笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る配信番組を徹底レポート。第26回ゲストは浜村淳。 (19/27)

「無学 鶴の間」第17回レポート

笑福亭鶴瓶×ずん飯尾(2023年10月14日配信)

毎日が就職活動ですよ

「今日はね、芸人です、飯尾和樹です」

長い付き合いで「だいぶ前から呼びたいと思っていたんです」と鶴瓶が紹介する。その言葉を受け、「うれしいですねえ!」と満面の笑みで現れた飯尾は、「ペッコリ45度」と持ちギャグでお辞儀。

「無学は我々同業者の中では話題で」と飯尾が喜びを伝えると、鶴瓶も「これ、20何年やってるんですよ。そしたらNetflixが」と、この配信番組が始まった経緯を説明するが、違う動画配信サービスの名前を口にしてしまう。すかさず「違う違う! U-NEXTです! U-NEXTが撮りたいと言ってくれて」と言い直す鶴瓶に、「声かけてくださったところを間違える(笑)、さすが師匠、持ってますねえ!」と飯尾が笑う。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

「こういうの多いねん。言うたらあかんことを言うてまうねん」と苦笑する鶴瓶に、「師匠は、これやんないでくださいねっていうのを2時間後にやって、ずいぶんと局出入り禁止になってますからね」と、ある放送局に出入り禁止となった伝説の事件を蒸し返す。バツが悪そうに「長い歴史の中で、そんなんありましたね」と苦笑しながら、「そっちはそういうのないの?」と飯尾に質問するも、「生放送少ないですから。編集でカットしてもらえれば」と軽く返されてしまう。

「でも『スッキリ』とか出てたやんか?」「『スッキリ』じゃないです。『ZIP!』です」

鶴瓶の連続する間違いを正す飯尾に、会場に笑いが起きた。

ずん飯尾

ずん飯尾

飯尾和樹は、2000年、やすとともに「ずん」を結成。所属事務所は浅井企画で、「いい事務所に入ったなあ。先代の社長にはずいぶん可愛がってもらった」と鶴瓶が切り出す。

浅井企画は、先代の社長が、萩本欽一と坂上二郎をマネジメントするために立ち上げた事務所。当時、コント55号の人気は爆発的で、萩本欽一が番組を持てば必ずヒットするため、「視聴率100%男」と呼ばれていたほどだった。そのことをずんの2人も先代の社長からよく聞かされ、「ずんはいつになったらそうなるんだ?」と期待をかけられていたと述懐する。


飯尾 最初にこの業界に入るときは、誰でも、鶴瓶師匠とかさんま師匠とかたけしさん、タモリさんになれると思って入るんですよ。私もそうだったんですよ、一応。

鶴瓶 いや、でもそれが長いことやって、どんどん出てきて、今すごいやんか。

飯尾 いやいや、これが本当に他力本願で、若い頃一緒だったADさんが、ディレクター、プロデューサーになって、キャスティングできるようになってから呼ばれるようになったんですよ。

鶴瓶 ああ、そう。

飯尾 結局そうなんです。キャイ~ン、ネプチューン、ナイナイが同期なのですが、彼らが一生懸命活躍して、ゴールデンレギュラーを持って、そのときに「誰か呼びたい人いますか?」なんて訊かれるじゃないですか。そういうときに、ぽろっと僕らの名前を出してくれて、そこから出られるようになったんです。だから、人が作った家に遊びに行く、「賃貸芸人」って言われてた(笑)。

鶴瓶 ワハハ。でも、今はもう安定していろんな番組に出てるやんか。もう安心やろ?

飯尾 いやいや、安心じゃないですよ。毎日が就職活動ですよ。やっぱ手応えないやつは二度と呼ばれないですもん。

鶴瓶 こんなこと訊くのあれだけど、仕事がないときってどれぐらいなかったの?

