笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る配信番組を徹底レポート。第26回ゲストは浜村淳。

2022年5月にスタートした笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」(U-NEXT)は、大阪・帝塚山にある寄席小屋「無学」を舞台にした配信番組。毎回、シークレットゲストと鶴瓶がトークを展開している。お笑いナタリーではその第1回から、配信後に番組の様子をオフィシャルレポートとして掲載中。ゲストの魅力を引き出す鶴瓶の話術を楽しんでほしい。

文(レポート) / 川口美保

「無学 鶴の間」第26回レポート

笑福亭鶴瓶×浜村淳(2024年8月10日配信)
左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

「無学 鶴の間」
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浜村淳の番組に鶴瓶がゲストで来ているよう

舞台にはテーブルと椅子がふたつ、テーブルの上にはマイクが1本立ててある。

緞帳が降りて一旦客席が暗くなると、「♪ありがとう~ありがとう~ラララララララ」と聴き馴染みのあるラジオのオープニング曲が会場に響き渡った。静かに緞帳が上がると、テーブルを挟んで鶴瓶の向かいには、ピンクの鮮やかなジャケットを着こなし、パナマハットを被った浜村淳がにこやかに座っている。MBSラジオで50年にわたって放送を続けてきたラジオ番組「ありがとう浜村淳です」の再現のような、そんな幕開けだった。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

「今日のゲストは浜村淳さんです」

鶴瓶の声に大きな拍手が湧き、「ありがとうございます、ようこそいらっしゃいました!」と浜村が口を開くと、その張りのある声にさらに盛大な拍手が浜村に贈られた。

今年89歳。数えで90歳。そう鶴瓶が言うと、「いきなり歳をバラしてどうするんですか!」と浜村が小気味良く切り返す。

「今もレギュラー2本やってはるんですよ。その前までは6本やってはったんですよね」と鶴瓶。生涯現役で活躍し続ける浜村の姿に鶴瓶も励まされるのだろう、「うれしいですよね。僕もその歳までできるかもしれないということですからね」と、冒頭から鶴瓶の浜村への敬意がひしひしと伝わってくる。


浜村 たびたび師匠にはゲストで来てもらいましてね。

鶴瓶 やめてください、師匠と言うのは。

浜村 何がです?

鶴瓶 ここはうちの師匠(六代目笑福亭松鶴)の家ですよ。おやっさんに怒られますよ、お前がなんで師匠やねん、と。

浜村 (笑)

鶴瓶 本当にずっと可愛がってもらっているんですよ。こんなにね。舌が回らん人を(笑)。

浜村 よう私ね、放送中に言うたんです。「こんな舌の回らん噺家って珍しい。国宝級や」って言うたんです。

鶴瓶 (苦笑)

浜村 だけど今思いますと、間の取り方は絶妙ですね。昔から間の取り方うまかったんでしょ?

鶴瓶 自分ではわかりませんけど、大阪、平野区で生まれましたからね。そのへんのところの雰囲気でしょうね。オモロいおばちゃんがおったり、そういうのを見ながら育ってきましたからね。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

浜村 おたくのお姉ちゃんもオモロい人やったんでしょ?

鶴瓶 うちの姉はオモロかったですね。

浜村 幼い弟の鶴瓶師匠を捕まえてね、顔に紅塗ったり、アイシャドーをつけたりして遊ぶんですよ。

鶴瓶 そうそう。口紅描かれて、水着着せられて。買い物かご持たされて、買い物行かされるんですよ。

浜村 ははは。

鶴瓶 それからね、うち、梱包資材屋やったんですよ。売り物のガムテープを、ワキに当てて、姉3人がビーンビーンってワキの毛を取ってたんです。でも僕は子供だったから何やってるんやと思ってた。それをゴミ箱に放るんですよ。俺はそんなん知らんから、ガムテープは放っといたら毛生えるんかなって、ほんまに思ってたんですよ。ガムテープに毛生えてたら怖いですよ!

浜村 そういうお姉ちゃんの影響が今日の鶴瓶師匠にありますか?

