映画と働く 第7回 [バックナンバー]
アクション監督:谷垣健治(前編)「香港映画の現場を見て『この中にいたい』と思った」
ジャッキー・チェン好きの少年が単身香港へ移住し、大ヒットシリーズ「るろうに剣心」のキーパーソンになるまで
2020年12月31日 19:00 22
1本の映画が作られ、観客のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。
第7回となる今回は「
取材・
体は弱いが、我慢強い子供だった
──前半では、谷垣健治さんがアクション監督になるまでの経緯を伺えればと思います。まず、以前Twitterにお写真をアップされていた幼少期のお話から伺えますか。
はい。体が弱かったので、引っ込み思案な子でしたね。1歳半と3歳のときにひきつけを起こしたりしていたので、あまり過激な運動はさせてもらえなかったです。
──ただ、お写真ではブランコや高い木の上に登っていましたよね。当時からかなりの身体能力だったのではないかと思うのですが……運動神経がいいという自覚はあったんですか?
ありません! 奈良県で育ったので周りに山や木がたくさんあって、木登りとかは得意でしたけどね。高いところに登ったり、そこから飛び降りることが好きだったので、自然とそういう筋力が付いたのかもしれません。あと「自分は我慢強いな」とは思っていました。擦り傷ができても全然平気だし、同級生とふざけていてケガしたときでも、相手を心配させないようにすぐに「大丈夫大丈夫!」と返すくらい。スタントマンになってからも、危ないアクションの直後はカットがかかってすぐ「大丈夫です!」って言うので、通ずるところがあるかもしれません(笑)。
香港映画の現場を見て「自分もこの中にいたい」と思った
──履歴書で“人生の1本”に挙げていただいた「スネーキーモンキー/蛇拳」は、そんな小学生の頃に観たわけですね。
小学校5年生のときですね。テレビで観て、翌日にはクラスのみんながマネしてました。その頃の僕は、ただただジャッキー・チェンになりたかった(笑)。「蛇拳」は動きがマネしやすかったし、できない主人公が特訓を重ねてできるようになるというストーリーのおかげで、その気になれた部分もあると思います。最初に観た映画が「
──劇中世界への憧れが、映画作りへの憧れに変わったきっかけは覚えていますか?
最初は「バック宙したい」みたいなフィジカルなものへの憧れが強くて。でもいつか香港映画の現場を見てみたいと思い始めて、18歳のとき初めての海外旅行で香港に行きました。それでジャッキーの事務所に行ったら「今日はここで撮影してる」って紙に書いて教えてくれたんです。ショウ・ブラザーズの山の中のスタジオにものすごいセットを建てて「
──ファンへのサービスがすごいですね!
ですよね。その体験が衝撃的で「どんなポジションでもいいから自分もこの中にいたい!」と強く感じたわけです。日本に帰ったら、倉田アクションクラブ(※香港でも活躍する俳優の
──今日本アクション界で活躍されている方々との人脈が、そこでできたんですね。
それぞれが自分の方法でこの世界に残って独自のキャリアを重ねていったという感じですね。当時は「鬼平犯科帳」などの京都の時代劇の現場が多かったので、あんまり普段練習しているようなアクションを発揮できるジャンルじゃなくて、いつ頃からか僕は密かに「香港に行かなきゃ駄目だな」と感じるようになっていました。こう言ってしまうと突飛に聞こえるかもしれないですが、野球選手がメジャーリーグに挑戦したり、サッカー選手がヨーロッパに行ったりする感覚に近いと思います。たまたま僕にとってはそれが香港だった、ということです。
広東語を覚えるために、マクドナルドでめちゃくちゃ人に話しかけた
──そんな思いから、履歴書にあるように“勝手に香港に住み始める”のですか?
はい。今考えると香港の人たちは、僕らのような“よそ者”に優しかったと思います。1回受け入れてもらえたら、身内意識を強く持ってもらえるようなところなんですよね。
──言葉もわからない状況で住み始めるという決断に驚きました。
広東語を覚えるために、マクドナルドで子供やおじいちゃんにめちゃくちゃ話しかけましたね(笑)。生活がかかっていて、しゃべれないと生きていけない状況になったら、案外すぐできるようになりますよ。日常会話は2カ月くらいでできるようになりました。英語の5W1Hにあたる疑問詞とよく使う名詞を覚えたら、だいたい通じるようになりますし。
──最初に覚えた言葉はなんでしたか?
「本当?」って意味の「ハイメ?」ですね。それを覚えておくと相槌が打ちやすくなるんですよ(笑)。相槌を打つと相手がどんどんしゃべってくれるから、その間に「何言ってるのかな?」って想像するんです。逆に大変だったのは、現場で使う動詞。「避ける」とか「受ける」とか「ウィービング(※パンチをくぐって避ける動作)する」とかという広東語は、なかなか日常会話でも出てこないじゃないですか。あるとき現場でアクション監督から「お前ナントカできるか?」って聞かれて、技の名前なんだろうなと思いつつも僕には意味がわからなかったんです。で、「お前はもういい」と言われてほかの人がやっているのを見たら、「バック宙崩れ」っていう僕の得意技だったんですよ。言葉がわからないと、それは“できないやつ”になってしまうわけで。ただ漢字で覚えられる分、アメリカから来ているスタントマンよりは有利だったと思います。そうやって覚えたもんだから香港人よりも、僕のほうが漢字表記には詳しいくらいですよ(笑)。
──次の転機は香港のスタントマン協会に入ったときだそうですね。日本人がその協会に入るのは、谷垣さんが初めてだったと思うのですが。
一番大きいのは、入ることによってスタントマンとしてのギャラが保障されるということです。それまでは日当200HKドル(約2800円)くらいのエキストラでしたが、9時間1400HKドル(約1万9600円)のスタントマンになれる。吹き替えをしたら倍もらえるし、オーバータイムの手当もつくようになりました。そういう意味では「ここからスタントマンになりました」と言える転機だったと思います。本当はアクション監督3人の推薦が必要なんですけど、トン・ワイっていうアクション監督が推薦してくれて、裏口入学みたいな形で入れてもらいました(笑)。
──トン・ワイといえば、「
僕が勝手に香港に住み始めたのが1993年6月6日で、協会に入ったのが1994年の6月5日。僕はそもそもすごく安い部屋に住んでいたので、その点は得していたんですよ。本当は香港人しか住んじゃいけない公共住宅だったので(笑)。生活がなんとかなると思えたのは1995年くらいからですかね。単発仕事じゃなくて、1本の映画にレギュラーとして常駐できるようになったので。
ドイツで「アクション監督もやってくれ」と言われ
関連記事
谷垣健治のほかの記事
リンク
タグ
谷垣健治 @KenjiTanigaki
映画ナタリーの「映画と働く」で取り上げてもらいましたが、よい子はマネしないように!笑
https://t.co/vH68JnAlt6