文学座2020特集 鄭義信×松本祐子×マキノノゾミ×西川信廣 座談会|相性がキモ!? 文学座が生み出す劇作家×演出家コンビの魅力

明治の若者のモヤモヤを、学生運動後のロック雑誌編集者に乗せる「昭和虞美人草」

──では、今年文学座で上演される新作についてお聞きします。まずは夏目漱石の「虞美人草」を昭和に置き換えたマキノ&西川コンビの「昭和虞美人草」が6月に控えていますが、原作から何を抽出して描きたいと思っていますか?

マキノ 僕、「虞美人草」を読んだのが大学に入った、1979年の夏だったんです。その年の初めに放映された向田邦子さん脚本のドラマ「阿修羅のごとく」の中で、いしだあゆみさんが図書館秘書の役で「虞美人草」を読んでたの。

松本 うん、うん!

 あー、はいはい。

左から西川信廣、マキノノゾミ。

マキノ それがちょっとカッコ良くて(笑)。それで、「虞美人草」を読んだんです。比叡山を登るシーンから始まるんだけど、僕は当時京都の岩倉に下宿していて比叡山の下にいたから、これも縁だと。でも僕は漱石は「吾輩は猫である」が異常に好きで、それに比べたらそれほど諧謔的なものではないから、そのときは読んですぐ忘れちゃったんですね。だた、終盤で宗近君が友達の小野君に「お前、真面目になれよ!」って言いに来るシーンがあって、そこがすごく良くて、それだけ覚えてたんです。ちょうど6、7年くらい前に、内田樹先生が「虞美人草」のそのシーンについて書いたエッセイを読んで、懐かしくなって25年ぶりに読み返してみたら、また同じ場面でグッと来たんですね。そのとき、最後のヒロインの藤尾が憤死する場面でわっと舞台のイメージが沸いて、芝居にしたいなと。まあ文学座だから漱石なら文句出ないだろうっていう、割とイージーな読みもあって(笑)。でも、そのまま「虞美人草」を舞台化しようとしたら、例によって西川さんが「面白いかな?」「これ大丈夫?」とか言うからさ……(笑)。

西川 あははは。

マキノ なので、ストーリーの基本ラインや登場人物は同じだけど、時代設定を変えてオリジナルの物語にしようと、昭和初期や現代など、時代をいろいろ当てはめて考えた結果、団塊の世代と言われる人たちがちょうど大学を卒業した、1973年あたりが良いなと思ったんです。漱石が「虞美人草」を書いたのが明治の終わり頃。「虞美人草」は漱石が朝日新聞に入社して初めて書いた長編の連載小説なんですけど、内田先生のエッセイによると、日露戦争が終わって、これから世界の中の日本人としてどう生きていけば良いかわからない明治の青年たちに向けて、漱石が「虞美人草」を通して1つのロールモデルを示したんじゃないかという話だったんです。そういう時代に似ているのは、敗戦を第2の明治維新、ドラスティックに社会が変わった出来事と考えるなら、そこから年数が経って60年安保、70年安保という学生運動の高まりが挫折してポカンと“しらけ世代”と呼ばれた頃。その当時の若者に、ちょっと似てるんじゃないかと思って。

──「体温の高い溌刺とした群像劇」になるということですが。

マキノ YouTubeで戦前に映画化された「虞美人草」を観たんです。そうしたらめっちゃしんねりしたメロドラマって感じで、全然印象が違った。僕が原作からイメージしてたのは、もっとバカバカしさや、もうちょっと溌刺とした明るさなんです。でも1970年代っていうのも、すでに時代劇を書いている感覚ですからね(笑)。今は一生懸命に自分なりの当時の記憶をたどりつつ書いているところです。この先、どんな化学反応が起きて、どこに着地するかまだわからないですけど。

西川 1970年代にした理由はちゃんと聞いてなかったけど、なるほどね。俺は団塊の世代の末期だから、「70年安保が終わってこの先どうしたら良いの?」っていう感じはあった。

マキノ じゃあまさに西川さんか!