鶴瓶 そういう家ですね。母親もオモロかったし、父親もそうですね。兄貴もオモロかったです。僕、家の中では一番おとなしかったんですよ。


浜村の番組に鶴瓶がゲストで来ているかのように、鶴瓶の話をうまく聞き出していく浜村に、鶴瓶、「浜村さん、ずっと僕に質問するけど、僕は今日、浜村さんに質問しよう思ってゲストにお呼びしたんですよ。僕が聞きたいんです」と苦笑い。

浜村淳

浜村淳

師匠・松鶴「鶴瓶を呼び捨てにせんといてくれ」

これまで何度も浜村のラジオに呼んでもらっている鶴瓶だが、最初は20代前半の頃。若手の登竜門と言われた「ありがとう浜村淳です」にゲストとして呼ばれるということは光栄なことだったと話すと、浜村もそのときのことを思い出す。

「鶴瓶師匠、まだ若かったんですよ。ゲストに迎えてね、何やってくれますかって聞いたら、『日和医者』という落語をやります、と。え、どんなふうにやるんかいなと楽しみに聞いておりましたら、いきなり歌から始まるんですね。『(桜田淳子の「わたしの青い鳥」のメロディで)♪ようこそここへ、私の患者さん』ていう、そんな変な歌から始まるんです」

いかにも古典落語にありそうな「日和医者」という演目は、実は鶴瓶が作った新作落語だった。和歌山での落語会に出た鶴瓶だったが、師匠・六代目松鶴がトリで来ることを知らず、「タイトルだけでもちゃんとせなあかん」と古典落語のような名前にしたのだと明かす。

しかも後で来ると思っていた松鶴は、早く会場入りしていて、鶴瓶の落語を聴いていたそうだ。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 で、降りてきたら、「何しとるねんお前は」って(笑)。

浜村 怒りましたか?

鶴瓶 怒りませんけど、笑ってたんでしょう。でもそういうふうに、本当に解放してくれるというか、そういうところがありがたかったですね。僕には何にも教えないですからね。

浜村 そうですか。

鶴瓶 うちのおやっさん、何か言うてはりましたか?

浜村 放送中に「鶴瓶」と呼び捨てにせんといてくれって。可愛い弟子やから、と。ところがね、放送中に「鶴瓶さん」とか「鶴瓶ちゃん」とか、こういうふうに呼びかけますと、空気が改まってしまうんです。それでつい、言葉の節々にね、「しかしなあ、鶴瓶」と言うてしまうんですね。そしたら松鶴師匠が聞いてましてね、「わしの可愛い弟子や。呼び捨てにせんといてくれ」言うて。

鶴瓶 浜村さんはそんなふうには言われてませんよ。でも他の方にそう言っていたという話は聞きましたね。


そんな松鶴師匠との思い出話が飛び出すのも、古くからの付き合いの浜村だからこそ。また、「ありがとう浜村淳です」には、これまで総勢1万5000人以上のゲストが訪れたと言い、その中には、石原裕次郎、高倉健、吉永小百合といった銀幕の大スターたちの名も数多く刻まれている。その時々の出演映画やヒット曲などを紹介しながら、その一人ひとりのゲストと語り合ってきた浜村は、まさに芸能界の生き字引。石原裕次郎がMBSの一日局長をしたときの話や、当時の高倉健とのエピソードを話しながら、ラジオというメディアが時代とともに歩んできた、その素晴らしさを語っているようにも思えた。

歌謡曲の前口上に感心

そして浜村淳といえば、七五調で語られる歌謡曲の前口上。今年4月に開催された「ありがとう浜村淳です」50周年記念公演でも浜村の名口調に会場は沸いたと聞く。

「ああいう歌謡曲、特に演歌の司会はね、七五調でやるという決まりが昔はあったんです。今は誰一人やりません」

そう言い、いくつかその例を聴かせるように前口上を披露すると、そのハツラツとした見事な節回しに観客は聞き惚れた。そして、話の中で、すぐに数々の口上を披露できる、頭の回転の良さ、記憶力にも驚くばかり。

「これうしろにね、イントロが流れてるから。名調子に聞こえるんです」と浜村は言うが、それこそ名人芸。鶴瓶も「それ、ずっと頭に入ってるんですか!? 僕なら、どっかで詰まります。絶対無理やわ。すごいでしょ?」と感心しきっている。

