「無学 鶴の間」第30回レポート
22年前、「無学」に呼ばれて「ヤバかった」
22年前に「無学」に来てくれた、と、鶴瓶。「そのときはまだ全然有名じゃなかったんです。俺が好きやから呼んだんですよ。でも、今はもう、『来てくれるのかな』って、そのくらいの人気になっています」
「漫才の人」だと紹介しながらも、「何遍お願いしても漫才はしないって言うんです」と笑う。
そう言って呼び込まれたのはおぎやはぎの2人、小木博明と矢作兼だった。観客の「おお!」という歓声と拍手の中、「ありがとうございます。もう不安で不安で。よかった」と小木が口に出す。緊張などしそうにない小木のキャラクターに鶴瓶が「そんなタイプじゃないやんか」と言うと、「大阪の人って、ちょっと苦手なんですよねえ」と意味ありげに苦笑する。
「まあ、いろんなトラウマがありますからね」と矢作が笑う。
小木 大阪に仕事もないんですよ。あんまりないの。
鶴瓶 いやいや、俺、昔からずっとオモロいと思てたけどなあ。
矢作 だから、師匠だけ、なんですよ。
鶴瓶 俺だけ、なの!?
小木 すごいですよ。だから俺から言うのもあれですけど、すごく見る目があるっていうか。
矢作 ワハハハハハ!
小木 ほんとすごいですよ。俺らのことなんか誰も認めてなかった。名もない俺らですよ?
矢作 22年前はテレビなんか深夜にちょっと出たことあるぐらい。だから22年前にシークレットでここに出たときは、ヤバかったですよ(笑)。
小木 ヤバいヤバい、ほんとヤバい。
矢作 誰も知るわけないんだもん。勘弁してくれよって。1回前かなんかがタモリさんなんですよね。
小木 そうそうそうそう。
鶴瓶 さんま、タモリ、おぎやはぎ。
矢作 なんちゅうところに呼ぶんだよ!って思って。でもほんとに、あれを皮切りに「M-1」とか出て、まあ、とんでないことになったんですけど(笑)。
鶴瓶 俺はお前らオモロいと思ったんやけど、俺の感覚がおかしかったのかな。
小木 いや、感覚、素晴らしかったんですよ!
鶴瓶 ワハハ! 褒めるのもおかしい(笑)。
当時、おぎやはぎの2人にとっては、すごい人に呼んでもらったという思いがあったという。それが鶴瓶50歳、おぎやはぎ30歳の頃。以降、鶴瓶はおぎやはぎを何度か自分の番組に呼び、「それをスタッフが見て、師匠が面白いって言ってるんだから、おぎやはぎを使おうかってなってきたんです。だから今があるのも師匠のおかげなんですよ」と小木は言う。
鶴瓶「勝たなあかん」体を張った思い出
そんな恩がありながらも、「お前ら、あのとき、笑てたよな」と鶴瓶が思い出したのが、2008年の年末に放映された「鶴瓶カレンダー2009 授乳だ!逮捕だ!爆発だ!紅白出られないなら…やってまえスペシャル」(テレビ東京系)でのロケだった。
鶴瓶がカレンダーの被写体となって、それぞれの芸人たちが撮影するという年末特番に、おぎやはぎは「新年の干支である牛の親子愛を撮りたい」と、鶴瓶に牛の格好をさせ、母親牛の乳を吸わせるところで、シャッターを押す、という企画。
鶴瓶 そのとき、牛に踏まれて足が折れたんや!