飯尾 それはもう20代は、背中をつけるとこないぐらい、床ズレするぐらい寝てましたから。

鶴瓶 ワハハハハ。

飯尾 キャイ~ンが仕事終わるのを待って、ごはんをご馳走してもらうっていう。

鶴瓶 ああ、そうか。

飯尾 だからホント、太陽を観察してたっていうんですか? ああ、秋になると、隣の家の屋根にちょっとしか陽は当たらないんだなとか、夏はやっぱり高いんだなとか。そういうことが本当によくわかりました。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶は野球で言えば桐蔭高校

20代、アパートに売れない芸人5人が集まって居候していたという飯尾。しかしそんな貧乏時代も「楽しかった」と振り返る。「その頃、自分が27歳ですよ。やすが26歳、一番若いのが22歳。人間が一番働き盛りの頃ですよ。プロ野球の世界だったら、どんどん試合出ろっていう年齢」

一方、鶴瓶はデビューしてすぐに売れっ子に。「俺はもう結婚しようと思ってたから」と、オーディションに通い続け、1年目でレギュラーを6本、多いときは大阪で17本のレギュラーを持っていたと話す。

「えー! めちゃくちゃエリートじゃないですか!!」と驚く飯尾。「ああ、じゃあ野球で言えば、桐蔭(学園高校)だ! すでに若い頃から!」。

そこからは、飯尾の存在を広く世間に知らしめつつも、「あの人、誰?」と言われ続けた「笑っていいとも!」の話から、それぞれが交流の深い、タモリや明石家さんま、関根勤とのエピソードも飛び出し、さらに話題は、鶴瓶がこれまで手がけてきた番組の話へ。

六代目笑福亭松鶴のもとに入門していながら、落語を教えられなかった鶴瓶だが、90年代前半、低迷していた落語を盛り上げようと、鶴瓶が桂ざこばを誘う形で「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をスタート。3つのお題を出して、2人が即興で噺を作っていくという番組で、「見てました! アドリブ大会ですよね!」と飯尾が続ける。

ずん飯尾

ずん飯尾

飯尾 ヒリヒリすることが好きなんですか? そういう企画だとヒリヒリするじゃないですか。どうなっちゃうんだろうっていう。

鶴瓶 「スジナシ」とかね。

飯尾 ああ! あれもすごい。

鶴瓶 ああいうのは好きやね。ていうか、なぜああいう番組を始めたかというと、素人ってやっぱみんなオモロいやんか。

飯尾 ええ、面白いですね。素人さんがハマったあとは出たくないですもんね。ぺんぺん草も生えてないんですよ、もう~。

鶴瓶 そうそう。それで、素人ができない形はなんかないかなと思ったら、3つお題もらって、ネタ作ってオチ言うっていう。でも、お前も大喜利もうまいやんか。

飯尾 うまいかどうかはわかんないけど、好きですね。

鶴瓶 「パペポ」とかやってたやん。今は「きらきらアフロ」もそうやけど、やっぱフリーのが好きやねん。やっぱり、どうなるのかわからないところをやるというのがプロだと思う。

ロケはいい。山でスベっても海がある

「師匠!」、飯尾が話の途中で腰を折った。センターマイクを挟んで2人で話しているものの、鶴瓶がどんどん真ん中に寄ってきて、飯尾が端に追いやられていくのだ。

「もうちょっとあちらへ」と促す飯尾。

「自分もちょっとずつ攻め返してはいるんですけど、イングランド対日本のラグビー見てるみたいで、やっぱすごいなあと。やっぱピン芸人だから、真ん中に立ちたいんですね」

そうたしなめられた鶴瓶が悔しそうな顔で、「言うてくれたらええやんか!」と声を上げると、「やっぱり師匠、迫力ある!」と飯尾が笑う。

さらに話は、こちらも「何も決めずに」ロケに挑む「鶴瓶の家族に乾杯」へ。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

飯尾 「家族に乾杯」もそうですもんね。「そっちに行くんだ!」っていうのありますからね。「嘘だろ、師匠! 普通のお蕎麦屋さん行かずにそっちに行くのか!」っていう。人んちの庭に勝手に入っていったり。

鶴瓶 おい!(笑) 人のうちの庭は勝手に入ってない! 目と目が合うから、「あ、どうも」って入ってる。

飯尾 いや、目と目があって動き出しちゃいけないんですよ。普通は、目と目で、「今テレビで」「オッケー」つったら入るんですよ。師匠はもう目が合ったら「おーっ!」て入っていく。

