「KYOTO EXPERIMENT」共同アーティスティック・ディレクターと「Echoes Now」キュレーターが語る (2/3)

ショーケースとしてのストーリーが、思いがけず立ち現れて見えた

川崎 (塚原に)改めて昨年のプログラムについて振り返っていただきましょうか?

塚原 そうですね。黒田さんと髙橋さんは、舞台芸術という枠で作品を発表することが初めてだったと思うので、その辺りのお話も伺いたいです。

 はい。髙橋凜さんは東京拠点のアーティストで「CHASHITSU」という作品をやってもらいました。新作ではなく、彼女が学部を卒業するときにやっていたパフォーマンスで、演者は彼女を含めて6名。さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが舞台空間に上がり、特にそれぞれが関わるわけでもなく、30分それぞれがリンクすることなく自由に動くというものでした。2回公演して、1回目と2回目の観客の関わり方がかなり違ったんですね。自由に立ち回っていいという作品だったのですが、1回目はプロデューサーや専門家の方が多く、皆さん歩き回ったり、椅子ではないところに座ったりして観てくれて、終演後の拍手も大きかったんです。2回目はローカルな観客が多かったなという見立てで、歩き回る人はあまりおらず、皆さん椅子に座って観ていました。だから「あまり面白がっていないのかな」と思っていたのですが、後から演者に聞いたところによると、「2回目のお客さんはじっと観てくれていた」そうで、そうか、どちらがいいというわけじゃなく、上演回ごとに差があるものだなということが、新たな気づきではありました。

髙橋凜「CHASHITSU」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

髙橋凜「CHASHITSU」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

川崎 まさに上演って、観客と表現の関係性で成り立つものだということですね。

川口 私が昨年担当した黒田大スケさんは、パブリック彫刻をリサーチして、彫刻にまつわる人物や物事を自分自身が演じることで映像化していく美術家です。普段はまず彫刻があってそれをリサーチすることから創作が始まるのですが、昨年の「学校のゆうれい」では、彫刻にまつわる物語ではなく、自分自身が発する物語が物質に果たしてどのように宿っていくのかを上演プログラムとしてやってみようということになりました。それで200個ぐらいの手の平サイズのオブジェを石膏で作り、それをテーブルに並べて、観客1人ひとりに選んでもらったうえで、「今手に持ったこのオブジェは一体なんなんだろう?」と思いながら、黒田さんが自身のエピソードを語る映像を観ていただくんですけど、映像の中には会場である京都芸術センターが出てきたり、黒田さんの出身地である広島の街が出てきたり、さらに話を聞いたあとで京都芸術センターの館内を歩いてもらったりという仕掛けを作りました。

黒田大スケ「学校のゆうれい」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

黒田大スケ「学校のゆうれい」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

和田 私がご紹介した福井裕孝さんは、以前からかなりユニークな視点で作品を作られていて、劇場空間とオブジェクトの関係を演劇的に読み直し、作品化していくアーティストです。上演していただいたのは「インテリア」という作品で、以前も2バージョン制作されたことがある作品なので、福井さんの中にはっきりとしたビジョンがあるのだろうと思っていました。が、実際にお話しすると「今でも『インテリア』という作品の最適解がわからない」とおっしゃられていて。そういう作品のリハーサルに立ち会って、アーティストにどういう提案をしていくのかを考えられたのは、すごく貴重な経験でした。

福井裕孝「インテリア」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

福井裕孝「インテリア」より。(撮影:續木光 / 提供:KYOTO EXPERIMENT)

和田 また「Echoes Now」全体としても、福井さんの作品、髙橋さんの作品、黒田さんの作品という流れを通してそれぞれのアーティストがオブジェクトや空間に対してどんな関心を持ってアプローチしているのか、バリエーションの広がりが見えたように感じて、ショーケースそのものの流れを観客の方にも楽しんでいただけたんじゃないかなと思います。必ずしも私たちがあらかじめ意図していたわけではなく、実際にやってみてわかったことではあるのですが、興味深い経験でした。

