宝生流「獅子三題」宝生和英×金井雄資×山本則秀|芸で時代を残すため、江戸時代以来の新小書に挑む

武家が喜ぶ話で終わらせてはいけない「望月」

──「望月」は、小沢刑部友房が都にいる間に主君が討たれ、自分の命も狙われるかもしれないと思って宿屋に身を隠していたところ、主君の妻子と敵役・望月秋長が訪れる。そこで、友房が妻子と協力して、酔った望月の隙を見て復讐するというお話です。「望月」と「石橋」の獅子の見え方の違いは何でしょうか?

金井 「石橋」の獅子は霊獣なのです。千尋の谷底の上を躍動的に飛びまわって、牡丹に戯れるという獅子そのものを表す舞に対して、「望月」は、人間が獅子の舞を座敷芸として見せます。ですから「望月」はより舞踊的な要素を必要とします。獅子の舞が主眼ではありますが、相手に酒を勧めて、油断させてあだを討つという、本望を遂げるまでのプロセスを見せることが大切な曲になっています。

宝生 舞っているときに、常に望月を意識しなければならないので、型の中にも望月に視線を向けたり、確認したりする型があるのが面白いですよね。また、座敷芸なので能面をかけず、覆面なんです。敵を討つ準備で着ているだけなので、すぐ脱げるように、と。

金井 さっき「石橋」で強調したいとお家元がおっしゃった、“負の部分”というのは、実は「望月」にもありますね。仇討ちという、武家が喜ぶ話で終わらせてはいけない曲なのです。主役の小沢刑部友房は、主家の大事に逃げたという負い目があって、さまざまな惑いを振り払い敵を討つ。彼にはそういう逡巡があるので、影の部分があると言えます。

能「望月」より。

山本 なるほど。

宝生 能なので、主人公の真意を見せつけるわけではなく、でもお客様がそれと読み取れるようなバランスを作っていくのが難しいところです。

金井 能役者は、曲の解釈はしますが、押しつけはしません。お感じになるのはお客様それぞれで違って良いのです。

フィジカルで魅せる「獅子聟」は、めでたい曲

──今のお話だと、能の2曲では獅子をもってして激しさや躍動、負の部分などが描かれますが、一方で、狂言の「獅子聟」には楽しく明るい雰囲気があります。どういった特徴を持つ曲なのか、教えていただけますか?

山本 そうですね、「獅子聟」は、若夫婦が一緒に暮らし始めてから奥さんの実家に「娘さんをもらいました」とあいさつをしに行くのが、昔の聟入りの風習なのですが、そこでしゅうとから獅子の舞を所望されます。獅子舞の部分に関しては、座敷で舞うという意味では先ほどのお話がすごく勉強になりましたが、「望月」の舞に近いものになります。ただし、「望月」は仇討ちをするための手段として獅子舞があると思いますが、「獅子聟」の場合、獅子という霊獣の本質を描こうとしているのですからむしろ「石橋」に近いのではないかと思います。舅が聟を谷に蹴落とす「谷落とし」という型があって、舅が聟に試練を与え、聟の勇気と技量を試し、本物の親子になっていく心の姿を表しているのです。この曲は決まりの型が多いので、運動量が……。

金井 アクロバティックなこともありますか?

狂言「獅子聟」より。

山本 例えば飛ビ返リの中で1カ所、横を向きながら斜めに飛び返る難しい型があります。長袴をはいて舞うこと自体、大変ですし、型の多さがほかの曲とは比較にならないので、それを克服しなければならない難しさがあります。ただ、苦しいけれども100パーセント燃焼できるところに、ほかの曲とは違った楽しさがあると思います。

金井 僕は「獅子聟」を拝見したことがないので、すごく楽しみなのですが、相当動きが激しいのだろうなと。技が切れ、身体が切れなければできない曲だと思いますね。

全国の能楽師が一体となる“キャラバン”

──今回は、アートキャラバン事業の参加公演となります。「日本全国 能楽キャラバン!」という大枠のもと、約半年にわたって、全国各地で能楽公演が行われる大きな企画ですね。

金井 これは文化庁の令和2年度補正予算の文化事業なんです。コロナのために文化芸術が疲弊し、萎縮する中で国が考えてくださった事業なのですが、タイトルが「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」といいます。全国規模の公演を統括できる団体に助成金を支給するということで、クラシックバレエやオペラも採択されたのですが、能楽は全国20地域35会場で71公演打ちます。出演者には、能楽界を代表する五流のご宗家をはじめ、人間国宝や文化勲章受章者など、そうそうたるメンバーが並び、大曲・秘曲・人気曲を配する。そうすることで、文化芸術全般の起爆剤にもなっていけばいいという思いで行われます。ですから、お家元がこの事業に合わせて、新しい視点で公演を考えてくださるのは、素晴らしいことなのです。既存の曲に対して新しい小書を考えるのは、至難の作業ですから。

