「無学 鶴の間」1周年記念イベント回レポート
きっといいものになるという予感
毎月、大阪・帝塚山の「無学」を舞台にライブ配信されているトークライブ「無学 鶴の間」。その1周年を記念して、7月11日、東京・有楽町朝日ホールに場所を移し、1日限りのスペシャルイベントが開催された。その名も「笑福亭鶴瓶 無学 鶴の間fes.」。
「フェス」というと、野外の大きなステージで何人ものアーティストが出演するというイメージだったため、最初は「そんなん俺は無理やわ」と言っていたと鶴瓶。しかし、鶴瓶自身、落語会などでも何度も舞台に立っているこのホールは、「広い」とはいえ、客の顔が見える距離。しかもゲストには、鶴瓶とは付き合いも長く、実際に「無学」にも来たことがある藤井フミヤと天童よしみが来てくれる。この2人とならば、きっといいものになるという予感もあったのだろう。実際、チケットは発売と同時に即日完売し、当日も開演直前から、会場はこれから始まることへの大きな期待感に包まれていた。その証拠に、最初に鶴瓶が一人、ステージに現れると、それだけで大歓声が起こる。さらには「キャー!」という黄色い声。
驚いた鶴瓶も「すみません、すみません、そんな人気ないで、俺」と笑う。「でもこれくらいのキャパ(700人弱)でそういう方々が観られる、というのはすごいこと」と、観客の喜びを代弁。観客からは深く頷くように大きな拍手が送られた。
誕生日当日の藤井フミヤと鶴瓶「漫才やがな、これ」
最初のゲストは藤井フミヤだった。藤井が現れた瞬間、さらに大きな歓声が会場に響き渡る。しかも、7月11日は藤井の61歳の誕生日にあたる。祝福の拍手を受けながら、藤井は、「ありがとうございます」と礼を言い、「オファーがあったとき、『え、誕生日じゃん』って言ったんですよ。でもよくよく考えると 誕生日って夜飯食うぐらいで、何もすることないし、誕生日だから休みだったんですよ。だから空いてたんです」と藤井。それを聞いて、鶴瓶も「うわ、ありがたいことやね。でも、今日、誕生日やけど、いくつやねん。こんな若々しい感じやから、俺もわからへん!」と、還暦を過ぎても昔から変わらない藤井のスタイルに驚嘆。
別に食事などに気を遣っているわけではないという藤井だが、「ステージに立って歌うという意識がやっぱりあるんでしょうね」と頷く。
2人の付き合いは長く、80年代前半、チェッカーズがまだブレイクする前に、鶴瓶が司会を務めた「突然ガバチョ!」に出演したのが最初の出会いだった。1996年には藤井主演のドラマ「硝子のかけらたち」に鶴瓶も出演し、さらに親交を深めていく。中でも「鶴瓶の家族に乾杯」ではこれまで3回の共演がある。「家族に乾杯」はぶっつけ本番の旅。市井の人たちと関わりながら進むゆえ、ゲストの素の部分が映し出される番組だが、2人のトークからは、人付き合いを大切にする藤井のこんなエピソードが飛び出した。
藤井 「家族に乾杯」は人探しから始まるんですよ。ホントに。
鶴瓶 何も決めてないから。
藤井 だから、あっちのほうに行ったら人がいるんじゃないか、というふうに人を探すんです。師匠はすごく慣れているから、人がいたら走って話しかけに行く。だんだん師匠を見て学びましたよ。2回目から。
鶴瓶 だんだん上手くなってるよね。
藤井 上手になってきましたよ。
鶴瓶 人の家もスッと入っていくやろ?
藤井 そうそう、親戚みたいになってる。なんだったら、「泊まっていけ」ぐらい言われる(笑)。「晩御飯どうすんの?」って。
鶴瓶 そんな感じになってたよな。
藤井 俺もね、しゃあしゃあとね(笑)。
鶴瓶 でもだいたい普段もそんなんやろ? 仲良くなったら。
藤井 そうです。こないだ(2018年放送の「家族に乾杯」)も、熊本の山の中に1軒だけ絵本屋さんがあったんですよ。
鶴瓶 そうそう!
藤井 あそこにまた行ったもん。
鶴瓶 山の奥の絵本屋さんや。よう見つけたよな。今もまだやってはるの?
