マンガ編集者の原点 Vol.15 [バックナンバー]
「ニュクスの角灯」「アマゾネス・キス」の中川敦(リイド社 トーチweb編集長)
創刊以来「常にピンチ」10周年を経てトーチが目指す「混沌」
2025年1月31日 15:00 2
トーチの始まり、ドリヤス工場と中川学
コミック乱でベテラン作家たちを担当しながら、マンガ編集者としてのキャリアを積む中川氏。入社から3年後の2014年、webマンガ媒体・トーチがスタートする。トーチは、当時リイド社に在籍していた関谷武裕氏と中村康司氏が、社の新規プロジェクトとして立案。コミック乱に在籍していた中川氏が合流し、3人体制で始動したという。
「当時、リイド社には時代劇の雑誌しかなくて、想定読者は40~60代。トーチが生まれた背景には、編集者たちが自分たちと同世代に向けた現代ものもやりたいという気持ちが大きかったです。先代社長(發司氏)の『まあええやないか、投資や』という後押しを得て始まりました」
マンガ編集者として歩き始めて3年。この頃から、中川氏は企画を一から立ち上げるようになる。まずは
「サイトの立ち上げ準備にだいたい1年半、立ち上がってから単行本が出始めるまで1年ぐらいを費やすことになるんですが、その間ずっと社内から『絶対うまくいかない』『さいとう先生が稼いでくださったお金を無駄遣いするな』みたいな冷ややかな眼差しをビシビシ感じていました(笑)。だけど本を出したら売れて、『ほら、売れたじゃないか!』と。自分と作家さんを信じてやっていいんだとわかった初期の作品です。
何か新しいものに取り組むときに『これ売れるのか?大丈夫か?』と慎重になるのは編集部も営業部も同じなんですが、『実際にやったら大丈夫だった』『損はしなかった!』という具体的な実績の積み重ねでここまで来ました。そういう意味でも初期作品のヒットが今のトーチの礎を築いてくれたと常々思います」
ドリヤス工場は、当時「水木しげるの画風でパロディをやる作家がいる!」と出版界隈で話題になっていた“時の人”だった。「有名すぎる~」は、その名の通り、太宰治「人間失格」やカフカの「変身」など、古今東西の著名な古典を10ページほどの短編に落とし込んだアンソロジーだ。もちろん水木しげる風で。「史上最も肩の凝らない文学ガイド」と銘打った同作ができるまでの経緯を語ってくれた。
「ドリヤスさんの同人マンガが本当に面白くて。『新世紀エヴァンゲリオン』とか『けいおん!』とかの人気作を『要するにこういう話です』という感じで10ページ前後で描かれていて、その強引さ・的確さ・ユーモアが見事で。絵柄もそうですし、何より構成力に唸りました。何かの要約がちゃんと面白いものになるには、筋や間の勘所を押さえるための緻密な作業を必要とするわけで、これはすごいことをやっているぞと思いました。それで『この人が古典をやったら…』と思ったんです。」
一方、実兄の中川学は「くも漫。」を連載。自身が29歳のときに風俗店でくも膜下出血を発症し、九死に一生を得た実体験を、笑いあり、涙ありでマンガ化したドキュメンタリー作品だ。同作には家族として中川氏も登場するのみならず、手術中の出来事を記録した日記や1ページマンガも収録されており、ほかにはないマンガ家と編集者とのタッグが味わえる。マンガ家の兄と編集者の弟が作品づくりをする様子は、まるでさいとうと、リイド社の初代社長であるさいとう氏の兄・斉藤發司氏の関係を彷彿とさせる。そう告げると、「初めて言われましたが、自分でもそういえばと思いました」。兄弟という関係性が作品づくりにどう影響するかと尋ねたところ、意外にもほかの作品との差はないという。
「マンガを作るのは全部難しいので、担当した作家が兄だから面白いとか難しいというのはないですね。兄弟ゆえのやりやすさ、やりづらさみたいなのも考えたことがなくて。『売りたい。売れなきゃ』みたいな難しさは兄弟だろうが、兄弟じゃなかろうが何も変わらないと思います」
「恐れるならやるな。やるなら恐れるな」
創刊時も今も、ほかでは絶対に読めない作風の個性的な作品が次々と誕生しているトーチ。決して万人受けするマンガが多数派ではなく、誤解を恐れずに言えば、サブカル感満載の尖り具合。ガロやCOMが好きな読者にはたまらない聖地だ。
