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蜷川幸雄の告別式で藤原竜也が涙、「もっと一緒にいたかった」

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藤原竜也

藤原竜也

5月12日に80歳で逝去した演出家・映画監督の蜷川幸雄。本日5月16日に東京・青山葬儀所にて告別式が行われた。

蜷川作品で使用された曲が流れる会場には、渡辺謙、鈴木杏、松本潤、二宮和也、綾野剛、蒼井優ら約1300人が集まった。

式典では平幹二朗大竹しのぶ吉田鋼太郎小栗旬藤原竜也の5人が弔辞を述べた。40年にわたり蜷川と付き合いのあった平は、「まるでシャーロック・ホームズに死なれたワトソンのようにここに居ます」とコメント。大竹は「蜷川さんがいつふらっと稽古場に現れてもいいように、一生懸命演劇を続けていくしかないのです。だから、蜷川さん、稽古場でお待ちしてます」とメッセージを送り、「親愛なるニーナへ」と結ぶ。

続く吉田は「もう少ししたら会いに行きます。シェイクスピアくんも交ぜて、一緒に芝居を作りましょう」と、小栗は「予定してた僕との公演。嫌われて、俺も勝手に嫌って、仲直りしてもらって、やっと一緒にできると思っていたのに、あんなにしっかり握手もしたのに、約束したのに、悔しいです」と声をかける。

最後の藤原は、涙で声を詰まらせながら「蜷川さん悔しいでしょ? 悔しくて泣けてくるでしょ? 僕らも同じですよ。もっと一緒にいたかったし、仕事がしたかったです」と素直に話す。そして「身毒丸」のオーディションで自身を見出した恩師へ「1997年。あなたは僕を生みました」と感謝を述べ、「最高の演劇人生をありがとうございました」と締めくくった。

出棺前には、娘である写真家、映画監督の蜷川実花が「父の書斎に行くと、これから上演予定だったいくつもの台本が置かれてあって、それらを目にすると『あーまだ観たかったな、やりたかっただろうな』と残念でありません。もう新作を観ることはできませんが、これからは残された私たちが父のあのマグマのような熱を引き継いで、ひたすら前を向いて走ってこうと思っています」と挨拶した。

平幹二朗 弔辞

とうとうこの時が来てしまいました。「ハムレット」稽古初日に、やせ細って車いすに座るあなたの声の弱々しさに胸が震えました。だんだん稽古が積み重なって、そのうちにとっても大きな声で怒鳴り散らすあなたの姿に、パワーがよみがえってきてるのだなとうれしく思っていたのに。滑りゆく記憶を呼び起こせば、芝居で出会ったのは、あなたが40歳。僕が42歳。三島由紀夫さんの「卒塔婆小町」の99歳の老女を僕が演じたときでした。千秋楽が近付いたとき、この人とは長く付き合うことになるだろうなという予感がしました。事実それから40年、「タンゴ・冬の終わりに」「近松心中物語」「テンペスト」「リア王」などなど、あなたと四ツに組んだ17本の芝居。僕の宝です。充実した演劇人生を生きることができました。本当にありがとう。でもあなたは一度も僕の演劇を褒めてはくれませんでしたね。シャイなのだということはわかってましたが、僕はなんとかしてあなたから褒め言葉を引き出したくて、熱演に熱演を続けました。肺を痛めてしまうまで。本当はもう少し理知的に演じればよかったかもしれません。でも、あなたの中の怒りと熱情に突き動かされ、僕の中のマグマが燃え上がってしまうのです。その火はまだ消えてはいません。あなたがいなくなり、この炎を誰に受け止めてもらえるのか。まるでシャーロック・ホームズに死なれたワトソンのようにここに居ます。ドラマのシャーロックのように、生き返ってほしい。でも今はあなたの怒りと熱情を安らげてください。さようならは言いません。「タンゴ・冬の終わりに」の一節を捧げます。「僕らはまた近いうちに再会する」