藤井 やってらっしゃいますね。あのあとに絵本がなくなるぐらい売れたって言ってた(笑)。
鶴瓶 あんまり絵本なくなるくらい売れたらあかんで(笑)。
藤井 それで、あのあと、また行ったんです。そのお母さんに会いに。
鶴瓶 それが偉いやんか。
藤井 コンサートも来てくれてね。
鶴瓶 だからずっとそういう付き合いになるわな。
会場がホールになっても、「無学 鶴の間」と構成は同じ。2人の間にはマイクが1本。話す内容はフリートーク。長い付き合いだからこそ飛び出すエピソードの数々に次々と笑いが起こり、ふと藤井が、「これ、だんだん漫才やってるみたいになるね」と言葉を漏らすと、すかさず鶴瓶も「漫才やがな、これ」とニヤリ。
フミヤの歌声に鶴瓶感動「なんなの、あの人!」
さらに話は共演したドラマ「硝子のかけらたち」での打ち上げでのこんな話へ。
鶴瓶 その主題歌がものすごいヒットしたやんか。
藤井 ヒットした。「Another Orion」。今も代表バラードです。
鶴瓶 ええ歌やもん。で、俺がその歌を覚えて、打ち上げのときに歌おう思ってね。
藤井 うん、打ち上げね(笑)。
鶴瓶 その日、酒飲みすぎて、痛風でめっちゃ痛かって、それで坐薬入れて歌に行ったんやけど、ボトボトと落ちた(笑)。
藤井 なんか酔っぱらうと師匠はお尻を見せたがりで、お尻見せた。そしたら、「師匠、出てる!」みたいになって。
鶴瓶 ワハハ。でも普通だったら「出てる!」で終わるやないか。人間がええんやろうなあ。出したらあかんと思ったのか、受け止めようとしてくれた(笑)。やめとけ!
藤井 そうそう、動物の糞みたいに点々と落ちてたんですよ(笑)。
鶴瓶 坐薬やん!
藤井 それで、俺が、おしぼりで拭いてまわって(笑)。
鶴瓶 ワハハハハハ! やめろ! これ配信やで!
藤井 まあ、師匠のうんこくらい、赤ちゃんのうんこと同じようなものだから、汚くないから大丈夫。
鶴瓶 あのな、今から歌うたってもらうんや。
藤井 本当にね、そういう事件がありましたね。
鶴瓶 もうスタンバイしてな、歌。
藤井 いや、もうちょっと間を開けた方がいい。いきなりうんこから歌うのもね。
鶴瓶 自分が言うたんや!
その打ち上げももう27年前になるというが、今も変わらない付き合いがうれしいと鶴瓶。藤井とは、木梨憲武やヒロミなど共通の友人も多く、藤井が「みんな、鶴瓶師匠のこと大好きですしね」と言うと、「あいつら、めちゃくちゃしよんねん、俺のこと」と苦笑する鶴瓶。すると、「なんか言いやすいんですよ。そこがすごいと思う。大御所で師匠ほど言いやすい人はいないと思うよ」と藤井。年齢は10歳ほど違っても、変わらない友人関係を続けている2人の間柄がよくわかるトークだった。
そろそろ、と、「今日は2曲用意してもらったんです」と鶴瓶が切り出す。これまで藤井フミヤのいろんな歌を聴いてきて、ほかにも好きな曲がいくつもあると言う鶴瓶だが、今日、藤井が選んで来てくれたのは、その中でも「ずっと歌い継がれる歌」だったという。
1曲目は「名詞代わりに歌います」と、「True Love」。藤井フミヤの1993年のソロデビュー曲にして、大ヒットした楽曲だ。自身が奏でるアコースティックギターと歌、そこにピアノが入ってのシンプルゆえに、メロディの美しさと、藤井の低音の太く心地よい歌声がより心に響く。700人を前にしても、たったひとりに語りかけるように、丁寧に、そして誠実に、歌っていく。こういう歌こそ、誰しもの人生の一部に寄り添い、誰しもの「私の歌」になり得る、普遍的な歌なのだとあらためて思う。
続いて、ドラマ「硝子のかけらたち」の主題歌となった「Another Orion」。藤井はギターを下ろし、演奏はピアノのみ。切なくもエモーショナルな演奏に、藤井の力強い歌声が乗り、「別れじゃなくて これが出会いさ」という歌の中にある2人の物語が浮かび上がる。
観客はその歌声に、その歌の世界に聴き入った。歌い終わったあとも拍手が鳴り止まないのに、心の中にはジンと沁み入るような余韻が続いている。鶴瓶も思わず、「なんなの、あの人!」と感動しきりだった。
天童よしみと鶴瓶「近所の妹としゃべってるみたいや」
続いて、鶴瓶が天童よしみを呼び込み、晴れやかな笑顔の天童がステージに現れると、会場からは大きな拍手とともに「可愛い!」という声が飛ぶ。「可愛い、というのは本当にそうで、人間がええんですよ」と鶴瓶。それは、「一緒に『家族に乾杯』で歩いててもね、人がぶわーって集まってくる」というほどで、天童の温かい人柄は、彼女がそこにいるだけで、その存在から伝わってくるのだ。
鶴瓶と天童は生まれ育った地元が近く、子供の頃から天童の歌のうまさは地元では有名だったという。
「噂はずっと聞いてたんですよ。上沼恵美子さんからも話聞いてたし」と鶴瓶。天童は上沼とも仲が良いが、2人の出会いは小学生の頃に遡る。聞けば、当時「ちびっこのど自慢」という歌番組があり、そのグランドチャンピオン大会に2人とも出演。そのチャンピオンになったのが天童よしみだったのだという。
天童 大きなトロフィーをもらったのですが、そのうしろで拍手して送る側が上沼恵美子さんやったそうなんです。それからずいぶん年月が経って訊いてみたんですよ。「あのとき、拍手送ってくれたよね、恵美ちゃん」って。そしたら「ほんまは殺したかった」って(笑)。
鶴瓶 ワハハハハハ!
