2022年5月にスタートした笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」(U-NEXT)は、大阪・帝塚山にある寄席小屋「無学」を舞台にした配信番組。毎回、シークレットゲストと鶴瓶がトークを展開している。お笑いナタリーではその第1回から、配信後に番組の様子をオフィシャルレポートとして掲載中。ゲストの魅力を引き出す鶴瓶の話術を楽しんでほしい。
文(レポート) / 川口美保
「無学 鶴の間」第35回レポート
「無学 鶴の間」
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「家族に乾杯!」で一緒にブータンへ行った
拍手とともに「きれい!」「かわいい!」と観客からの声が飛ぶ。照れ臭そうに笑いながら「初めまして」と女優の水川あさみが挨拶する。
「こんなの初めてよ! (観客との距離が)こんなに近いのね。みんなの顔、忘れないぐらい近い!」
出身は大阪府茨木市。高校のときに俳優としてのキャリアをスタートさせた水川だが、それまでは地元大阪で暮らしていたこともあり、鶴瓶と話していると、自然と関西弁のニュアンスが入り混じる。「こういうトークライブは初めて」と言いつつも、映画「後妻業の女」での共演をはじめ、「A-Studio+」や「家族に乾杯!」など、番組を通して鶴瓶とは親交を深めてきただけあって、気負うことなく、ごくごく自然体。
「だから一緒にいても、すごい気さくというか、気が合うというか。いや、そっちがどう思ってるかはわからんけど」と鶴瓶が言うと、水川は「何それ!」と大きく笑う。
鶴瓶 「家族に乾杯!」でブータン行ったよね。
水川 一緒に行きましたね。「世界一幸せな国」。
鶴瓶 (水川が)子供と一緒に歩いている光景をね、今でも思い出す。子供とよう遊んでたなあ。
水川 子供がたくさん寄ってきてね。
鶴瓶 みんなすごく楽しそうにしてね。面白い国やったな。やっぱりいいよね、まったく自分の中で免疫のない国に行って。
水川 確かにそうでしたね。で、ブータンには、唐辛子をたくさん使った辛い食べ物しかなくて、鶴瓶さん、全然食べてへんかったな。
鶴瓶 俺、よう食べられへん。なんか知らんけど辛いのばかりで、それで緑の唐辛子もあったやろ。なんかピーマンみたいな、大きな。
水川 それをそのまま食べんねんな。
鶴瓶 あんなの食べられへん。あの人ら、よう生きてはるな。ほんま、あんなんばっか食べたら死ぬで、あれ。
水川 あれとチーズをね、食べはんねんな。
鶴瓶 せやせや。えらい国やなあ。あんなん全然幸せな国じゃないわ。
水川 そんなん言うたらあかん! なんでそんなん言うの! 今、録ってんねんで!
鶴瓶 (苦笑)、いや、「俺は」やで。
水川 何言ってんの?
鶴瓶 ごめんごめん。俺もそこで生まれたら合わすけど(笑)。
鶴瓶の“ややこしい”妻
思ったことをつい口に出してしまう「脱抑制」の鶴瓶。2021年に宮沢りえ主演の唐十郎の舞台「泥人形」を観に行ったとき、鶴瓶と水川はたまたま席が隣同士だったそうで、そのときにもこんなやりとりがあったと明かす。
鶴瓶 終わったときに、みんなウワーってスタンディングオベーションやねん。俺、脱抑制やから、「なんでこんなに立つんやろ」って言うたら。
水川 難しいからね、唐さんの舞台は。
鶴瓶 こいつ(水川)、「難しいから! 難しいから!」って(笑)。それで、「宮沢りえちゃん、どこに出てたんや?」って聞いたら。
水川 「もう出てる」って。ずっと出てるのに、「どこにいつ出てくんねん」って(笑)。
鶴瓶 ワハハ!
鶴瓶と妻とのエピソードも。
鶴瓶 (自分は結婚して)52年。一緒に住み出してはもっとやな。1972年に弟子入りして、2年後に結婚したんよ。うちのやつと結婚するために入門させてくださいってうちの師匠に言うたんよ。だから頑張れるのよ。
水川 奥さんのこと「可愛い可愛い」ってよく言ってますもんね。
鶴瓶 まあまあ(笑)。いや、この前な、結婚式の写真が出てきたんよね。で、写真を見せたみんなも「可愛い可愛い」言うてくれるから、うちのやつに電話したんよ。「お前の結婚式の写真見て、みんな、可愛い可愛い言うてんで」って言ったら、一言や。「今はデブデブです」って、ブチって電話が切れた(笑)。
水川 ワハハ!
鶴瓶 なんであんなこと言う? 「ありがとう」でいいやんか。おかしいやん。
水川 ハハハ!