これまで媒体の危機はなかったのかと聞くと「ずっとピンチですよ」。特に創刊時は、サイトのトップページに常時「トーチの赤字額」が1円単位で公開されていて、誰でも見ることができたため、読者も危機感を共有することができ、その赤裸々さが斬新で話題だった。
「あれ、面白かったですよね。関谷さんのアイデアで、僕も好きだったんですけど、わりとすぐ掲載するのをやめました。というのも、先代の社長が見て『恥ずかしいことすな!』と(笑)。面白かったと言ってくれる人が今でもいっぱいいます。」
現在、トーチの編集者は中川氏を入れて6名。とくにピンチだったのは、ごそっと編集者が抜けてしまったタイミングだという。
「2021年から2022年にかけて、一緒にやってきた編集者がみんな転職して。編集者は僕と中山望くんの2人だけになったときがありました。同時期に、みなもと先生が亡くなり、さいとう先生が亡くなり、しかもコロナ禍で……『ああ、もうここまでか』と本当に思いました」
昨年の創刊10周年を経て、現在は新体制として本格的な再出発の時期だという。
「新しく入ってきた編集部員が立ち上げた作品も増えてきて、それが少しずつ本になっています。『いっぱい本を作っていっぱい稼ごう』という話を常にしています」
現在、マンガを出版する会社の多くがWebやアプリでマンガを公開できる場を持っている。そして、インターネット上で作品を掲載したあとは、紙での出版は見送って電子書籍だけで発売するケースも多々ある。あるいは、連載だけで終了するパターンも。しかし、トーチで連載した作品は、基本的には紙で出版しているという。インディーズ色が強い作品も多いが、トーチに掲載する/しない、つまりは出版の是非はどう判断しているのか聞くと、「担当編集の気合いが入っているかどうか」という意外な答え。
「どの作品も『売れろ、売れるはずだ、売れなきゃ嘘だろ』という担当編集者の気合いがなければ世に送り出すことができません。これまでのトーチのベストセラーを振り返ってみても、上司も同僚も他部署も評論家も読者もみんなニコニコ大歓迎、連載前からいいね万超え!……みたいな作品は1つもありません。すべての作品が、うまくいく保障が何もない中で『誰がなんと言おうと絶対世に出す! 当てる!』という担当編集者の気合いとともに最初の一歩を踏み出した。だからトーチに掲載する/しない、は担当編集者の肚で決まるといっていいと思います。私は各担当編集者の肚が本当に固まっているどうかを見極める、そんな感じです。
僕、編集部員にたまに言うんですけど、モンゴルのことわざで『恐れるならやるな。やるなら恐れるな』というのがあるんですね。やるならちゃんと肚をつくっておけ、ということです。そして、編集者である限りよい作家・作品に出会ったときに『やらない』選択肢はないので、要するに肚をつくっておけ、ということです」
意志強ナツ子の成長
絵にテーマ、ストーリー。個性という言葉では表しきれないほど、トーチの執筆陣はそれぞれが粒立った特色をもつ作家たちだ。中でも、筆者が個人的にトーチのカラーの1つを象徴するような存在だと感じているのが、2014年にデビューした
「意志強さんとの出会いは2014年、コミティアの出張編集部でした。『りゅうのすけくん』という一種のBL作品?を見せてくださったのですが一読して『やだな…』と思いました。意志強さんによれば、僕は実際には『下品だなあ』と言ったらしいです。もう1作見せてくれたのは、『たましい』という、主人公がトイレ掃除するという内容のマンガでした。もう、何が一体彼女にこれらを描かせたのか?と気になってくる。捨て置けないわけです。
この最初の持ち込みのときから、この人は何か『真の美』みたいなものを追い求めているのではないか、という予感がありました。一緒に仕事をするようになってその予感が確信に変わっていくのですが、特に『アマゾネス・キス』などはネームを受け取る度に『ドストエフスキーじゃん!』とか『ニーチェかっ!』とよく独りごちていました。」
意志強の作品は、100万人に受ける作品ではないかもしれない。だが、ここにしかないもの、意志強にしか生み出せないものが間違いなくあると感じさせ、目が離せないのだ。
「意志強さんは、持ち込み以来自分自身を鍛え、努力を惜しまず、たくましく作家になっていきました。そのプロセスを僕は商業作家としての成長の1つのモデルとして考えています。