鶴瓶 フフフ。俺ね、「今いいですか? ちょっと撮らせてください」って言うのが嫌やねん。なんか予定調和みたいになるから。俺が行ったらテレビってわかるやん。で、相手が嫌そうやったらもうそこ行かへんやん。

飯尾 ああ、そうですね。

鶴瓶 ただ、だいぶカメラの人には言ったよ。「家族に乾杯」も最初の頃はカメラが先に行ってた。だから、カメラマンのベルトをグーッと引っ張って、後ろに下げてた(笑)。

飯尾 ワハハハハハ!

鶴瓶 でないと、失礼やんか。カメラがガーって行くの。

飯尾 確かに確かに。

鶴瓶 お前もようやってるやん、ロケ。

飯尾 好きです。ロケはやっぱ景色が変わるんでね。オープニングでスべっても景色変わると気分転換できるんですよ。「次は牛乳屋さんか~!」なんつって。スタジオはスべってもずっと同じ景色じゃないですか。ロケっていいですよね。山でスベっても海があるみたいなね。海がダメなら川があるっつって。

鶴瓶 ロケっていいよね。偶然にすごい人と出会ったりするやんか。いろんなところ行くやろうけど、ここすごいなというの、あったやろ?

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

飯尾 ありますね。

鶴瓶 作られたものじゃないやろ? 「ここ行ってください」と言われて行くんじゃなく、本当に何もないとこから生まれるっていうことがあるよね。

飯尾 静岡でロケしてて、いいご主人とおかみさんと出会ったんです。その3年後、ハワイロケしてたら、またそこでも会うというのがありましたね。びっくりしました。

鶴瓶 そういう縁みたいなのあるよなあ。

鶴瓶とウドの名勝負

さらに、キャイ~ンのウド鈴木とのエピソードへと話は続いた。飯尾とウドが鶴瓶の番組に出演することになり、その本番前に2人で鶴瓶の楽屋に挨拶に行ったときのこと。まず飯尾が「よろしくお願いします」と挨拶したあと、続いてウドが挨拶するも、「あわ、あわあわ」と、相変わらず何をしゃべっているのか聞き取れない。それでも「だいたいわかったふりして、『あ、よろしく』で終わるのに、師匠はわざわざ楽屋から出てきて、『ウドー! お前、なんて言ったんやー!?』と声をかけてくれて」とそのときの様子を再現する。


飯尾 「お前なんて言ったんやー!」「ああわ、あわ、あわあわ」「わからへんねん、ゆっくり話せ」「あわあわ」「落ち着け~!」っていうやりとりがあって、ゆっくり話したけど、結局わからなかったんですよね(笑)。

鶴瓶 (笑)。これ、ほんまやで!

飯尾 あれ、名勝負でしたよ。俺の中であの年の名勝負だったんですよ。なんでカメラ回ってないんだ!っていう。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 (笑)。いや、俺ね、タクシー乗ったら、「今ウドさん乗せました」っていうのがホントめっちゃ多いのよ。元々あいつ中野の方に住んでたんやか。俺、西新宿やんか。近いというのもあるけど、ほんまに月に2回ぐらいはあった。

飯尾 師匠、西新宿、西新宿って言わないほうがいいですよ。俺、その師匠の家のそばのコンビニにたまたま寄ったら、「飯尾さん、あそこ、鶴瓶師匠住んでますよ」って言われましたよ。有名ですよ、あの辺で。「新宿の」でいいじゃないですか。「西新宿」って言っちゃうと、だいたい住みそうなマンションがあるじゃないですか。1つあるんですよ。皆さん、西新宿行ってみてください。あそこだとわかりますから。あれだなっていう。

鶴瓶 でもまあ、わかっても別にええなあと思うけどなあ。ピンポンって押してけえへんねんから。

飯尾 まあ、階数までわかんないですからね。

鶴瓶 「どこ?」って訊かれるから、「ここ」って言うねんけど、怒られんねん、うちのマネージャーに。

飯尾 いや、あそこは放送関係の専門学校とかも多いんですよ。その学生もすれ違いざま、「鶴瓶住んでんだよね」って帰りながら話しましたよ(笑)。

鶴瓶 そうそう、専門学校多いからね。でも、今、変わってん。

飯尾 あ、マンション変わったんですね。ああ、よかった。

鶴瓶 今はちょうど、あの大学のとか。

飯尾 また、言わないほうがいいですよ。わかりますよ。レンガ作りでしょ。

鶴瓶 なんで知ってんの?

