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安藤昇お別れの会に梅宮辰夫、中島貞夫、岩城滉一、北島三郎が参列

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安藤昇の遺影。写真はファン向けの焼香所にて。

安藤昇の遺影。写真はファン向けの焼香所にて。

2015年12月に逝去した安藤昇を偲ぶ「安藤昇 お別れの会」が、本日2月28日に東京・青山葬儀所にて行われた。

1926年に東京で生まれた安藤は、1950年代に渋谷を本拠地とした安藤組の初代組長として名を馳せ、1958年に横井英樹襲撃事件で服役。出所後は自らの手記をもとにした1965年公開の「血と掟」で俳優へ転身を遂げ、原案や企画などさまざまな立場からも映画作りに関わった。

この「お別れの会」の発起人を務めたのは、降旗康男、中島貞夫梅宮辰夫村上弘明岩城滉一堀田眞三ら。会がスタートし黙祷が捧げられたのち、実行委員長の海老澤信が挨拶した。続いて、安藤も出演した「懲役太郎・まむしの兄弟」のメガホンを取った中島が弔辞を述べる。同作の現場での思い出を「風呂場のシーンで、安藤さんは素っ裸で豪華な衣装もないのに、その眼光の鋭さで菅原文太さん演じる主人公たちが言葉を失ってしまうという場面があった。私は安藤さんがどう演じてくれるのか期待と不安が入り混じった状態で撮影しましたが、その存在感や鋭い眼光に思わず息を飲んだ。まむしの兄弟よりも先に私が射すくめられてしまった」と回想した。

続いて、安藤の主演作に数多く出演した俳優の堀田も弔辞を述べる。“おやじさん”と生前の呼び名で安藤へ語りかけ、「信義耐」という安藤に教わった“信用、義理、忍耐”を指す言葉を振り返った。そして献酒の際には梅宮が登壇。「昭和の映画スターがいなくなってしまうのは寂しいです。どうかそちらの世界でもお元気で」と安藤へ呼びかけた。

その後の囲み取材には、安藤と親交のあった北島三郎も出席。安藤とは歌手デビュー前の渋谷で“流し”をしていた頃に出会い、映画や舞台でも共演したとのこと。「その映画は任侠ものでした。皆さんおっしゃるように、安藤さんは澄み切ったような目をしていらして。やはり、目の素晴らしさがありました」と述懐したほか、知り合った当時「おい坊主、がんばってやれや」と声をかけられたこと、デビュー後映画の撮影所で会ったときは「サブちゃん」と呼ばれたことなども明かした。

また、岩城と村上も囲み取材に参加。安藤の自伝をもとにした実録ヤクザ映画「渋谷物語」に主演した村上は「デビュー当時に東映カレンダーで安藤さんの写真を拝見し、どういうお方なのか聞いてすごく印象に残っていました。目つきや気配がほかの方と違っていて。あとから、『渋谷物語』キャスティングの際に安藤さんが『村上くんの目がいい』とおっしゃっていたと聞いて、感動しました。作品自体も目を意識して演じたつもりです」と話す。また安藤と40年以上の付き合いだった岩城は、昨年末も電話で「近いうちに顔を見せに行きます」と話していたという。そして「『普段どうやって生きているかが演技に出るんだよ』、とよく話されていました」と安藤の言葉を紹介した。

なお青山葬儀所にはファン向けの焼香所も設けられ、多くのファンが来場していた。

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