松本 世代はそうじゃないですか。

 それこそ大学で角棒を振り回している方から、延々と学生運動について講釈を聞いたんですけど、全然わからなかったです。セクトとかも全然……。どういう違いなの?って。

マキノ でもね、それは本当に学生のごく一部なの。当時の大学進学率は今より低いわけだし、日本の大部分だった農村の若者たちはノータッチ。ノンポリの学生も多くいたし。で、今回は、ロック雑誌をやってる若者たちの話にしてます。ちょうど「ロッキング・オン」とか創刊された頃なので、そんなイメージでロック雑誌を作ってる人たちが主人公。だから会話が基本くだらないんですよね。

一同 あははは。

「五十四の瞳」では、“教育”という原初的な人間の熱意を描きたい

──鄭さんが書き下ろす「五十四の瞳」は、朝鮮人学校のお話ということですが、頭の中にあるイメージを教えていただければ。

左から松本祐子、鄭義信。

 まだ全然書けてないんです。戦後間もなく、阪神教育闘争という大きな事件がありました(編集注:1948年、GHQの要請で日本政府が出した「朝鮮人学校閉鎖令」を受け、反対する在日韓国人・朝鮮人・日本共産党による大規模な暴動が大阪・兵庫で起きた)。僕の実家がある姫路の近くに家島という島があるんですが、そこでは採石業で戦前から朝鮮人労働者が集まって、自分たちで朝鮮人学校を建てたんです。島に1つしかない学校に入学した日本人の子供たちが「アボジ、オモニ」という言葉を覚えて帰ってきたというエピソードや、閉鎖が決まっても島長が「表向きはそうしておいて、調査が来たら潰しましたって言いましょう」と島民と口裏を合わせて大阪万博(70年)の前くらいまで存続させていたという話が気に入って(笑)。でも、取材を始めたら当時の関係者が全然つかまらなくてね。

松本 はいはい。

 書くときは1行くらいしか使わなくても、当事者に会って話を聞いたことが核になったりするし、これだっていうのがあれば飛びついてやれるんですけど、今のところまだ。今は時代の流れの中で、朝鮮人学校を廃止しようとか、日本政府は助成金を卸さないと決めているけど、民族学校を作ろうとした最初の人の熱意は、もっと原初的。自分の息子や娘に教育を受けさせたい、それも朝鮮語で、という想いは並々ならぬものだし、学校を自分たちの手作りで作ったのもすごい情熱。彼らの意欲や原初的な教育とは何かなどを書こうかなと思っています。ただ全然違うものになるかもしれないので、あんまり言わないでおきますが(笑)。

松本 今回の“うそシプス”を聞いたときにすごくうれしかったんです。民族的要素がここまで色濃い話を鄭さんが私に書こうとしてくれたことはなかったから。日本でも私たちの世代と今とでは、少しずつ教科書の内容が変わってきていて、何を教えるかはとても大事だし、教え方によってはゆがんだ価値観の人間ができてしまうから怖いことでもある。言語についても、国語の授業を減らして英語の授業を増やしたりしているけど、日本語がすごく下手になったり、語彙が減ってきてしまったらどうするんだろう?と。自分たちのルーツの言葉や伝統を保守に走るのではなく、守りたい、子供たちに伝えたいと思うことって大事なことだと感じるので、こういう作品を一緒に作れるのは、すごくうれしい。

──演出家でもある鄭さんとマキノさんは、文学座でご自身の作品が上演されたときに、セリフ回しや俳優のたたずまい、演出面などで文学座の特徴を感じることはありますか?

