編集長ではなく、読者を見据える
豊田氏は現在、株式会社ミキサーに所属して編集室編集長を務めており、マンガワンやモーニング・ツー、LINEマンガをはじめとした複数の出版社やレーベルを股にかけてマンガ作品を担当している。そうしたフリーランス的な働き方だからこそ、気を付けていることがある。
「掲載の可否判断の権利を持つ各媒体の編集長に通す『ための』企画を作りそうになってしまうことがあります。出版社の社員編集者さんなら、1つ企画が没になったとしても、その作家さんとは別の企画を長いスパンで引き続き検討したり、いったん読み切りを執筆していただいたり、あるいは増刊やWebなどの別媒体向けに企画を作り直すなどの再チャレンジの機会がけっこうあるので、そこまで“この企画を、どうしても今、編集長のお眼鏡にかなうようにしなければならない”と強く意識しなくてもいい面もあるんじゃないかと思います。一方で僕が今やっているように、ある程度期限が限られた中で作家さんの企画と時間をお預かりして、なんとかその企画を成立させようとフリーランス的にあちこちへ提案していると、どうしても『こういう形にしておけば、あそこの編集長には企画が通るんじゃないか』という近視眼的な作り方に流れそうになるときがあります。でも、実際には読者さんにどう受け止めてもらうかが重要なので気を付けていますね」
どこまでも読者ファースト、作品ファーストでありたいという。
「作家さんもわざわざ編プロやフリーランス編集者を通して仕事をしなくても、例えば直接集英社さんの編集と仕事をしていてもいいわけです。けれども、あえて僕を通して描いていただくわけなので、だからこそメリットがあってほしい。任せていただいたことで、なるべくいい形で読者さんに届けたいと思っています」
編集者としての失敗は「作家との関係性の崩壊」
編集者になって四半世紀が経つ豊田氏に“失敗”というキーワードをぶつけたところ、作家との関係性に関して興味深い話を語ってくれた。
「取り返しがつかない失敗はマンガ家さんとの関係性が崩壊してしまうこと。やっぱりこれだけの年月編集者をやっていると、1人2人ではなく、何人もそうした関係に陥ってしまう作家さんもいました。数年経って和解できた方もいましたが、そうじゃない作家さんもいらっしゃるので、それは本当に今でも後悔しています。もう少しなんとかならなかったのかな、と」
皆表立って語りたがらないが、作家との関係性の構築に失敗することは、編集者人生にはつきものである。編集者の能力不足やコミュニケーション不足、相性にタイミング……こじれる理由はさまざまだ。
「作家さんの才能や作品に惚れ込んでお仕事をお願いしているわけなので、うまくいかなかった後も、どうしても未練が残っちゃうんですよね。それが100%ビジネスで割り切れるなら『あなたとはもう二度と仕事しません!』でいいのかもしれないですけど……『うまくいかなかったけど、やっぱりあなたと仕事して、いつか一緒に作品を作り上げたいんです』という気持ちがなくならないので、引きずっちゃうんだなと思います」
五十嵐大介と米津玄師──才能の共鳴を目撃できた醍醐味
切ない話の一方、編集者としての醍醐味を最も感じたのは、
「IKKI時代に『海獣の子供』を担当させていただきました。連載は最終巻収録分の期間しか担当してないのですが、そのあと『SARU』という作品を一から担当させていただいて。一方で、『海獣の子供』の劇場アニメ(2019年公開)については、準備から公開まで5~6年かかっているんですが、最初にSTUDIO 4℃のプロデューサーの田中栄子さんがご挨拶にいらっしゃったときから最後まで、制作過程をそばで見ることができました。強烈な才能を持つ大勢のクリエイターが集まり、すごいロングスパンで圧倒的な1つの作品を作っていくさまを間近で見ることができたのも、マンガ編集者としては非常に得難い経験でした」
アニメ制作に関して、もう1つの忘れられない“縁”があるという。主題歌を担当した米津玄師とのそれだ。
「五十嵐さんと米津さんは、ともに参加された『ルーヴルNo.9~漫画、9番目の芸術~』という展覧会(2016年、森アーツセンターギャラリーなどで開催)の会場で初めてご挨拶されたのですが、五十嵐さんに同行していた僕が深く考えず『今度皆さんでゴハンでも!』と声をかけたところ、先方がすぐに会食の場をご用意してくださって。当時はアニメはまだまだ形になっていない時期でしたが、会食を終えた帰り道で五十嵐さんと『いつか米津さんが主題歌を歌ってくれたら素敵ですよね』と話していたら、本当にそれが実現しました。数年越しに夢が叶ったのもすごいし、そのくらい米津さんが思い入れをもって『海獣の子供』を愛してくれたのは、二度とはないくらい素晴らしい経験でした」
「面白がれるか」を常に確かめたい
スマートフォンのある生活が当たり前になって久しいが、マンガに触れる機会が多様化した現在、紙でもアプリでも、あるいは従来のページマンガでもフルカラー縦スクロール形式でも、多種多様なレーベルでマンガを作る豊田氏。マンガ最前線にいる氏にとって“面白い”とはなんだろう。
「“面白い”に関して言うと、僕は可能な限り同人誌即売会の出張編集部、大学や講評会に参加して若い方の作品に触れるようにしています。もちろん、お仕事をご一緒する作家さんと出会うのが第一の目的ですが、今の若い作家さんが作れるものを自分がちゃんと面白がることができるかどうかを、常に確かめておきたい気持ちもあるんです。
