芸人の仕事に大事な“全部”がある、ダブルヒガシとアインシュタインが語るよしもと漫才劇場

お笑いナタリーでマンゲキ大型特集の展開がスタート。その最初を飾る企画として、今、大阪・よしもと漫才劇場を支えている主力メンバーの1組であるダブルヒガシと、マンゲキOBであるアインシュタインの対談の場をセッティングした。2組が語るのは、脈々と続く先輩からのバトン、そしてスタッフも含め笑いのプロ集団が作り上げている劇場の魅力。この舞台に立ち続けるからこそ、フィールドを移しても彼らはその力を発揮できている。

取材・文 / 狩野有理撮影 / 塩崎智裕

久々に出てきたおもろいコンビ

──アインシュタインから見て、ダブルヒガシはどんな後輩ですか?

アインシュタイン河井 骨太なイメージですね。久々にめっちゃおもろい奴が出てきたな、と。この話はどのインタビューでも言っているんですが……。

ダブルヒガシ東 ちょっともういいですってそれ!

河井 劇場のバトルライブのときにダブルヒガシを見かけたんですけど、ネタ合わせしながら腹抱えて笑っていたんですよ。バトルって上がれるか上がれないかの緊張感もあるから、どの組もなんとなくピリピリしているんですね。そんな中、こいつらだけめちゃくちゃお互いに笑っていたから、「すごいコンビが出てきたな」と思って。で、結果見たらバトル落ちてて。

 言わんといてくださいよ!(笑)

左からダブルヒガシ大東、ダブルヒガシ東、アインシュタイン稲田、アインシュタイン河井。

左からダブルヒガシ大東、ダブルヒガシ東、アインシュタイン稲田、アインシュタイン河井。

河井 若手のバトルってなんぼネタが面白くても、多少ビジュアル的なことが要素として入ってくると思うんです。だからダブルヒガシがバトルで1位になったとき、「ほんまの1位やな」と思いましたね。今でこそ可愛げが出てきましたけど、当時は……ねえ?(笑) いろいろ凌駕しての1位だと思ったので、言いましたもん、本人に。

ダブルヒガシ大東 (河井の真似をしながら)「お前らの1位は、ほんまの1位や……」って言ってくれました。めっちゃいい声で。

河井 システマチックなネタとか、キャッチーなネタではなくて、ほんまに地元の連れがしゃべっている感じ。だからこいつらのラジオってめっちゃおもろいんですけど。ネタもその感じ。ちっちゃいときから面白いと思ってることが変わってないんやろうなーと思いますね。

アインシュタイン稲田 僕もずっと面白い印象を持っていますね。あと、僕が劇場にいたときってブスイジりされている人っていなかったんです、僕以外。僕がいるせいで、「ちょっとブス」という程度ではイジられなかった。その後、僕らが劇場を卒業してから久々に若手ライブのコーナーに出たときに、東がブスイジりされていて。「がんばってんなー」って思いました。「ええな、ええな」と。

 あはははは!(笑)

稲田 すごいグッときました。

大東 バトン繋がりました?

稲田 バトン、ちゃんと渡せたなって。

 いやいや、そのバトン重すぎるって! 持ててないですよ、全然。

ダブルヒガシ

ダブルヒガシ

──反対に、ダブルヒガシから見たアインシュタインは?

 僕らがまだ何も結果を出してないときにアインシュタインさんは劇場を卒業しはったので、そこまで接点あるわけじゃないんですが、いつもライブに呼んでくれる先輩です。

大東 かわいがってもらってます。

 言ったら、テレビで見ていた存在ですね。僕らがNSCに行っているときかな? 「オールザッツ漫才」(MBS)で優勝されて、それを録画して観ていました。だから今、ライブに誘ってもらったり、ごはんに連れて行っていただけたりするのはめちゃくちゃうれしいです。こんなありがたいことはない。

河井 いやいやいや。いつもお前ら俺のことイジり倒してるやん。

 何がですか?