矢作 そう! ずっと「痛い」って言ってて、うるせえなって(笑)。芸人だからリアクションするけれど、ずーっと「痛い痛い」って言ってて。
小木 そうそうそう。
鶴瓶 めっちゃ痛いのよ。
小木 全然進まないんですよ、その後のロケが。「痛い痛い」言うから。
矢作 もういいっすよ、みたいな感じになってたのよ。
鶴瓶 ウハハ! ほんまそんな感じ。冷たいのよ。「わかった、わかった」って。
小木 師匠、わざとらしさがあるから。
鶴瓶 そんなことない。折れてたんや! みんな大袈裟や思てんねん。
矢作 思ってましたねえ。
鶴瓶 夕方、整形外科行って、ずっと並んで。
小木 牛の格好でね。
鶴瓶 看護婦さんが「どうされたんですか?」と。「あの、足が折れてると思うんですけど」。牛の格好してるからやね。
矢作 まあ、後回しにされますよね。
小木 たいしたことないと思っちゃうもんね。
鶴瓶 そう、後回しになったんや(笑)。で、「どうやってそんなふうに」「牛の乳吸うて」って。
矢作 ワハハ! 「はあ……」ってなりますよね。
小木 「はあ……」ってね。
鶴瓶 お前らも、止めてくれや。
矢作曰く、「師匠なんだけど、緊張しない師匠」。鶴瓶が「さんまにそういうことするか?」と聞くと、2人ともに「しないかあ」と答え、鶴瓶は苦笑い。そして話は、昨今のコンプライアンスの話へつながり、以前、鶴瓶がテレビの前で「うんこしそうになった」逸話などが飛び出す。訊けば、テレビ番組で丹波哲郎の家でビートたけしと一緒にロケがあったときのこと。
矢作 あ、そうか、あれ、丹波さんの家だったんだ。
鶴瓶 たけしのお兄さんが服脱いで、先に風呂に入ってたんや。あれよりも勝たなあかんと。人の家やで?
小木 人の家で風呂入る。いいボケですよね。
鶴瓶 そこから勝たなあかんから、その風呂入っているのを見ながら、廊下でぐっと力んで。
小木 あの、風呂の次のボケじゃないです、それは。
矢作 ちょっと飛びすぎだよね。
小木 飛びすぎ、飛びすぎ!
鶴瓶 あのね、あんな人、飛ばないと勝たれへん!
小木 うんこは最後ですって! 一番最後!
矢作 うんこ、実際しなかったからいいけど、本当に出たとき、やっぱり臭すぎて引くからね。
小木 そうだよねえ。
矢作 やっぱりダメなんだよねえ。
鶴瓶 ギリギリセーフや(笑)。
鶴瓶に共感を求め続ける小木
そして互いが仲良くしている木梨憲武が「いかにヤバイか」というエピソードから、「でもヤバイのは、小木なんかよりも、小木の奥さんですからね」と矢作。鶴瓶も昔から小木の妻である菜歩さんのことはよく知っているそうで、小木も急に思い出したように、「あ、そういえば、奥さんに今日、無学に出るって言ったら、“べえ師匠”に『ごはん連れてって』って言っといてー、って」と、伝言を伝える。
その気軽さに、鶴瓶も矢作も思わず吹き出し、「昔からよ。でもその感じが全然嫌じゃないのよ」と鶴瓶。矢作も頷きながら、「あの人はね、天性のものがあるから」。
そして小木の義母にあたる森山良子に話は及び、「森山良子さん頭おかしいのよ」と鶴瓶が笑うと、小木も「あれは頭おかしい、一番おかしい」と断言する。
そこからは、小木が森山良子と初めて会ったときのエピソードが続いた。初めて彼女の家に遊びに行ったときも、母親が森山良子だとは聞かされておらず、森山が自宅に帰ってきて初めて知ったのだという。
「びっくりですよ。俺がソファーに寝てて、後ろのドアが開いて、『ちょっと車どかしてー』って。彼女には駐車場の前に車停めてていいからって言われてたから、シャッターの前に停めてたんですよ。でも俺の車がどかないと、車を入れられないんですよ。で、『誰ー?』みたいにして入ってきて、俺、パッと見て、あれ? 誰だっけ? あれ?って」
しかもそのときいきなり現れた有名人に、小木は、「なんか負けたくない、っていう気持ちになって」と謎の対抗意識を持ったそうだ。
「向こうはキレてました。まず、駐車場に入れない。勝手にソファーで寝てる」。しかもそのとき、森山直太朗のスウェットを着ていたそうで、「でもそれは、俺も被害者なのよ。だって、森山良子の家と知らずに行かされ、ソファーで横になってたら、ちょっとくつろげる格好を、って、彼女が弟のスウェット持ってくるわけじゃないですか」。
鶴瓶 そのときは弟が直太朗って知らんかったん?
