女性ジャーナリストの環境は変わったか?安藤桃子や各国の映画評論家がトーク

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第36回東京国際映画祭のトークイベント「TIFFラウンドテーブル『映画ジャーナリズムにおける女性のまなざし』」が本日10月26日に東京・micro FOOD&IDEA marketで行われ、安藤桃子らが出席した。

トークイベント「TIFFラウンドテーブル『映画ジャーナリズムにおける女性のまなざし』」の参加者たち。

トークイベント「TIFFラウンドテーブル『映画ジャーナリズムにおける女性のまなざし』」の参加者たち。

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モデレーター役の安藤桃子。

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イギリスの映画評論家であるウェンディ・アイド。

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本イベントにはモデレーター役の安藤のほか、パネリストとしてフランスとシリアの国籍を持つ映画評論家 / ライターであるナダ・アズハリ・ギロン、イギリスの映画評論家であるウェンディ・アイド、読売新聞編集委員の恩田泰子、香港の映画評論家 / キュレーターであるセシリア・ウォンが参加した。安藤から「映画ジャーナリストと批評家の違いは?」と尋ねられると、アイドは「批評家は映画のレビューを書く人。ジャーナリストでも批評を書く人はいますが、インタビューや特集記事も書きます。いったん映画批評家になると、映画を作る人たちと関われなくなるというのはよく聞く話です。製作者たちとは一定の距離をとらなければいけないですから」と答える。恩田も「私自身もそうですが、日本では批評と記者を両方やっている人が多いですね。批評を書くときは余談を入れないように線引きするのが難しいです。日々矛盾を感じることもあります」と二刀流の苦労を語った。

読売新聞編集委員の恩田泰子。

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フランスとシリアの国籍を持つ映画評論家 / ライターであるナダ・アズハリ・ギロン。

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「女性ジャーナリストや批評家の環境は変わったか」という質問には、恩田が「日本における新聞社の女性記者の割合は少しずつ増えていると思いますし、働く環境はそれに伴ってよくなっているのかな? まだまだかな?という感じですね。私が2000年代初め、映画祭へ出張に行き出したときはフリーランスのジャーナリストはほとんどが女性でした。彼女たちにいろいろ教えてもらったという思いが強いです」と回答する。それを聞いた安藤が「私は子供の頃から映画界に関わっていますが、(取材で)同じ方ばかりとお会いすることが多いんです。日本は映画評論家の人口が少ないと感じているのですが、国ごとに違いがあるのでしょうか?」と聞くと、アズハリ・ギロンは「私がプロとして書き始めた2000年頃はアラビア語で書いていましたが、女性の批評家は2、3人しかいませんでした。でも女性のジャーナリストは非常に多かったですね。今はそのときに比べてかなり進歩していて、女性批評家が増えてきたと思います。一方フランスでは、批評家のうち37%が女性という統計があります」と説明。アイドは「25年前にキャリアをスタートしたときは、私にとってのロールモデルは存在していませんでした。今は批評をしている女性がかなり増えた感触ですが、多くはフリーランスで有名な方は少なく、大手企業の“チーフ・クリティック”となるような女性は私だけなんです」と現状を話す。

香港の映画評論家 / キュレーターであるセシリア・ウォン。

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またウォンが「香港においては、ジャーナリストと批評家の境界線がボケてきたように思います。たくさんのオンラインプラットフォームが生まれ、自由に意見を発表できる手段が増えたということに起因しています。映画を観たあとすぐにコメントを上げることができて、批評家のように書けますから」と述べると、アズハリ・ギロンは「そのコメントは2、3行のもの? 長い記事?」と質問。ウォンは「長い記事を書いていますね。書くだけでなく、動画や音声の形式を使うこともあるんです」と返した。

トークイベント「TIFFラウンドテーブル『映画ジャーナリズムにおける女性のまなざし』」の様子。

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続いて安藤が「女性的な視線が作品鑑賞にどう影響するか」を聞くと、アイドは「どんな視線も主観であり、正誤や男だから女だからということはないということを前置きします。とは言え女性として映画を観ると、映画内の女性の表象に違和感を持つことが多いです。男性監督の作品の女性像は理想化されたものが多く、ウディ・アレンの作品はそれに当てはまるのではと思います」と述懐。アズハリ・ギロンは「若い頃からアラブの映画を観てきましたが、女性は被害者として描かれることが多いんです。それを変えなきゃいけないと反抗する気持ちがあって、フェミニストになりました」「ほとんどの場合、女性監督・男性監督で作品に変わりはないと思っているのですが、例外として子供を描いた作品には違いがあると思っています」と伝えた。またウォンが「(男性ばかりの)ギャング映画が題材だったときでも、女性キャラクターがいかに重要な役割を果たしていたのかに注目して原稿を書きました」と言うと、恩田は「私は“女性”だからこういう見方をするというよりも、“人間”だからこう観たと思われたい。なので、女性だからこう感じたとあえて強調するようなことは少なかったと思います。でも最近はその考えから自由になってきました。女性の視線を感じられる作品が増えてきて、女性を取り巻く状況をきちっと描いているものが増えてきたのが大きいと思います。最近だと『サントメール ある被告』や『アシスタント』でそれを感じました」と自身の変化に言及する。

「性別によって、キャリア上で困難があった?」という問いが投げられると、アズハリ・ギロンは「一緒に働いた男性編集長は、女性たちの仕事ぶりが好きで、彼女たちが真剣に取り組んでいることを理解していました。ただ“女性はもっと仕事ができる”と証明するのには、まだまだ時間を要するというのが私の周囲の意見です」と現実を語る。アイドは「あからさまな妨害はなかったですが、潜在的なジェンダーバイアスはあったと思います。男性に対しては『アートハウス映画の記事は君に任せるよ』と言って、私には『子猫や靴について書いてほしい』というような状況がね。あとはやはり給与が違います。男性のほうが多く支払われている現状があるので、言いにくくても声を上げることが大事です」と力強く語りかけた。

キャリア駆け出しの頃を振り返ったウォンは「ギャング映画とカンフー映画でよく知られている2人の有名監督にインタビューをしたのですが、“君のような若い女には、俺のやっていることはわからないだろう”と立ち去っていったことがありました。それを受けて、私はこの職業でキャリアを積み上げていくことができるだろうかと疑問を持ちました。何年後かに彼らにインタビューをしたときは活発に議論ができましたが、最初のインタビューの時点ではバイアスがあったのではと思います」とエピソードを明かす。そして恩田は「ふんわりとした性差別、バイアスを乗り越えるためには仕事で証明するしかないですよね。あと、なんとなく悪く思われないように場を和やかにするような努力をけっこうしてきたんですが、それは無駄だったかなとも思います(笑)。若い方たちはそういう努力には時間を割かないで、一生懸命働いたらいいんじゃないかと思います」とアドバイスを送った。

最後に安藤は「今は時代が変化している真っ只中。それぞれの視点がありますが、映画は共通言語ですので、みんなで一体感を持っていきましょう。本当にシンプルに優しい心で未来に進んでいきたいと、改めてそう思いました」と話してイベントを締めた。

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kenji sakaue @CarGuyTimes

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