笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る配信番組を徹底レポート。第26回ゲストは浜村淳。 (15/27)

「無学 鶴の間」第14回レポート

笑福亭鶴瓶×柳亭小痴楽(2023年6月10日配信)

18年前の出会いのとき、鶴瓶の社会の窓は全開だった

「無学 鶴の間」のゲストは毎回伏せられており、登場するまではわからない。しかし、ステージには緋毛氈(ひもうせん)で覆われた高座台らしきものが置いてある。

「ここ見たらわかるやないですか。想像してはるでしょ。開演を待ってはるとき、これ、なんやろなって」

観客に向かって鶴瓶はそう言い、「落語家です。桂宮治や講談の神田伯山たちと一緒に『成金』というユニットをやっていたんですが、それを引っ張っていたヤツで、ずっと呼びたいと思っていたんです」と前置きする。「柳亭小痴楽でございます」、鶴瓶が呼び込んだその名前に、力強い拍手が湧き、これからの落語界を担う若手人気落語家、柳亭小痴楽への期待が大阪の会場からも伺えた。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

観客の拍手の大きさに、「知ってはるんやな」と鶴瓶。落語家をここに呼ぶのはうれしい、と、以前鶴瓶はそう話していたが、六代目笑福亭松鶴が大切にしてきた、東西を越えた落語家同士の繋がりが、この「無学」で続いていくことは、鶴瓶にとっての喜びでもあるだろう。

六代目松鶴と四代目柳亭痴楽は仲が良かったと鶴瓶。その繋がりもあって、1973年、大阪の角座で行われた桂福團治、桂枝雀、笑福亭枝鶴のトリプル襲名披露に、東京から四代目柳亭痴楽が出演。鶴瓶は松鶴に入門したばかりの年だったが、四代目痴楽がその舞台上で脳卒中で倒れ、ガタイのよかった鶴瓶が四代目痴楽を抱えていったということがあった。

「そこに君の今の師匠(柳亭楽輔)もいらっしゃいましたよ」と鶴瓶。まだ小痴楽が生まれる前の話だが、落語家の繋がりの深さを知るエピソードが、この日のトークの始まりにふさわしいものだった。

一方、小痴楽が鶴瓶に初めて会ったのは18年前。当時、「桂ち太郎」として桂平治(現・十一代桂文治)に入門したばかりの頃だったと振り返る。

柳亭小痴楽

柳亭小痴楽

小痴楽 (林家)正蔵師匠と鶴瓶師匠の二人会に前座で入れてもらったんです。でも僕はどちらの師匠も知らないんですよ。正蔵師匠とも東京での協会が違うので、僕でいいのかなと思いながら。当時16歳だったのですが、前座なんで、かなり早く楽屋入りしたんですが、先に鶴瓶師匠が入っていらっしゃって、楽屋に挨拶行ったら、いないんですよ。そしたら、師匠がお手洗いから出てきて、「おお! お前がち太郎か。お前の親父と会ったことあるで」とおっしゃった。親父も落語家(五代目柳亭痴楽)だったので。

鶴瓶 ああ、そうそうそう。

小痴楽 「ああ、そうですか」と頭下げたときに、師匠の“社会の窓”が全開だったんですよ。

鶴瓶 (笑)。

小痴楽 それ、ツッコんでいいのかわからなくて。

鶴瓶 あ、開いてるって知らんとやってたんやで。別にツッコんでもらおう思って、開けてる人いてない(苦笑)。

小痴楽 へへへ。突っ込むものなのに。あ、ごめんなさい、ごめんなさい、なんでもないです、なんでもないです。

鶴瓶 配信やん! お前、絶対あかんで! こいつ、ちょいちょいクビ(破門)になってますからね。あきませんよ。

小痴楽 ワハハ。それが初めてで、でもそこからなかなかお会いする機会はなかったんですけど。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 そこからお前もガーって出てきたからね。うれしく思ってるんですよ、ようがんばってるなって思って。俺は、18年前といったら、落語やり始めてすぐくらいやで。本格的に落語を始めたのは50歳過ぎてだから、今年で21年か。お前何歳や?

小痴楽 今35になります。

鶴瓶 落語の年数は?

