東映の宣伝部で数々の映画コピーを手がけ、退職後は映画ライターとしても活動した
関根は1937年12月25日、東京生まれ。1956年に東映へ入社し、東京撮影所などを経て1962年に本社宣伝部へ異動する。以降1997年に映画宣伝部長付チーフ宣伝プロデューサーとして定年退職するまで、東映作品の宣伝コピー制作を長年にわたって担った。やくざ映画や実録映画、時代劇、アクション、ヒューマンドラマ、ポルノ映画とジャンルを横断。映画の世界観を言葉で表現するその手腕から「惹句師」と呼ばれてきた。
代表的な仕事には、「旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」とうたった「
東映の代表取締役会長・多田憲之は「映画の内容を一言で語ってくれる惹句、成績を左右させる惹句、そんな伝説の惹句師の関根さん。もっともっと仕事をして欲しかった。ポスターに躍る関根さんの惹句は東映在籍時も他社から依頼があった程、皆に愛された。移転前の7月、銀座の本社にふらりと訪ねてくれたのが最後だった。心よりお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を捧げた。なお葬儀は家族葬としてすでに執り行われている。
関根忠郎の主な担当作品
「昭和残侠伝 破れ傘」
旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!
「
つろうござんす浮世のしがらみ 純子は何んにも言いません 文太も何んにも言えません こゝで別れりゃ二度とは会えぬ 熱いものがこみあげる だが美しい───無言で見せて無言で演じたラブシーン
「仁義なき戦い」
暗殺、裏切り、報復……残虐な死闘の日々の中で怒り、苦悩する男たち! 殺しが殺しを呼ぶ非情なやくざ社会の内幕を暴いた「美能組」元組長 美能幸三の手記「広島やくざ・流血20年の記録」をこゝに映画化!
「トラック野郎 御意見無用」
腕っぷし、気っぷがドンと気に入った! スピード・バクチ・酒・喧嘩 車体飾り(デコレーション)もNo.1 だから通称一番星〈菅原文太〉 女にモテたいばっかりに相棒ジョナサン七人子持ちがなぜやもめ〈愛川欽也〉 にっぽん列島 男の意地と汗・ほこり ハードに行くぜ痛快豪放トラック野郎
「
我(わし)につくも 敵にまわるも 心して決めい! 親も子も仏もない凄絶な権力争い! 超豪華スターと巨大スケールで蘇る本格的時代劇ロマンの面白さ!
「鬼龍院花子の生涯」
愛に染まれば 女は狂女
「極道の妻たち」
愛した男が、極道だった。日本を一分する暴力抗争──男たちの銃後(かげ)で、妻たちはどう生きているか!?
「ヒート」
叫ぶか、黙るか。二人は出会った。いま高鳴る銃撃のシンフォニー!
「
大切な想い 大切な人に 届いていますか──
「
信じられない真実──。アメリカは正義を見失っていた。
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映画ナタリー @eiga_natalie
「仁義なき戦い」「トラック野郎」など東映作品の名コピー手がけた関根忠郎が死去
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