「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」宮城聰と中島諒人が語る、“これまでのつながり”から生まれたSPAC×鳥の劇場「友達」そしてSPAC新作「白狐伝」

ゴールデンウィークの静岡を賑わす「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が、2024年は4月27日から5月6日にかけて全7日間開催される。今年は国内外のアーティストによる5作品がラインナップされているほか、同時開催される「ふじのくに野外芸術フェスタ2024」ではSPACの新作「白狐伝」が披露される。

SPAC芸術総監督で「ふじのくに⇄せかい演劇祭」をプロデュースする宮城聰は、3月に行われたプレス発表会(参照:20年後も身体に残っていくものを、「せかい演劇祭2024」に宮城聰が意気込み)で、「20年後に『あれを観ておいてよかったな』と思えるような体験を提供したい」と芸術祭への意気込みを語っていた。本特集では宮城と、鳥取県鳥取市で2006年から活動を続けている鳥の劇場の芸術監督・中島諒人の対談を実施。「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」でSPACと鳥の劇場による初の共同制作「友達」を演出する中島には作品や創作に対する思い、宮城には「白狐伝」に対する構想を聞いたほか、地域に根ざした活動を続ける2人に、劇場や劇団への思いを聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 牧田奈津美

宮城聰×中島諒人が語る「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」

「友達」という作品のポテンシャルを、改めて引き出す

──今回、SPACと鳥の劇場の共同制作により安部公房作「友達」が上演されます。このアイデアはどのような形で生まれたのでしょうか?

中島諒人 SPACと鳥の劇場はこれまでも、上演という形だけでなく、スタッフの研修で鳥の劇場のメンバーがお世話になるなど、関係性がずっと続いていました。ですので、規模感は違いますが、SPACには親しい感覚を感じていたんです。それで今回、私から宮城さんに「ぜひ何か一緒に作品作りをさせていただきたい」とご提案したところ、「せかい演劇祭」の1演目として上演させていただけることになりました。演目については、せっかくSPACでやらせていただくのだから世界性のある作品を……と考える中で、安部公房の作品が良いんじゃないかなと思い至って。安部公房は、かつては世界的にも高い評価を得て、よく上演されていましたが、最近はあまり上演されないなと感じていました。なので「『友達』はどうでしょう?」と宮城さんにご提案したところ、ご賛同いただきました。

宮城聰 中島さんがおっしゃったように、俳優1人が客演する、というような関係性は何年も前から続いていたんですけれども、「次はぜひ、鳥の劇場の俳優とSPACの俳優で1本作りたい」というご提案を中島さんからいただき、それならばぜひ、「せかい演劇祭」の野外劇場で上演する演目を中島さんにお願いしたいと考えたんです。というのも、実は僕も2年前くらいから安部公房をやろうかなと考えていて、具体的に作品本数も3本までに絞り込んでいたんです(笑)。ただ僕は、もう少し時間をかけないとできない気がしたので、24年度は予定しなかった……という状況だったので、中島さんからのご提案は、まさに奇遇だなと思ったんです。

左から宮城聰、中島諒人。

左から宮城聰、中島諒人。

──宮城さんの“絞り込んだ3作品”の中に、「友達」は入っていたんですか?

宮城 入っていませんでした(笑)。変な言い方になりますが、僕はちょっと穴場を狙いたいという気持ちがありまして。「友達」はかつてよく世界で上演されていて、面白いことに旧社会主義圏でもよく上演されていた作品です。でも僕が演出するなら、まだあまりやられていないような作品がいいなと思っていました。

中島 確かに以前は、いろいろな国の国立劇場などで「友達」が取り上げられていましたよね。でも最近は、海外でも日本でもあまり上演される機会がなくなってきた。それはもしかしたら、「友達」という作品のポテンシャルを、まだみんなが発見できていないせいではないかと感じて。なので、今回の上演が「友達」という作品の再考察につながればいいなと思っています。

──「友達」では、結婚を控えたある男の部屋に、“家族”らしき一団がやって来て、男の生活と人生を乗っ取っていきます。異なる価値観を持った人たちが遭遇する、という作品のコンセプトと、2つの劇団のメンバーが一堂に会すという今回のプロジェクトには通じるものがあるのでは、と想像するのですが、稽古の様子はいかがですか?

