7月5日に放送・配信がスタートしたアニメ「光が死んだ夏」。とある集落で暮らす少年よしきと、幼なじみ・光の姿形をした“ナニカ”が過ごす日々を描く青春ホラーだ。彼らの日常は、時を同じくして集落で起こり始める奇怪な事件によって、静かに侵食されていく。
モクモクれんによる原作マンガが持つ独特の世界観と先が読めないストーリーはアニメでも健在で、国内外で熱い支持を集める原作同様、目が離せない展開が続いている。そんな同作にオープニング主題歌「再会」を提供しているのがVaundyだ。登場人物の心情に寄り添いながら、息をもつかせぬサウンドで繰り広げられていく同曲もまた、「光が死んだ夏」という作品の真髄を突いている。
今回コミックナタリーでは、原作者のモクモクれんとVaundyの対談を実施。両者が「光が死んだ夏」という作品を巡ってどんなことを考え、このコラボに結実させたのかを語り合ってもらった。なお対談は前・後編で構成され、前編をコミックナタリー、後編を後日音楽ナタリーでそれぞれ公開する。
取材・文 / 小川智宏
モクモクれんさんが先頭にいてくれて、めちゃめちゃ助かった
──今回アニメ化された「光が死んだ夏」は、2021年の連載スタート当初から大きな話題となり、その人気は国内のみならず海外まで広がっています。モクモクれん先生はこの作品が生み出した反響についてどう感じていますか?
モクモクれん 実は未だにそんなに実感が湧いてないんです(笑)。でも、すごく日本的な話なので、意外と海外の人に受けたっていうのが、ちょっと驚きではありますね。和風の、日本の牧歌的な風景みたいなものが受ける要因だったのかなと思うんですけど、それがすごく新鮮だなと感じています。ただやっぱり読んでる人がたくさんいるっていう実感は、未だにあまり湧いてはいないですね。
──今回のアニメ化に際しては先生もがっちり関わっているそうですが、どんなアニメにしたいと考えていましたか?
モクモクれん がっちり関わっているとはいえ、アニメを作られているのはスタジオさんなので、私が「こういう作品にしたい」というよりは、こちらが大事にしているものをお伝えして、あとはお任せするようにしていました。ただ私は原作者として、ほかのアニメ化作品に比べ、かなり関わらせていただいているほうだと思います。Vaundyさんも、主題歌を担当される際に原作者と顔合わせをしたことがないと、以前打ち合わせでおっしゃっていましたよね。
Vaundy そう、(今までは)なかったですね。
モクモクれん 私の場合は脚本にもかなり口うるさい姑のごとく口を出させていただいていますし(笑)、アフレコも毎回参加しています。
Vaundy そうなんだ! すごい。
──今回、先生としてこだわったポイントはどんなところでしたか?
モクモクれん 私がいちばんこだわったのは脚本ですね。アニメオリジナルで書かれている部分もあるんですけど、それによって矛盾が生まれてしまったり、キャラクターの心情が食い違ってしまったりという部分がないようにしたいなと思って。そこはアニメ制作側の方々ともたくさん話し合いを重ねて、けっこう丁寧に作っていきました。
──先ほどおっしゃっていたように、主題歌「再会」についても先生とVaundyさんで打ち合わせをしたそうですが、それも珍しいケースですよね。
Vaundy そうですね。アニメサイドのチームの方と話す機会はよくあるんですけど、作者さんとは終わった後に会うことが多いので、制作段階で直接意見を伺えたのは、超ありがたかったです。特に僕の作り方だと、それが絶対に一番必要な声なんですよ。ほかのアーティストがどういう感じなのかはわからないですけど、Vaundyにとってはめちゃめちゃ助かった。
モクモクれん 本当ですか? 竹下良平監督と私から、いろいろと難しいリクエストをさせていただいたんですけど、見事に全部しっかり応えていただいて。曲が上がってきたときは「うわ、すごいな!」って思いましたね。
Vaundy その一瞬しかチャンスがないんで、僕には。「すごいな」をもらえるチャンスが楽曲を渡したときの1回しかない(笑)。
モクモクれん お渡しいただいてからリリースされるまで、ずっと聴いてました。
Vaundy うれしい。(主題歌を作るというのは)原作者からの「こういう作品にしたい」という意識の分け前を伝えていくような作業なので、モクモクれんさんがそのいちばん先にいるのはすごく大事なことだと思います。ちゃんとスタッフとコミュニケーションを取らないと、違う方向になっていったときに視聴者とのズレも出てくるから。“映像の目線”と“マンガの目線”って何が違うかっていったら、僕は音がつくかつかないかだと思っているんです。マンガを読んでいる人たちがアニメ化されたときにギャップを感じるのって、キャラクターの声とか、流れている森林の音とか、ここは無音だよなみたいなこととか、マンガの場合は読者が劇伴作家になるからなんですよ。オープニング主題歌はそこを決定づけるものでもあるので、先頭に原作者の人がいるというのはすごく大事なことだと。
モクモクれん なるほど。
Vaundy むしろ誰も正解を知らないわけだから、音に関しては「こういう感じなんですよ」って教えてあげたほうがいい。「ここは絶対にこの森林の音なんですよ」とか、「ここは風がすごい吹いてたんですよ」とか、描写でわかることもあるけどわからないこともあるから。例えば「実際(ヨシキの)髪の毛が風で動く、ここってどういう音が鳴っているの?」とか、「実際ここで聞こえている音って、モクモクれんさんのイメージとはまたちょっと違うんじゃない?」というふうに僕は思っていたりしたんですけど、モクモクれんさんが先頭にいてくだされば、そういう細かいところまで確認できるので、その点でもすごくいいと思いますよ。
──実際にアニメを拝見しても、例えば背景の空の色とか、原作ではフォントで表現されているオノマトペの音とか、マンガを読んでいるときの感覚と非常に近い感覚で観ることができている感じがします。
Vaundy うん、竹下監督にもしっかり伝わってるんだと思う。
モクモクれん 音がすごいなっていうのは私も思いました。6月に映画館で行われた先行上映会で初めてアニメを観たんですけど、音の臨場感がすごくて、楽しい経験でしたね。「ああ、音がついたらこんな感じのバランスなんだ」って。実は私も正解がわかっていなかったんですけど、劇伴も素晴らしいですし、オープニング主題歌とエンディング主題歌、劇伴とで一本筋が通った感じがして、すごくいいなと。
Vaundy 改めて命が入る感じというかね。
私は昔から人外側に肩入れをする人なんです
──そもそもなのですが、モクモクれん先生は「光が死んだ夏」を描くにあたって、どこをいちばん描きたいと思っていたんですか?