肝の1つは、メジャーを目指すことを恥ずかしがらないこと。ブログでも描きましたが、最初に意志強さんが見せてくれたキャラクターデザインは、いわゆる『インディーズ感』が濃いものでした。その後、意志強さんは絵柄を変える努力をされました。これはどういうことかというと、根本的に自分の作品を考え直すということです。それをまったくいとわない。デビュー作となった『女神』の主人公ありさの絵は、すごい数のパターンを描いて送ってくれました。
意志強さんは、編集者は作家と『向き合う』のではなくて、『同じ方向を向く』のがいいと教えてくれた作家さんです。向き合っていると、2人の中でしか変化が起きないのですが、同じ方向を向いて『あそこが目指すところですよね』みたいな話ができると、前に進むんですよ」
天才がいないことの感動を教えてくれる作家たち
生まれたての若い才能からアブラの乗った中堅、劇画のレジェンドまで、さまざまな作家を担当してきた中川氏。「天才を実感した経験はあるか」と尋ねたところ、「ない」という言葉とともに、印象的な言葉が返ってきた。
「トーチの作家は、天才がいないことの感動を教えてくれます。マンガ家はみんな、さいとう先生もみなもと先生も土光先生も、高浜さんや山田さんももちろん、必ず『勉強して、考えて、手を動かす』ことで作品を作っています。マンガって、天才的なインスピレーションがパーンとひらめいただけでできるものじゃない。手を動かして動かして、考えて、動かして──それ以外にマンガを描く手段ってない。
天才が1人もいないことの感動というのが、僕がトーチの作家たちを見ていて思うところです。意志強さんも同じで、自分が天才じゃないから神に祈りを捧げて一生懸命考えて、自分の力でなんとかするんだという意志の力を感じます」
ここで名前が出た高浜もまた、トーチを代表する作家のひとりである。BD(フランスのマンガ、バンド・デシネ)をはじめとした欧米の味わいを感じさせる画風と、緻密な時代考証、歴史の知識に基づいた唯一無二のテーマとストーリーで、国内外に多くのファンを獲得している作家である。特に中川が担当し、コミック乱で2015年から2019年まで連載していた「ニュクスの角灯」は高浜に縁の深い長崎と、ベル・エポック期のパリを舞台にしたアンティーク道具屋をめぐるお話で、2020年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、大きな反響を呼んだ。
「高浜さんもまたヤバい人で、神がかっていますよね。今は天草に住んでいて、犬5頭猫7匹ヤギ4頭、鶏いっぱいと暮らしています。トーチで連載中の『獅子と牡丹』という作品のモチーフになっている天草四郎の埋蔵金がある場所も、高浜さんはすでにかなりのところまで調べ上げたっぽいです」
驚愕の話が飛び出してきた。ある事情から掘り返して検証することはできないが、確信をもって場所の目星をつけているらしい。「獅子と牡丹」は、天草で暮らす青年・電(あきら)が主人公。ろくでなしの父が多額の借金を抱えて失踪したことをきっかけに、天草四郎の埋蔵金さがしに片足を突っ込むようになって──というストーリーだ。新エピソードが更新されるタイミングで、トーチで公開されている高浜お手製の宝探しの地図も更新されていく、という仕掛けもあり、現実とのリンクにワクワクする作品だ。
「高浜さん、『獅子と牡丹』執筆にあたって日本のキリシタン文化について独自取材を続けてきたんですが、その驚くべき成果に、ローマ・カトリック教会の総本山であるヴァチカンも注目してまして……。大阪万博のバチカンパビリオンの親善大使に任命されたり、なんかすごいことになっています」
マンガ家の枠におさまならない才気──いや、むしろマンガ家だからこそ、作品のために、大胆で斬新なリサーチが可能なのかもしれない。
「高浜さんは能を習っているんです。ストーリーの作り方って、ハリウッドにある脚本術とかロシアフォルマリズムとかが参照されがちですが、実は能にすべて型があって、ということもおっしゃっていて、面白いですよ。例え僕らに未来がないとしても、過去を訪ねればいろんなものが残されているし、歴史がある。能もふくめて、死んでいった人たちの声を聞く手段はいっぱいあるはずだと。『獅子と牡丹』ではそこにフォーカスしようとしているのですが、シンプルにトレジャーハンティングとして面白いお話なので、ぜひそのあたりも楽しんでほしいです。
