写真家・
ソ連軍に抵抗する戦いが続いていた1983年のアフガニスタンで、若き司令官・マスードと交流を深めた長倉。2001年9月9日にマスードはイスラム過激派により暗殺されてしまうが、長倉はマスードが守り続けてきたパンシール渓谷にある学校を支援することを決意する。作中では長倉が同校へ毎年のように通い、子供たちの成長を撮り続けるさまを映し出す。2017年にNHKのETV特集「アフガニスタン・山の学校 マスードと長倉洋海の夢」を手がけた
長倉は「とてもカッコ悪い映画だ」という言葉の真意を「私の野心も、それに賭ける赤裸々な思いもはっきり映っているからだ。でも、それでもいい。なぜなら、マスードが私の中で生き続けていること、そして、山の子どもたちの心に脈々と受け継がれていることが伝わってくるからだ」と説明。さらに「いつしか、映画に引き込まれていた。写真の効果的で迫力ある構成、シーンのひとつひとつに寄り添う音楽が、この映画を高みに押し上げてくれた。この映画が観る者にどのくらい感動を与えるかはわからない。でも、『鉛筆と銃』には、私が見たもの、伝えたいと思ったものが確実に映し込まれている。是非、劇場の大スクリーンで、マスードの表情に出会い、未来を見つめる子どもたちの姿に出会ってほしい」と語っている。
「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」は9月12日より東京・東京都写真美術館ホールほか全国で順次公開。
映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」特報
長倉洋海 コメント
「とてもカッコ悪い映画だ」と思った。私の野心も、それに賭ける赤裸々な思いもはっきり映っているからだ。でも、それでもいい。なぜなら、マスードが私の中で生き続けていること、そして、山の子どもたちの心に脈々と受け継がれていることが伝わってくるからだ。
河邑監督は「ハードボイルドだ」と謳っているが、どこが、と私は思う。もっとカッコ良く描いてほしかったからだ。でも、それもいいだろう。映画「鉛筆と銃」が、マスード、私、そして子どもたちへと連なる大きな流れ、そして峰々が連なる山脈のようなものが映画をしっかりと貫いているからだ。
そんな私だが、いつしか、映画に引き込まれていた。写真の効果的で迫力ある構成、シーンのひとつひとつに寄り添う音楽が、この映画を高みに押し上げてくれた。この映画が観る者にどのくらい感動を与えるかはわからない。でも、「鉛筆と銃」には、私が見たもの、伝えたいと思ったものが確実に映し込まれている。是非、劇場の大スクリーンで、マスードの表情に出会い、未来を見つめる子どもたちの姿に出会ってほしい。
Ko-Z @particolare1964
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