 文学座は俳優の集まりみたいな目で見ているんで、初めて自分の作品が上演されたときは、みんな端正な芝居をされていますね……と。

西川松本 あははは。

 他人の芝居を邪魔したり、足を引っ張ったりする人たちがたくさんいらっしゃいますから。僕自身、そうでしたから(笑)。文学座はちゃんと周りのことを考えて、周囲を立てる芝居をするなあって思います。

マキノ お行儀が良いというか。

 すごく。松本祐子も、音の付け方とか、演出の導き方を見ると、なんだかんだ言って正統派なんだなって思うときがあるよ。

松本 ふふふ。

 僕たちは雑草育ちなんで(笑)。

マキノ 誰かに師事したわけではなく、無手勝流ですから。落ちてる笑いはすぐ拾いに行っちゃう(笑)。「あ、ここに良いのが落ちてるぞ」って。

 そうそう、すぐ笑かそうとする。卑しい気持ちでいっぱいなんです(笑)。

左から鄭義信、松本祐子、マキノノゾミ 、西川信廣。

多様性を重んじる文学座の気質は、稽古場にも染み付いてる

──同時代の作家の作品が上演されるのはとてもぜいたくなことですが、演出家にとって古典ではなく書き下ろしを上演する難しさや楽しみはどこにありますか。

松本 書き下ろしは舞台設定がどこであれ、書き手の社会の見方が反映されていて、そこに演出家やスタッフ、役者の見方がぐちゃぐちゃと結集していく。それが新作をやる楽しいところだと思います。

西川 特に文学座では現場で意見が飛び交うことが多いよね。

──確かに、先日稽古場を取材させていただいた「歳月 / 動員挿話」でも、自分の出番ではない俳優が冷静に意見していました(参照:セリフで掘る「歳月」、空間で練る「動員挿話」岸田戯曲に挑む稽古に潜入)。

西川 それは文学座が3人の文学者から始まっていて、多様性がベースに流れているから。その気質が稽古場にも跳ね返ってきて、皆が意見を出し合うんだと思う。俺なんか演出家としていつも不安を抱えて新作をスタートさせるけど、作っていくうちにみんなの意見がどんどん出てきて、楽しみに変わっていくんだよ。文学座で書き下ろしを演出する楽しみはそこじゃないかな。特にマキノさんは、作品を嫁に出したら「お前はそっちでかわいがってもらえ」っていう態度だから(笑)、自由な現場になるんですよね。

マキノ まあ、「つらかったら帰っておいで」だけど(笑)。ところで稽古場でトレーニングウェアに着替えてスニーカーに履き替えるのって西川さんだけ? 演出家も着替えるんだ!って不思議だった(笑)。

西川 俺だけだと思うよ。そっちのほうが楽なの、スリッパ履いてるより。稽古場でスイッチを入れるというか。昔、稽古場を観に来た先輩に「ずっと座ったままだったね」って言われたのと、イギリスに留学していたときに付いた演出家が役者出身だから、動き回るようになったのはあるかな。

左から鄭義信、松本祐子、マキノノゾミ 、西川信廣。

──今後もそれぞれのチームでのクリエーションが続くことを願いますが、先を見据えた野望などがあれば教えてください。

西川 とりあえずワン、ツー、スリーじゃないけど、文学座で3本上演したいという目標があったんです。3本目の「昭和虞美人草」の次は、今のところ何も考えていない。この作品がどうなるかによって次への展望が見えてくると思っています。

「大空の虹を見ると私の心は躍る」より。(撮影:鶴田照夫)

マキノ そうですね。

松本 この前の「大空の虹を見ると私の心は躍る」(11年)が息の長い作品になって、初演ももちろん全力で良いものを作ったんですけど、2度目になると見えてなかったことに気が付き、演出が研ぎ澄まされた。そんな、時を超えて生き続ける強度のある作品を初演で作って、再演を目指すというのが私の野望ですかね。

 促されるように松本祐子に付いてきましたけど、8作もやってるというから、少なくとも10作くらいはやれれば良いなと思います。


2020年4月7日更新