宝生流「獅子三題」宝生和英×金井雄資×山本則秀|芸で時代を残すため、江戸時代以来の新小書に挑む

全国を行脚するように能楽公演を開催する「日本全国 能楽キャラバン!」が7月末にスタートした。京都の京都観世会館での公演を皮切りに、来年1月まで、全国20の地域で71もの能楽公演が開かれる。10月31日には東京・宝生能楽堂にて宝生流「獅子三題」がお目見えし、“獅子”が登場する能「望月」「石橋」、狂言「獅子聟」が披露される。3曲は祝言性の高い曲としても知られるが、今回は「石橋」を新演出で上演。能楽で“小書こがき”と呼ばれる特殊演出が宝生流で新たに付くのは、約170年ぶりとなる。宝生流を率いる第20代宗家・宝生和英いわく「時代を反映した小書になる」そうで、その決意にはどんな思いが隠されているのか。

ステージナタリーでは宝生と、同じく宝生流能楽師で重要無形文化財保持者(総合認定)の金井雄資、大藏流狂言方の若手として活躍する山本則秀に、「獅子三題」について聞いた。

取材・文 / 大滝知里撮影 / 祭貴義道

最後の小書は江戸時代

──今回、なぜ獅子を題材とした3曲を上演されることになったのでしょうか?

宝生和英

宝生和英 能楽協会からアートキャラバン事業である「日本全国 能楽キャラバン!」のお話をいただいたときに、こういうご時世だから“突破口”になるようなものをやりたいと思ったんです。宝生会としてもフラグシップになるような公演を打とう、と。それで「石橋」を軸に考えていたんですが、人間が獅子を舞う“座敷獅子”と、獅子そのものになって舞う舞の違いを観ていただくのはどうだろうかと山本さんにご相談しましたら、「実は狂言にも獅子の芸能があるんですよ」と教えてくださいまして。人間国宝でいらっしゃる山本東次郎先生に「獅子三題」と本公演を名付けていただきました。

山本則秀 おいの自分が言うのもなんですが、東次郎は言葉のセンスがある人なので(笑)。宗家からお話をいただいたときに相談しました。

──獅子のモチーフは、能楽ではどのように扱われるものなのですか?

宝生 獅子はおめでたい席や何かの記念などに演じるケースが多いんです。なので、暗い世の中を照らすようなものにしたい、というのが立ち上がりにあったのですが、そこからだんだんと、今の時代だからこそできる獅子があるのではないかと考えるようになりました。この時代を能楽で切り取るために、「石橋」で新小書、演劇で言うところの新演出ですが、それに挑戦しようと。小書は時代を象徴するところがあって、実は宝生流にはこれまであまり新小書はなかったんです。最後に作られたのは、江戸時代にさかのぼって……。

──えっ、江戸時代?

金井雄資

宝生 そうなんです。最後の小書は“揃いもの”と呼ばれるもので、江戸城で「勧進能」という大イベントがあったときに、普通はシテ(主役)が1体しか出ない曲を、もっと華やかなものにするためにツレ(助役)が7から8体出るような演出を作りました。それ以来なので、小書は本当に珍しいことなんです。

金井雄資 そうですね。小書は現代語に直すと“特殊演出”で、通常の形態があって、それに対して特殊演出が付くことを「小書が付く」と言うのです。そうすると、位が非常に高く、また重いものになる。小書は流儀の特性を生かしたものが多いので、流儀としてもとても大事にします。ですからお家元のお許しがないと、小書は作れません。

人々の分断・対立を赤黒の獅子で表す「石橋」

──今回は小書の付いた「石橋」が上演されます。「石橋」では、中国・清涼山の石橋で、寂昭法師が文殊菩薩の使いである獅子たちの舞を目にする様子が描かれますが、どのような小書になるのでしょうか?

宝生 今回は赤黒しゃっこくという獅子を考えています。宝生流では連獅子という、親子獅子が舞う特殊小書が残っていて、その小書では“親子の情”が表現されます。でも、今の時代に私が感じているのは、常にどこかで起きている“対立”。相手をリスペクトしない対立、負の連鎖、そういった人間の黒い部分や負の部分を、おめでたい席で披露される「石橋」に落とし込みたかったんですね。赤の獅子と黒の獅子を登場させて、装束も今までとは少し変えます。以前、金剛流の若宗家と異流共演で「龍虎」という曲を勤めたんですが、それは種族が違うものの対立がテーマでした。今回は、同じ獅子ながら、2体の対立によって生まれる炎が、いろいろなところに飛び火するイメージ。SDGsの時代であっても、コロナで人々が分断され、国内外で対立が生まれた時代だからこそ、こういった小書が生まれた、と芸で時代を残していけたらなと。

──小書の構想はいつ頃からお持ちだったんですか?

宝生 今年に入ったくらいです。新作を作ると練度が低くなってしまうし、今すぐにやるには時間がない。現在、我々が経験していることは、おそらく能楽の歴史にも大きく刻まれる出来事だと思います。小書を通して1つの時代を切り拓いたという点もお客様に観ていただければと思っていますので、流儀を上げて挑戦したいんです。実は、今回の狂言「獅子聟」も特別な曲なんですよね?

山本 そうなんです。初世東次郎が、藤堂家にかわいがられていて、藤堂家に伝わる秘曲の狂言「獅子聟」を一代限りで上演することを許されました。その後、2世、3世とやり方は伝承され、稽古されていたのですが、当代の東次郎が4世を襲名するときに、藤堂家御当主にごあいさつに行き、山本東次郎家の狂言として末代まで上演する許可をいただきました。それで私たちも皆演じることができるようになったのです。とはいっても上演時間も長いですし、派手な曲なので、お能の会ですと、なかなか出しにくい曲ですから、今回このようなお話をいただいてとてもありがたく思っています。

──そうなんですね。

山本則秀

山本 はい。狂言に獅子が出る曲はないので。先ほど小書の話が出ましたが、「獅子聟」は特殊な曲という位置付けにあります。ただ、やるほうは特に聟入りという婚儀の場で舞うのですから非常に祝言性を大事にしています。

宝生 「獅子聟」と同じように、「石橋」「望月」は“披き曲”と呼ばれる能楽師の登竜門な曲で、能楽でも大事に扱っています。特に「石橋」は若いうちの登竜門で、「石橋」の次に「道成寺」があり、「望月」は円熟期を迎えた能楽師が勤めるイメージですよね。

金井 「望月」は非常にドラマ性が高い曲なので、それなりに腹が決まった、芸がしっかりした人間でないとできないという意味では、そうですね。もちろんお能はその奥にもっと深いものがたくさんありますので、そこから先がさらに大変なのですが(笑)。ただ、年齢に応じた最適な曲目はあると思います。