中島 先ほど申し上げたように、SPACと鳥の劇場はこれまで交流がありましたし、私自身、例えば演劇において身体をどう考えるか、言葉をどう扱うかということに関しては宮城さん、そして鈴木忠志さんから多くのことを学んでいます。だからいわゆるプロデュース公演のように、身体のそろえ方、演劇に対する考え方を合わせるというようなところから始めないといけない、ということはまったくなく、余計なストレスやコンフリクトのようなことは全然ないです(笑)。

一方で、「友達」の面白いところは、この家族が集団でありながら1人ひとりの“我”が強いというか、個性がすごく強いところなんですよね。演劇的にはやっぱり、とある集団の中でいろいろな考え方がぶつかり合って議論になるとか、1つの言葉の定義をめぐって考え方の違いが浮き彫りになるところを表現したいし、その際に1人ひとりの個性が強いと非常に面白い。なので、俳優たち各人の個性をしっかり引き出しながら、それぞれの“違い”を際出たせていきたいなと思って、今、試行錯誤している途中です。

──“密室劇”である「友達」を、野外劇場で上演するというところも興味深いポイントです。野外という空間をどう生かしますか?

中島 野外空間ですが奥を闇にすることで密室性が出せると思っています。また近くに自然が息づいていて、その息吹が感じられることによって、人間がぎゅっと身を寄せ合い、お互いを温め合いながら生きている感じが表せるのではないかと思っています。もう1つには、「友達」の重要な要素って、最後に彼らが、いわば世界に向けて再スタートしていくところ、密室から出てどこかへ向かっていくところにあると思っていて。ラストまでエネルギーを積み上げつつ、家族が別の人を求めてわーっと外へ出ていき、再び世界とつながって共に呼吸し始める……そういった瞬間を描くうえで、野外空間はメリットがあるんじゃないかと思っています。

「友達」フライヤー

「友達」フライヤー

──また、本作に登場する“家族”を、中島さんがどういう集団だと捉えていらっしゃるかも気になります。

中島 基本的に家族というのは血縁関係を前提としたものだというのが伝統的な考え方だと思いますが、それに対して現代はそれだけではない、という話になってきていますよね。本作の“家族”もおそらく、血縁で結ばれた家族じゃないですよね。擬似的な家族なのかなって私は感じています。「今日から私がお母さんってことになるからね」とか「じゃああんた、長男やりなさい」みたいな感じで。そうやって擬似的に、家族らしく振る舞うことで彼らが何かしら結束し、心の安らぎを得ているところがあるのかなと思います。私が今なんとなく感じているのは、世の中から排除された人たちの集合体、ということなのかなと。そういった擬似的な集団だと考えると、彼ら1人ひとりが担うべき役割を担いながら、生きていくため、前に進んでいくために支え合っている。そういう集団性のあり方というのはとても現代的だし、血縁だけではない、“生きていくための家族像”というのは、実は現在の世界では普通のことなのかなとも思いますね。

昨年の「せかい演劇祭」からアイデアが湧いた「白狐伝」

──続いて、SPACの新作「白狐伝」についてもお伺いします。先日の会見で宮城さんは、これまで岡倉天心に関してそれほど触れてこなかった、とおっしゃいました。それにも関わらず、今回「白狐伝」に焦点を当てることにしたのはなぜですか?

宮城 実は昨年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」(参照:東アジア文化都市・静岡としての思いをもとに…宮城聰とウォーリー木下が語る「ふじのくに⇄せかい演劇祭」「ストレンジシード静岡」)で、韓国からベテランのアン・ウンミさんと若い作り手の作品を招聘しました。その若い作り手の作品が、パク・インへさんによる「パンソリ群唱~済州島 神の歌~」で、これは韓国の民俗芸能に新たな趣向を取り入れた、とても面白い作品だったんです。というのもパンソリって、もともとは1人の歌い手が打楽器のリズムに合わせて語るもので、日本で言うと、例えば能楽のシテみたいなものなんですが、「パンソリ群唱」はそれを6人のアンサンブルで見せるものだったんです。複数の人が同時に歌うパンソリはほかにもありますが、「パンソリ群唱」では本来1人で歌うところも役に分けて歌っていて、コーラスでパンソリをやるというのはおそらくこれまで誰もやってこなかった新しい手法だったのではないかと思います。さらにここで語られるのは、済州島に伝わるある家族の物語で、このお話の“古怪さ”が普遍性につながり、“韓国のローカルな芸能を見ている”という感覚よりも“人間社会のある層には、どこにもこういった古怪さがある”と感じられるような作品になっていました。