大竹しのぶ 弔辞

「俺さあ、日常捨てたから。俺さあ、まだ枯れてないよ。だからさあ、もう1本何か芝居作ろうよ」。素晴らしかった「リチャード二世」観劇後の私に、蜷川さんがおっしゃってくださった言葉です。そしてその言葉通り、リハビリする時間があるなら稽古場に行きたいとおっしゃり、その後も何本も芝居を作り上げました。本当に凄まじいエネルギーと信念で、最後まで走り続けられました。こうしている今も、私は蜷川さんに出会えた喜びと感謝の言葉しか浮かんできません。稽古場に響き渡るあの怒鳴り声。ほかでは決して味わうことのできないあの心地よい緊張感。よい芝居をしたときに見せてくださる、あの最高の笑顔。それらはこれからの私の演劇人生の中で、色褪せることなく輝き続けることでしょう。蜷川さんにもう会えないことが知らされたあの夜。「身毒丸」に一緒に出演していた、当時小学生だった男の子からメールが届きました。「しのぶさん、僕悲しいよ、僕ね、早く大人になって、もう1度蜷川さんのお芝居に出たかったの」どれだけ多くの人がそう思っていることでしょうか。
「マクベス」で初めて海外公演を経験させていただいて、本番前の劇場の客席を、私はうれしくて走り回っていました。自分という人間を知らない人たちの前で、純粋に芝居ができるという喜びでいっぱいでした。そんな私を蜷川さんは本当にうれしそうに見ておっしゃいました。「ねえ、俺がさあ、海外に出る理由わかる? いつも勝負していたいんだ。客観的なとこに自分を置いて追い込まないとさ、駄目になっちゃうだろ?」。蜷川さんのそんな思いが日本と世界を繋げているんだということを実感しました。9日にお見舞いに伺ったときも、苦しい呼吸の中で必死に生きようとしてらっしゃいました。まだやれる、まだ作りたい芝居があるんだ、そんな声が聞こえてくるようでした。目の前のテーブルには、今年作る予定だった台本が3冊置いてありました。「稽古場でお待ちしてますね」、私は少しだけ大きな声で話しかけました。するとその瞬間、はっきりと目を開けてくださり、私たちは数秒間見つめ合いました。そうなのです。稽古場にいなくては、劇場にいなくては、蜷川幸雄は蜷川幸雄ではないのです。今あなたがいなくなって、私たちはこれからどうしたらいいのでしょうか。でも私がニューヨークで走り回ったように、劇場という場所には、その塵にさえ先人たちの魂が宿ると言われています。あなたの魂の叫びは、今世界中の劇場にそれを観た観客の心の中に、そしてもちろん、私たちの中に永遠に残っていきます。それを胸に私たちは、芝居を続けるしかないのです。どうだー?と蜷川さんがいつふらっと稽古場に現れてもいいように、一生懸命演劇を続けていくしかないのです。だから、蜷川さん、稽古場でお待ちしてます。いつも。いつもいつも。本当にありがとうございました。親愛なるニーナへ。

吉田鋼太郎 弔辞

蜷川さんがそちらに行ってしまわれる前に「尺には尺を」の稽古場を見学させていただき、その後、(藤原)竜也と落ち合って、お見舞いに行かせていただきました。そのときの蜷川さんの姿を見た竜也の顔が忘れられません。親犬とはぐれて雨の日に行き場を失った子犬のような顔をしておりました。耳元でしゃべりかけると、苦しい息の中、何度か手を動かして答えようとしてくださいました。「テンペスト」やろうって言ったじゃないですか。プロスペローをやらせてくれるって言ったじゃないですかって僕が言うと、少しだけ目を開けようとしてくださいました。それは、渾身の力を振り絞るように見えました。蜷川さんはずっとずっと戦い続けてきて、まだ、ベッドの上で戦おうとしてらっしゃいました。僕には到底できないことです。棺にお入りになってからの蜷川さんのお顔を僕は見ておりません。ベッドの上で戦う蜷川さんの顔を、目に焼き付けておきたいからです。でも、とても安らかで美しいお顔をしていると聞いてます。きっと、そちらに行く前の蜷川さんの目に、みんながずらっと並んで蜷川さんのキューをワクワクドキドキしながら待っていて、蜷川さんがいつものように少し甲高いよく通る声で、「いいかい? いくよー! よーいどん!」って言ってる姿が映ってたんじゃないでしょうか。もう少ししたら会いに行きます。シェイクスピアくんも交ぜて、一緒に芝居を作りましょう。もう少し待っててください。