川崎 確かに昨年の「Echoes Now」を観て、3作品続けて上演することで見えてくるものがあるなと思うとともに、「KYOTO EXPERIMENT」全体のプログラミングに近いものがあるなと感じました。私たちはいつも、ある意図をもって十数作品をプログラミングするんですけど、フェスティバル1カ月間を通して「こういうふうに見えてくるものがあるんや」と感じることもあるし、観客の方から「週末の3作品を通して、こういうものが見えてきました」と言われて「そんなふうに見えるんや!」と思うこともあって、「Echoes Now」にもそれと似た面白さを感じました。またショーケースって、普通は同じ空間で同じ条件のもと、その空間を生かして複数の作品が連続上演されることが多いですけれど、「Echoes Now」の場合は空間を作るところから始まる作品が多かった。今年も昨年に引き続き京都芸術センターでの上演なので、前回の経験から、3作品をどのように見せていくかという話は具体的なイメージを持って早めに始められたと思います。

“実験”を意識して挑む2年目

塚原 今の話を踏まえて、2年目の今年はどういうことにトライしたいのか話してもらえますか?

 僕の場合は、昨年も候補として挙げていた倉知朋之介さんを今回ご紹介しようと思っています。倉知くんは現代美術で主に映像を扱いながら活動しているアーティストなんですが、自分自身や仲のいい友人に出演してもらって、カメラの前で即興的なパフォーマンスをし、それを編集して面白いのか気持ちわるいのか、微妙なラインの映像を作るんです。ただ、倉知くんはカメラの前では大丈夫なんですけれど、人の前だとガチガチになるタイプなので、本当に倉知くんが“上演”ができるのか準備しようということになり、UrBANGUILDで和田さんが企画している「3CASTS」(編集注:3人 / 組の俳優がそれぞれパフォーマンスを披露するシリーズ)に出演してもらいました。そうしたらお客さんの反応もけっこう良かったので倉知くんも舞台に対してポジティブになり(笑)、正式に「Echoes Now」への出演をオファーしました。また倉知くんは神戸で開催中の「神戸六甲ミーツ・アート2025 Beyond」にも出品しており、「神戸六甲ミーツ・アート」の作品が前編だとしたら「KYOTO EXPERIMENT」で上演する作品が後編というような感じで接続されるものになる予定で、前回はそのような結びつきを考えることはできなかったので、面白いものになるのではないかなと思っていますし、そもそも「KYOTO EXPERIMENT」は“EXPERIMENT”を掲げているので、失敗してもいいんじゃないかなと、改めて思っています。

一同 (うなずきながら)あははは!

塚原 僕もconatct Gonzoで「KYOTO EXPERIMENT」に出させてもらったときは、どれだけ実験できるかを考えながら参加していたな、ということを今、思い出しました(笑)。

川口 その実験性という点については私も考えていて、今回のプログラムがアーティスト自身にとってもこれまでの表現とは別の、次のフェーズに入るようなきっかけや刺激になるような機会であったらいなと思い、かつ、もっといろいろなお客さんに観てもらえるような、お客さん自体をミックスしていくようなものにできないかなと考えました。それで私は今回、3名のアーティストを選んだのですが、美術分野で活動をしている小出麻代さん、新たな語りの形を探求する小林颯さん、音楽と文芸の分野で活動されている高橋久美子さんのお三方です。今回、私は言葉をテーマに考えていて、言葉に対して異なるアプローチをしている表現者を選びました。小出さんは主にインスタレーションの作品を制作しており、近年はインタビューを収録し、そのインタビューを自分の中にインプットしてから、文字としてアウトプットするという作品を制作されています。小林さんは3人の中で唯一の二十代で、異なる言語の中での語りをテーマに作品を制作されており、今回は日本に暮らしている外国人たちとの、新たな言葉の形を模索しようとされています。高橋久美子さんはもともとチャットモンチーのドラマーだった方で、今は作詞家としてメジャー級のアーティストの方にも楽曲提供されているのですが、彼女の著書やインタビューなどを拝見していて、歌詞提供のお仕事と、彼女自身の表現には少し違いがあるように感じて、もっと面白いことをやってみたいと思っているんじゃないかな、面白い表現に取り組んでもらえたら良いなと思ってお声がけしました。3人は初対面なのですが、自分1人で新しいことに挑戦する以上に、見知らぬアーティストたちとの関わり合いの中で、自分だったらどう表現するのか、それが他のアーティストにどのように関与し変化していくのかという挑戦を、「KYOTO EXPERIMENT」のショーケースの枠組みだったらできるんじゃないかと思っています。

