佐々木史朗が83歳で死去、「家族ゲーム」「キツツキと雨」など多数の映画プロデュース

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映画プロデューサーの佐々木史朗が4月18日に肺がんで死去していたことがわかった。83歳。自身が設立した映画製作会社オフィス・シロウズから発表された。

佐々木史朗

佐々木史朗

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1939年1月22日生まれ、日本統治下にあった中国・大連出身の佐々木。生前の遺志により、葬儀は近親者のみで執り行なわれた。後日お別れ会を予定しているという。本名は佐々木正路。1970年代末から40年以上にわたって数々の映画作品をプロデュースしたほか、日本映画大学の理事長や「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」の初代スーパーバイザーとして若手の育成に尽力したことでも知られる。

佐々木は学生時代の演劇活動やTBSへの勤務を経て、1970年にテレビ番組などを制作する東京ビデオセンターを設立。1978年に橋浦方人の監督作「星空のマリオネット」を製作・公開したことをきっかけに映画界に進出した。翌1979年には日本アート・シアター・ギルド(ATG)の2代目社長に就任。ほかの映画会社とは一線を画す芸術作品を製作・配給し、日本映画史に多大な足跡を残した同社において、大森一樹、長崎俊一、森田芳光ら自主映画出身の若手や井筒和幸、高橋伴明、根岸吉太郎といった新進気鋭の監督たちの作品を次々と製作した。キネマ旬報ベストテン第1位など数々の映画賞に輝いた森田の代表作「家族ゲーム」をはじめ、「ヒポクラテスたち」「ガキ帝国」「遠雷」「転校生」「TATTOO(刺青)あり」「人魚伝説」「逆噴射家族」などを手がけている。

1989年には日本映画の新たな配給興行システムを確立する試みとして注目を集めたアルゴ・プロジェクトへ参加。1993年にはプロデューサー主導による映画の企画開発・製作・配給を行うオフィス・シロウズを立ち上げた。同年には俳優・柄本明の監督デビュー作となった「空がこんなに青いわけがない」を製作し、1997年には撮影開始時14歳だった広末涼子の映画デビュー作として注目を集めた「20世紀ノスタルジア」を企画。また沖縄に関する映画、映像作品のブームを巻き起こした中江裕司の「ナビィの恋」を1999年に製作している。

2005年にはオウム真理教を題材にしたことで話題を呼んだ塩田明彦の「カナリア」を製作。李相日とは「スクラップ・へブン」「許されざる者」などで組んだ。2010年代には沖田修一の「キツツキと雨」「モヒカン故郷に帰る」、西川美和の「夢売るふたり」を企画。黒沢清がカンヌ国際映画祭ある視点部門の監督賞を受賞した「岸辺の旅」の製作にも名を連ねている。最後のプロデュース作品は2020年のふくだももこ監督作「君が世界のはじまり」。

2017年には東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)が映画プロデューサーに焦点を当てる新たな上映企画として佐々木を選び特集上映を開催。佐々木は翌2018年に日本映画界の変遷を振り返りながら半生をつづった自叙伝「時の過ぎゆくままに」をワイズ出版から上梓していた。永年の映画界への貢献が称えられ、日本アカデミー賞協会特別賞や文化庁映画賞(映画功労部門)も受賞している。

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読者の反応

大友良英 otomo yoshihide @otomojamjam

最後に会ったのは数ヶ月前「土を喰らう」の打ち合わせのときだったかな。日本映画の現場に私を引っ張ってくれた恩人でもありました。本当にお世話になりました。ありがとうございました!
佐々木史朗が83歳で死去、「家族ゲーム」「キツツキと雨」など多数の映画プロデュース https://t.co/FURD79KVsp

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