大正8年に帝国美術院として設立された日本芸術院は、美術、文芸、音楽、演劇など芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関。日本芸術院令第3条に基づき、芸術上の功績顕著な芸術家の中から補充すべき会員を毎年決定している。令和3年度においては、対象分野に「写真・映像」「デザイン」「マンガ」「映画」が追加。なお日本芸術院会員は一般職の非常勤国家公務員で、年金額は250万円。任期は終身としている。
ちばの推薦理由には「登場人物たちの細やかな心の動きや生活のディテールを繊細かつ丹念に描き込む作風は、日本のマンガ表現の深化に絶大な影響を与えた。日本漫画家協会会長、そしてマンガ家養成課程を持つ文星芸術大学学長として、マンガ文化の発展、マンガ家の育成に尽力し続けている」などの言葉が。つげの推薦理由では、「その生き方がトータルに注目される唯一無二の存在となっている。今日もなお文庫や全集の形で作品が読まれ続け、海外からも高い評価を得ている、まさに「芸術」としてのマンガ表現において日本を代表する作家である」と述べられた。
ちばてつやの推薦理由
戦後日本マンガの金字塔の一つとも言える「あしたのジョー」で、原作をさらに深く解釈し、独自のエピソードや表現を加え、主人公が「真っ白になる」までを描き切り、スポーツマンガの大ヒット作という域を超え、同時代の若者文化を代表する作品に高めた。日本マンガの一大潮流であるスポーツマンガ興隆の最大の貢献者であるのみならず、初期の少女マンガにおいても悲しい運命に翻弄されながらも、主体的にそれに向き合う主人公像を打ち出して後続の作家たちに大きな影響を与えた。少年マンガに進出した後も、登場人物たちの細やかな心の動きや生活のディテールを繊細かつ丹念に描き込む作風は、日本のマンガ表現の深化に絶大な影響を与えた。日本漫画家協会会長、そしてマンガ家養成課程を持つ文星芸術大学学長として、マンガ文化の発展、マンガ家の育成に尽力し続けている。
つげ義春の推薦理由
1960年代後半に「ガロ」誌上に発表した短編作品群以降、紀行文学的、あるいは私小説的な、小さなエピソードの中に人間存在の不条理や世界からの疎外を垣間見せる「文学的な」表現によって、自己表現としてマンガを捉える青年たちに絶大な影響を与えただけでなく、マンガの世界を越えて、美術と文学の世界からも高い評価を集め、その作品を読み解く試みを誘発してマンガ評論の発展にも影響を及ぼした。1970年代から80年代にかけても、ユーモアを含んだ独自の作品を発表し、その生き方がトータルに注目される唯一無二の存在となっている。今日もなお文庫や全集の形で作品が読まれ続け、海外からも高い評価を得ている、まさに「芸術」としてのマンガ表現において日本を代表する作家である。
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ちばてつやとつげ義春、日本芸術院の会員候補者に決定 - コミックナタリー
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