昨年の「Echoes Now」アフタートークの様子。(Photo by Nishi Junnosuke)

昨年の「Echoes Now」アフタートークの様子。(Photo by Nishi Junnosuke)

和田 先ほど、昨年は「キュレーターとして関わることができて新鮮な経験だった」と申し上げたばかりですが、今年は自分もアーティストとして参加する作品をプログラムしております(笑)。レウ・ウィジェというインドネシアを拠点に活動している振付家、ダンサーと、私が共同演出、共同振付でコラボレーションしている「マッサージXゴシップ」というプロジェクトです。このプロジェクトは、昨年私が台北パフォーミングアーツセンターが主催するADAM Artist Labという、アジア太平洋圏のアーティスト向け短期レジデンスプログラムに参加したときにウィジェと出会ったことがきっかけで始まりました。いろいろおしゃべりをする中で、彼が言葉を用いて作品を作ることに興味があると知り、チェルフィッチュの岡田利規さんのお名前なども関心の対象として挙がってきました。私が岡田さんと現場をご一緒させていただいたこともあって話が広がり、お互いの実践や野心をシェアしていくうちに、何か一緒に作品づくりをやってみようと盛り上がりました。

対話を深めていく中で、マッサージをダンス的な動きを生成するアイデアの1つとして考えてみてはどうか、ゴシップを演劇的な語りを生み出していく方法の1つとして捉えていくことはできないか、さらにそれらが相互に関わり合うようなパフォーマンスを作れないか、という風に方向性が決まっていきました。そしてプロジェクトを組み立てていく過程で川崎さんに今後どう展開していくべきかご相談したところ、「『Echoes Now』のキュレーションの場を使ってみるのも1つの選択肢じゃないか」とご提案いただいたこともあって、今回のプログラムにつながっていきました。もちろんアーティストとして自分自身が関わっている作品を、純粋にキュレーターとしての視点で捉えられるのかはわかりませんが、ウィジェというアーティストが非常に魅力的であること、そして、彼にとっても私にとっても言葉とダンスをかけ合わせる初めての挑戦でもあり、そういったトライアルを実現する場として、「KYOTO EXPERIMENT」のショーケースはかなりピッタリなのではないかと思いました。

また今年のフェスティバルのキーワード「松茸や知らぬ木の葉のへばりつく」は、未知との出会いやそこから面白いものが生まれてくることへの期待が語られていると思うのですが、ウィジェというアーティストと私がたまたま出会ったこと、それぞれダンスと演劇を専門にしていること、日本とインドネシアという異なるバックグラウンドがあること、さらにマッサージとゴシップという意外な2つの要素の組み合わせなど、さまざまなことがキーワードにつながってくるんじゃないかと感じています。アジア圏のアーティスト同士の交流としても、いろいろな試みができたらと思っています。

川崎 さらに「KYOTO EXPERIMENT」には必ず海外のプロフェッショナルの方々が観に来られるので、海外の方に作品がどのように受け取られるのかということは企画の段階から皆さん、念頭に置かれていると思います。その点はいかがですか?

