「東アジア文化都市2019豊島」 PR

「東アジア文化都市2019豊島」特集|「マハーバーラタ」宮城聰インタビュー GLOBAL RINGを掲げる野外劇場で、観客と“世界”が出会う──宮城聰が語る、アジアの舞台芸術が持つポテンシャル

「マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~」が、「東アジア文化都市2019豊島」のスペシャル事業として、11月23日に池袋駅前にて上演される。本作は、インドの叙事詩「マハーバーラタ」に想を得た壮大な冒険譚で、「東アジア文化都市2019豊島」の舞台芸術部門総合ディレクター・宮城聰の代表作でもある。世界各国で高い評価を得てきた本作の久々の東京公演に、宮城は今、どんな思いで臨むのか。なお本公演は、池袋西口公園野外劇場のこけら落とし公演でもある。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 宮川舞子

文化と文化の出会いを体験してもらえるような芝居に

「マハーバーラタ」より。©K.Miura

──「マハーバーラタ」は2003年に初演された宮城さんの代表作で、2014年にはかつてピーター・ブルックも「マハーバーラタ」を上演した、アビニョン演劇祭のブルボン石切場でも披露されています。世界各地で高い評価を得ている作品ですが、東京では久々の公演となります。

確かに東京公演はものすごく久しぶりですね。初演は東京国立博物館の東洋館の地下でした。博物館が閉館したあと、特別に使わせてもらったのですが、お客さんにはガンダーラの仏像など東洋の美術を見たうえで「マハーバーラタ」を観ていただく、という趣向になっていたんです。そのあと、インドネシアやバリ、アビニョン、奈良の平城宮跡、静岡の駿府城公園などで上演してきましたが、東京では初演以来になります。

──改めて「マハーバーラタ」が宮城さんにとってどのような作品か、教えていただけますか?

宮城聰

「マハーバーラタ」を上演する約9年前、1994年にアメリカで「トゥーランドット」を演出したことがあったんです。公募で集まったアメリカ人の俳優と日本人の俳優の混成メンバーだったのですが、その稽古の中でアメリカ人の俳優から「日本と言うと、空手はなんとなく知っているし、憧れもある。でも日本の“歩き方”はわからないから教えてくれ」と言われて。そのとき、「あれ? 日本特有の歩き方に伝統ってあるんだろうか」と考えちゃったんです。例えば阿波踊りの足さばきって日本的に見えるかもしれないけれど、カンボジアの民族舞踊も、実はとてもよく似ているんですね。と思うと、今、日本で日本的と思われている動きは、本当に日本オリジナルなのだろうかと疑問が湧いてきて、「日本オリジナルの文化芸術を知らずに、外国で自分たちの作品を上演するなんて恥ずかしい」と思いました。そこで、韓国、中国、インド、中国の一部ではありますがチベットなどに行き、現地の演劇人と交流して、お互いがどういう基礎訓練をやってるかというエクスチェンジをしてみたんです。

──日本オリジナルを発見するために、同じアジアの地域と比較してみようと思われたのですね。

宮城聰

その結果、「日本オリジナルは存在しない」、もっと言えば「韓国オリジナルとかインドオリジナルすら実は存在しなくて、文化芸術は太古の昔から交流と混合によって成立している。だから、『これがオリジナルだ』と今言われているようなものも、実は以前からあるものとあとから入ってきたものの混合なのではないか」と感じるようになりました。さらにそれはヨーロッパの文化でも同じではないかと考えるようになり、フラスコの中で純粋培養されたものが非常に高度な文化として歴史に残るのではなく、外から入ってきたものと自分たちがもともと持っているものとが出会い、洗練が起き、やがて歴史に残るほど素晴らしいものになっていくのだと確信を持つようになったんです。そのことを、芝居でも具体的な形で表現したいと思いました。

