーンの良き相棒であり最高の理解者だ。

マネージャーのジョン・ランダウ(ジェレミー・ストロング / 右)は、ブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト / 左)がアルバム「ネブラスカ」に込めた思いを真摯に受け止める

マネージャーのジョン・ランダウ(ジェレミー・ストロング / 右)は、ブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト / 左)がアルバム「ネブラスカ」に込めた思いを真摯に受け止める

また、本作の物語の鍵となるのが父親の存在である。映画の中ではスプリングスティーンが抱える幼少期のトラウマ──酒に酔うと人格が変貌し、暴力的な抑圧を掛けてくる父親の姿が何度もフラッシュバックする。モノクロームで綴られる1957年、8歳の頃の記憶だ。この心の傷からの回復が物語の重要な主題となる。不器用な父親ダグを演じるのは、ドラマシリーズ「アドレセンス」(2025年)での父親役でエミー賞主演男優賞を受賞したスティーヴン・グレアム。32歳になったスプリングスティーンが、ようやく息子として父親との確執から、愛と絆を取り戻す様は涙なくして観られない。また劇中では父親と観に行った想い出の映画として「狩人の夜」(1955年)がフィーチャーされている。

他にもスプリングスティーンと恋におちるシングルマザーのフェイ(これは創作上の人物となる)を好演するオデッサ・ヤングなど、実力派の役者陣が素晴らしいアンサンブルを見せる。当然、賞レースでの評価も大いに期待されるところだ。

互いの存在を確かめるかのように額を合わせるブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト / 左)と恋人フェイ(オデッサ・ヤング / 右)

互いの存在を確かめるかのように額を合わせるブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト / 左)と恋人フェイ(オデッサ・ヤング / 右)

Track3:心を撃ち抜く歌唱と演奏──音楽映画としての見どころ

自然体の演技でカリスマの素顔を見事に表現するジェレミー・アレン・ホワイトは、音楽面のパフォーマンスでも一切妥協せず、劇中で使用されるすべての楽曲の歌唱を自らこなした。序盤のシーン、1981年のオハイオ州シンシナティのリバーフロント・コロシアムで「明日なき暴走」(Born To Run)を演奏するスプリングスティーンとEストリート・バンドのパワフルなステージから圧巻。「ネブラスカ」収録曲では歌唱のみならず、ハーモニカやギターもジェレミー自身が演奏しているというから驚きだ。

スプリングスティーンを演じるうえで、音楽面でも一切の妥協を見せなかったジェレミー・アレン・ホワイト

スプリングスティーンを演じるうえで、音楽面でも一切の妥協を見せなかったジェレミー・アレン・ホワイト

またスプリングスティーンが時折ゲストで登場する「ストーン・ポニー」は、ニュージャージー州アズベリー・パークにある実際のクラブ。Eストリート・バンドがホームグラウンドにしていたほか、ボン・ジョヴィなどニュージャージー州の音楽界のレジェンドがキャリアをスタートさせたことで知られる聖地だ(1974年オープン)。

なお名曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」も、実はアルバム「ネブラスカ」と同時期に誕生した楽曲であることは先述した通りだが、もともとは「タクシードライバー」(1976年)の脚本家として知られる監督、ポール・シュレイダーが企画していた映画のタイトルだった。シュレイダーは音楽に加え、ロバート・デ・ニーロとのW主演をスプリングスティーンに依頼したが、彼は脚本を読む時間が取れず、結局タイトルだけ借りて曲を書いてしまったのだという。

こうしたトリビアも劇中には満載。また傷心のスプリングスティーンに、ジョン・ランダウが、サム・クックの「The Last Mile Of The Way」を聴かせるシーンなど印象的な既成曲の使い方も多く、音楽映画としての密度も非常に高い一篇となっている。

Bonus Track:映画の余韻を音楽で…

アルバム「ネブラスカ」を聴く