川口 私のプログラムでは“言葉”を共通テーマとして扱っているので、日本語・英語でその言葉をどう表現し、上演するのかということはいろいろと検討しています。しゃべった言葉をただ字幕にして出す、ということではなく、異なる言語圏の人にこの作品がどう見えるのか、言葉をどう得ていくのかを気にしながら作っているところです。

和田 川口さんがお話しされたことにつながるかもしれませんが、私とウィジェはお互いの母語がわからないのでクリエーションでは英語でコミュニケーションするしかありません。言語を通じてどういうコミュニケーションができるのかということは、国際共同制作やこのプロジェクト自体の根幹にもつながる問題でもあります。上演は今のところ英語と日本語とインドネシア語の三言語、それぞれの場面がある想定で、どのトピックを母国語で語り、どのトピックは英語で話すのかという議論を重ねています。その議論の副産物として、お互いの英語力がちょっとずつ高まっているということも起きたりしています(笑)。

 倉知くんが今回モチーフとしているのは、韓国のアイドルカルチャーなんです。そもそも倉知くんの映像作品は、いわゆる内輪ノリというか男子のノリを編集でつなぎ合わせてそのまま出す、というものなのですが今回はそこにもうちょっと違う東アジアの文脈を入れようということになり、それで韓国のアイドルカルチャーを主題にした内容になりました。男性がメイクしてカッコよくなるのではなく非マッチョ化 / 可愛くなる文化は、西洋の人からすると少し違和感を感じると思うんですね。それをあえてそのまま見せてみたらどうなるのかな、と。

塚原 (うなずきながら)これは川崎ともよく話すことなのですが、これまでアートの世界の価値観や展開の仕方はやっぱり西洋の文化圏から輸入されてくる流れだったのが、そろそろ相対化できるんじゃないかなという雰囲気を感じていて。たとえば僕が学生の頃は、西洋に留学して西洋の情報を仕入れてくることが大事だとよく言われたけれど、今はかつてほど渡航が困難ではないし、インターネットを使えば海外のアーティストがどんなことを考えてるのかはすぐにわかる。そういう情報の相対化によって、日本でアートや舞台芸術を紹介するときの態度も今後変化してくるのではないかと思います。その一方で、これは日本に限ったことではないですが、ナショナリスティックな感性みたいなものも急速に現れつつあり、そういう部分と一線を画した表現とは?ということを、今後は考えてもらえるといいのかなと思っています。

川崎 そうですね。昨年から皆さんには海外の視察にも行ってもらっていて、それぞれお感じになっているのではないかと思いますが、アジアのプラットフォームではこの10年ぐらいでかなり西洋中心主義から離れよう、離れる中で、自分たちに何を起こせるかを考えようという動きがあり、それが大きなテーマになっていると思うんですね。その実践が、キュレーションやアーティストの表現においても増えていると感じていて、それ自体は必ずしも「KYOTO EXPERIMENT」として押し出したいことではないのだけれども、考え方の背景としては必要かなと思っています。そういった部分も、今後は一緒に考えて行けたらうれしいです。

ところでキュレーターの皆さんは、お互いに対してどんな印象を持っていますか? 何度も打ち合わせで顔を合わせたり、一緒にショーケースをやってみて、感じていることがあれば。

和田 川口さんと堤さんは美術の文脈の方をキュレーションするだろうなと思い、私は演劇やダンス、パフォーミングアーツのアーティストを積極的に紹介していくぞ!という使命感が、自然と湧いているような気がします(笑)。さらに川口さん、堤さんのプログラムを昨年拝見し、今年の計画も伺う中で、ビジュアルアートの方だけれどすごく演劇的な試みをされているアーティストの実践に触れられるのは、私にとってはかなり刺激的な体験だなと思っています。

 確かに川口さんと僕は感覚やリソースが似ている部分があり、和田さんは僕としてはけっこう異なるものを観てこられた方だなという感じがします。上演作品の強度を考えるときに、展示や視覚芸術に関しては僕も判断できるんですけど、時間に関しては自信がないところがあり、そこを「和田さん、どうですか?」と意見を求めることがあるのですが、そういうところで非常に頼りにしているところがありますね。

川口 3人それぞれアーティストとの関わり合い方が違うなと感じます。和田さんは長い時間をかけてアーティストと関わり合いながら作品を作っていくのですが、堤さんは周りを巻き込みながら作っていく印象がある。これまで他人のキュレーションのプロセスを直近に見る機会があまりなかったので、面白く見ています。

