「バグダッド・カフェ」は1989年3月にシネマライズで公開され、同劇場だけで17週間のロングランを達成。客層は幅広く、クリエイターのような雰囲気の人も多く来場したという。そして1990年代に入り、渋谷がミニシアターブームを象徴する街としてカルチャーシーンを牽引していく先駆的な存在の作品になった。
1989年当時、シネマライズは開館3年目で松竹の直営館だった。この頃の作品編成は松竹や松竹富士が主体で行われていたが、「バグダッド・カフェ」はその例外にあたる1本で、初公開時の配給会社KUZUIエンタープライズの案内で試写を鑑賞したのが出会いだった。2人はシネマライズでの上映を直感で即決したといい、「この映画の魅力はやっぱり音楽。『コーリング・ユー』を聴いて、これはやるしかないでしょ、絶対いける!と思った」と当時を振り返った。
公開当時には思わぬ出来事も。彼らは「KUZUIエンタープライズさんが、“これは告訴してもいいかな”と言ってきたことがあって」と切り出し、「テレビCMで『コーリング・ユー』をそっくりにコピーした曲を使った企業があったんです。ネットで検索すればすぐ分かるような時代じゃないから、そういう節操のないことも起きつつ、幅広いクリエイター達も注目してくれたということでしょうね」と懐かしむ。
なおシネマライズは、自館で上映する作品の宣伝活動へのコミットメントに定評のあった劇場でもある。同作の公開から3年後の1992年に独立系映画館として独自に作品選定を行うようになったが、その傾向が強まったのは独立がきっかけ。「私たちがターゲットにしていたのは渋谷だけなんです。日本中や東京がというのはわからなかったけど、私たちが知っている渋谷の若い人たちが何を好きで、何にピンと来るかは分かっている……というか、外す気がしなかったんです(笑)」との思いがあったそう。
さらに「もし今『バグダッド・カフェ』の宣伝をするなら?」との問いには「当時シネマライズでこの映画を観た人に思い出を語ってもらうと面白いかもしれないですね。その頃の渋谷の街のことも含めて、話したいことが尽きないんじゃないかな(笑)」「今は若い人に“昭和”がブームだから、印象的なアートワークも含めて、新鮮に見える作品かもしれないですね」と語った。
「バグダッド・カフェ」では、アメリカ西部・モハーヴェ砂漠のカフェ兼モーテル“バグダッド・カフェ”にたどり着いたドイツ人旅行者ヤスミンと、そこに集まる個性的な人々の交流が描かれる。
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シネマライズと言えば個人的には「レザボアドッグス」かな。今や映画と映画館がセットで記憶に残る時代じゃないもんなぁ。 https://t.co/VKuLc7U5wH