笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る生配信番組を徹底レポート。第23回ゲストは石原良純。 (14/24)

「無学 鶴の間」第13回レポート

笑福亭鶴瓶×坂東彌十郎(2023年5月6日配信)

いつも酒の席で会っていた2人

無学は、笑福亭鶴瓶の師・六代目笑福亭松鶴の住宅跡に作った寄席小屋だが、地理的に言うと、大阪の繁華街からは少し離れた静かな住宅地にある。つまり、人の暮らしの営みの中に落語をはじめとするエンタテインメントが息づいていくということ。しかも70人ほどで満席になる小さな劇場に、鶴瓶の声かけで、芸能や映画、音楽などで活躍するプロフェッショナルな人々が登場する。誰が来るかわからないとはいえ、それもまた観客にとっては楽しみのひとつで、と同時に、ゲストにとっても息遣いまでも伝わる小さな舞台に立つことは、原点に立ち戻る尊い体験にもなる。だからこそ、鶴瓶は、今、ここに来てくれたゲストを呼び込む瞬間をいつも楽しむ。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

「どなたを呼ぼうかとずっと考えるのが、めっちゃ楽しみなんですよ。そして、“ここ”に呼ぶ、ということが。お願いして来てくれるかなとかね」

その言葉からも、“ここ”の特別さを、鶴瓶自身、誰よりも実感していることが伝わってきた。

「『鎌倉殿の13人』のお父さん役です。前から知り合いなんですよ。歌舞伎の一月の主役もやってるし、来てくれるかなと思ったんですけど」

鶴瓶はそう言い、「坂東彌十郎です」、と、その名が呼ばれると、観客から大きな拍手が起きた。鶴瓶の交友関係がゲストの幅の広さにも表れているが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で一躍ブレイクした歌舞伎俳優・坂東彌十郎を呼び込むあたり、「今この人が来たら面白い!」という直感にも似た人選の妙に唸ってしまう。

拍手に迎えられ、彌十郎がにこやかに舞台に現れた。鶴瓶と目を合わせると、胸を押さえ、緊張した表情をする。鶴瓶が「ドキドキしているんですよ。こういう形でのトークはやったことないからね」と言うと、「そうなんですよね」とはにかんだ表情。

坂東彌十郎

坂東彌十郎

「普段、よう飲みに行ったりしているんですけど、皆さん、僕らがそういう仲だというの、知らないでしょ? でも、ようやく世間に認知されて、すごくなってきたからね、今、頼んでええのかなと思ってね」と鶴瓶。「そんなことないです」と言いながら「でも、シラフでしゃべるの気持ち悪いですね」と彌十郎が笑う。いつも酒の席で会っていたという2人の気心の知れた関係性が伺える。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条時政役で話題に

鶴瓶 いつも酔うたり、痴話喧嘩したり(笑)。ここ(2人の間)に(十八代目中村)勘三郎がおったんですよ。彌十郎は勘三郎のところにずっといてはったからね。その前は今の(二代目市川)猿翁さん(当時の三代目市川猿之助さん)のところにおられたんですよね。すごいところを渡り歩いている。でも、この世界に入ったの、遅かったんですよね?

彌十郎 そうですね。初舞台は17歳。

鶴瓶 初舞台はたいがい6歳くらいまででしょ。17と言ったら、タケノコが大きくなってるようなもの(笑)。

彌十郎 でも3、4歳の頃から大きかったんですよ。だから子役に出れなかったんです(苦笑)。

鶴瓶 ハハハ、あ、そう。大きかったんや。でも歌舞伎俳優になろうと思ってはったんでしょ? お父さんもそうなんやからね。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

