文学座附属演劇研究所と「おやこ小学校」が向き合う“教えること、教わること”のススメ


1961年に創設され、これまで数多の演劇人を輩出してきた文学座附属演劇研究所。文学座の創立宣言に「名実ともに現代俳優たり得る人材の出現に力を尽くしたい」とあるように、社会の変化に寄り添いながら、時代時代の俳優にとって必要なカリキュラムや鍛錬の場を、研究所は提供してきた。現在の文学座附属演劇研究所を牽引する1人、主事の植田真介は、自身も俳優として第一線で活動しながら、求められる俳優像の変化を敏感に感じ取り、研究所に新風を送り込んでいる。

そこで本特集では、植田が“今、とても気になる人”を招き、文学座企画事業部の鈴木美幸も交えて座談会を実施。気になる人とは、「おやこ小学校」などの活動を通して、“学び”や“親子”の新たな関係を模索するコミュニケーションコーディネーターのYORIKOだ。取材は9月下旬、「東京芸術祭2024」の1プログラムとして実施された「かぞくアートクラブ」の会場にて行われた。カラフルで温かみのある、教室を模した空間に足を踏み入れた瞬間、植田と鈴木はパッと明るい表情を見せ、入り口まで駆け寄ってきたYORIKOともすぐ打ち解けて、和やかに座談会が始まった。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆

研究生たちが求めるものの変化

──まずは皆さんが、それぞれの活動に関わるようになったきっかけを教えてください。植田さんは文学座の俳優で、文学座附属演劇研究所の主事。鈴木さんは文学座の企画事業部所属で、主に公演制作をご担当です。YORIKOさんはグラフィックデザインのお仕事をする傍ら、「おやこ小学校」などのイベント事業も展開しています。

植田真介 僕はもともと俳優になりたいという思いがあって、俳優の中でもライブで観せる演劇が一番面白そうだなと思い、高校を卒業して文学座に入りました。そこから10年くらいずっと俳優だけをやっていたんですけど、2010年に文学座附属演劇研究所で募集をかけてもちょっと反応が鈍かった時期があって、そのときに僕が「インターネットをもっと活用したらどうだろうか」と言い──劇団だと言い出しっぺがリーダーシップを取らなきゃいけなくなることがよくあるので(笑)、僕が担当をやることになって。そこから少しずつ研究所との関わりが深くなり、最初は広報だけだったのが生徒の悩みを聞くようになり、予算組に関わるようになり、カリキュラムを組むようになり……とだんだん責任が重くなっていって、今や主事として関わるようになったという形です。

植田真介

植田真介

鈴木美幸 私は高校生のときに演劇部に入って演劇活動を始めたんですが、自分で公演をやりたいなと思って場所を探したところ、高校生では公民館や劇場って借りられないんですね。“表現したいのに場所が借りられないのっておかしくないかな”と思ったことがきっかけで、大学でアートマネージメントを学ぶことになりました。勉強するうち、演劇を作る組織として劇団があるのはすごく興味深いなと感じて文学座に就職しました。それで、企画事業部という部署で公演の立ち上げだったり、チケットを販売したりという、いわゆる演劇制作や、地域の会館さんと提携を組んでワークショップを企画し、文学座の座員を講師として派遣する、ということもやっています。また2012年から毎夏、「こどもげき」をやっておりまして、これは未就学児も参加できる、音楽と工作と芝居を楽しめるプログラムなんですけど、子供はなんと100円で参加できます。

YORIKO 100円! それはすごいですね。

鈴木 なんとかそれで12年やってきました(笑)。

鈴木美幸

鈴木美幸

YORIKO すごい! 私もざっくり自己紹介しますと、グラフィックデザインの専門学校を出たあとにイギリスに行って感化されてしまい、イギリスの大学でファインアートめいたことをやっていたんですね。アーティストになりたい!という一心で、二十代は芸術祭やレジデンスプログラムなどに応募して地域に乗り込んでいく、ということをひたすら繰り返していたのですが、その中で生まれた企画が「おやこ小学校」でした。でも三十代に入って、アートとデザインについて見つめ直した結果、デザインの考え方が自分には性に合っているなとわかり、4年ほど前にニューモアという会社を立ち上げまして、今は10人ほどのメンバーとデザイン制作を行なっています。普段はパソコンを使って広告や店舗装飾などのグラフィックデザイン制作を中心にやっています。