天童 なんかこうメラメラとものすごく悔しさがこう倍増してきたって。で、私がデビューした当時に手紙をいただいたんです。お姉ちゃんと漫才するからっていう、そういうお手紙でした。
鶴瓶 その漫才も、「海原千里・万里」でドーッと売れましたからね。
天童 うれしかったですね。
鶴瓶 うれしいでしょ。こっちは歌で、向こうは漫才で上がっていったんだから。
天童 だからネタでね、いつも言われるんです。「うしろから首絞めたかったけど、よしみちゃんに首なかった!」って(笑)。
鶴瓶 ワハハ!
天童 ほっとけ!と思いましたけど(笑)。
鶴瓶 いやいや、首はありますでしょ。
天童 いや、首はちょっとあるんですけど(笑)、ものすごく嫌です。首のこと言われるの。
鶴瓶 俺も首のこと言われんの嫌や!
天童 あ! 師匠もあれですね。なんかこう、顔がパンとついてキュッて。
鶴瓶 パンついてキュッ、って!(笑) 首無し族やん!
天童 (笑)。そやけど、今はこうしてしゃべってますけどね、家帰ったら泣くんですよ。私もすごい気にしいやねん。足短いとか手短いとか言われたらほんまに腹立つねん。
鶴瓶 あのね、ちょっと待ってください(笑)。僕が言うてないですよ。あんた自分で言うて自分で腹立って(笑)。
天童 (笑)。
大阪弁のイントネーションでテンポのいい2人のトークに観客からも笑いが絶えない。「近所の妹としゃべってるみたいや」と鶴瓶。
「でも、師匠が、行く先々でお会いするたびに、よしみちゃんって声をかけてくれるので、だからすごくうれしいんですよ」と天童が言うと、「ご近所にこんなすごい人がいてると言うのが僕もうれしいんです」と鶴瓶が答える。
さらに話は天童が以前「無学の会」にゲストで出演したときのことへ。無学では、どの歌を歌ってもらうか、事前に決めず、鶴瓶がその場でリクエストしていったのだという。それに全部応え、圧巻の歌を披露してくれたという天童。中でも心に残っているのは、天童がカバーした、ベトナムの国民的作曲家チン・コン・ソンの作品「美しい昔」を歌ってもらったことだと鶴瓶。自身の歌だけでなく、カバーした曲までも聴いてくれ、その上でリクエストしてくれる鶴瓶の想いがうれしかったと天童は言い、「何が来るかビクビクしてましたけど、無学の会というのは、そこで突発的に言われてパッと返す。それもやっぱりプロフェッショナルなんやなと思いました」と語った。
天童のステージに観客も涙
そして今日、天童がこの日のために用意した曲について話は続いた。一曲は、今、届けたい新曲「星見酒」を、そして、もう一曲は、半﨑美子作詞作曲の「大阪恋時雨」だった。この歌は鶴瓶なくしては天童が歌うことはなかった曲だったというのだ。
天童 それがまたすごく運命的な出会いだったんです。あのとき、鶴瓶師匠が半﨑美子さんを「無学の会」に呼んだんですよね。
鶴瓶 そうそう。ちょうどNHKの「みんなのうた」で曲が放映され始めたときで。
天童 その「大阪恋時雨」という曲は、もともと半﨑さんが歌っていた歌だったのですが、師匠から電話があってね、「この曲はよしみちゃんのほうが合ってる」って。私、びっくりして。そのとき、半崎さんも一緒にいらっしゃったんですよね。
鶴瓶 そう、「絶対、お前より、天童さんの方が合うで」と思ったので、図々しいですけど、すぐに電話して。
天童 本当は「大阪恋時雨」の前に「よさこい鴎」いう曲を出すことが決まっていたんですけど、でも、それよりも「大阪恋時雨」にしたいって私が言って。
鶴瓶 すごいでしょ。決まってる歌がそうじゃないようになっていくんだからね。
天童 師匠から言われてすぐに対応してくれました。会社の社長が。
鶴瓶 させたんでしょう?(笑)
天童 させました(笑)。
鶴瓶 でもうれしかったですね。半﨑も喜んでましたね。そうやって自分の歌を歌ってもらえることはうれしいですよ。
天童 本当にいい歌やったから。紅白でもこの曲を歌うことができた。