鶴瓶 おかしいでしょ、それは。
水川 わかった! 「みんな可愛いって言ってるけど、今も可愛いで」って言わなあかんかったんちゃう?
鶴瓶 だけど、周りに他の人もいてたから、そんなおかしいやん。「今も可愛いで」って言うの。
水川 一言添えなあかんかったんかも。じゃあ、今はどうなんや、ってことやったんかもしれませんね。
鶴瓶 ややこしいなあ(苦笑)。
結婚することで自由になれた
水川が言った。
「上(楽屋)にも写真が飾られていますよね。若い頃の鶴瓶さんと奥さんの。多分40代後半ぐらい。すごく可愛らしい奥さんですよね」
ここ「無学」は、鶴瓶の師匠、六代目笑福亭松鶴の家を、松鶴亡きあと、鶴瓶が買い取って寄席小屋にした場所。弟子時代は師匠の家の近くに住み、3年間通いで修行をし、その後、テレビやラジオで活躍しはじめてからも、師匠とは多くの時間を共にした。その頃の思い出が「無学」の楽屋には写真として飾られていて、その中に、松鶴夫妻の写真もあれば、鶴瓶夫婦の若かりし頃の写真も飾ってある。
この場所で「無学の会」をスタートさせて25年。70人ほどしか入らない「無学の会」を成り立たせ、場所を維持できているのは、「妻の理解があってこそ」と、以前、鶴瓶は話していた。「ここは、自分がやっているのではなく、師匠の家でやらせてもらっていると思ってる」と、鶴瓶にとっては大切な場所。それは入門から今まで人生をともにしてきた妻も同じ気持ちなのだろう。こうした会が開催されるときはいつも、鶴瓶の妻は、表には出ずとも、会がうまくまわるように配慮する。
この日も、「さっきまでここに来てたんやで。ここまで送ってくれたからね」と鶴瓶。水川が来るまで、2人、近くの商店街でお茶をしていたそうだ。
水川 いつも仲良しよね。
鶴瓶 うち、ほんまに仲良しやと思うね。で、やっぱりこんなこと言うのなんやけど、めっちゃ好きやからね。
水川 ふふふ。
鶴瓶 いや、めっちゃ好きやんか。それはもう最初に好きになったから嫌にはならんわな。
水川 (ニヤニヤ笑いながら)ふーん。
鶴瓶 何笑てんの?
水川 何のろけて。可愛い!
鶴瓶 そやから「今はデブデブです」って、怒られんねん。
水川 そやな。
鶴瓶 ほんまそうやと思うよ。だから結婚してよかったなと思うし、ずっと。
水川 でもそれ、会うたびに鶴瓶さん言ってる。
鶴瓶 そうか。
水川 聞いてないのに言ってる(笑)。
鶴瓶 いやいや、でも結婚ってね、女の人も解放されんのちゃうの? すごく自由になれるというか。結婚するということによって。
水川 うんうん、私はそうでしたね。すごくそうでした。結婚する前は、やっぱりいろんなことを守らなあかんこともたくさんあるけど、逆に結婚したことで、それが自由になった。
鶴瓶さんは大先輩なんやけど親戚みたいな感覚
水川いわく「鶴瓶さんは大先輩なんやけど、親戚みたいな感覚」。プライベートのそんな話ができるのも、そんな間柄だからだろうか。そういえば、と、鶴瓶が思い出したのは、水川にとって鶴瓶がいかに気がラクな存在かが伝わるこんなエピソードだった。
鶴瓶 自分も大阪なのに、ある日電話かかってきて、「どないしたん?」って聞いたら、「おいしいお好み焼き屋、知らん?」って言うから。じゃあ、わかった、調べたるわって、こうこうこうって3つくらい教えて、電話切ったあと、なんや俺?って(笑)。ナビやんか。
水川 ワハハ!
鶴瓶 でもうれしかったよ。
水川 久々に大阪に帰ってきて、お好み焼き食べたいなと思って、関西といったら、ベーさんやな、って思って。
鶴瓶 で、教えたところはかなりうまいところやったやろ?
水川 うん、教えてくれた。
鶴瓶 行ったか?
水川 ごめんなさい、行ってない(笑)。
鶴瓶 おかしいやんか!