河井 単独ライブオープニングのVTRのこととか。

大東 アインシュタインさんって単独でいつも素晴らしいオープニングVTRを流されているんですよ。プロジェクションマッピングで、タペストリーに映像を映すんですけど、ゆずるさんがこう……(アゴを前にクッと出す)。

稲田 それどうやって文字にすんねん(笑)。

大東 キックしたらパリパリパリパリーンってガラスが割れたみたいになったりして。それがもう、ダッサー……!

河井 あ! お前、とうとう言うたな!(笑)

 僕はそれがめっちゃカッコいいって言っているんですけどね?

大東 でもそのダサさが、「大阪抜けてへんな。大切にしてんねや」って思います。

河井 そんなつもりちゃうねん!

稲田 でも僕は、こうやってダブルヒガシが河井さんをイジっているのを見て勉強したり、もらったりもしてます。

──「もらったり」?

稲田 僕が知らなかったことをラジオとかで話して教えてくれるんです。印象的なもので言うと、「美容に力入れすぎて、河井さんはもう化粧水を飲み始めた」。これはいただきました。ありがとね!

河井 いや化粧水飲んでないねん(笑)。

大東 イジらせてくれる、いい兄さんです。

アインシュタイン

アインシュタイン

戸惑いもあったよしもと漫才劇場の誕生

──2014年12月、よしもと漫才劇場がオープンした前後のことは覚えていますか?

河井 僕らは1回、5upよしもと(前身となる若手劇場)を卒業しているんですよ。僕と同期の天竺鼠や藤崎マーケット、かまいたちとか、仕事がある組はなんばグランド花月に出ることになって、それ以外の売れてない、“どうしようもない組”はあべのハルカスの9階にある催事場のステージに出ることになったんです。

大東 ハイステージ(HighStageよしもと)ですね。

河井 そう! 行ったことある?

大東 僕らはないですね。

河井 本当に小さいステージで、キャパは80とか、ギッチギチに詰めて100とか。天井も低くて、「はいどうもー」って出ていったら上からの照明が、嘘じゃなく、ここ(頭上ギリギリ)にあるんです。

──アッツアツですね。

河井 ほんまに(笑)。日焼けするくらいの。

稲田 僕なんて毛が薄いから、頭部が光で全部白飛びしてスキンヘッドの人やと思われてました。

河井 そこに10カ月くらい出ていたんですが、見取り図や吉田たち、NSC大阪29期が一番上になって盛り上がっているときに、僕たちあべのハルカス催事場組だけが劇場に戻された。だから、申し訳ない気持ちしかなかったです。

稲田 後輩たちからしたら、自分たちが一番上やったのに先輩たちがまた帰ってきて、嫌じゃないですか。

河井 それも売れてない先輩がな(笑)。だから最初の1年は影を潜めてましたね。引き続き29期のみんなが中心にやってくれたら、と思ってました。で、1年くらい経ったときに、「これはもうしゃーない」と腹決めて。いつまでも劇場にいるんじゃなく、2020年に出ていくとして、それまでにできることをいっぱいやろうと思ったんです。

ダブルヒガシ

ダブルヒガシ

アインシュタイン

アインシュタイン

──東京へ行く時期をあらかじめ設定した上で、劇場を盛り上げるためにできることをやろうと。

河井 そうです。

稲田 僕はそれを知らんくて。「東京行くか」みたいな話はなくて、一か八かで東京行ってみたんですよ。そしたら河井さんがおったっていう。

 それは一緒に行ったんでしょ!(笑)

──ダブルヒガシの周囲は漫才劇場ができると決まったときどんな反応でしたか?

大東 最初は「漫才だけの劇場」だと聞いていたので、コント師はパニック状態でしたね。

 僕らは漫才をやっていたのであんまり変わるという意識はなくて。そんなことよりも、まず劇場に所属することでいっぱいいっぱいでした。

──5upからマンゲキになって変化したことはありますか?