小痴楽 18年。2005年に入ったので。

鶴瓶 じゃあ、ギリギリ俺のほうが先輩や(笑)。

「成金」と「六人の会」ユニットでの活動

その後、二ツ目昇進と同時に三代目柳亭小痴楽を襲名した小痴楽は、桂宮治、神田松之丞(現・六代目神田伯山)、瀧川鯉八、春風亭昇々ら、落語芸術協会に所属する二ツ目の落語家、講談師11人で「成金」を結成。これがこれまで落語を知らなかった若い層にも届き、二ツ目ブームとなっていく。しかも「成金」は、メンバーそれぞれが互いの芸を間近で見、切磋琢磨しながら、自分の芸を磨いていく場でもあった。鶴瓶も彼らの活躍を耳にしていたと話す。


小痴楽 宮治、伯山、その2人と一緒にやってたというのと、芸歴だけだと私のほうがちょっと先輩なんですよ。それでそのユニットをまとめていたということで、過大評価というか、評価だけが上がっていったんですが、僕だけが成長しないっていう(笑)。

鶴瓶 いやいや、それは成長してるねんて。俺なんか、「六人の会」(2003年結成)で、(春風亭)小朝、(立川)志の輔、(春風亭)昇太、(柳家)花緑、(林家)正蔵、その中に、俺、出てるねんで(苦笑)。それまで落語やってなかったのに、小朝のお兄さんに、「落語ブームの次の波を起こしたいから落語をやってくれ」って言われて。そこからスイッチ入れてやらなあかんと思ってやってるけど、ほんまに大変やで。過大評価ってそうやけど、俺も名前があるから、「鶴瓶来るなら観に行こう」ってなるやんか。でも落語はこんなもんかって思われんように。

小痴楽 50からは嫌ですねえ。50からフッとやるんじゃなくて、そのメンバーに混ざるっていうのが、どんだけ地獄かっていう……。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

それまで古典落語しかやってこなかった鶴瓶が、自分にしかできないことをとやり始めたのが、日常のことを落語にした、新作落語ならぬ「私落語」だった。「青木先生」や「ALWAYS~お母ちゃんの笑顔~」、六代目松鶴と弟子たちとのやりとりを描いた「かんしゃく」などもそうだ。

「日常にあることやから、めちゃくちゃウケるわな。でも落語の形を取るっていうのが非常に難しかったね。でもだんだんそういう作るコツみたいなのができはじめた。お前もやってるやろ?」と鶴瓶が言うと、「僕は新作は本当にできなくて……。古典やるので手一杯ですね」と下を向く小痴楽。それでも「毎週連載でエッセイを書いてるので、そこで日常を面白く書く、伝えるという稽古にはなっている」と話すと、鶴瓶は「一番大切なことは何かっていうと、ほんまのことを掘り下げて言うことや。大きくしない。盛らないっていうことがすごく大事や。盛らないほどオモロいことないよ」と、自分の経験を伝える。

「日常って、面白いこと起きるやろ?」と促すと、小痴楽からは、トボけた弟弟子の話や、マネジメントを自分でやっているがメールが返せず放棄している話など、自身を含めて周りのオカシイ人たちの話が飛び出してくる。彼のちょっと投げやりで乱暴な語り口も相まって、その「日常の話」はなんとも面白く、そこに鶴瓶の「日常の話」が加わり、ボケとツッコミが入れ替わる漫才のようになっていった。特に、大爆笑となったのは、小痴楽の父、五代目柳亭痴楽のエピソード。

父・五代目柳亭痴楽はめちゃくちゃな人だった

鶴瓶 自分のところのお父さんは亡くなるのが早かったやろ?

小痴楽 うちの父親は、54歳で脳幹出血で倒れて寝たきりになって、意識はあったので意思疎通はできたんですが、4年後に亡くなった。

鶴瓶 そのとき、もう噺家に?