──それが「マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~」の出発点というわけですね。

「マハーバーラタ」より。©Ryota Atarashi

僕は文化芸術を、できることなら自分たちと違う価値観を持った人たちと一緒に生きるための知恵として活用したい、と思っています。そうじゃないと人間は周期的に排外的になるというか、まさに今の世界がそうなっていると思うんですけど、同質の同じ文化を持った人間だけで固まりたくなる。でも実は自分たちの文化だと思っているもの自体が異文化との混交によってできているということに気付けば、同質文化でまとまることはそもそも矛盾しているというか、自分たちもその出会いと混交のプロセスの一端にいるんだということを日本人や世界の国々の人たちが感じられるといいなと。そこで、今見ると“ザ・インド”というような、古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」と、平安時代の日本人がもし出会っていたら当時の日本人はどういうふうに受け止めたのかと考え、それを形にしてみようと思ったわけです。例えば平安時代の「宇津保物語」では主人公がペルシャまで行ってしまうんだけど、それは当時の日本人が、正倉院に所蔵されたペルシャのお面などから「ペルシャ人はこういう人なんじゃないか」と想像を膨らませて絵巻物にしたものなんですね。それと同様に、もし平安時代に「マハーバーラタ」が伝わっていたら、きっと当時の人たちはそこからいろいろと想像力を膨らませただろうし、それはどんなものだっただろうかを考えてみた気がするんです。そのように文化と文化が出会う瞬間、化学反応が起きる瞬間にお客さんと立ち会ってもらおうというのが「マハーバーラタ」です。

“出会い”の大切さを、声を大にして訴えたい

──「マハーバーラタ」の作品コンセプトと、日中韓3カ国の文化交流を目指す「東アジア文化都市」の目線はまさに合致していますね。

宮城聰
宮城聰

そうですね。そもそもこの池袋という場所が、いろいろな地域から来た方々が出会う場になっていますし、まさに“るつぼ”という言葉がふさわしいような地域。駅前に立っていると、日本語以外のいろいろな言語が聞こえてきますよね。その一方で、今、世界中で排外主義というか、自国第一主義的な精神原理が横行しており、残念ながら日本も同傾向にある。そんな世界を覆う風潮の中で、社会から寛容さがどんどん失われていき、世界中の先進国と言われる国の大半で、富めるものがより富を独占し、かつて中流と思われていた人たちが前よりも落ちぶれたと感じ、自分たちが損をしているという感覚に陥っています。そのような状況で、なかなか異なる文化の人たちとエネルギーを使って出会っていこうという気持ちにはならないわけですが、そこへさらにポピュリズムの政治家たちが登場してくる。そんな今だからこそ、「いやいや、異なる文化が出会うということは素晴らしいことなんだ。そこから歴史に残るような文化が生まれてくるし、そこから人が楽しむ技術も発見されるのだ」ということをもう一度思い出してほしいなと。特に演劇は人と人が出会うことが本質なので、演劇をやっている人間としては“出会い”の大切さを、声を大にして訴えたいですね。

──まさに今回、本作が「東アジア文化都市」という場で上演されることは、日本、中国、韓国の3カ国が文化プログラムを通して交流を深めることを目指す「東アジア文化都市」のコンセプトにふさわしいなと思います。

本当に。「東アジア文化都市」は、今ある意味ホットになってしまった日中韓3国を対象とする事業ですが、その中で文化という回路がいかに大切かを改めてクローズアップしていると思います。例えば経済、つまり産業とかプロダクト、製品という面だけ見ていくと、日本人と韓国人の価値観の違いってあまり意識できないと思うんです。サムスンのスマホを使うという土俵の上では、日本人も韓国人も同じじゃないかと思ってしまいますから。でも「その人にとって何が一番大事か」という価値観の点では、日本人と韓国人は実は全然違っていて「え? そんなことを大事にするの?」と思うようなことは、日本から一歩外に出ればたくさんある。そんな異なる価値観を混ぜ合わせ、マジックを起こすこと……例えば水素と酸素を混ぜ合わせて水を作り出すようなことができるのが人間の知恵なんだと、文化芸術を介してもう一度確認し合えたらと思います。