水川 メモってはいるけど、行ってない。
鶴瓶 何の電話やねん、それ(笑)。
師匠・笑福亭松鶴の「鶴瓶操縦法」
続いて、今年放送予定の台湾ドラマ「零日攻擊 ZERO DAY」への出演について話が及んだ。台湾有事を題材としたドラマで、日本から高橋一生と水川あさみが出演し、その撮影を昨年秋に終えた水川。当然、セリフは台湾華語なのだが、「そんなんよう覚えられるなあ!」と鶴瓶が素直に感心する。
このドラマの撮影に入るまで、前の作品が終わって1カ月しかなかったという水川だが、その間に猛練習して覚えたそうだ。もちろんセリフは決まっているとは言え、「日本にない発音がたくさんあるから難しかった。でも、言ったそばから忘れていく。そうじゃないと入らへんから」と笑う。
今回、そのドラマは1話のみの出演だったが、連続ドラマの場合は、やはりセリフを身体に入れるのは大変だと水川。
「説明をしなくてはいけないとか、謎を解かなくてはいけないとかあると、すごいセリフの量やったりするわけですよ。それが随時来るわけなので、吐きそうになりますよ、さすがに。でもそれこそ、しゃべったら忘れる、しゃべったら忘れるというふうにしないと、新しいセリフが入っていかない。だからずっとセリフのことを考えているというか、連ドラをやっているときは、その役に浸りっぱなしになりますね」
と、セリフの覚え方についてそう語る。
一方、鶴瓶も、落語を覚えるときは、とにかく復唱して身体に言葉を入れる。
「でないと、観てる人も困るやんか。詰まり詰まりやったら」と鶴瓶。
そんな話から、鶴瓶が、「師匠には一度も落語の稽古をつけてもらえなかった」と言うと、水川は、「え? 独学ということ? 師匠についているのに?」と驚いた。
「普通はみんな師匠につけてもらうわけですよ。で、僕は師匠に『稽古つけてください』って頼みに行ったら、顔近づけて『イヤや!』って言わはったんですよ。そうすると、次頼むの難しいでえ」と笑う。
鶴瓶 そのとき、師匠が審査員長の高島屋の若手落語会というのが来たのよ。「鶴瓶、お前、そのコンクールに出え」と言うから、「いや、師匠、何もつけてもらってないです」と言ったら、「できるやろ」と言わはった。
水川 え? すごい。
鶴瓶 ほんま。だから、どうしようと思って、迷うわけよね。で、大学時代は落研やったから、自分のそのときに一番口についてた落語を演ったんよ。めっちゃウケたんよ。何もプレッシャーないから。そしたら師匠、審査員長で、「こいつのは落語やおまへん。こいつには稽古つけてまへんねん」って。
水川 えー!
鶴瓶 で、帰るからついてかなあかんやん。師匠の家、ここやから。そしたら、俺のケツ、パンと叩いて、「お前が一番面白かったわ」って。だから師匠は、俺の操縦法がわかってはったんやろな。
水川 そういうことか。
鶴瓶 何もないから自由やんか。自由にもうやらなあかんし、こっちも腹立ってるから、やったろって思っていくやんか。だからそれ、一番うれしかった。
水川 すごいですね。面白いね。
鶴瓶 そやろ。だから、その人それぞれの稽古というか操縦法があるんやろうな。
そして話は、水川にとって一番影響を受けた人は誰かという話題になった。
鶴瓶 それは、女優とかじゃなくても、家だったらお母さん? 姉?
水川 私の、子供もの頃から今に至るまでの、自分の中の大きな柱になってるのは、やっぱり母親かも。母親は、人と同じことさせたがらなかった。それは、別に人と同じことしてもいいし、なんでもいいねんけど、「自分がいいと思うものにしいや」っていう教え方。
鶴瓶 それはすごい。
水川 例えば、私、ランドセルも持たなかった。ランドセル、みんな持つでしょ? 小学校入学したら。だけど違うバッグを持って行ったりとか、学校で買わなきゃいけない裁縫道具もみんなは同じキャラクターのものを持つけど、私は裁縫屋さんに行って、母親がこれを使うんやでって選んだりとか。
鶴瓶 へえ、面白いお母さんやな。
水川 面白かった。だから、人と違うことを面白がれるように、というのは、自分の中にはあるかもね。
鶴瓶 女優になると言ったときは、お父さんお母さんに言うたの?