その後、こういった古くて普遍性がある題材は日本にもある気がするぞ……と考えていたところ、「ああそうだ、説経節がすごく似てるな」と気づいたんです。パンソリってそもそも5曲くらいしかないんですが、説経節も5曲ぐらいしか残っていないし、パンソリは太鼓(プク)のリズムに乗せて語られますが、説経節も三味線が取り入れられる前はササラという一種の打楽器に乗せて語られていました。そういった点で、ササラ時代の説経節とパンソリは、似ていると思うんです。また、昨年の「ふじのくに野外芸術フェスタ2023」で、僕は「天守物語」を上演したんですけれども、これが約1時間ぐらいの作品で、野外ではやっぱり短いもののほうが良いなと思って(笑)。その2つの観点から、次に駿府城公園でやる僕の芝居は、説経節を基にした短いものにしようと昨年から考えていたんですよ。

宮城聰

宮城聰

──そうだったんですね!

宮城 それで、さてどの作品にしようか、説経節でも短いものはないか、と考えていく中で「信太妻」があるなと思いつき、そこからとんとん拍子で決まりました(笑)。ただ「信太妻」って、説経節自体のテキストが残っていないんです。おそらく文楽や歌舞伎でやられている「芦屋道満大内鑑」があんまりよくできていたから、それ以前の形が捨てられちゃったんじゃないかと思うんですけど。そんなときにふと思い出したのが、この天心の「THE WHITE FOX」だったんです。

──なるほど、そこにつながるのですね。

宮城 天心の「THE WHITE FOX」の存在は、実は少し前から知っていました。というのは年に一度、静岡で「世界お茶まつり」というイベントがあり、2019年に開会式でSPACに出し物をやってほしいというリクエストがあったので、角川ソフィア文庫の大久保喬樹訳、岡倉天心「茶の本」を買って読んでいたんです。短いものなのですぐ読めたのですが、そこに評伝が載っていて、天心の最後の作品は戯曲の「THE WHITE FOX」であること、その作品では人間と自然の関わりが描かれていて、ヨーロッパ式の自然を制覇していく姿は人間の傲慢であると考えた天心が、自然との和解というか、自然に対する見方を変えようとして作った作品だとあり、「これだ!」と。作品のバックボーンとしても、これが天心唯一の文学作品だということ、「THE WHITE FOX」を書いて半年くらいで彼が死んでしまい、テキストは書き終わっているけれどまだ上演されたことがない作品であることも良いと思いました。こういう作品に、僕は飛びつきたくなっちゃうんです(笑)。

──SPACの作品紹介には、音楽劇と明記されていました。今回はどのように音楽性を意識されていますか?

宮城 いわゆるミュージカルやオペラとは違いますが、僕が以前から取り組んでいるセリフの音楽性、日本語をどうやって音楽的に語るかということを考えたものになります。また、何十年も一緒にやってきている棚川寛子さんと組む新作で、彼女との創作では、俳優の仕事として動きとセリフと音楽を全て同じ比重で考えていきますから、今回も俳優が演奏も演技も同じようにやるという点で、音楽劇と言って間違いないと思います。

左から宮城聰、中島諒人。

左から宮城聰、中島諒人。

鳥の劇場は、“旅人”の人間味を思い出させてくれる

──気になるのは、SPACが新作を立ち上げるタイミングで、SPAC作品でいつも大きな役割を担う俳優さんたちが今回、「友達」にキャスティングされていることです。

中島 いや、それは私も気になっていました(笑)。宮城さんから「友達」に出演いただけるSPACのメンバーを聞いて、「……いいんですか?」と言ってしまったくらい。

宮城 (笑)。そうですね……僕はいつも、俳優にとってマンネリじゃないシチュエーションを作りたいと思っているんです。もちろん僕は、同じメンバーでやり続けることが何よりも大事だと思っています。ただ当たり前ですが、どの作品でも何かしら新鮮味が必要で、そのためには集団内のヒエラルキーみたいなものを攪乱させることも重要です。一方で俳優には当然のことながら“俳優としての技術の勾配”もあるわけで、アーティストとして対等だという話と、技術に勾配があるということは両立させないといけない。僕が言ったヒエラルキーというのはそういうわけです。……という中で、今回のような共同制作の機会があると、いたずらに集団を動揺させることなく、新鮮な座組みができるなと思って。例えば今回は、中島さんの演出を受けたことがある俳優たちに「友達」に出てもらうことにしたので、結果、ベテランの多くが「友達」に出演することになりました。

中島 ぜいたくなキャスティングになりました! これで芝居がつまらなかったら、全部俺のせいだ!