小痴楽 僕が「落語をやりたい」と言ったら、2週間後に倒れちゃったんですよ。びっくりしちゃった。

鶴瓶 絶対やらへんと思ってたヤツが、やりたいって言うから(笑)。いやあ、でもすごいな。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

小痴楽 ちょうど、先代の痴楽師匠が53で倒れて、うちの父親も自分に保険をかけてて、痴楽の「痴」が病垂れなので、縁起悪いっていうので親父はずっと気にしてたんだけど、53を越えたんで、もう大丈夫だって保険を解約したんですよ。その瞬間に倒れたんで、うちの母ちゃんが、倒れたばかりの親父見ながら「あと1年! 惜しいっ!」って言って(笑)。で、うちの父親は、(三遊亭)小遊三師匠、(桂)米助師匠、(三笑亭)夢之助師匠と同期で、すごく仲良かったんです。しょっちゅう飲んでましたね。小さい頃、明け方迎えに行くとそのメンバーで。

鶴瓶 めちゃくちゃやったんよね。自分ところのお父さんな。

小痴楽 乱暴でしたね。生活費がないときは、子供たちの貯金箱割って、その金で麻雀しにいって、もう死んでるんでいいですけど、賭けで。

鶴瓶 ちょっと待って! 死んでるからええって(笑)。

小痴楽 それでお金持って帰ってきて、「これでふた月いけるだろ」って言って、またいなくなっちゃったりとか。

鶴瓶 えー! 博打打ちやんか、完全に。

小痴楽 うちの母親は、「パパがゴルフと麻雀できてなかったら私たちは生きてない」って言ってました。

鶴瓶 じゃあ、ゴルフも強かったんや。

小痴楽 強かったですね。

鶴瓶 ゴルフも賭けてはったんや。

小痴楽 (笑いながら)はい。

鶴瓶 ワハハ! (カメラに向かって)もう死んではりますよ! 配信ですからね。

小痴楽 ワハハ。親父とのエピソードを言うと、全部ダメなんですよ(笑)。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

その後も、配信ギリギリ(!?)の父親の豪放磊落なエピソードが続き、「おもろい人やったんやなあ!」という鶴瓶の言葉に、「一緒にいて本当に楽しかったですね」と頷く小痴楽に、「どこかで見てらっしゃると思うけれど、息子が噺家になって喜んではるやろな」と鶴瓶。


鶴瓶 兄弟は?

小痴楽 兄貴が1人。兄貴は落語が大好きなんです。兄貴は顔がいいんですよ。

鶴瓶 お前もええで。

小痴楽 いやいや、レベルが違うんですよ。

鶴瓶 お前、何かの表紙飾ってるよな?

小痴楽 (しばし思いあぐねて)……はい、そうなんですよ、表紙飾ってるんですよ。ウハハ、絶対飾ってないですよ、僕!

鶴瓶 なんかで表紙出てたで(と、雑誌をめくる動作をする)。

小痴楽 めくった時点で表紙じゃないじゃないですか! ウハハハハ!

鶴瓶 あ、そうか! ははは、そやそや。ごめんごめん! あれは表紙言わへんのか(笑)。

小痴楽 落語の何かで中で出てたかもしれないですけど(笑)。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 兄貴はすごいんや。

小痴楽 100人いたら99人が「カッコイイ」と言うタイプのカッコイイなんです。兄貴、シンタロウで、僕、ユウジロウ(勇仁郎)っていうんですけれど。

鶴瓶 おい!

小痴楽 ふざけているのはお父さんですよ。子供たちは真面目に生まれてきたんです。

鶴瓶 兄貴シンタロウで、お前ユウジロウ! おとん、どないなってんねん!

小痴楽 ちょっとふざけてる(笑)。

鶴瓶 (笑)。そんで?

小痴楽 「シンタロウはカッコいいから私の子、ユウジロウはパパの子だね」って。ずっと小さい頃から母親に言われてました。「私はちょっと認めない」っつって。

鶴瓶 「認めない」って(笑)。お母さんも綺麗なの?

小痴楽 うちのお母ちゃんは……、僕はタイプじゃないんですけど。

鶴瓶 気持ち悪いこと言うな! だんだんおかしなるわ。

小痴楽 酔っ払えば、くらいの感じですね。ワハハ。

鶴瓶 アホなこと言うな!

小痴楽 兄貴の子供がまたカッコいいんですよ。これ金になるだろうっつって。

鶴瓶 おい! 嫁はんは?