飯尾 いや、だって、あっちのほうに引っ越したって聞いてましたから。ずいぶん広いエリアなんですけども、今もう、大学でわかっちゃいました。あのへんだなっていう。でも、レンガ作りはたくさんありますから、それだけにしときましょ。大学のそばなんですね。

鶴瓶 まあ、大学、高校もある。

飯尾 あ、高校もある。「高校もある」って言っちゃダメですよ。これで今、何十軒もあるレンガ作りの大学から付属高校まであるとなると、もう4校ぐらい絞られちゃいましたから。師匠! 今25パーセントですよ。

ずん飯尾

ずん飯尾

さらには、マンションの隣に、有名アスリートが住んでいると言ってしまう鶴瓶。「え、それ、余計言っちゃいけないですよ」と返す飯尾。「その人、巻き込んでますよ。セット売りしてます、情報通販! なんで言っちゃうんですか!」と、その返しがまた笑いを呼び、そこに乗るように、「だって、そんなことある? ほんま、隣やで」とどんどん言わないでいいことを話してしまう鶴瓶。それを受け、飯尾が諭す。

「そんなこと言う?ですよ」

“目図鑑”があったら我々の目は一緒のページ

さらにこんな話も飛び出した。

この秋放映された、黒幕を当てたら賞金総額1000万が当たるという視聴者参加型のミステリードラマ「THE MISTERY DAY」に出演した鶴瓶は、そのオンエア前に、自身の生放送のラジオで自分が犯人の一人を演じたことをしゃべってしまったというのだ。

「マネージャーにえらい怒られた。1000万円かかってんですから!って」という鶴瓶に、飯尾が一生懸命説明する。

「いやいや、1000万かかってなくても、犯人はドラマを見て知りたいんですよ。だって、古畑任三郎さんや刑事コロンボみたいに、犯人がわかってその戦いならいいですけど、そうじゃないんですもんね? 誰が犯人なんだろう、っていうやつですよね? それを『犯人役やりました』って! 師匠! どうしたんですか! 疲れてるよ! 師匠!」と、飯尾は驚きを隠せない。

鶴瓶は「フフフフ」と笑うばかり。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

「わかった! もうデビュー1年目で、レギュラー17本で、肩やっちゃったんだ! 投げすぎたんだ、メジャーリーガー!」

さらには、そのドラマの撮影中に居眠りして、共演者のユースケ・サンタマリアに「寝てたでしょ!」と怒られたと告白。「寝ることない? 朝早かったら寝るやろ?」と同意を求める鶴瓶だが、「ドラマの本番中は寝ないですよ、師匠!」と笑いが止まらない飯尾。しまいには「俺は『仰天ニュース』だけは寝るわ。全部、中居に任せてるからね。丸投げやから」と悪気もなく言ってしまう。


飯尾 でも師匠は得ですよね。再現VTRを見てるとき、師匠はどっかり座ってるでしょ。それで目で得してますよね。寝てるかどうか、中居くんの距離じゃないとわからない。

鶴瓶 (苦笑)

飯尾 どの口が言ってんだって思うでしょうけど、自分もそれで助かってるんですよ。神様が疲れて彫刻刀でトントンってやったようなね。

鶴瓶 目か? フフフ。

飯尾 我々の目は、“目図鑑”があったら一緒のページだと思うんですよ。目図鑑の中で、「人類の目」の、たぶん、アジア、日本というカテゴリーがあって、その中の同じページだと思うんですよ。師匠がページの上で俺がその下のほうに。神様がいるとしたら、やっぱり目がパッチリの人は神様が絶好調のときに作ってもらったんですよ。俺らの目はたぶん最後のほうだったんですよ、作業が。

