映画「
父の誕生日パーティのため、祖父の家を訪れた7歳の少女ソルが過ごす夏の1日を描く本作。病気で療養中の父と久しぶりに会えることを喜ぶ彼女だったが、準備に駆け回る家族たちの異変に気が付いていく。映画初出演の
本編映像には、父との面会を許されなかったソルがスマートフォンのAIに「いつ世界が終わるの?」と問いかける場面から幕開け。父との別れを予感し涙ぐむ彼女に、ヘルパーのクルスが「心の底から愛してるのよ」と父の思いを代弁する様子も収められた。
本作を鑑賞した
なお本作をテーマとしたオルタナティブポスター2種も公開。イラストレーターの長崎訓子と宮嵜蘭がデザインを手がけ、長崎は色鮮やかな風船やオウム、カマキリ、カタツムリたちがソルの願いを見守る様子、宮嵜はロウソクの炎を見つめるソルの真摯な瞳、草木と生命が共鳴する一幕を描いている。
映画「夏の終わりに願うこと」本編映像
YOU(タレント)コメント
ソルが素晴らしい。
願うことは 全てを尊いものに変える力であり 宇宙を創る美しい分子のようだ
高瀬隼子(小説家)コメント
スクリーンの前でわたしたちは息を止めて、その願いを見届ける。
彼女のこのうえなく真摯な祈りを、ともに願うでもなく、ただ見つめる。
大九明子(映画監督)コメント
TOTEMという原題のまま、公園のトーテムポールのようにそこにあって。死とは。命あるものみな死ぬ。
「祈り」そのもののようなこの映画にあって、人間同士は壮絶な祈りを込めて、しれっと命を贈り合う。
それは真水の金魚であり、がんじがらめの盆栽であり、キャンバスに描き出された生き物の絵である。
ラスト、ソルが蝋燭の炎に向けて捧げる祈りに至っては、地底からか天空からか、
呼び覚まされ吸い出されるあらゆる命の恐ろしい叫び声すらあぶり出されている。
なんと息苦しい。私はこの映画が好きだ。
山崎まどか(コラムニスト)コメント
にぎやかな家族の中に漂う、終わりの気配。
それを鋭敏に感じ取る少女の眼差しが素晴らしい。
未知の悲しみを受け入れる準備をしているかのような、
そのか細い姿がただただ切なかった。
枝優花(映画監督 / 写真家)コメント
死が身近にある状態とは
同時に今、ここに当たり前のようにある生を感じることでもある。
我々は何によって生かされて、何をもって生きていると思うのか。
息をひそめ、じっと彼らの生活を見つめ、己の生活を反芻する時間。
遠藤文香(写真家)コメント
家族と自然、生き物たちの中で、
悲しみ、不安、喜び、愛、願うことを通して、
ソルの現実は絶えず揺らぎ、螺旋を描きながら変化し続ける。
この映画は人生であり世界そのもの。
森直人(映画評論家)コメント
手のひらで掬い取った水の中に幾多の生命が動いている。
そんな風に家族の集いを、人間の営みを捉えた美しい傑作。
我々は人生の時間制限いっぱいまでパーティーを続けるのだ。
月永理絵(ライター / 編集者)コメント
たしかに漂う死の予感。
けれど、それを取り巻く人々の感情はみなバラバラで、決して同一にはなりえない。
ときに親密で、ときに不協和音を立てる、ある家族の肖像。
誰かの死を受け入れるまでの時間を、こんなふうに描いた映画を初めて見た気がする。
麦倉正樹(ライター)コメント
カサヴェテスの「まなざし」を持ったメキシコの新鋭。
この映画は、少女の目を通した「こわれゆく女」であり、「こわれゆくパパ」が奏でる、愛の不協和音の群像劇なのだ。
児玉美月(映画文筆家)コメント
カタツムリが絵画の上を這う遅さで、
ハチドリが100万回羽ばたく速さで、
少女は大人になり、やがて知ってゆく。
最愛のひとがいなくなったとしても、
決して世界がなくなりはしないことを。
SYO(物書き)コメント
終わりを前にして笑おうと努める大人たちと、戸惑う少女。
どちらも整理はできていない。人前で繕うかどうかの違い。
祝祭の端々、各々の感情が零れ出す様は等しく哀切だった。
宮代大嗣(映画批評)コメント
夏の終わりが好きだ。
独特な季節の香り、終わりに向かっていく色彩。
多感な少女が香りや色彩の中からすべてを感じとり、願う。
目を閉じて、ゆっくりとタイトルを唱えたくなる作品!
Ko-Z @particolare1964
父との別れを予感する「夏の終わりに願うこと」新映像 YOU、高瀬隼子、大九明子ら絶賛 - 映画ナタリー https://t.co/5SWUHq7utp