「歌手にとってはね、前もっていろいろ言うてくれる方がありがたいんですよ。ええ雰囲気が出るんです。だから歌いやすいと言いますね。だから私は先日のうちの番組の50周年の祭りのときには、五木ひろしさん『ふるさと』『細雪』、坂本冬美さん『あばれ太鼓』『夜桜お七』、全部七五調で紹介しました」

浜村淳

浜村淳

すかさず鶴瓶が「『夜桜お七』はどんなんですか?」と促すと、浜村、「赤い鼻緒が切れたとて」と、入る。しかしそこから先が続かず、「何言うたやろ?」と首を傾げる。

鶴瓶は「これが普通やねん。90歳やで。赤い鼻緒が切れたとて、と言うただけでもすごいやん」と突っ込む。すると浜村、次の瞬間、何事もなかったように、「赤い鼻緒が切れたとて、置いてけぼりを飛び出して、帰らぬ人を追いかける、桜、桜、桜吹雪、女の命今日燃える」と、抑揚の効いた名口調を披露し、見事挽回。その間、会場は再びその声に聞き入り、拍手が湧く。それほどに完成された話芸だったのだ。

「取り返しはったなあ! よほど悔しかったんやろうな」

鶴瓶が笑うと、「鶴瓶師匠が突っ込んでくれたから思い出しました」と浜村もニヤリ。

鶴瓶とよく似ていた笠置シヅ子

振り返ると、どんな歌手の歌にも浜村の七五調はピタッと合ったという。しかし一人だけ、七五調の司会がまったく合わなかった歌手がいたと浜村は続けた。NHKの朝ドラ「ブギウギ」でお茶の間でも有名となり、戦後「ブギの女王」として一世を風靡した大スター、笠置シヅ子だった。

「ほんまにオモロい人でした。鶴瓶師匠とキャラクターもよく似てはった。顔まで似てる」と浜村が言うと、会場からドッと笑いが起きた。実は若い頃の鶴瓶、時々「落語界の笠置シヅ子です」と冗談で言っていたこともあったそうだ。実際、にこりと笑って笠置シヅ子の顔真似をすると、確かに似ている。

笠置と鶴瓶は直接話したことはなかった。一度だけ、テレビ局の廊下で一緒になったことがあったが、相手は大スター。挨拶できないままだったそうだ。

しかしそれでも互いに似たものを感じていたのだろう。こんな不思議なご縁があったのだと、鶴瓶は話をはじめた。


鶴瓶 昔、タモリさんの見舞いに行ったときに、そこの看護師さんが僕のところに来て、「私、お母さんの最期を看取りました」と言われたんです。「え、どこでですか」と聞いたら、「厚生年金病院です」と。「うちの母はそんなところに入院してませんでしたよ」と言うたら、「え、嘘でしょ? 笠置さんですよ!」と。ほんまに僕が笠置シヅ子の子供やと思ってたらしくて、笠置さんも「あの子、子供です」って僕のことを言ってたらしいんですよ!

浜村 え? ほんまですか?

鶴瓶 それでね、笠置さんが亡くなったとき、娘の亀井エイ子さんから電話があったんです。「ちょっとお聞きしたいことがあるんです」と。僕は松竹芸能じゃないですか。

浜村 笠置さんは吉本のせいさんの息子さんと大恋愛をして子供を産んでますよね。

鶴瓶 だから、エイ子さんは(母親が)もう一人産んだんじゃないかと思ったらしいんです。それで一緒に食事に行って、「違います」と(笑)。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

「ブギの女王」と呼ばれた笠置シヅ子。並外れたリズム感と自在に変化していくスウィングは、今聴いてもずば抜けていて聴くものを魅了する。それは人間性にも表れていたのだろう、ウィットに富んだ洒落の効いた人だったんだろうことが、浜村のこんなエピソードから伺えた。


浜村 歯磨き粉を買ったら笠置シヅ子ショーに招待するという催しがあったんです。で、司会が私です。いよいよ舞台が始まる直前で、あまり上品でない若者が入ってきてね。下駄履いてきて、舞台の袖でガタガタガタガタ歩き回るんですよ。邪魔になって仕方がないけど、みんな怖いから言わないんです。そのとき、笠置さんが出てきてね。「ちょっとボン、こっちおいで」と呼んで、「私の舞台を見るために行列作ってはんねん。あんた、悪いけど行列の整理してくれるか」って、ポンポンポンポンと言うんですよ。そしたらそのチンピラがえらい喜んでね。「ああ、やりますわ」言うて表出て、長蛇の行列を整理したんですよ。