高浜さんって、現実の見立てがすごく地に足がついていると思います。『厳しくてままならない現実はさておき……』みたいな作品が1つもなくて、どの作品も『きっついよね現実!』みたいなところから始まっています。トーチの作家はそういう人ばかりですね。僕がリアリズムという言葉を使うのはそういう意味で、現実の社会問題を扱っているからリアルとかファンタジーだから非現実的とかではなく、今、自分たちが生きているこの現実をどう見立てるか、というところから作品を立ち上げているという意味でのリアリズムだなと思います」
私たちは本を作り続けます
マンガ編集者になって14年あまり。編集者の心得について聞いてみると、「難しいなあ」とうめきながらも、こう答えてくれた。
「思い出すのは、先輩編集の言葉です。僕がコミック乱に入ったときの編集長で、もう定年退職された林さんという方がぽろっと言っていたのは『マンガの編集なんてね、簡単だよ。だって、2つしかやることないんだから。1つはいい作家を連れてくること。もう1つはいい作家を育てること。それだけ』。
だけど、連れてくるって、育てるってどういうことか、そもそもいい作家って何?というのをずっと考え続けることになるんですよね。読み切り1回描いてもらって、原稿料は1枚10万円出します。はい描きました。ってこれ、連れてきたことになるの?とか。あるいは、新人が大ヒット作を1本ものにして、そのあと燃え尽きて描けなくなった。それって育てたことになるの?とか。
たった2つと簡単そうに言っているけど難しい、我々がやることの本質なんだろうなと思います。編集者の心得って、その言葉に尽きるのかな。そこに安易に正解を出さないように、作家と一緒に仕事しながら自分なりに考え続けることが、編集者の仕事になるのではと思います」
そして、編集者として叶えたい夢は、やはり部数のことだ。
「作品全部が100万部売れてほしいですよね。夢を自由に話していいのであれば、そういうふうに思います。うちからマンガを出せば作家はまず食うには困らない、っていうふうにしたい、というかしなければならない。創刊当時からすると原稿料のベースは倍以上になりましたがそれでも全然足りていないので、編集部はもっとがんばらないといけません」
繰り返しとなるが、「灯火、かがり火」という意味の「トーチ」。きっと、人生に迷い、あがく人のともしびになっていることだろう。読者のみならず、作家にとっても、きっと。2024年に10周年を迎えたトーチが今後目指すのは、「混沌」。
「作品がいろいろあって、雑多。混沌としていることがトーチのカラーだと思う。何か指針を1つ立てて、『こっちの方向に!』みたいになると、多分あっという間に大手にやられる(笑)。まずは編集者が自分たちの強みを忘れないようにしたいと思います。作家も編集者も、それぞれが個性を100%以上発揮しないと我々は生きていけないと思う。
本を作るということに尽きると思います。我々編集者は、なんか作らないとダメです。編集者って、人間関係とかコネクションとか『っぽさ』みたいなところで乗り切ろうと思えばなんとかなるし、それも1つの才能でもあるんですが、我々のやることはそことは違って、物を作る。じゃあ何作る?って言ったら本だろうと思います。
私たちは本を作ります。それが紙であっても電子書籍であっても、とにかく本を作るためにどうするかということを、これからもずっと考え続けると思います」
中川敦(ナカガワアツシ)
1979年、北海道生まれ。東京学芸大学教育学部卒業後、2003年に立風書房入社。雑誌編集者として勤務したのち、2011年10月にリイド社に入社する。2014年に会社のトーチwebを創刊し、現在は編集長を務める。担当作家に、高浜寛、意志強ナツ子、川勝徳重、齋藤潤一郎、赤瀬由里子、大山海、まどめクレテック、ウルバノヴィチ香苗、坂上暁仁、堀北カモメ、ちほちほ、綿本おふとんら多数。
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