細野ゼミ 番外編(後編) [バックナンバー]
「HOSONO HOUSE」50周年記念企画
細野晴臣は「HOSONO HOUSE」を作りながら何を考えていたのか?
2023年6月3日 20:00 45
ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(
取材・
信頼感が生み出した“音のよさ”
ハマ・オカモト 「HOSONO HOUSE」を聴いて毎回感じるのは、音のよさなんですよ。“高音質”とか“音の分離がいい”とかって意味ではないんですけど。
細野晴臣 それが自分ではわかんないんだよ。部屋のアンビエンスとか、そういうことかな。
ハマ それもそうなんですけど、失礼な言い方かもしれませんが……演奏がホントにうまいんだなって思うんですよ、全員(笑)。今は音響機材もこんなに発達していて、機材もいっぱいあるけれど、そこは逆行できないじゃないですか。「ああいうふうに録ろう」というのができないんですよ。あの時代には“取り戻せないあの質感”みたいなのが明確にある。「家で仲間と録ったんだよね」と簡単に言うには、あまりにも芸術的すぎて。そういう意味の音のよさを感じるんです。でもそれですら、細野さん的には「わかんないんだよね」ってことになるから(笑)。
細野 なるほどね。でも録ったあと、音がすごく気になってはいたんだよ。部屋が狭かったんだよね。遮音もほとんどなかったし。
安部勇磨 何かで見ましたけど、当時のレコーディング現場には畳みたいなのが置いてありましたよね。
細野 そう。畳を置いて。
ハマ 間取りだって、そんなにね。
安部 ギュウギュウだった。
細野 だからシンバルは音がデカすぎたんだよね。シンバル以外はよかったんだけど。
ハマ アンプの出力はどのくらいだったんですか?
細野 そんなに大きくは出さなかったな。隣近所もあるし。
ハマ 家だから(笑)。でもあの音のよさ、音量もあるのかもしれないよなあ。バッチバチに吸音されたスタジオで出す音量ではない音量。
細野 隣に
安部 「録音始めたな、あいつら」って(笑)。でも、それも込みで憧れてしまう。単純にカッコいいんですよね。友達と集まって、「場所もここでいいんじゃない?」って感じで家で録るっていう。それも込みで、モノ作りの面白さが全部入ってる。
ハマ でも、家で録ること自体は今もあるじゃない。「HOSONO HOUSE」の音のよさを考えるに、バンドだったっていうのも重要なのかもしれませんね。
細野 確かにドラムとベースの響きは重要かもしれないね。
ハマ それに、宅録みたいに1人でやってしまうと、逆にシビアになりすぎちゃうだろうから。あとは、友達とやったっていうのもデカい。
安部 そうだよね。ちょっとユルっとしてるだろうし。
ハマ 「これでいいんじゃない? もう」みたいな。でもそういうことじゃない? 踏ん切りを付けるのは1人だと難しい。それに、ずっと一緒にやってるバンドメンバーだとそれぞれ自分の意見を譲らなかったりもするじゃん。だから関係性の妙もあるんだと思うな。
細野 そうそう、あるよ。みんなのミュージシャンとしての力量を信頼しているからできたやり方。「あれ、このドラマー、ダメだな」って思っていたらできないからね。
俗っぽさがすごい好き
──発売50周年のタイミングでアナログレコードが再発されますね。「HOSONO HOUSE」は、これまで中古レコード店で高額で販売されている印象がありますから、喜ぶファンも多いでしょうね。
細野 高いんだ。
ハマ リリース当時、そんなにたくさん枚数が出たわけではないだろうし。だから必然的に高くなっちゃうんですよね。
細野 ぜんっぜん出てなかった。数千枚だったね。はっぴいえんどでさえそうだったよ。
安部 数千枚かあ。
ハマ 大瀧(詠一)さんが「『A LONG VACATION』を出すまで誰にも応援されてなかった」みたいなことをおっしゃっていましたけど、それと一緒ですよ。それまではある意味マニアックだったから。あとからちゃんと評価されていくという。
細野 大瀧くんはいい意味で野心があったよね。ポップスが大好きで、「売れなきゃポップスじゃない」って。僕はミュージシャンっぽい資質が強いから、大瀧くんとは違う道を歩むのかなとは思っていたな。大瀧くんは作家っていうか、ソロでいく。僕はミュージシャンとしてやっていこうって考えだった。ベーシストのほうでね。僕の場合、1つの作品を作ると、もうその場で忘れてしまうんだよ。その作品が残るなんて思ってないから。つまり、誰も聴いてないと思っているから気楽なんだ。責任がない(笑)。