そして、2曲、天童のステージが始まった。まずは「大阪恋時雨」を披露。天童初のラブソングともなったこの歌は、どうしようもない人を深く愛してしまった女心を切々と歌い上げるソウルバラード。聞き手を励ます、鼓舞するような歌もいいが、この歌には、人が人を愛する「どうしようもなさ」が描かれ、その悲しみが、彼女の歌声によって、より切なく伝わってくるのだ。
続いて、新曲「星見酒」。日々、生きるために働き、悲喜こもごもを噛み締めながら、星を見上げて酒を飲む。そうしてまた今日を生きる。そんなささやかだけど、力強い歌だ。デビュー以来、変わらない圧倒的な歌声を聴かせてくれる天童だが、やはり歳を重ねるたびに深まっていく表現力は、人の心を包むような優しさに満ちている。だからこそ、聴いた後、聴き手の背中をそっと押すのだろう。
泣いている観客もいた。生の天童の歌声が心に届いた証だった。
成功を収めた「フェス」という挑戦
再び藤井が登場し、3人でトークを重ねた。歌い終わったあとの2人は、最初よりも少しリラックスしたムード。天童の圧巻の歌をステージ袖で聴いていた藤井が、「日本の歌姫って意外と身長小さい人が多いんですよ」と言うと、天童は「あ! 親指姫とか!」と言って、その受け答えに思わず笑いがこぼれる。そこから、美空ひばりさんとデートしたことがあると、藤井の驚きの告白が飛び出す。ほかにも、紅白歌合戦での裏話や、カラオケで何を歌うのか、大阪の土地柄の話など、話題は尽きない。そして最後は、藤井の誕生日を祝うため、観客とともにバースデーソングを歌い、温かい雰囲気に包まれたまま、大団円となった。
鶴瓶は言った。
「こんな形になると思ってなかったけれど、2人がいいから、ええ流れでずっと来たよね」
かくして「フェス」という挑戦は大成功となった。キャパシティは10倍の広さだったとはいえ、その場その場で生まれるトークの面白さや、ライブゆえの生々しさは、「無学 鶴の間」そのものだったように思う。もっと言うならば、それぞれのプロフェッショナルがステージにかける覚悟が、広い場だからこそ、より伝わってきた。
そして、そんな人たちのパフォーマンスを「無学 鶴の間」で観ることの貴重さを、あらためて知るのだ。
「笑福亭鶴瓶 無学 鶴の間fes.」第1回目、ステージをともに作ってくれたゲストは、今年デビュー40周年を迎え、ますます「藤井フミヤ」という唯一の表現者として、いつまでも私たちを驚かせてくれるアーティスト、藤井フミヤと、デビュー50周年を越え、歌の表現力が増し、より日本人の心に沁み入る歌を届けてくれる国民的歌手、天童よしみ。2人のステージを見ていると、年齢の数ではなく、年々、その人自身としての輝きを増していく、そんな印象を受ける。だからこそ、彼らの今、そしてこれからをもっと見ていきたいと願うのかもしれない。
プロフィール
笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)
1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。
藤井フミヤ(フジイフミヤ)
1962年生まれ、福岡県久留米市出身。1983年、チェッカーズのボーカルとしてデビュー。1993年以降はソロアーティストとして、楽曲リリースや全国ツアーなど音楽活動を続けている。9月23日より全47都道府県をまわる「40周年コンサートツアー」を開催。また、アート作品を発表しており、全国で個展も行っている。
天童よしみ(テンドウヨシミ)
1954年生まれ、大阪府八尾市出身。1971年「ちびっこのど自慢」で優勝し、アニメ「いなかっぺ大将」挿入歌「大ちゃん数え唄」をレコーディング。1972年「風が吹く」でデビュー。その後、「道頓堀人情」が大ブレイクし、1997年「珍島物語」が100万枚の大ヒット。「NHK紅白歌合戦」にはこれまで27回出場し、3回紅組のトリを務めている。最新作は「星見酒」。