小木 直太朗は売れてないんですよ。あのときはまったくですよ。「彼女の弟がミュージシャンをやってる」。よく聞くじゃないですか、そういうの。ちっ、何がミュージシャンだよ、売れるわけないじゃないですか!
鶴瓶 うーん。
矢作 (鶴瓶を見て)全然共感してない。
小木 なんで共感しないの? だって、苦労もしないでね、ミュージシャンなんて無理だよって。
鶴瓶 歌は聴いたんやろ?
小木 聴いてないですよ。聴くわけないじゃないですか。「彼女の弟がミュージシャン」! だって、同級生の友達の娘がミュージシャンやってますって、「べえ師匠、聴いてください」って言われて、聴くわけじゃないでしょ?
鶴瓶 ふふふ。CDもらって聴いたりしたよ。
矢作 (小木に)師匠は「聴く」タイプなんじゃないの?
小木 それで意見求められて何か言いました?
鶴瓶 いや、俺は音楽のことはわからへんからな。
矢作 意見は言えないよね。
鶴瓶 でもラジオで流してあげるわな。
矢作 さっきから共感求めているけど、小木と師匠はタイプが全然違うのよ。
小木 なんでわからないんですか、俺のことが! こんなタイプ違いますか!?
矢作 「聴いてあげる」タイプだから。
小木 でも、心の底! 心の底では、売れるわけねえじゃん!って思うじゃないですか。
鶴瓶 ワハハ!
小木 こんな厳しい世界で、そんなね! 親が誰であろうと! 特にお笑いとミュージシャンは2世は無理だからね! 俳優だけだよ、あんなもん。
鶴瓶 俺の息子、俳優やんか!
小木 でも親はお笑いだから。それに、息子もそんなに成功もしてないじゃないですか。
鶴瓶 おい!
矢作 息子すごいよ。
小木 たまたまよ。べえ師匠の力もあるんでしょ!
鶴瓶 ないわ!
2人の噛み合わなさが掛け合い漫才のようになって、矢作がそれを冷静にツッコみながら、始終、楽しそうな3人。そして、話は、森山直太朗が売れ始めた頃に及ぶ。直太朗からおぎやはぎに、ミュージックビデオに出てほしいとのオファーがあったが、そのときも「ふざけるな、と。お前売れるわけねえのに」と小木は思ったというのだ。しかも、それが後に大ヒットした「さくら」のMVだったそうで、「え、まだそんなこと思ってたん!?」と鶴瓶の驚きをよそに、「だっているでしょ? べえ師匠の周りにも。べえ師匠、出てくださいよ、みたいな」としつこく共感を求める小木。「だから共感しないんだって」と矢作は小木をなだめるも、鶴瓶に「すごく強いでしょ、すごい男でしょ」とその小木のすごさを解いた。
小木の人間性の面白さが矢作はうれしい
おぎやはぎの2人は高校の同級生。矢作は最初の出会いを振り返り、「そのときから、このなんとも言えない佇まいだった」と言う。
「池袋から東武東上線で電車に乗るんですよ。同じ学校だから、途中の駅から乗ってくるんですよ。この感じで、澄ました顔でフワーッと乗ってくるんです。あいつ気持ち悪いな、なんだろうって。でも、なんか気持ち悪いけど、超気になっちゃうわけ」と矢作。
2人が同じクラスになったのは高3のとき。「うわ、あいつと同じクラスになっちゃったよ!と思って。初日に話しかけて、そこからずーっと遊んでいる」そうだ。そしてそれがそのままコンビとなった。
出会ったときから「この感じ」だったという小木の性格が作られた理由に話がいくと、「子供の頃から親に褒められたことがなかったんです。だから、自分のこと全然好きじゃなかった」と小木。
矢作 これを俺、聞いてるから、小木の育てられ方とは真逆の育て方を自分の子供にしているから、すごく素直ないい子に育ってる(笑)。