ハマ だから「これをやってみよう」と感じた通りにどんどん作風を変えていけた部分があるんでしょうね。
細野 そうだね。もちろん、そのときどきで作りながら気が付くことも多いけど。ソロ2枚目の「トロピカル・ダンディー」は、作り始めたときは全然あんな作風にしようとは考えてなかったんだ。初めは、頭の中ではスライ(Sly & the Family Stone)とかビリー・プレストンとか、そういう演奏を思い描いていたわけだ。それがああいうふうになっているわけだから、つまりは考えずにやり出しちゃうんだよね。
ハマ 制作を始めてから、だんだんああいう形になっていったんですね。
細野 最初はオークランドファンクみたいなオケが録れたんだよ。自分の家で作っていて、オケを聴きながら歌ってみたら、全然歌えないわけ。自分の声が合わなかったんだよね。ファンクじゃないんだよ(笑)。それでやめちゃったの、1回。
ハマ ファンキーでブラックな伴奏のトラックを作っていたけれど、歌と合わなくてやめちゃった、という。幻のトラックですね。
細野 そう。そのオケはカセットで残っているよ。でも、そういう曲は1曲しかやってない。スパッと辞めちゃった。それで「どうしようか」って考えていたら、久保田麻琴くんが来て、「細野さんはトロピカル・ダンディーだね」って言うわけだ。全然そんなこと考えてなかったんだけど。
ハマ それで、「その線でやってみるか」ってなったんですか?
細野 自分でやろうとは思ってなかったけど、そういう音楽を聴いてはいたんだよ。中村とうようさんの編集したラテンのアルバムで、ラテンが大好きになったりしてね。それである曲を作ったら、「なんか、このサウンド聴いたことあるな」って。考えていたら、「小学生の頃にラジオで聴いたマーティン・デニーだ」って思ったんだ。そうやって1曲ごとに気付きながら作っていったのが「トロピカル・ダンディー」だね。だんだんカリプソにのめり込んでいったりして。
安部 「トロピカル・ダンディー」もセッションで作ったんですか?
細野 あれは曲がしっかりしていたから、「HOSONO HOUSE」とは違ったかな。あんまりオタマジャクシは使わないけど、写譜用のペンを買って譜面を書いたりして。つまりその頃は、すでに「HOSONO HOUSE」のことはもう忘れてるんだよね。気持ちはもう……林くんと僕はビリー・プレストンばっかり聴いていたんだ。そのときはね。
安部 なるほど。
細野 (鈴木)茂とかはスライを聴いていた。だから、そういうものしか作る気がなかったんだ。でも、演奏はいいんだけど、ホントに歌えない。小坂忠じゃないと歌えない。
ハマ ビリー・プレストンやスライを聴いていて目指した音楽はありつつ、「トロピカル・ダンディー」のような方向性になっていくにあたり、再びミュージシャンを集めるじゃないですか。ミュージシャンの皆さんは、ああいった音楽性に理解や造詣があったんですか?
細野 ベーシックなところにあるのは、民族音楽的なアプローチじゃないから。普通のポップスの気持ちでやっていたんだよ。
ハマ “なんちゃって”というか、ああいう音楽のエッセンスを拝借している感じだったんですね。
細野 そう。だからリズム隊はそんなにとらわれないじゃない。本格的にやるわけじゃないわけだから。だから普通のロックだったんだよ、結局。カルメン・ミランダのサンバみたいに本物っぽくやりたかったけど、できないよね。ギターだけでやればなんとかできるのかなって思ったけど、バンドではできなかった。ドラムと合わないわけだ。その当時は、ドラムはみんな2、4の世界から抜けられない時代だった。
ハマ なるほど。でも、新しいですよね。完全にそういうジャンルをバンドでやるっていうのは。
細野 そうそう。だから今聴くと、ロックなんだよね。
ハマ ロック畑の人がやる“ファンキー”だったり、“民族的”だったりっていう。
──だから一般の人でも聴きやすいっていうのがあるのかもしれません。
ハマ そうですね。細野さんのソロの作品って、音楽好きな人であれば分析的に聴くこともできますけど、一般の人が聴いても小難しくない。その塩梅もすごいんですよね。本来そのジャンルをめっちゃ研究して深く取り組んでいくと、たぶんポップスにはならないじゃないですか。それは1stの頃から感じます。
細野 それはうれしいね。俗っぽさがすごい好きだもん(笑)。
人生にも締め切りがあるじゃん。だから……
細野晴臣 Haruomi Hosono _information @hosonoharuomi_
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