小痴楽 綺麗なんですよ。僕、大丈夫です。デキます。(自分に)やめなさいって(笑)。

鶴瓶 おい! (小痴楽の頬にビンタしながら)目覚ませ! 配信や! 配信! U-NEXT今日で終わりや! 頭おかしいわ、こいつ!

小痴楽 ワハハハハハ! できる人なんですよ。できる子なんですよ。師匠、何を言ってるんですか!

鶴瓶 ああ、そういう意味か! って、びっくりするわ!

小痴楽 この後、落語するのに! いい子にしなきゃ!

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

小痴楽のめちゃくちゃな発言と鶴瓶の畳みかけるツッコミに会場は大爆笑。

「でもまあ、そういうところに生まれたんやからなあ。お父さん、長生きされたらよかったのになあ」と鶴瓶。

訊けば、落語家になりたいと言ったすぐあとに父親が倒れたため、父から落語は教わってはいないという。しかし母親は、もし父親が元気なときに入門したら、父の気質から、身内だからと言って甘くしないようにと厳しく接し、親子喧嘩になって1週間もたなかっただろうと言っていたと続ける。

「母親には、倒れてくれてよかったねって、これは本当に感謝だよって言われます。助かりました」

父と入れ替わりで入った落語の世界。そこに父の姿はなかったが、しかし、最初の師匠・桂平治、その後の師匠・柳亭楽輔、若い頃に長く付き人をさせてもらっていたという桂歌丸や、落語芸術協会の先輩方の姿など、数々の師匠たちの背中をそばで見せてもらってきたことが、今の小痴楽に生きているのがわかる。

身近な師匠 小遊三、昇太、宮治

鶴瓶 今の落語芸術協会、抜群やな。昇太もおって、小遊三のお兄さんもおって。小遊三のお兄さん抜群やね、あの人。

小痴楽 大好きです。

鶴瓶 俺も大好きや。

小痴楽 いや、僕のほうが大好きです(笑)。ワハハハ。

鶴瓶 俺もえらい世話になってるからね。あの人はすごいよね。すーっと軽く入って、バーンと笑わすときと、きゅっと締めるときと。

小痴楽 カッコいい。それで今すごいのは、昇太師匠が会長になって、考え方がクリエイティブで、若手がパッと行くと潰される世界で、「行け行け、やっちゃえ! ダメだったらやめればいいんだから、とりあえずやってごらん」っていう、そのケツの持ち方がすごくカッコよくて。コロナ禍になって、年配の方が出にくい中で、「若手でやれば?」って、周りにグズグズ言わせないで、「今、この子たちが客呼べるんだったらいいんだ」とやらせてくれる。

柳亭小痴楽

柳亭小痴楽

鶴瓶 「六人の会」にも昇太がいてくれたのは大きかったね。

小痴楽 余計なこと見ないで、結果だけ、どうなりたいかだけを見てる。

鶴瓶 決めつけないからね。彼が会長になってよかったよね。

小痴楽 すごくカッコいいですね。でも僕はあっち側の考え方をする人間じゃないんで、そういう意味で勉強になるんです。

鶴瓶 え、そっち側じゃないの?

小痴楽 僕の仲良いので言うと、宮治さんがそっちなんで、俺はどの役をやるんだろうというときに、小遊三師匠みたいな生き方をしたいなっていう、すごいいい目標があるんです。

鶴瓶 宮治は軽いからね(笑)。

小痴楽 だいたい適当だし。

鶴瓶 こないだ、エレベーターが閉まる瞬間、「好きですよー」って。

小痴楽 あんな「愛してる」とか「好きですよ」ってカミさん以外に多用するヤツ信用できないですよ! 「兄さん、ほんと愛してる!」ってすぐ言う。ほんと、気をつけてください!