ただこの「おやこ小学校」という企画には、私自身思い入れが強くて。最初は2016年に香川県の小さな町で始めたアートプロジェクトでしたが、その後、東京デスロックの多田淳之介さんにお声がけいただいて、「東京芸術祭」の枠組みで始めたのが2019年です。その後、「東京芸術祭2021」の際にはステージナタリーの特集でも宮城聰さんとお話しさせていただきましたが(参照:「東京芸術祭2021」宮城聰とYORIKOが初対談「舞台芸術を通して、違いや弱さを許容し合える社会を」)、宮城さんが芸術総監督を務めていらっしゃるSPAC(静岡県舞台芸術センター)で「すぱっくおやこ小学校」がスタートしました(参照:SPACの俳優たちも講師に、「すぱっくおやこ小学校」静岡で開講)。以来、SPACの皆さんとはなかなか濃いお付き合いをさせていただいております。演劇って、やっぱり人と人の距離が一気に近くなれる力があって、関わる人たちも面白い人が多いので、本当に好きです。皆さんそれぞれに哲学があるなと感じます。

YORIKO

YORIKO

植田 YORIKOさんは過去のインタビューで、「おやこ小学校」を始めたきっかけに東日本大震災が関係しているとおっしゃっていましたよね? 被災地へボランティアに行って“人と人で何かをやる”ことのすごさを実感し、“人と人で何かをやる”ことに興味が湧いたからだ、と。実は僕も、子供に関わるとか教育に興味を持ち始めたのが同じタイミングなんです。そして今文学座附属演劇研究所に入ってくる十代、二十代の子たちは、東日本大震災やその後の社会状況の変化を小学生の頃に経験している子たちで、もう少し社会に関わりたい、溶け込んでいきたいという思いや、「どうぞおいで」じゃなくて「こっちから行く!」という思考を持った子たちが、ちょうど進路を考える年齢になってきたのかなと思います。それもあってか、これまでは「俳優になりたい、演技をしたい、こういう番組に出てみたい、こういう役をやってみたい」という欲求が強い子が多かったんですけど、最近は“演技をするだけじゃなくて、演劇を通じて社会とどう関わっていけるか”を考えている子がすごく多くて、「こどもげき」や一般の人向けのワークショップに興味を示す子が増えているんです。であれば今後、俳優を育てるときにこれまでとは違ったカリキュラムも考えていく必要があるんじゃないか、と思っていて。と同時に、教室の空間についても、研究所の教室ってブラックボックスで、“演劇のことしか考えちゃいけませんよ”というような(笑)、ともすると堅苦しさがある空間なんですけど、もっと生活からスッと表現の世界に入っていけるような空間にできたらなと、考えていたりするんです。だから、この「かぞくアートクラブ」の空間は大変参考になります!

YORIKO ありがとうございます。初対面で入ってきた参加者の方たちの緊張を少しでもほぐす場所になるといいなと思って、こういう(と部屋を見回して)場所を作り出したところはあります。空間の力によって、少しはくつろいでもらえるといいなと思って。でも緊張も時には大事と思っていて、「すぱっくおやこ小学校」の過去の授業で俳優の方に講師になっていただいた際は、まずはオープンスペースでアイスブレイクをして、後半は劇場に移動しました。すると、スッと空気が変わって子供さんたちもハッとなり、動きがプロっぽくなる。劇場の空気感ってすごいなと感じました。肩の力を抜いてやる場と、しゃんとしてやる場があるのって、すごくいいことだなと感じています。

鈴木 出会い方は大事ですよね。アイスブレイクっていうお話がありましたが、「こどもげき」では、子供たちにどうやったら「ここはあなたたちがいていい空間なんだよ」と感じてもらえるかを考えて、その1つとして稽古場の真っ暗な壁にチョークでお絵描きをしていいことにしたんです。そうしたら子供たちに好評で(笑)。そのまま、お絵描きでいっぱいの稽古場で上演をすることにしました。

YORIKO それはすごく良いですね!

親も講師も“同じ人間”──そこから新たな関係性が生まれる

植田 「おやこ小学校」は、小学生を対象にしていて、親子を同級生という設定にしていますよね。そういった枠組みや、カリキュラムの内容はどのように決まっていったのですか?

YORIKO ライトな説明の仕方と、ちょっと重い説明の仕方の二つがあるんですが……(笑)。ライトな説明としては、二十代の駆け出しの作家の頃、子供さんたちと遊び場を作るということをあちこちでやっていたんですけど、保護者の方がお子さんを見送りに来て見守っているという姿をよく見かけたんです。だったら一緒にやったほうが楽しいのになと思って、親子で一緒に参加するスタイルを考えてこの形になりました。重い説明をすると……親が考えていることをもっと子供のうちに聞けたらよかったな、という私自身の振り返りがあって。子供の頃って親は、なんというか完成された存在で、自分が思春期のとき「自分の世界はこんなに苦しいのに大人はラクでいいよな」くらいにしか思っていなかったんですけど(笑)、成人して久しぶりに実家に帰ったときに母の日記を目にして、かつて家であったことやそれについての母の当時の苦悩を知って、じわじわと衝撃があったんです。それで、親の内面や考えをもっと小学生のお子さんたちも知れる機会があったら良いなと思って、「おやこ小学校」をスタートさせました。