小栗旬 弔辞

昨日の晩、鋼太郎さんが「蜷川さんは台本を持つのが嫌いな人だから、俺たち弔辞は読まずにいこう」と言ったのに、今日鋼太郎さんが読んでいたので、僕も読ませていただきます。
僕がこんなところに立って、蜷川さんに何かを言うって、きっと「ばか小栗、お前に言われることなんて何もねえよ」って笑われちゃいますね。いろいろ考えたんですが、あまり堅苦しくても砕けすぎても怒られそうなんで、なんとなくいきます。蜷川さん、どうします? 予定してた僕との公演。嫌われて、俺も勝手に嫌って、仲直りしてもらって、やっと一緒にできると思っていたのに、あんなにしっかり握手もしたのに、約束したのに、悔しいです。蜷川さんと過ごさせていただいた日々のことをたくさん思い出していました。なぜでしょうね。輝かしい思い出の日々のはずなのに、怒られたことばっかり覚えてます。「本当にお前みたいな不感症とは二度と仕事したくない。下手くそ、雰囲気、単細胞、変態、はー、きみおじさんになったね? なんかデブじゃない? デブだよ、デブ。なあ(宮沢)りえちゃん、そう思わない? ピスタチオみたいな顔」。あ、最後のは(藤原)竜也に言われた言葉でした。もっとうまい文句もいろいろ言われたんですけど、そのへんは右から左に流していたんで忘れちゃいました。先日、もう会うことのできなくなってしまった晩、いてもたってもいられなくなった数人が集まり、蜷川さんとの思い出話に花を咲かせました。そのとき、「やっぱり僕らは蜷川幸雄という人間を中心にした、大きな劇団の一員だよね」という話になりました。本当にそう思います。なぜならそれぞれが蜷川さんの優しさと、気配りを感じているからだと思います。僕をこの劇団に入れてくれて、「なんでみんな小栗のカッコよさに気づかないんだろうな? 大丈夫。絶対俺が伝えてやる」と言って、見たことのない数々の景色に連れて行ってくれて、信じてくれて、ありがとうございました。今僕がこの場所にこうして立っているのは、間違いなく蜷川さんの劇団の一員にしてもらったお陰です。まだ僕はちょっと若いので、会いに行くのはまだまだしばらくかかってしまうと思いますが、僕が会いに行くまでにそっちで新しいハムレットの演出を考えておいてください。その日に「駄目になったなー」と言われないように僕は僕で、こちらで苦しんでみようと思います。でも不安だから、時々でいいからこっそり夢にでも叱りに来てください。待っています。休むのが嫌いな蜷川さんだったから、きっとゆっくりなどしていないと思うけど、少しはゆっくり休んでください。僕の生意気をいつも受け止めてくれてありがとうございました。とことん踊らせてくれてありがとうございました。道を照らし続けてくれて、本当にありがとうございました。

藤原竜也 弔辞

その涙は嘘っぱちだろって怒られそうですけど(笑)、短く言ったら長く言えと怒られ、長くしゃべろうとすればつまらないから短くしろって怒られそうですけど。まさか蜷川さん、まさか僕がここに立つことになろうとは自分は想像すらしてませんでした。5月11日、病室でお会いした時間が最後になってしまうとは、ごめんなさい、本当に申し訳ないです。先日1人で「ハムレット」の稽古の録音テープを聴き返してみましたよ。恐ろしいほどのダメ出しの数でした。瞬間にして心が折れました。「俺の駄目出しで、お前に伝えたいことはほぼ言った、今はすべてわかろうとしなくても、いずれ理解できるときが来るから、そしたら少しは楽になるから、アジアの小さな島国の俳優にはなるな、もっと苦しめ、泥水に顔突っ込んで、もがいて、本当にどうしようもなくなったときに手を上げろ。その手を必ず俺が引っ張ってやるから」と、蜷川さんそう言ってましたよ。蜷川さん悔しいでしょ? 悔しくて泣けてくるでしょ? 僕らも同じですよ。もっと一緒にいたかったし、仕事がしたかったです。こんなにもたくさんの先輩方、同士の方たちが来てますね。蜷川さんからの直接の声はもう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いを、ここにいるみんなでしっかり受け継いで、がんばっていきたいと思います。気を抜いたら、バカな仕事してたら、怒ってください。1997年。あなたは僕を生みました。くしくも昨日は僕の誕生日でした。19年間、まあほぼ憎しみしかないですけどね。蜷川さんに対しては(笑)。最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃあ、また。

参列者一覧(一部)

とよた真帆
鈴木杏
蒼井優
毬谷友子
松本潤
二宮和也
高橋惠子
月川悠貴
比企理恵
香川照之
長谷川博己
高畑充希
松坂桃李
綾野剛
大野拓朗
中尾彬
浅丘ルリ子
山本裕典
宮本亜門
笠井信輔
瑳川哲朗
上田清司(埼玉県知事)
市川猿之助
佐藤隆太
森進一
森喜朗
尾関陸
菊田大輔
藤木直人
大林素子
大竹しのぶ
岡本健一
平幹二朗
生田斗真
橋本さとし
市村正親
篠原涼子
鶴田真由
尾上松也
山本寛斎
渡辺謙
小栗旬
田山涼成
マルシア
横田栄司
藤原竜也
桂由美
斎藤洋介
原田美枝子
上川隆也
満島真之介
古畑新之
多部未華子
吉田鋼太郎
石橋蓮司
柿澤勇人
北村一輝
夏木マリ
矢野聖人
井浦新
斎藤工
銀粉蝶
マメ山田
ほか

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