鶴瓶 すごいな、それ。

浜村 見事な粋ですね、あれは。

鶴瓶 その頃の笠置さんの、すぐにこいつらにこうしたほうがいいと思える感覚って、すごいですよね。そっちのほうがこの人らも納めてくれるっていう。すごいですね。

浜村 見事ですね。「行列の整理して」って言うと喜んでね。笠置さんに頼まれたって大張り切り。そういう粋のよさですね。

鶴瓶 そんな人だったんですね。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

浜村淳の映画評論は一種の話芸

ほかにも笠置シヅ子と服部良一とのエピソードなどが浜村の口から飛び出すが、それもすべてその時代をともに生きた彼らと浜村の関係があったからこそで、浜村にしか語れない貴重なエピソードが彼の中にたくさん詰まっていることを知る。鶴瓶はほとほと感心して「今日そんな話しようと言ってないのに、どこに入ってるん?」と浜村の頭を指差し、「そのハットやな! その中に全部AIの資料が入ってるんやな」と言うと、「いや、私は90になりますから、白髪だらけですよ」と浜村はハットを外し、何も入っていないと、白髪を見せる。その姿に、「白髪かっこいいですね。こっちハゲてまんねん(笑)」と鶴瓶が笑う。

さらに話は、映画評論家としての浜村淳について続いた。「『ありがとう浜村淳です』で、まだこっちが観てない映画のことをずっとしゃべらはるじゃないですか」と鶴瓶。浜村が語る、映画作品についての解説、そして感想は毎回心を打ち、「聞いただけで泣くんですよ。これ、観に行こうって思うんです」と言うと、浜村は「それは鶴瓶さんがしゃべるのも一緒ですよ。一種の話芸です」と答える。

「しゃべるのを聞いていると、聞いているほうはどんどんどんどん想像が膨らんでいきますね。だから本物の映画よりも面白く思えるんですよ」

何を面白いと思うのか、そしてそれをどう伝えるのか。浜村が映画を観る眼差しとその瑞々しい感性、そしてそれを語る口調は、確かに浜村が磨き上げてきた話芸だと言える。その流れから、話は再び、鶴瓶の「間の取り方」への話となった。


浜村 鶴瓶師匠は、ちゃんと、ところどころ間を取っている。「舌が回らないから」とさっき言ったけど、本気で言うたんじゃないんですよ。実は間を取るのはうまいから、鶴瓶話術というものが成立する。聞き惚れますね。肩肘張らないですよね。何気ない世間話、普通の雑談みたいな話をして面白い。見事ですよね。こういう話芸はどこで身につけたんですか?

鶴瓶 今の噺家って、日常あったことをそのまま自然にしゃべるのはないですよね。小噺とか、ひとつの形としてしゃべるんだけど、それが、僕、できないんですよ。

浜村 ちゃんとまとまった話をきちんとやるのが苦手なんですね。

鶴瓶 ちょっと! ちょっと待ってください。褒めておいて、崖から突き落とす(笑)。

浜村 そんなことはないです。それが芸ですよね。でもそういう日常の話をしてね。お客様にウケるっていうのは、なかなかそういう芸能人はいないですよ。

鶴瓶 そうですかね。鶴瓶噺も2時間ぐらいしゃべるんですよ。こんなことあった、あんなことあったということをずっとしゃべるんです。だから、そういう意味では、そういう形ですよね。今は落語をしますけれど、以前、僕は落語をしなかったから、こういう形を作り出した。でもね、正直言うとね、浜村さんもお分かりやと思うんですけど、難しいんですよ。本当にスーッと入っていくって。

浜村 さりげなく、というのは、一番難しいけど、とても大事ですよね。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

「昔、チャップリン、今、笑福亭鶴瓶」の意味

そう言って浜村は、山田洋次監督作品「男はつらいよ」に出演した武田鉄矢のエピソードを続けた。

「武田さん、オモロいことをやるからと、ニヤニヤ笑って演ったら、監督がえらい怒ったそうなんです。本人がニヤニヤ笑っていたら客はしらけると。そうではない、真剣にやりなさい。真剣にやって、うまいこといかない、ドジばかり踏むから、お客さんは笑うんだと。それを聞いて武田さんは、ああ、演技とはそんなものかと初めて目覚めたと言うてましたね。でも山田監督はいつでもそうで、私も度々対談しましたけどね、余計なことはせんでもええ、と一貫して言っています」