「おやこ小学校」では、小学生と保護者さんの2人1組で“同級生”として参加してもらいます。講師はさまざまな“専門家”の方にお願いするんですが、例えば座学から体を動かすワークへと展開していったり、フィールドワークから家族の話に展開していったりと、1回のコマの中で起承転結があるんです。授業の中で親子が同級生になっていくのは、前方に教卓があるっていうことが大きいようで(笑)、教卓の前に立っている人が先生、それ以外は同級生、という感じに自然となっている気がします。また講師の方には、なるべく大人の余裕を剥がすようにしてもらっていて、そうすることによって子供たちも、「大人も失敗するんだ」とハードルが下がり、親子でチームメイトになりやすいんじゃないかと思っています。ちなみに授業では「お父さん、お子さん」という言葉は極力使わずに、「大きなお友達、ちいさなお友達」と呼ぶようにしています。

植田鈴木 なるほど!

──植田さんも研究所では、講師というよりも俳優の先輩として、リアルな俳優の姿、日常を研究生の方たちに伝えることを大事にしている、とおっしゃっていましたよね。

植田 そうですね。演劇の講師って“365日演技のことしか考えてないです!”というような人たちがやっていると捉えられがちなんですけど(笑)、研究生たちが知りたいのは、俳優がどんな生活、どんな日常を送っているかということ。例えば僕は結婚していますし、日々の生活ではこんなこともあって、演技してないときはこんなことをやっていて……など、自分自身のことを伝えるようにしています。

YORIKO 意外です! 私も確かに、俳優さんって365日演劇のことを考えているんじゃないかって思っていました。

一同 あははは!

植田 文学座のテキストの「基礎訓練」の1ページ目に、文学座の大女優だった杉村春子さんの言葉が載っているんですけど、「魅力ある俳優になるには、日常生活においても魅力ある人間でなくてはならない」という一節があって。僕らからすると、杉村さんはおおよそ365日、演劇のことしか考えていない方だろうと、ある意味神格化して考えてしまっていたんですけど、実はその杉村さん自身が何十年も前に、ライフワークバランスについて語っているという(笑)。実はそのことも、僕の中では大発見でした。杉村さんは旅行に行ったり、演劇に関係ない方と手紙のやり取りをしたり、そういう時間をとても大切にしていたと聞いたことがあって、なるほどなと。その塩梅ってすごく難しくて、俳優は台本を渡されればずっとそのことばかり考えてしまうんですけど、でも何か作品を作るときには、実生活で得たものが作品の糧になる。だから糧を作る時間はちゃんとあったほうがいいし、そこを広げられたほうが良いということだと思うんです。もちろんそれは俳優に限らず、あらゆる業種に言えることだとは思うんですけど、仕事をしすぎるとやっぱりバランスが悪くなっていく、ということなんじゃないかなと思っています。

YORIKO すごくわかります。これは私の持論なんですけど……「“作品”と呼ぶかどうか」が境目な気がしていて。例えば私がアーティストになることを目指していた頃と、デザインを仕事にすることにした今では、こだわり方が違うんです。美術を志しているときは「“作品”を作るんだ!」と思っていましたし、己の限界を突破して(笑)、24時間費やしてなんぼのものっていう気持ちがありました。でもデザインの仕事に関しては、作っているものを自分ではあまり“作品”とは言いませんし、気持ちのうえでも、仕事を頼んでくれた人のために一生懸命作る。スケジュールの中できちんと完成させることが大事。実際私は、後者のほうが満足感を得られた、ということがあったんですよね。

植田 その考え方、僕の中ではかなりドストライクです(笑)。それって、ベクトルの違いということなんでしょうか? “作品”となると自分のため、仕事になると誰かのため、という形になるというか。

YORIKO 優先度の問題かもしれませんね。自己表現を優先するのか、ニーズを優先するのか。ただ自己表現を優先して作ったものが誰かの気持ちを動かして、結果新たなニーズを生み、仕事になっていくということもあると思いますが。

──優先度という点では、普段の文学座の本公演と「こどもげき」も、大きく違いがありそうですね。

鈴木 違いますね。今のお話で言えば、本公演では作家や演出家がこういう作品を作りたい、という思いを重視して作品を作っていきますが、「こどもげき」の場合はある意味デザイン寄り、仕事寄りの発想で子供たちが観たい芝居ってなんだろう?ということから物作りをしていきます。