水川 言うたよ、もちろん。
鶴瓶 人と違うことやんか。近所の子、あの子も女優や、この子も女優や、っていうのはないからな。
水川 でも全然、もう「好きにしい」って感じでした。「やりたいことやりい」って。まあ、でもそれが成功しても失敗しても知らんけどっていう感じ(笑)。
めっちゃ注目される、すごい世界
自分がいいと思うことを自分で考えて行動する。そして自分で決めた以上、その責任は自分にある。母親の教えでもある、その生きる姿勢は、水川が、出演する1つひとつの作品に精魂込めて取り組む姿にも重なっている。
2016年には事務所を独立し、個人事務所を設立。それがまた、役者として生きる覚悟にもなり、また、歳や経験を重ねてきたことも相まって、その頃からさらに、各作品における水川の役者としての存在感が増してきた。ごく自然に、その役そのものを生きながら、この人でなければ、という、そのセリフ1つひとつに、不思議な説得力があるのだ。それがまた、この人が演じる次の作品を観てみたいと思わせる力なのだと思う。
しかし、この芸能界、「何があるかわからない」と鶴瓶が切り出す。「何?」と水川が聞くと、「BBQ行ったしな」とぼやく鶴瓶。水川が鶴瓶の肩をポンポンと叩き、労いながら、「びっくりした?」と言うと、「そういうときも、なんやろね、ちょっとオモロいなと思う」と続ける。
鶴瓶 こんなことないやんか。一般のミーハーな人たちの中心が俺とあいつやからね。あいつが言うたことで、俺が行った、と。それとか、道ですれ違った人がね、「私は信じてますから」って。
水川 え、鶴瓶さんに!?
鶴瓶 ほんまや。「私は信じてますから」。何を信じてんねん。一般の人って、ああいうことって好きやねんな。
水川 ずっとテレビでやるやん。朝から夕方まで。ほかにもやることあると思うんだけど。
鶴瓶 もうええっていうねん。俺とヒロミが悩んだがな。何が悪かったんやろうって。でも、ものの中心になるっていうのは、この世界におって、いろんなことが起きるから仕方がないけれど。
水川 いろいろ起きるからね。
鶴瓶 今までいろいろ出演した映画にしてもドラマにしてもそういうの、あるやろ? 「ブラッシュアップライフ」はどうやった? ものすごく注目されたやろ?
水川 「ブラッシュアップライフ」はドラマ自体がすごく注目されましたからね。
鶴瓶 俺やったら「タイガー&ドラゴン」に出たときとかな。
水川 確かに、「ブラッシュアップライフ」が終わったあとは、私が知ってくださる人はいるとしても、めっちゃ注目されているという矢印が自分に向いているのがわかった。だからすごい世界やなと思った。この業界って。でもずっとじゃないのよね。
鶴瓶 そうやねん。一瞬やねん。
水川 長くやってると、そういう不思議な経験をしますよね。
「無学 鶴の間」今回が最終回。トークライブは続く
そして最後は、再びブータンでの思い出話に戻り、次に番組で海外にロケに行くならどこに行きたいかという話になった。いくつか候補が出ながらも、「行くと元気になるから」と、結局、互いに何度も訪れている「ハワイ」に落ち着いた2人。しかし鶴瓶、そのやりとりの中でこんなことを言っていた。
「もういろんなところ行ったから、自分からここに行きたいって言うのはないな。逆に、そっちの言うことに乗っていきましょう、と。そうすると、偶然なことが起きるよっていう思いがあるから。ここや、と決めていくと起きないからね。流れに身を任せるのが大事で」
それは、ロケだけの話ではなく、「無学の会」、そしてこの「無学 鶴の間」に貫かれた哲学でもあった。水川はこんなことを言っていた。
「これ、なんにも決めないじゃないですか。すごいですよね。パーっと来て、パーっと出る」
事前の打ち合わせもなく、互いに何も決めず、舞台に出て、マイク一本を前に、2人でしゃべる。こうして25年、「無学」では、数々のゲストとともに、思わぬ展開を生み出し、ここでしか聞くことができない話が届けられてきたのだ。
「鶴瓶さんとだからしゃべれた」と水川は、この楽しかった時間を振り返り、礼を言った。大きな拍手が彼女を包み、会はお開きとなった。
「無学 鶴の間」は、第35回のゲスト、この水川あさみの回をもって、配信番組の最終回となった。しかしこれからも、思いがけないゲストとともに、鶴瓶とだから繰り広げられるトークライブが開催され続けるのは、変わらない。
大阪の住宅街にある小さな寄席小屋で、今、ここにしか生まれないもの。その時間をともに共通する喜び。25年を越えてなお、足を運ぶお客さんが絶えない理由は、そこにある。
プロフィール
笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)
1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。
水川あさみ(ミズカワアサミ)
1983年生まれ、大阪府出身。15歳で俳優デビュー。近年の主な出演作に、映画「霧の淵」(村瀬大智監督)、「唄う六人の女」(石橋義正監督)、ドラマ「ブラッシュアップライフ」(NTV)、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」、「笑うマトリョーシカ」(TBS)、初の台湾ドラマ「零日攻撃ZERO DAY」、舞台「リムジン」(倉持裕演出)、「骨と軽蔑」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)などがある。
ASAMI MIZUKAWA | OFFICIAL WEBSITE