マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズがスタートした。第1回に登場してもらったのは、小学館マンガワン編集部の千代田修平氏。「チ。―地球の運動について―」を手がけた人物だ。
取材・
持ち込みに現れた“おじさん”の正体
千代田氏は2017年に新卒で小学館に入社。東京大学の文学部卒業という経歴で、学生時代は演劇にのめりこみ、自ら劇団を立ち上げて精力的に活動していたという変わり種だ。就活では出版社、IT、コンサルタントの3社に絞って活動。マンガワンに思い入れがあったことから出版社は小学館しか受けなかったという。
小学館に入社後、ビッグコミックスピリッツ編集部に配属されてから最初に立ち上げた作品は、
「きっかけは持ち込みでした。持ち込みは基本新入社員が電話をとって、とった人が持ち込みの対応をします。入社1年目のある日、いつものように持ち込み対応に向かうと、『けっこうベテランに見えるけど……新人なのか?』というおじさんが座っていまして(笑)。そのとき持って来られた作品が、すでに『おやすみシェヘラザード』の最初の3~5話分くらいのネームで、言うなればプロトタイプ。当然めちゃくちゃ面白いし、絵もめちゃくちゃうまいわけです。ネームの時点で半ば下書きみたいな状態だったので、明らかに新人ではないぞと」
どの時点で篠房と気付いたのだろう。
「持ち込みの人には、こちらが作品を読んでいる間に編集部で用意したシートに名前やマンガ歴を書いてもらうんですけど、そこには「篠房六郎」っていうペンネームではない、本名が書いてあって。でもこれまで描いてきたマンガ歴の欄を見たら、『百舌谷さん逆上する』とあって、『あれ? このおじさん、もしかして篠房さんじゃね?』と」
「百舌谷さん逆上する」は月刊アフタヌーン(講談社)で2008年から2013年にかけて連載された作品。単行本全10巻が刊行された人気作だ。
「とんでもない人が来ちゃったなと。持ち込んでくれた『シェヘラザード』の原型は、前にほかの出版社で連載ネームまで作っていたらしいのですが、最終的にそこでは出せないという話になり、困ったなと思っていろんな出版社に持ち込んでいたらしいんです。その中の1つがスピリッツ。僕は何が何でも担当したいと思って、連載する運びになりました」
作品が出版社で形になるためには会議を通過する必要がある。企画自体はすんなりと通り、順調にスタートを切ったと話す千代田氏だが、同作の難しさは別のところにあった。
「面白さは間違いないと思ったんですけど、権利関係が大きなネックでした。キャラクターが映画をレビューしまくるマンガなので、映画の権利元に許可を取る必要あるのかとか、その場合、海外の映画はどうやって許可を取るのかとか、権利関係の障壁がめちゃくちゃあって。僕は映画の扱い方のガイドラインを作成しつつ、会社の法務部に足繁く通って法的なチェックを通す、という作業に明け暮れました」
常に残り続ける「もっと行けたんじゃね?」
初めての連載立ち上げで何もかも初めてだったものの、「おやすみシェヘラザード」での経験はとても有用だったという。1巻は2018年に発売され、1週間ほどで重版がかかるという好調な滑り出しだった。当時の篠房との印象的なやりとりを振り返ってもらうと……。
「篠房さんってめちゃくちゃ声がデカいんです(笑)。本当に映画愛がヤバすぎて、ニコニコしながら大きな声でまくしたてるように『あの映画の○○は△△なんですよ!』みたいにしゃべるんです。編集部の脇にあるブースで打ち合わせするんですけど、編集部まで声が響いていたらしくて。終わって編集部に戻ってくると、『今の打ち合わせ篠房さんでしょ』って(笑)。そういう、『映画愛が止まらん!』みたいな印象は強く残ってますね」
風景が目に浮かぶようだ。「シェヘラザード」は、作家の映画愛が全面ににじみ出ていて、ときには暴走気味とも思えるほどの勢いも特徴的だったが、編集方針はどんなものだったのだろうか。
「わかりづらいところがあれば指摘しましたけど、コマ割りとか『これはどっちがしゃべってるんですか?』みたいなレベル。ストーリーをちょっとスマートにするお手伝いはさせてもらいましたが、『こっちの話のほうがいいと思います』みたいな本質的なことは、あまり言わなかったですね。あとはたまに『この映画のレビューをしてほしい』という読者的なリクエストはしていました」
初連載とは思えない安定感のある仕事っぷりだが、「新人ゆえにここは甘かった」と思うこともあったという。
「初連載立ち上げで、相手がベテラン作家さんということもあり、少しビビったところはあったと思います。篠房さんは編集者の意見をうまく取り入れることもできる方なので、もっと僕が積極的に意見を言っていたら、より高いところまで行けた可能性はあったのかなと。でも、それはこの作品に限らず、今でもそうですね。常に『もっと行けたんじゃね?』というのは残り続けます」
持ち込みから縁が始まった“担当デビュー作”。「シェヘラザード」での経験から、千代田氏が得た学びとは。
「『本当にめちゃくちゃ面白い回ができたときの感覚』を得られた気がします。例えば2巻収録の第13夜『お茶漬の味』の回、『イレイザーヘッド』の回(第19夜、3巻)、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』の回(第28夜、4巻)や、押井守の『イノセンス』の回(第26夜、4巻)など、マンガの表現として『ここまで行けるんだ!』という衝撃を受けた、いわゆる神回がいくつかあるんですが、どれもかなりの手応えがありました。読者からのいい反応も得られたし、売るときの宣伝の仕方もそういった回があると考えやすい。だから、その後作品を作るときにも参照する、僕の中の“おもしろライン”──『ここより面白かったらいける』みたいなラインを感じたのが、この作品だったと思います」