左から笑福亭鶴瓶、柳亭小痴楽。

左から笑福亭鶴瓶、柳亭小痴楽。

付き人を務めた歌丸との関係重ねる「一目上がり」

鶴瓶が「そろそろ」と促す。観客もまた、そんな柳亭小痴楽の落語を早く見たいという期待が膨らんできていた。

鶴瓶は言った。

「観ていただいたらわかると思うけれど、気分のええやつですよね。調子も。噺家に向いているんじゃないかと思いますよ」

羽織を着て高座に上がり、深く頭を下げる小痴楽。噺は「一目上がり」だった。滑稽噺だが、上方には馴染みが薄い噺のひとつだと言い、だからこそ、上方で演る意味がある。

柳亭小痴楽

柳亭小痴楽

「私の好きな八っつぁんと隠居さんの掛け合いでございましてね。八五郎が隠居に生意気を言うんですよ。それで隠居さんがいいよいいよって流す。この2人の人間関係、愛情というか、隠居さんがヌケたヤツを見捨てないっていうのが好きでね」

小痴楽はそう言い、それが自身と歌丸師匠に重なるんですと、そう続けた。

「私はタバコ飲みなんですよ。歌丸師匠はタバコが大好きだったんですけど、肺気腫で吸えなくなった。禁煙した歌丸師匠の隣でタバコは吸えないですよ。ましてやトドメになるかもしれないし。空港で飛行機を待ってるときとか、『チー坊、タバコ吸いたいか? 行っていいよ』とは言わないんです。言葉を変えるんです。『チー坊、あそこ、なんて書いてあるか読めるか』『スモーキングルームです』というと、『ああ、読めるか。あそこ面白いんだよ、ちょいと覗いてきてごらん』ってお洒落な言い方をしてくれる。おこがましいですけど、八五郎と隠居の関係を私と歌丸師匠に重ねていて、一番好きな落語なんです」

そして、江戸っ子らしい切れのある語り口で噺に入っていく。このとき、八五郎はかつての小痴楽自身でもあり、また、八五郎を優しく落ち着いた口調で話す隠居の言葉は、ありし日の歌丸師匠のそれでもあり、古典落語が、今、小痴楽にしか演じることができない唯一無二の物語として、情緒豊かに立ち現れていくのがわかった。滑稽さの中に、情を感じる。聞いていて心地いい。マクラを入れて約30分の小痴楽の落語の世界を、観客は、笑い、聞き入り、堪能していた。

柳亭小痴楽

柳亭小痴楽

拍手が鳴り響く。出てきた鶴瓶も「ここで江戸の言葉がずっと飛び交うっていいよね」と頷く。そして、「歌丸師匠についてて本当によかったね」と鶴瓶。小痴楽は「たくさんのことを教えてもらいましたね。間に合ってよかったなと思います。楽屋での歌丸師匠、空気感、小さいのに近づけないあのオーラを肌で感じることができた」と述懐する。

歌丸につかせてもらったのも、歌丸自身、四代目痴楽に世話になり、五代目とも交流があったこと、「その恩返しなんだ」と言っていたそうだ。そういった落語の世界の中で育てられてきたことは財産だと話す。小痴楽が、東西を越えて落語家たちとの付き合いを何よりも大切にしている所以もそこにある。

「僕はずっと遊んでいるんで。そこだけですね、自分が父親の真似をしているのは」そう言うと、「それが生きてくるよ、絶対生きてくる」と力強く鶴瓶は言った。

「無学 鶴の間」、14回目のゲストは、落語家の粋を受け継ぎながら、自身の落語を追求し、これからの落語界を牽引していく一人として期待の高い、柳亭小痴楽──。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

左から柳亭小痴楽、笑福亭鶴瓶。

柳亭小痴楽

柳亭小痴楽

第14回(2023年6月10日配信)
笑福亭鶴瓶×柳亭小痴楽

無料トライアルでお得に視聴

プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

柳亭小痴楽(リュウテイコチラク)

1988年東京生まれ。落語家。五代目柳亭痴楽の次男として生まれる。2005年、16歳で入門を申し出るも父が倒れ、二代目桂平治(現・桂文治)へ入門。2009年、柳亭楽輔の弟子となり、同年、二ツ目昇進を期に三代目柳亭小痴楽を襲名。2019年真打昇進。2013年から2019年まで活動した落語芸術協会所属の二ツ目落語家、講談師によるユニット「成金」ではリーダーを務めた。

2024年10月30日更新