小木 反面教師ですよね。だから俺、矢作に褒められるのはうれしいんですよ。
矢作 俺が一番褒めてきているよな、小木の人生で。
鶴瓶 舞台でもそうやし、テレビ見てもそうやな。
矢作 なんだろう、小木は、こういう感情の人じゃないですか。俺たちが芸人になったときに、雑誌のインタビューとか受けるから「笑ってください」って言われるでしょ。でも、笑えないんですよ。面白いことないのに笑うなんて、俺たちって特殊な職業じゃないですか。
鶴瓶 (話を聞きながら「鶴瓶スマイル」とも言える、満面の笑みを浮かべる)
矢作 ほら、それ! できないのよ。俺、同窓会行ったときに気づいたのよ。同級生で40代、50代の人たちが集合写真撮るときに30人ぐらいで、男で笑ってんの、俺ともう1人ぐらいなんだよね。おじさんってね、写真で笑わないの。俺、やっぱ職業病でニコっと笑えるんだけど、誰も笑わないの。
鶴瓶 (再び、鶴瓶スマイル)
矢作 ほら、これこれこれこれこれこれ! 普通できないんだよ。俺はちょっと器用な男だから、1年目ぐらいで笑えてたと思うの。でも小木はたぶん4、5年笑えてないから、そういう人がどんどん自分の力でなんか笑いを獲り始めるわけよ。そうするともううれしくてうれしくて。
鶴瓶 ウハハハハハハ!
矢作 「お前のあれ、面白かったなあ!」「今日の小木はすごかったな」つって。とんでもなく面白いんですよ、やっぱり。面白いとき。
鶴瓶 そうやな。他人の型じゃないね、「小木自身の面白さ」やからね。
矢作・小木 (声を合わせて)そうなんですよ!
矢作 小木って、技術がゼロなんですよ。
小木 ゼロ!
矢作 30年もやってたら普通技術でさ、大体8割方いって、2割ぐらい個性とかあるじゃないですか。でも、技術がないんですよ。超下手なの、しゃべるのとか。
鶴瓶 ワハハハハ!
矢作 でも、すごいんだよなあ。
小木自身はそのままで、しかし小木自身が持つ人間性を矢作が面白がり、ツッコむことで、小木の面白さが世の中に伝わりはじめたのだ。それが、次第に、他の芸人にはない、小木博明にしかない唯一無二のものとして認められるようになっていった。
矢作は言う。
「だから最初に鶴瓶師匠がね、俺たちのことを面白いと言ってくれたように、小木なんか普通にいたら、この人のいいところを探そうと思わないじゃないですか。でも芸人の先輩のすごいのは、みんな、探すの、ここから抽出するのよね。それをわかってくれる職業って芸人だけなんですよ」
鶴瓶も頷く。
「そうなの。こんなヤツ見たことないっていうね。わざとじゃないのよ、もうこんな人間やねん」
だからこそ、22年前、いち早くおぎやはぎの面白さを見出してくれた鶴瓶には感謝していると、2人は重ねた。
それでもやっぱり、2人にとっては「師匠なんだけど、緊張しない師匠」。それは初めて2人が鶴瓶に食事に連れて行ってもらったときの話からも伝わってきた。
小木 初めての上の人とのごはん会。普通、メシ行こうっていうのは、スタッフさんやマネージャーさんもいるんです。だけど、3人だけの食事会だったんですよ。
矢作 そう! 赤坂のいい料亭よ。
小木 日テレの麹町の出たところに、ハイヤーが停まっていたんですよ。俺ら、何も知らずに、後ろの席座ったんですよ。あとから来たべえ師匠は助手席に座って。
矢作 ワハハハハ!
小木 「お前らなんや! なんで俺が助手席なんや!」って。それが怒ってるのかどうかわかんないの。
矢作 そう、わからなかった。知らないもんね。師匠、あとから来たからね。
鶴瓶 ワハハハハ! 普通は大人の常識やろ!