稲田 単独ライブを打ちやすくなったとかはあると思います。昔やったら、単独打つのなんて一番上まで行ってやっと、っていう感じでしたから。そういう機会をくださるようになって、芸人たちも自分の個性や強みを見つけていけるようになったのかなと。

大東 平等にチャンスが与えられるようになった気がしますね。でもその反面、どうやって抜け出すのかわからなくなりました。5upから漫才劇場に変わるときにピラミッドがなくなると聞いていて、どこで優劣がつくんだろう?と思った覚えがあります。

河井 昔は「トップ組」がおって、1軍、2軍ってなってたけど、今は芸歴で「極」と「翔」に分けてるからね。

──ピラミッドが廃止されたことで変わったことは?

 面白いけど下のほうのランクにいた芸人がチャンスを掴める環境になったと思います。

河井 そうね。あと、みんながちゃんと考えるようになったんじゃないかな。おのおののコンビの活動をどうしていくかを。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

先輩たちから受け継いだバトンをつなぐ

──あべのハルカス催事場から若手の劇場に戻り、卒業時期を決めてがんばろうと決めたアインシュタインのお二人ですが、マンゲキがどんな劇場になればいいと思っていましたか?

河井 僕1人でこの劇場をどうにかしようとは考えていなかったですけど、今まで先輩がメインでやってくれていた大きいフェスイベントやそれに付随する打ち上げなど、自分がやってもらってよかったこと、うれしかったことは引き継ぎたいなと思っていました。そしてそのバトンを後輩にも渡す気持ちではありましたが、だからと言ってそれを絶対に受け継いでほしいということではなくて。下の世代の芸人たちには彼らなりのやり方や雰囲気があるだろうから、それに対して口出ししようとは思っていなかったです。

稲田 まだ劇場に先輩がいた頃、藤崎さんや天竺さん、かまいたちさんがコーナーとか大喜利で最後にボケることが多かったんですけど、たまにこそっと川原さんに「僕、今日最後行ってもいいですか?」と相談してやらせてもらっていたことがあったんです。だから自分が先輩になったとき、最後のおいしいところを自分ばっかりがやるのではなく、後輩に「行っていいよ」と言ってあげることを意識していたんですけど、やっぱり最後ってリスク高いんですよ。僕よりも賢い後輩たちなので、「いや、僕3番手で大丈夫です」って断られました。

一同 あはははは!(笑)

稲田 3番手で行って、しっかり一番ウケやがりました。セルライトスパの大須賀です。

河井 はっきり名前出すなや!(笑)

稲田 そんなふうに、「自分が先輩にしてもらったことってなんやろう?」と考えながらやっていたつもりです。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

ダブルヒガシとアインシュタイン。

──ダブルヒガシのお二人は今、劇場を背負う立場です。意識していることはありますか?

 ずっと面白い子たちがいて、それを絶やさない。ずっとおもろい劇場をキープするっていうところを一番意識しています。

──どうやったらキープできるんでしょうか。

 それはわかんないです(笑)。わかんないですけど、楽屋の雰囲気作りとか。

──楽屋の雰囲気はいい?

河井 僕から見ても、仲いいなあと思いますね。

──神保町よしもと漫才劇場ができたての頃、令和ロマンのくるまさんが大阪マンゲキの一体感やノリを神保町も見習っているとおっしゃっていたことがあって。楽屋の雰囲気作りは大事なことなんでしょうね。

河井 へー。そんなことを言っていたんですね。

 楽屋で暇やから、暇つぶしのために誰かをイジって……とやっていたらノリが生まれてるっていう感じですね。楽屋に行けば誰かしらは絶対いるので。楽しい環境ではありますよね。

河井 劇場を持っている、よしもとならではの文化かもしれませんね。

──大東さんが意識していることはありますか?

大東 僕は大喜利が好きなんですけど、大喜利ってあんまりやる機会がないんですよ。僕自身が大喜利で先輩に認めてもらえた部分があるので、ネタ以外のおもろいやつを探す公演やコーナーを作ったりはしています。ネタはもうみんなおもろいから。パーソナルな部分でおもろい奴を探したりしています。