宝生 今、芸能の世界では皆さん良くも悪くもフラストレーションが溜まっていて、状況に耐えている状態だと思うんです。でも、実は表現者としてはそれが一番の養分になっているという皮肉もあると思いますね。

金井 この「日本全国 能楽キャラバン!」では、延べにして2000名以上の能役者が出演しますし、地方の能楽堂の経営の助けにもなるのではと思います。全国の能楽師にとにかく舞台に上がっていただくということです。能楽はいろいろな流儀に分かれてはいますけど、気持ちは1つ。まとまりは良いと思います。

宝生 そうですね。その理由の1つに、能楽には現行曲の中で競い合い、切磋琢磨できる土壌があるということがあります。流派は違っても、同じ曲であれば評価されることもありますし。だからこそ、有事のときに手を取り合える。そういうところも伝統芸能の強さだと思うんです。今回の公演は、コロナで一度ガクンと落ちた時期を皆で乗り越えるために、大事なものになるんじゃないかなと思います。

──山本さんは、今回の公演に向けて、どのような思いがありますか?

山本 そうですね、おシテ方とは立場が違うところがあるのですが、「獅子三題」に向けて、役者としてのモチベーションは上がっています。曲が特別なので、自分の中でも高まりを感じていますし、役を付けていただいたときから、「よし痩せよう」と決めました(笑)。「獅子聟」はひざを酷使する曲なので。

金井 耳の痛い話だ(笑)。

山本 おシテ方の2つの大曲の間に獅子の狂言を入れていただき、重厚な能の獅子とは異なる軽快でスピード感のある狂言の獅子をと思っています。

金井 まずもって文化芸術は人間が生きていくうえでエッセンシャルなものだということですね。新型コロナウイルスのワクチンが普及し始めていますが、文化芸術は心を守るワクチンでありたいと思うのです。明治維新と太平洋戦争のあと、能楽界が復興できたことには、先人たちに感謝するばかり。お家元は今、守っていく、伝えていくという重大な責務にあります。僕は、お能は古典劇ではなく現代劇で、どの時代にも通じる普遍的なテーマを扱っているということが一番大事な部分だと思っているのですが、それを伝えるためには、山本さんがおっしゃるとおり、芸を磨いて、身体を鍛えて、常に良い舞台を作るようにしなければならない。コロナ禍で舞台に上がれないことは能役者にとって、魂を削られる思いです。映像での配信も増えましたが、やはりお客様には、あの圧倒的な能舞台の空間で感動していただきたい。我々は不断の努力をして、良い能の表現を作れるようにしておきますので、ぜひ足をお運びいただきたいと思います。

左から金井雄資、宝生和英、山本則秀。
宝生和英(ホウショウカズフサ)
1986年、東京都生まれ。父、第19世宗家宝生英照に師事。宝生流能楽師佐野萌、今井泰男、三川泉の薫陶を受ける。1991年、能「西王母」子方にて初舞台。2008年に宝生流第20代宗家を継承。これまでに「鷺」「乱」「石橋」「道成寺」「安宅」「翁」、一子相伝曲「双調之舞」「延年之舞」「懺法」を披く。伝統的な公演に重きを置く一方で、異流競演や復曲などにも力を入れ、公演活動のほかマネジメント業務も行う。海外ではイタリア、香港を中心に文化交流事業を手がける。2008年に東京藝術大学アカンサス音楽賞受賞、2019年に第40回松尾芸能賞新人賞受賞。
金井雄資(カナイユウスケ)
1959年、東京都生まれ。宝生流能楽師。重要無形文化財保持者。1964年に入門し、第18代宗家宝生英雄、近藤乾三、松本恵雄、近藤乾之助、及び父・金井章に師事。1965年に「『鞍馬天狗』花見」で初舞台を踏み、1978年に「禅師曽我」で初シテを勤める。1986年に「乱和合」、1988年に「道成寺」を披き、これまでに「石橋連獅子」「翁」「望月」「隅田川」「景清」を披演。2003年、父より紫雲会の主宰を引き継ぐ。「能楽を旅する - Journey through Nohgaku -」にて新潟・大膳神社でシテを勤めた「半蔀」が能楽協会の公式YouTubeチャンネルで公開中。
山本則秀(ヤマモトノリヒデ)
1979年生まれ。能楽師・大藏流狂言方。徳川幕府の武家式楽を継承する大藏流狂言の家柄・山本東次郎家、山本則俊の次男として生まれる。4歳より父と伯父・四世山本東次郎に師事。5歳で「伊呂波」にて初舞台。2002年に「三番三」、2006年に「釣狐」、2013年に「花子」を披く。現在は国内外での能楽公演や学校普及公演など幅広く活動。2017年から兄・山本則重と共に狂言会「則重・則秀の会」を主宰。