赤と黒の上品なドレスを着た池田と、オープンバックのセクシーな衣装に身を包んだ凰稀は観客からの大きな拍手に迎えられて登壇。今年70歳になる池田は「さっきうちの社長に、(凰稀と比べて)見ているとつらいって言われて(笑)。宝塚にいたこんなにキラキラした人と、今年古希になる人を比べないでほしいよね」と挨拶し、笑いを誘った。
また池田はツヴァイクの代表作「マリー・アントワネット」を読んだことが、「ベルサイユのばら」が生まれたきっかけだと話す。「高校2年生の、夏休みの課題図書だったの。いまでも覚えているんですけど、バスの中で読み終えたとき『ベルサイユのばら』というタイトルで、いつかマリー・アントワネットの物語を描こうって決めました。まだその頃は、将来自分がマンガ家になるか小説家になるか、あるいは映画監督になるかわからなかったけど、表現する人になるんだろうなって思っていたんです」と少女時代の思い出を披露した。
これを聞いた凰稀は「そんな小さな頃から……」と感嘆した様子を見せる。そして「私は宝塚に中学2年生のときに出会って、急な状態で宝塚を受験することになりまして。そこで涼風真世さんがオスカル役の宝塚版『ベルサイユのばら』をビデオで観て……」と宝塚版の「ベルばら」との出会いを語った。さらに「壮一帆さんのお披露目公演でオスカル役をできると聞いたときは……もう絶対にやりたかったんですよ! 宝塚にいる間に! だからすっごくうれしくて」と興奮気味。「ずっとマンガを読んでいたので、そのイメージ通りにやりたいと思ってまして。宙組公演やドラマの撮影の関係で、稽古期間が3日間しかなかったんです。究極の状態だったので、先生の言っていることとかはほぼ無視して、自分の思い通りにやらせてもらえたので(笑)。楽しかったです」と茶目っ気たっぷりに当時を振り返った。
「ベルサイユのばら」の連載がスタートしたのは1972年。40年以上経った今も、作品が愛されていることについて池田は「やっぱりね、とってもうれしい」と微笑む。「24歳のときに描き始めたんですけど、連載中にいろいろお手紙をいただきますよね。『この作品だけは、私がお嫁に行くときも必ず持っていきます。女の子が生まれて、マンガが読める歳になったら読ませます』というお手紙をいっぱいいただいたんです。そしたらその10年後くらいに、『お母さんがこれを読めと渡してくれた』ってお手紙をいっぱいもらって。今やもう3世代目かな」と、世代を超えて読み継がれていることの喜びを語った。
「アムール・デュ・ショコラ」は年に1度、バレンタイン時期に高島屋にて開催されるチョコレートの祭典。2015年は東村アキコの「東京タラレバ娘」、2016年は美内すずえの「ガラスの仮面」とコラボして話題に上った。「ベルサイユのばら」とのコラボレート企画では、読み切り2本を池田が描き下ろし、「アムール・デュ・ショコラ」のカタログとタカシマヤのアプリにそれぞれ収録されている。作品が公開されてすぐ読んだという凰稀は「みんなを幸せにするストーリー」と太鼓判を押した。カタログは「アムール・デュ・ショコラ」の開催会場にて配布されているほか、公式サイトでも閲覧できる。また「ベルサイユのばら」のフレームで写真が撮れる「なりきり!ベルばらカメラ」を使った画像投稿キャンペーンも行われているので、気軽に参加してみよう。
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Simona Stanzani 詩文奈 @simona_com
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