「パンツは下ろす」 作家への自己開示
面白いと思ったものの手応えがビビッドに返ってくることで、自分の感覚と読者の感覚のすり合わせができる──編集者にとって、非常に大事な契機と言えるだろう。さて、編集者とマンガ家が打ち合わせでどんな話をするかは千差万別だが、千代田氏の場合、作家の心を開いてもらうためにも、自身の“恋バナ”をよくするらしい。
「恋愛話をすることは多いです。つまり自己開示ですね。もっと言うと自分の恥ずかしい話や弱い部分の話とかをします。よく『パンツを下ろす』と形容されますけど、僕はそれが基本的な方針です。相手が見たくないのに見せつけたらただの露出狂なので様子を見ながらですけど(笑)。」
その後もさまざまな作品を手がけていくが、中でも「映像研に手を出すな!」を担当したのは大きな収穫だったという。TVアニメ化、実写映画化も果たした、いわずとしれたヒット作だ。
「キャリアの中ではかなり大きい出来事でしたし、
ほかの編集者が手がけた作品を引き継ぐこと、そして自分が立ち上げた作品をほかの編集者に託することは、大手出版社のシステム上避けられない。作品を引き継ぐうえで、千代田氏が意識していることとは。
「ある先輩から言われた『120%愛しにいかなきゃいけないぞ』という言葉。曰く、引き継ぐ作品は、どうしても自分が立ち上げた作品よりも思い入れが劣ってしまう。確かに作家さんも『この人は私の作品を本当に愛して、愛し抜けるだろうか? 作品にすべてを捧げられるだろうか?』と思うはずだから、その不安を払拭させるほどに『120%愛してます!』と強く思わなきゃいけないし、伝えなきゃいけない──そんなことを教わりました。そうした意味では、引き継いだ作品は常に『もっと盛り上げるぞ!』と思いながら作っています」
「シェヘラザード」での初連載を経て順調にキャリアを重ねていく千代田氏。編集者デビューからわずか5年で、立て続けに話題作を魔法のような手腕で世に送り出しているが、これまで失敗らしい失敗はあったのだろうか?
「失敗はいっぱいありますけど……。とある作品で、僕のミスで1話分飛ばして雑誌に掲載したことがありました。これは当たり前ですけど本当にまずい失敗で。作家さんに謝って、『起こってしまったことはしゃーないですから』とは言っていただけたんですが、でも実際どうします?という話になって。結局、飛ばした回を本来掲載すべきだった回の次の回に載せることにしたんです。時系列が変わるので、そのままではおかしくなるんですけど、たまたま『その前の日』みたいなナレーションを1ページ目に入れて、コマ外を黒くすることで、回想だったという体にできる……と。単行本に入れるときはもとに戻しました」
なんと。力技というか、すごい機転だ。
「たぶん読者の方々もほとんど気付いていないんじゃないかなと思うんですが、本当に反省しました。以後そういうミスは1回もないですが、あれは作家さんの懐のデカさを感じさせられた出来事でしたね」
天才の条件──マンガ家というより、作家である
千代田氏は、編集者の仕事の大きな魅力の1つに「天才と仕事ができる」点を挙げる。これまで作家の“天才”にしびれた経験はあるのだろうか。
「これって難しくて、2つに分けて話そうと思います。1つ目は、『天才について話すのは難しい』という話なんですけど(笑)。結局作家さんの天才性って、作品内で発揮されるんですよね。だから僕が作家さんに対して思う『天才だ!』という言葉は、一般の読者が読んだときに感じる『天才だ!』と同じ意味。なので、とにかくとんでもなく面白い作品が作れるところが天才だなって思うポイントです。
2つ目。一方で、『天才だな』と思う作家さんについて確実に言えるのは、言葉を持っていることですね。自分の美学、信念、哲学があって、かつそれを的確に表現する言葉を持っていることが非常に多い。特に『チ。』の
確かに、魚豊の「ひゃくえむ。」「チ。」を読むと、「普通の人は1つの考えをここまで突き詰めないだろう」という、思考の追いかけ方の「しつこさ」とでも言うべきものが尋常でないと感じる。
「『マンガ家というより作家である』という意識がすごく強くて、ご自身でもそうありたいと目指している、とおっしゃっていたことがありました。遡ると手塚治虫先生然り、作家は思想を持ってマンガを描いているんですよね。“マンガだけど思想がない”作品もあるし、それはそれで構わないと思うんですが、魚豊さんは作家であるという意識をすごく強く持たれている方だなと思います」
なるほど。読者としてあまり意識したことはなかったが、「マンガ家であろうとするのか、作家であろうとするのか」は、作家の姿勢としてかなり大きな違いである。
「もはや別の職業かなと思っていて。そういうタイプのマンガ家さんは、『ほかの表現方法もあったかもしれないけれど、たまたまマンガを扱っている作家』というふうに僕には見えます。今話していて思いましたが、僕が天才だと思うのは作家であろうとする方なのかもしれませんね」
洋介犬(ヨウスケン) @yohsuken
これは神インタビュー記事!
「おやすみシェヘラザード」「チ。」の千代田修平(小学館マンガワン編集部) | マンガ編集者の原点 Vol.1 https://t.co/0wVEmXbD3r