──最後に共同ディレクターのお二人から「Echoes Now」やキュレーターのお三方に対する期待を伺えましたら。

塚原 それぞれ目的や文脈が違うので一概には言えませんが、キュレーターの3人ができるだけ自由に楽しんでくれるかが一番だと思っています。と言いつつ、面白い企画が出てきたら僕自身も焦るというか、負けてられへんぞ!っていう気持ちもあるので(笑)、お互い刺激を与え合えるのはいい感じやなと思いますね。

川崎 確かにそれはありますね。私と塚原さんが考えるプログラムとは全然違うアーティストを「Echoes Now」で紹介できるのは、フェスティバルに別部屋や別空間ができる感じで、すごくいいことですよね。今年もその新たな空間ができることを楽しみにしています。

プロフィール

川崎陽子(カワサキヨウコ)

KYOTO EXPERIMENT 共同アーティスティック・ディレクター/エグゼクティブ・ディレクター。2006年東京外国語大学ドイツ語学科卒業後、ベルリン自由大学にて学ぶ。株式会社CAN、京都芸術センター アートコーディネーターを経て2014年から2015 年に文化庁新進芸術家海外研修制度によりHAU Hebbel am Ufer劇場(ベルリン)にて研修。近年はジャンルを横断したプロジェクトの企画・制作を行う。「KYOTO EXPERIMENT」には2011年より制作として参加、2020年より共同ディレクターを務め、2023年の成果に対し令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。

塚原悠也(ツカハラユウヤ)

KYOTO EXPERIMENT 共同アーティスティック・ディレクター。関西学院大学文学部美学専攻修士課程修了後、NPO法人ダンスボックスのボランティア、運営スタッフを経て、アーティストとして2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またさまざまな形態のインスタレーション作品や、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。2020年、演劇作品「プラータナー:憑依のポートレート」におけるセノグラフィと振付に対し「読売演劇大賞」スタッフ賞を受賞。

川口万喜(カワグチマキ)

成安造形大学芸術計画クラスを自主退学後、4年間農業に従事。2009年より大阪・中之島にあるコミュニティスペース・アートエリアB1の事務局スタッフとして、国内アーティストの展覧会、音楽ライブ、パフォーマンス公演などに携わる。2013年、同施設の事務局を法人化し、理事兼事務局長を2023年まで務める。同年2月より京都市京セラ美術館 事業企画推進室に広報担当として勤務。個人での活動として、多分野にわたるアーティストとの協働、展覧会の企画運営等を行う。

堤拓也(ツツミタクヤ)

キュレーター、グラフィックデザイナー。2019年アダム・ミツキエヴィチ大学大学院カルチュラル・スタディーズ専攻修了。展示空間の構成だけに限らず、パフォーマンスを含む1回的な体験機会を生み出す一方で、アジアを中心とした非制度的な実践に関心がある。これまでの主なディレクション / キュレーション実績に、シェアミーティング2「つぎつぎに(あつまっては)なりゆくいきほひ」(滋賀、2025)、MEET YOUR ART FESTIVAL 2024「SSS: Super Spectrum Specification」(東京)、山下拓也個展「闇が抱える光:熊、ムンク、チーズバーガー、他」(台北、2023)、国際芸術祭「あいち2022」(愛知)など。山中suplex共同プログラムディレクター。ICA京都プログラム・ディレクター / 京都芸術大学准教授。

和田ながら(ワダナガラ)

京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット・したためを立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。演技という行為に強い関心を持ち、テキストやモチーフを接写するように読み解いていくことで、作品ごとに固有の演技の文法の構築を目指している。美術、写真、建築、音楽、彫刻、ダンスなど、異なる領域のアーティストとも演劇を媒介に対話し、協働作業による作品制作に積極的に取り組む。2018年より多角的アートスペース・UrBANGUILDブッキングスタッフとして俳優にフォーカスしたパフォーマンスシリーズ「3CASTS」を企画。2020年よりNPO法人京都舞台芸術協会理事長。