ミキサー編集室に持ち込みにいらっしゃる作家さんは、技術的な部分は千差万別というか、玉石混交です。だけどその中で、『技術的にまだまだだから』『ウチではうまく商業的に成立させることができないから』だけではなくて、作家さん自身がやろうとしていること、面白がろうとしていることをちゃんと見逃さずに嗅ぎ取れるかどうか。その嗅覚が、年齢を経るにつれて自分の中から失われていっていると感じるので、常に研ぎ澄ませておきたいし、感じ取れる自分でありたいと思っています」
さまざまな“面白い”を見極めて世に出してきた豊田氏にも、どうしても苦手なジャンルはあるという。
「どれだけがんばってもグロテスクなものが僕は苦手なんですけど、歳を経るごとに絞られていって、『四肢欠損を扱っている作品が決定的に苦手』ってことが最近わかりました(笑)。さらに、四肢欠損にレイプが重なる内容は非常に厳しいということもわかってきて……。それはそれとして、できるだけ門戸はかなり広くしておきたいです。もともと苦手だったものがさらに受け入れ難くなっていくのはもう仕方ないのかな、と思いますが、その一方で幅は広く持ち、受け皿は開いておきたいと考えています。
まだまだ原石だったり、あるいはさらなる伸びしろを感じさせるような作家さんの作品を見ることで研ぎ澄まされていく、編集者としての感覚というのがあるような気がしていて。そういった感覚を失いたくない、そんな作家さんをとりこぼしたくない気持ちが強いので、これからもできるかぎり同人誌即売会や持ち込みには積極的に対応していきたいですね」
編集者は、面白がり続けられる人の職業
そんな豊田氏いわく、編集者とは、「面白がり続けられる人の職業」であるという。
「このコラムのvol.1に登場した千代田さんをはじめ、今、若くて才能のある編集者さんが何人もいてドキドキしているんですが、みんな“面白がる力”が強いなと感じます。いろんなことに興味を持って、一歩踏み込んでいく力が強いんですよね。漫画サンデー時代に、当時の上田編集長から『編集者は名刺を1枚持っていれば誰にでも会えるぞ』と言われて、実際、大好きだった松尾スズキさんに会いに行ったところ、漫画サンデーでコラムやコミックエッセイの連載をしていただくことができました。自分自身のそうした経験からも、やっぱり編集者は面白がり続けて、何かの形へ繋げられる人の職業なのかなという気はしています。
実務の部分だけで言うとマンガ編集者っていなくても成立するという、ちょっと危うい職業でもある。だけどそこで『いたほうがいい』『いなくちゃいけない』と少しだけ価値を上げられるとすれば、面白がってより作品を広げる、あるいは多くの人に刺さるようなお手伝いができる、その点だと思います。なので、編集者の面白がる力によって、その作品をもう1段階、違う形に化けさせられるかどうかが問われるので、編集者はそうした力を失い続けないことが大事だなと思います」
何歳になっても、なにごとも面白がれたら人生は楽しいが、“興味爆発”への導火線が年々長くなるのを感じる今日この頃。面白がるためのコツを伝授してもらった。
「僕もほんとに感受性がカッスカスになりつつあるんですが(笑)、あれこれ考えずまず動いてみることが大事だなと思います。数年前に日本語ラップのフリースタイルバトルにハマって、ふと思い立って1人でライブハウスにDOTAMAのライブを観に行ったんですよ。そうしたらメロメロに感動してしまって(笑)。最初こそ、若者が騒いでいるライブハウスに行くのって怖いし、立ってると腰も痛いし……とネガティブな気持ちもあったのですが、行ってみたら得るものも刺激もあったので、やっぱり一歩踏み出してみるのは大事だなと。最近だと、好きになってみたいけどどうやってもよさがわからなかったVTuber界隈で、ついに壱百満天原サロメ嬢がぐっさり僕の心に刺さったので、やったー!という気持ちです(笑)」
現役編集者として、あと“誰と何本できるのか”
豊田氏が現在担当している作品は10数作あり、連載中の作品は10作ほど。連載中の2作をピックアップし語ってくれた。
「
最後に、今後マンガ編集者として叶えたい野望を聞くと、はっきりきっぱり「めちゃめちゃ売れたいですね!」という答えが返ってきた。
「自分の担当作品がもっと売れてほしい、それ以外はないです。一方で、僕もいい歳なので、あと現役で何本担当できるかなとは考えますね。残された自分の編集者人生の中で、ロングスパンでしっかり作り上げる作品を“誰と、何本できるのか”。それでも、できるだけじっくり時間をかけて、これからも作品と作家さんに向き合っていきたいと思います」
豊田夢太郎(トヨダユメタロウ)
1973年生まれ。1996年に実業之日本社に入社。漫画サンデー編集部に所属。2002年、フリーランスとして月刊IKKI、ヒバナ、マンガアプリ・マンガワン(すべて小学館)の専属契約編集者を経て2019年より株式会社ミキサーに所属。ミキサー編集室編集長を務める。担当作に「マル被警察24時」「SARU」「I【アイ】」「放課後のカリスマ」などがある。
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yumetaro @yumetaro
コミックナタリーでこのインタビューを受けたのは、谷岡ヤスジ氏の話をどういう形ででも世に残したかったから。この中でも奥様について触れているが、実際、谷岡氏の原稿上がるまでの数時間は、リビングで奥様とおしゃべりして過ごしていた。(続
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