一同 あははは!(笑)

──鳥の劇場の俳優さんにとっても、キャストの半数がSPACの俳優だと、これまでとは違う体験になりそうですね。

中島 そうですね。やっぱり刺激を受けていると思いますよ。優れた俳優と同じ空間にいるということ、そして共に本番の舞台に立つということは、ある種の学びになると思います。

──また、2006年に立ち上げられた鳥の劇場は、まもなく20周年を迎えます。開館以来、鳥の劇場芸術監督を務められている中島さん、2007年にSPACの芸術総監督に就任された宮城さんは、ある意味同じ時期に東京以外の場所で、劇場文化の開拓と推進に取り組んでこられました。今や全国各地の劇場で自主企画公演が行われたり、地域と密着した多彩な取り組みが行われるようになってきましたが、地域の劇場にかかわるようになってから現在まで、お二人は劇場を巡る状況の変化をどのように感じていますか?

中島 そうですね、確かに僕と宮城さんは同じ時期にそれぞれの劇場に携わるようになったのですが、鳥の劇場はずっと、野良犬みたいな存在だと思っています。使われなくなった体育館を使い、劇場の面白さや演劇の価値を知ってもらえたらと、地道に活動を続けてきて……でも劇場としては、実は建築基準法や消防法の問題がありました。ただ近年、国の交付金や鳥取市、鳥取県の援助もあり、ちゃんと劇場として稼働できるようにハードの整備が進んでいます。その点で、地域の中で劇場というものがあらためて可視化される段階に入ってきたという気がします。再来年で20年になりますが、それは大きな節目になりますし、コロナ禍によって正直やはりお客さんが減って、なかなか苦しいところはあったのですが、20周年を機に、地域の中でもう一度劇場の存在価値をアピールする機会にできたらなと思います。その1つとして、今回のように、鳥取だけでなく静岡でも作品を上演し、鳥の劇場の成果を広く見ていただく機会をいただいたことも大切だと思います。

中島諒人

中島諒人

宮城 僕の場合は、もともとインディペンデントに劇団をやっていて、2007年に公立劇団、県が作った劇団としてオーソライズされている存在に入り、民間から公職になったわけです。すると、例えば県庁から派遣で来ている人が、予算を正しく使えているかチェックしにくるということが起こるわけで、そのようにきちんとした枠組みの中に入って対応し続けるうちに、インディペンデントの頃のスピリットみたいなものが薄らぐ部分があって。単純に言えば、インディペンデントのときは下手をすればすぐに(劇団が)潰れるといつも思っていたわけだけれど、今はそうすぐには潰れないという気持ちになる。その“潰れない”ということが、ある種の影響というのかな、芸能者の原点みたいなものを薄めていくところがあり、何か安定した基盤の上に立っているような気分になることがあるんです。本当は公立の劇団だろうがインディペンデントの劇団であろうが、演劇をやっている人は一生涯旅をしているようなもので安定するわけはないんだけれど、その精神を忘れそうになることがあって、そういうときに鳥の劇場さんへ行くと、原点を思い出します。社会のヘリにいるからこそ、社会のことがよく見えるというか、旅人としての人間味のあり方みたいなものを思い出させてくれる。だから鳥の劇場へ行くと、俳優たちもみんな心を新たに戻ってきますし、その点で鳥の劇場は本当に偉大だなと思います。

プロフィール

宮城聰(ミヤギサトシ)

1959年、東京都生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。1990年にク・ナウカを旗揚げ。2007年に、SPAC芸術総監督に就任。2017年に「アンティゴネ」をフランス・アビニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演した。代表作に「王女メデイア」「マハーバーラタ」「ペール・ギュント」など。近年はオペラの演出も手がけ2022年にフランス・エクサンプロヴァンス音楽祭にて「イドメネオ」、ドイツ・ベルリン国立歌劇場において「ポントの王ミトリダーテ」を演出した。2004年に第3回朝日舞台芸術賞、2005年に第2回アサヒビール芸術賞を受賞。第68回芸術選奨文部科学大臣賞(演劇部門)受賞。2019年4月にフランス芸術文化勲章シュバリエを受章。

中島諒人(ナカシママコト)

1966年、鳥取県生まれ。大学時代に演劇活動を開始し、卒業後劇団を主宰。2006年、鳥取の廃校になった小学校と幼稚園を劇場に変え、鳥の劇場をスタートさせた。これまでの主な演出作品に「老貴婦人の訪問」「剣を鍛える話」「三文オペラ」「葵上」など。「東京芸術祭2019」で野外劇「NIPPON・CHA! CHA! CHA!」を手がけた。2003年に利賀演出家コンクールで最優秀演出家賞、2010年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。BeSeTo演劇祭日本委員会代表。