特別企画「日本映画専門チャンネルpresents 伊丹十三4K映画祭」の「
西村は「伊丹さんの作品に出られたことは、僕が俳優として動き出した大きなきっかけになっていると思います。このイベントに関われて、多くのお客さまに来ていただいたことは、生涯忘れないと思います」とコメント。伊丹と最初に会ったのは彼の事務所があったマンションの一室だと言い、「素敵にリフォームされていて、土足で上がっていい洋風な感じになっていた。こんなに大胆にお部屋を変える人がいるんだ、とそのセンスのよさに伊丹ワールドの虜になってしまいました。今も事務所があった場所の近くを通るたび伊丹さんを思い出します」と懐かしんだ。
撮影時、西村は35歳。三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台に立ち始めてから数年が経った頃だった。西村は「自分に勢いがあったことを感じていました。ドラマ『古畑任三郎』でいろんな方に知ってもらうようになりましたが、伊丹さんから撮影初日に『それと同じことはやってほしくない。これまでの君じゃない君が見たい』と言われたんです」と回想する。
かつて暴力団に襲われ、マルタイとなった伊丹の実体験が反映されている本作。イベント中盤から登壇した宮本は「伊丹さんがどうしてこの作品を作ろうと思ったか。1つに、取材で出会ったあるクリーニング店の方の話があります。事件に遭遇したその方が、自分のお店や子供、命をおびやかされるおそれがあるのに『証言します』とはっきりおっしゃった勇気に感動したと言っていました」と語る。続けて「もう1つは自分(伊丹)を守ってくれた刑事さんです。(伊丹に)何かあったときは身を挺して守るという仕事への感謝の気持ちがあったし、これを作らないとどうしても前に進めないということで、『マルタイの女』を作ったんだと思います」と口にした。
同作で初めて伊丹映画に参加した西村は「毎朝興奮して目覚めて、『今日も気を抜かずに乗り切ろう』という感じでした。目の前のことをとにかく必死こいてやっていたし、求められているものに応えられる自分でいたい、としか考えていなかったです。だからロケ地も記憶があいまいなんです。そんな頃の私も愛おしいんですけど」と述懐。宮本の「(東京の)晴海通りを(車で走りながら)私がクレオパトラの格好をして『私は生きてる!』って絶叫するシーンも?」という質問に、西村が「それすらも横浜あたりだったと思っていたんです……」と答えると、宮本は驚いていた。
村田は、自身の舞台の本番があるため登壇が叶わず、ビデオメッセージを寄せた。西村とのバディに関しては「『面白い人だなあ。いつかこの人とガツンと芝居をやりたいな』と思っていたら、伊丹映画で組めることになって、こんなにうれしい話はないですよ! とにかく面白かったし楽しかった」と笑顔で思い返す。宮本については「主演女優という立場で監督と対峙しなくちゃいけないんだけど、監督側・制作側からも(ほかのキャストを)見ていらっしゃる。伊丹さんもそうですけど、宮本さんにいろんなことを教えていただいて、今でも本当に感謝しています」と伝えた。
最後に西村は「伊丹さんとご一緒できたことが僕の1つの財産になっています。存在感や言葉一つとっても軽妙で知的で。そういった伊丹さんの醸し出す空気の中に自分もいられたことが誇らしい。僕はあんなに素敵な方はこの世にそうそういないんじゃないかと思います」と話す。宮本は「今回の映画祭に来てくださった方から『伊丹さんの映画は時を超えて絶対に滅びない』という言葉をいただき、とてもうれしく感動いたしました。本当にありがとうございました」としみじみ述べた。
「伊丹十三4K映画祭」はTOHO シネマズ日比谷と大阪・TOHO シネマズ梅田で明日5月1日まで開催。5月17日20時からは、日本映画専門チャンネルで10作品の一挙放送も行われる。
うさお @usao_taro
伊丹十三といえば「ミンボーの女」が見たいけど、U-NEXTとかで配信してないな。非公式でも見かけないし。何か大人の事情とか闇の力とかあるのかしら。
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