短編映画「
「1人のダンス」「追い風」で知られる安楽が手がけた本作は、緊急事態宣言の発出によって容赦なく居場所を奪われた映画監督、舞台役者、ラッパーの姿を描く物語。3部構成となっており、自作が上映されるはずだった映画館の閉館に直面する監督をサトウ、出演する舞台が中止となってしまった役者を円井、イベントの中止を受けライブをネット配信するラッパーをDEGが演じた。
まず安楽は2021年の梅雨時期に準備していた短編映画がコロナ禍で制作中止になったことに触れ「ちょうど緊急事態宣言が出た影響で、止めざるを得ない状況になってしまった。映画がなくなるのは初めての経験で、どうしたらいいかわからなくて、その日の夜に脚本を書きました」と、制作の経緯を語り出す。「コロナはすごく繊細な問題。この映画を撮ったけど、僕が正解だとは決して思ってない」と前置きつつ、「映画がなくなったことは怒りなのか。本当にどこに向かえばいいのかわからなかった」と執筆時の葛藤を明かす。
さらに同作に出演する予定だったサトウと脚本を書いた夜に電話で話したことを述懐。電話は2、3時間続き、お互いに何も言えない無言の時間も長くあったという。安楽は「ヒロキは『まだやりましょうよ』と言ってくれて。俺は『もう終わった』と思っちゃってて。これに応えられない俺ってなんなんだ、と。だったら梅雨に別の映画を作ろうと。なかったものをなかったことにしないで、新しく作ろうと思って作った映画です」と話す。サトウも「お互い言葉が止まってしまう電話。そのときの感情がそのまま脚本になっていて。もうやるしかない。絶対やりたいと思いました」と振り返り、完成した映画に「そのときの感情が作品として残されていることがすごくありがたい。自分としても忘れたくない感情だった」と語った。
舞台女優のシーンでは、円井のほか誰もいない劇場の椅子に大きな胡蝶蘭が置かれた。円井は現場で言われた安楽の「胡蝶蘭を大切な何かだと思って演じてください」という言葉を紹介し「それがすごい熱量になった」と回想。劇中、円井は客席に胡蝶蘭だけが置かれた劇場で、上演されなかった舞台のセリフを語っていく。胡蝶蘭の存在は台本に書かれておらず、安楽が撮影の日の朝に思い立ち急遽持っていったものだったそう。安楽はこの役者のシーン自体を「立ちたかった劇場に立てなかった先輩の話」と明かしつつ「その舞台を先輩にとって大切な誰かは観ていたかもしれなくて。それを例えるならなんだろう、と。すごくきれいなものをと思って胡蝶蘭を持っていきました」と現場に遅れてまで購入していった理由を語る。円井は「自分の中でむっちゃ何かが変わって。こういう演出を直前にパッと出してくださって、本当にすごい」と、その手腕を称えた。
ラッパーとして活動しながら「1人のダンス」「追い風」に続いて、小学生の頃から20年以上の友人である安楽の監督作に出演したDEG。藤田義雄をプロデュースにすえた楽曲「No picture」を主題歌として提供し、劇中でも披露した。この曲が生まれたきっかけは、自分が立つはずだったイベントの中止が決定し、会場自体も閉館が決まったことだったという。「なくなる前に行ったんです。そこでは写真を撮ってる方がたくさんいらして。見ていたら複雑な気持ちになりました。写真を撮ることがなくなることを受け入れてしまうことのように感じて。でも撮るのは悪いことではないし、俺も撮るときはある。怒りというよりは、すごく寂しくなってしまって」と、当時の思いを振り返る。「音楽しか話し相手はいないので、そこで自分の気持ちを曲として残そうと思って作りました」と制作を経緯に触れた。
映画では緊急事態宣言による20時の消灯で街頭の看板やネオンが消え、暗くなった雨の降る東京の風景が多数切り取られた。安楽は多くの人がさまざまな事態に直面した当時を振り返りながら「自分は、まず東京と向き合おうと思った」と回想。「その頃、20時にすべてが消灯してました。20時以降も何かがやりたかった人がいっぱいて。その分、光は消されていて。それを僕は僕の目線でありながら、画と音で作られる映画の客観性で撮りたいと思いました。だから『何かを伝えたい』というよりは今を撮ろうと思っただけなんです。『僕は続けるよ』という意志は伝えてるかもしれないけど。コロナって正解のないもの。何も判断できない。ずっと映画の客観性について考えてました」と胸の思いを明かした。
「灯せ」は池袋シネマ・ロサにて30日まで連日18時45分から上映。
おおとも ひさし @tekuriha
安楽涼が描くのは緊急事態宣言下の“忘れたくない感情”、「灯せ」で東京に向き合う - https://t.co/hCYqtZKj6m