モクモクれん 私は昔からホラーがすごく好きだったので、創作のテーマとして描きたいところはいっぱいあったのですが、ホラー単体だとちょっと難しい部分があるなって思っていたんです。ホラーにはオムニバスがすごく多いと思うんですけど、それはなぜかというと、継続していくとやっぱり怖くなくなっちゃうからなんですよね。主人公は死なないし、キャラクターというのは、立てば立つほど読者にとって「絶対死なないし、乗り越えてくれる」という心強い存在になっていってしまう。ホラーというものは主人公たちがどこにでもいる、すぐにでも死にそうな一般人だからこそ怖いんです。
Vaundy うん。
モクモクれん ただホラーマンガを描こうとして、1本ストーリー全体を通した筋みたいなものがないといけないってなったときに、オムニバス形式だと、どうしても怖さを見せるだけで終わってしまうなという懸念がありまして。だから……そうですね、「サイコロジカルホラー」と言えばいいでしょうか。ゲームなどでよくある、プレイヤーキャラクターの心理的な部分とホラーがミックスされた、主人公の内面を表現するジャンルがあるんですけど、私はそのイメージで作品を組み立てていきました。「主人公の内面を表すためのホラー」というところで1本筋を通そうかなと。その筋の中には人がちゃんと成長する物語もありながら、乗り越えるべき障壁だったり、自分の内面の壁だったりが、ホラーとして出てきているというイメージですね。
Vaundy すごい。これ文字にして大丈夫? めっちゃいい話してるわ。
──今「主人公」とおっしゃいましたけど、「光が死んだ夏」でいえばよしきという主人公がいて、その内面が描かれているのは当然としても、一方でヒカルの中身である「ナニカ」の感情の変化や動きもとても繊細に描かれているじゃないですか。読んでいるうちに人外であるはずの存在に感情移入していってしまう構造になっていますよね。
モクモクれん 私は昔から基本的に人外側に肩入れをする人なんです(笑)。
Vaundy ああ、なるほど(笑)。
モクモクれん 特にヒカルのように人を乗っ取っているような存在って、物語の中では大体敵か、消えるか成仏するかのいずれかになってしまうと思うんですよ。私はそれが昔からすごく嫌で、人外側に立った物語が読みたいっていうのが、この作品の出発点の1つでもありました。「美女と野獣」でも最後に野獣が人間に戻ってしまうのが幼心にすごくショックで。「うわ、人間に戻っちゃった」みたいな(笑)。あのままでよかったのにって。
Vaundy 面白い。その時点で違うんだな。たぶんもうこのマンガを描く運命にあったんですね。
モクモクれん だからモンスター側に感情移入させるために作中でもすごい工夫をしていて、それが大変だったなとは思いますね。人の体を乗っ取っているモンスター側に感情移入させるのってけっこう難しいので、いろいろなことをしないとそれが成立しない。ヒカルを好きになってもらうためにいろんな努力をしました。
Vaundy めちゃくちゃ大成功してますよね。話を聞いていると、なんか問題提起の仕方が僕と同じなんだけど、場所が違うって感じがする。やっぱりいいもの、好きなものに問題を提起するのが僕らの仕事なので。その問題の場所がちょっと違うんだなっていうのを今感じましたね。「美女と野獣」で「野獣のままでよかったのに」ってあんまり聞かないもんね(笑)。そういうことの積み重ねでこのマンガを描いているんだなと。
──確かに一般的には野獣が王子さまに戻って「めでたしめでたし」ですからね。
Vaundy だからモクモクれんさんの中では、「美女と野獣」という作品がおそらくそこで終わってないんだよね。
モクモクれん なかなかそういう、モンスターに感情移入ができるような作品がなかったから描きたいっていうのはありましたね。そういうところまでしっかり踏み込んでくれるものが、私の観測している中ではあんまりなかった。私は石田スイ先生の「東京喰種」のファンなんですが、好きな理由はそこですね。人外側の葛藤とかをしっかり描いてくれていたから。人外を敵じゃなくて狭間に立つ存在として人間側も人外側も平等に描くっていう。
Vaundy 面白い。
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「ホラーだから観られない」がないようにしたかった