鶴瓶もまた、山田監督の映画に多く出演しているが、「まったく怒られたことがない」と言う。それこそ、自然にスーッと入っていく、鶴瓶が作り上げてきた話芸と重なるのかもしれない。

浜村は言った。

「真剣にやって、ドジばっかり踏んでお客さんを笑わせる。この名人はチャップリンなんだそうです。『サーカス』という映画でも『モダンタイムズ』という映画でも、ハラハラハラハラ、観ているお客さんは手に汗握る。なかなかうまいことできなくて、失敗ばっかりする。それが、結局、笑いにつながっていく」

そしてこう続けた。

「昔、チャップリン、今、笑福亭鶴瓶」

その流れ、その口調がこれまた見事だった。鶴瓶は「いやいや、そんなことはないですよ。これ、配信ですから、ものすごい怒られます。だけど、ありがたいですよね」と言いながらも、若い頃から自分の芸や出演した映画を観続けてきてくれた浜村の言葉をうれしそうに噛み締めている。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

その後は映画談義が続いた。ふと、浜村が鶴瓶に聞いた。

「鶴瓶さんが今まで会った芸能人で印象に残っているのはどういう人がいますか?」と。

鶴瓶は「一緒にやらせていただいた中だと、吉永さんですね」と答え、吉永小百合との気取りのない可愛らしいエピソードを話す。「オーラのある人と仕事するって大事なことですよね」と言い、続いて鶴瓶から「逆に僕が質問します。どなたがいましたか? うわ、この人すごいなっていうのは」と浜村に訊く。浜村から出てきた名前は「アラン・ドロン」。

斜め上を行く答えに、「やめてください! なんでそんなに負けん気強いんですか!」とツッコむ鶴瓶。それを受けて「僕は、ロバート・デ・ニーロです」と答える鶴瓶に、続く浜村、「ソフィア・ローレン」とのエピソードを話し出し、さらに「ジョン・ウェイン」とのエピソードが続き、鶴瓶「いい加減にしなはれ!」とツッコみながら、浜村がこれまで重ねてきたインタビューや対談がいかにすごいかを思い知らされて、笑い出す始末。

つくづく「浜村さんの代わりはいないですよ」と鶴瓶が深く感嘆した。

50年の歴史を作ってきたラジオ「ありがとう浜村淳です」についても、「長ければいいというものではないですよ」と浜村は謙遜したが、「いいから長い、ということですよ」と鶴瓶が返す。豊かな感性と好奇心で人と向き合い、作品と向き合い、だからこそ生まれる、聞き手を魅了する言葉を持つ浜村淳だからこそ、これほどに番組が長く愛され続けてきたのだ。

浜村が言った。

「『あまロック』で、鶴瓶師匠のセリフであるじゃないですか。人間生きてる限り、何があっても楽しまなあかんでって」

鶴瓶が頷く。

「起きたことはみな楽しまなあかん」

二人の対話を聴きながら、そういう心で生きていくことこそ大切なのだと思った。「無学 鶴の間」26回目のゲストは、浜村淳。言わずと知れた、名司会者、名映画評論家だが、なぜ彼がそうなのか、その理由をしっかりと聞き取ることができた1時間半だった。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

左から浜村淳、笑福亭鶴瓶。

浜村淳

浜村淳

第26回(2024年8月10日配信)
笑福亭鶴瓶×浜村淳

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プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

浜村淳(ハマムラジュン)

1935年生まれ、京都府出身。同志社大学卒業後、タレントデビュー。司会やパーソナリティとしてはもちろん、映画評論としても定評がある。1974年から続いたラジオ番組「ありがとう浜村淳です」(MBSラジオ)は、2024年3月に平日の放送は終了し、50年経った今でも土曜日レギュラー放送中。また、今年4月から日曜日の朝のラジオ番組「浜村淳の歌の宝石箱」(MBSラジオ)もスタートした。

2024年10月30日更新