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「父を怒らせたい」余命半年の大嫌いな父、ポップな絵柄で“家族”を問うヒューマンドラマ
2024年12月26日 18:15 PR父を怒らせたい
大嫌いだった父ががんになった。かつて理不尽な怒りを撒き散らしていた暴君は今や寝たきりとなり、すっかり大人しくなった。家を満たしていた息苦しさは消え去り、穏やかな日常と、自由を得ることができた娘のよえ子。しかし、なんだろう、この気持ちは。よえ子は再び父を怒らせようと、あの手この手を尽くしていく。ビッグコミックオリジナル(小学館)で連載されている“親子再出発”の物語だ。
文
「父を怒らせたい」、その思いの先にあるものは
今年1月に連載が開始したときから、この作品がとても気になっていた。というのも、私は昨年の春に母をがんで看取った。1年半を過ぎても、今でもたびたび生きている母と夢の中で会う。そして今年に入ってからは諸事情あり、母とはとっくの昔に婚姻関係を解消していた実の父と、30歳を越えて(ほぼ)初めて一緒に暮らすことになったのだ。父は怒りっぽいわけではないのだろうが、自他ともに認めるほど語気が強い。そんな父とどういうふうにコミュニケーションを取っていくべきなのか、私は探り探りの日々を送っていた。
そんな中、細かな設定こそ異なるが、どこか自身の境遇にも似た物語が綴られている「父を怒らせたい」に出会い、私は何か“答え”を求めるようにこの作品を読み始めた。
主人公のよえ子は、自身が幼い頃から家の中で怒鳴り散らかし、物に当たる父のことを嫌っていた。機嫌が悪いと何もかもに怒っていた父だったが、がんという病に冒されたことにより、すべての気力を失い、すっかりと大人しくなってしまう。幼少期より父の機嫌をうかがい、父に怒られ続け、父にあれこれと口を出されていたよえ子は、「父が死んだらせいせいする!」「自由になれる!」、そう思っていた。
しかしある日、病で弱りきった父に怒鳴られるどころか、「お前の好きにしろ」と弱々しく言い放たれたことに衝撃を受ける。「父が死んだら自由になれる、そう思っていたはずなのに……」と、自分自身に違和感を抱いたよえ子は、またある日、誤って父の経鼻胃管チューブに足を引っかけてしまう。その瞬間、チューブを引っ張られた際に思わず父から飛び出た暴言混じりの大声を聞いて、「まだ……残っている!!」と感じるよえ子。それから「怒っていないと父じゃない」と再認識したよえ子は、派手な格好で父の前に現れたり、父の苦手なヘビのおもちゃをベッドに置いてみたりと、あの手この手で父を怒らせようと画策する。
よえ子は父の中に、何が“まだ残っている”と感じたのだろうか。怒る気力? 父らしさ? それとも、唯一のコミュニケーション手段? それは、もしかしたらよえ子自身もまだ明確な言葉にはできないかもしれない。よえ子が「父を怒らせたい」と思う原動力はなんなのか。「父を怒らせたい」という、その思いの先にあるものはなんなのだろうか。読めば読むほど気になっていき、それは自分自身の家族に対する思いへの自問自答にもつながっていく。
読み心地がよくも自問自答してしまう、奥深い作品
よえ子はこれといった将来の目標がない。フリーターとして生活するも、短期離職を繰り返している。バイトでは失敗ばかりで、1人では何もできない。リビングの椅子に座ったまま、興味のなさそうなテレビ番組を垂れ流しながら、リモコンを取ることすらできない父の姿に、よえ子は思わず仕事中の自分の姿を重ねてしまう。
父をどうやったら怒らせられるか。その計画を立てながらも、よえ子は「父の怒りはどこからやってくるものなのか」と、父のことを知りたくなってくる。怒ってばかりの父、怒られてばかりの娘。当たり前だった日常に変化が訪れたことで、よえ子はきっと、生まれて初めて父とじっくりと向き合う時間を過ごしている。
作中には、よえ子を取り巻くキャラクターたちから、それぞれの立場で「親なんて所詮は他人」「子供のことが大事じゃない親なんていない」「子供を愛してない親なんていくらでもいるよ」というセリフが飛び出す。“家族”とは不思議な存在で、血のつながりの有無だけが重要ではない(そもそも夫婦だって血はつながっていない)。家族とはなんなのか。一緒にいる時間の長さだけでも測れない。かけがえのない存在かもしれないが、時に自分自身を縛り続ける呪縛にもなる。ひと言ではとても表せられない。
「父を怒らせたい」は、絵柄のかわいさや、ポップなキャラクター造形によってとても読み心地のよい作品である。そのためページを捲る手はするすると進むが、前述したようなことを自分自身に問うてしまうような、奥深いテーマが潜んでいることに気づかされていく。作者の
「父を怒らせたい」第1話を試し読み!