鶴瓶 あ、そう、作業……(笑)。

なんぼでもしゃべるやろ、オモロいわ~

飯尾自身、近年は、バラエティだけでなく、ドラマや映画にも多く出演し、役者としても活躍している。昨年公開された福山雅治主演の映画「沈黙のパレード」ではブルーリボン助演男優賞を受賞するなど、演技の評価も高い。実際、役者の仕事も経験すると、その大変さもわかってか、飯尾が切り出す。


飯尾 多忙のスケジュールの中で、映画やドラマっていつ撮ってるんですか? 仕事終わって行ってるんですか?

鶴瓶 一番恐ろしかったのは、NHKの収録全部終わって、これでごはん食べれるわと思って帰ろうと思ったら、マネージャーが「今からドラマですよ」って言うから、「え! 今からドラマか!?」って。

飯尾 え、その前にセリフ入ってないんですか?

鶴瓶 入ってない。

飯尾 え!

鶴瓶 だからその場や。バーッと台本見ながら。

飯尾 スタンバイしているときに、サッと?

鶴瓶 サッと覚える。で、「THE MISTERY DAY」ね。全然覚えてなかったんよ、セリフ。

飯尾 え、大丈夫ですか? これ配信ですよ。

鶴瓶 これはあかんわ(苦笑)。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

飯尾 あ、でも、現場入ったら、パチンと役に入れる人いるじゃないですか。その場でもうなりきれる人。師匠はそういうタイプなんでしょうね。

鶴瓶 ……。

飯尾 フォローしてますよ、必死に。

鶴瓶 ……。

飯尾 そういうタイプじゃないですよ、絶対。でも、それをクリアしていったんですもんね。

鶴瓶 クリアしていったんや。

飯尾 ドキドキでしょ。毎回、「スタート!」って言われるたびに。

鶴瓶 分厚い台本やったで。

飯尾 なんで開けないんですか!

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

どんどん露呈していく鶴瓶のダメさぶりを、飯尾は絶妙な切り返しで面白がり、その流れに鶴瓶も身を任せ、さらに言わないでいいことを曝け出していく。これも長い付き合いの芸人同士だからこその呼吸。その間合いも含めて計算された漫才のようでもあり、しかし、その全部が本当の話を紡いていくフリートークだから、余計面白さが増していく。

そこからも次から次へと話が飛び出し、あっという間に90分が過ぎていった。そろそろ配信が終わる時間だが、とても終わりそうになく、「もう帰って、もう帰って」と言い放つ鶴瓶。「もう1泊できるスケジュールですけど」と飯尾が言いかけるも、「飯尾和樹さんでした!」と強制終了。最後の最後まで、そのやりとりに笑いが止まらなかった。

「なんぼでもしゃべるやろ、オモロいわ~」と鶴瓶も感想を述べる。確かに、時間に制限がなければ、ずっと聞いていられる、飯尾のしゃべりには、そういう不思議な心地よさがあった。

「無学 鶴の間」17回目のゲストは、バラエティのみならず、役者としても活躍する飯尾和樹。すでに売れっ子芸人ではあるが、編集されたテレビの番組だけでは伝わらない、独特の空気感と、じわじわと込み上げる可笑しさを生み出す話芸を、90分という長い時間、たった2人でしゃべるからこそ、知ることができた、「無学 鶴の間」ゆえの貴重な時間だった。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

左からずん飯尾、笑福亭鶴瓶。

ずん飯尾

ずん飯尾

第17回(2023年10月14日配信)
笑福亭鶴瓶×ずん飯尾

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プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

飯尾和樹(イイオカズキ)

1968年、東京都生まれ。1991年にデビューし、コンビやピン芸人として活動したのち、2000年に、現在の相方やすとともにコンビ「ずん」を結成。「さんまのお笑い向上委員会」準レギュラーのほか、バラエティ、情報番組など多数出演。また、数々の映画、ドラマで役者としても活躍し、2023年には第65回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞した。

2024年10月30日更新