小木 「なんでお前らが後ろ座ってるんや! 俺が用意した車や!」って。
鶴瓶 ワハハハハ。どっかうれしいんやろうな。
矢作 すっごい覚えてる。
小木 まあ、べえ師匠だからいっか、って。
鶴瓶 なんかお前らとは合うんやろうなあ。
漫才の代わりにネタ作りの様子をしっかり再現
そしてこの「無学 鶴の間」、芸人がゲストの場合は、ネタを披露してもらうのが定番となっている。が、「漫才はしない」と言っていた2人。このまましゃべりだけで終わるのかと、「漫才をしない」理由を鶴瓶が訊くと、矢作は「漫才って、よしもととか舞台を持っている人はしょっちゅうやってるんです。テレビで漫才をやっている人たちは、舞台でいっぱいネタをかけて、すごくいいリズムでできる漫才を披露する場。僕らは、年末の『THE MANZAI』だけ、いまだに呼ばれるんだけど、そこが毎回新ネタを披露する初舞台なのよ」と、普段、漫才を日常的にやっていないのだと説明。
「だから、ネタやって、と言われても、持ってない。だから覚えてない。やれって言われたら、今、YouTubeで自分たちのネタを探して覚えるしかないんだから」
鶴瓶が「でも、こうやって立って、ずっと話してたら、できるんとちゃうの?」と訊くと、2人は「ネタの作り方がそうで、楽屋で寝っ転がりながら作ってる」と言いながら、ふっ、と、2人の世界に入り、ネタ作りの様子を再現しはじめた。
矢作 そうねえ、たとえば、今だったら、物覚えも悪いもんな、って。小木が何か覚えたいっていう感じだよな?
小木 そうだね。
矢作 小木、特技ないからって言うから、あれがいいんじゃない? 年号とかさ、最初から言える人いるじゃない? 大化からはじまって応仁とか寛永とか、それが令和まで行ったら200何十個あるもんね。
小木 それはさすがに覚えられないね。
矢作 じゃあ徳川十五代将軍とかそう言うのは言える?
小木 まあ、全然わからないんだけど、徳光和夫くらいしかわからないね。
矢作 徳光和夫は徳川じゃないから。ね。
小木 西岡徳馬は?
矢作 西岡徳馬は西岡徳馬だね。徳が入っているだけだから。
小木 うん、全然覚えられない。
そこから「円周率は?」「干支は?」と、ゆるい会話がダラダラと続きながらも、小木のボケと矢作のツッコミのリズムが心地よく絡んでいって、会場からは何度も笑いが起きていく。そのずっと聴いていられる面白さに、形ないものが生まれていく瞬間を目撃している興奮を味わった。
鶴瓶も横でニヤニヤ笑ったり、声を上げて笑っている。そして、「お前ら、いい加減にせえや」、という鶴瓶の一言で、お開きとなったが、10分足らずの会話の間に、まさにほかのコンビには真似できない奇才ぶりを見せてもらった感じがした。
鶴瓶が感心して言った。
「あんなして作るねんな。すごいよなあ。仲ええからできるんやなあ」
「やらない」と言っていた漫才を、「ネタをやる」という既存の方法ではないやり方で、しっかりと、ちゃんと、見せてくれた、それこそ、唯一無二の「おぎやはぎの漫才」だったのだ。
「無学 鶴の間」30回目のゲストは、おぎやはぎ。22年越しの「無学」で、その存在感は、さらに際立った。
プロフィール
笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)
1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。
おぎやはぎ
ともに東京出身。高校生の同級生だった小木博明、矢作兼で、1995年にコンビ結成。「M-1グランプリ」では2001、2002年のファイナリスト。ボケの小木とツッコミの矢作が織りなす独特なテンポと飄々としたキャラクターで唯我独尊のポジションを築く。長年に渡りレギュラー番組を持ち、代表的な番組は「ゴッドタン」(テレビ東京系)。また、2006年からのラジオ番組「おぎやはぎのメガネびいき」(TBSラジオ)も人気番組となっている。YouTube番組「おぎやはぎトラベル」の配信中。