彌十郎 はい。でも大きかったから子役に出られなくて、大人の役に出られるようになってからにしようと、それで17歳。

鶴瓶 悲しい(苦笑)。

彌十郎 悲しい(苦笑)。

鶴瓶 でもそうやってだんだん出てくるのはすごいし、猿翁さんもそうやし、勘三郎もそうやけど、「あ、この人、おもろいな」と思ったから選ばれたんやからね。

彌十郎 ありがたいことですね。


単発のドラマ出演はあるものの、歌舞伎俳優として舞台を中心に活動してきた彌十郎が、その顔を一気に広めたのは、2022年、三谷幸喜脚本のNHK連続大河ドラマ「鎌倉殿の13人」だったと言っても過言ではない。

役は、小栗旬演じる主人公・北条義時の父、北条時政。歌舞伎に登場する時政は権力者として悪いイメージがあるが、「鎌倉殿の13人」は、その以前から描かれており、その頃の時政は、権力とは無縁の田舎のいち豪族。彌十郎自身、「歌舞伎での時政のイメージをすべて消して」ゼロからキャラクターを作り上げるつもりで臨んだというほどで、実際、彌十郎演じる時政は、とぼけた味わいで、親しみ深く、なんとも魅力的な人物となっていた。妻からは「何やってるの、あれ。普段と一緒じゃない」と言われたと笑うが、ほとんど初めて坂東彌十郎という役者を認識した世間では、その存在が話題となった。

宮沢りえを抱きしめる演技にドキドキ

彌十郎 今、ここにこうやって呼んでいただけるのも、本当に、三谷(幸喜)さんのおかげですよ。

鶴瓶 それまでやりとりはあったの?

彌十郎 2019年に「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」という舞台の演出をなさったんです。それに僕も出ていたのですが、そのとき、「彌十郎さん、映像はやらないんですか?」とお稽古場で言われて、「いや、チャンスがなくて」と言ったら、「一回やりましょうね」と言われて。そしたら大河ドラマの話が来たんです。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 ということは、しばらく連絡がないときは、あれは社交辞令だと?

彌十郎 そう思ってました。

鶴瓶 あの人、ほんまにそんなんしますから。ふざけてますからね。

彌十郎 (笑)。

鶴瓶 ふざけてます。一緒に「スジナシ」をやりましたが、面白かったですよ。考え方も面白いし。

彌十郎 面白いですよね。

鶴瓶 それで、やろう、と?

彌十郎 はい。「その代わり、舞台を13カ月、休んでくれますか?」と。

鶴瓶 でもそれは大変やんか。

彌十郎 ちょっと悩みましたけど。でも、それこそ、うちの親戚の(十代目坂東)三津五郎と勘三郎さんが亡くなってから、もうこれからは自分のやりたいことをやってみようと思ったので、少し考えて、「やらせてもらいます」と伝えました。

坂東彌十郎

坂東彌十郎

連続ドラマへの本格的な出演は初めてだったという彌十郎だが、ともにした俳優たちにずいぶん助けてもらったと話す。それを聞きながら、「でも、13人の中の1人じゃないでしょ?」と言う鶴瓶に、すかさず「その1人です! 初代執権ですから。ちゃんと観てるんですか!?」とツッコむ彌十郎。すると、苦笑いする鶴瓶に説明するように出演俳優の名前を挙げていく彌十郎から、こんなエピソードが飛び出す。


彌十郎 僕の後妻の役が宮沢りえちゃんだったんですよ。まさか一緒に仕事するとは思わなかったんです。抱きしめたりしなくてはいけないんですよ。

鶴瓶 りえちゃんを、ね。コラ!

彌十郎 (笑)。歌舞伎って、形だけでこうする(抱く演技をする)じゃないですか。でも映像だとリアルにグッと抱きしめなくてはいけないから、女優さんってどれくらい力入れて抱いたらいいかわからないんですよ。

鶴瓶 えらい贅沢なこと言うなあ。宮沢りえをどれくらい力入れて抱いていいかわからない。めちゃくちゃしたらええねん!

彌十郎 ハハハ。

鶴瓶 自分が思うまま、鼻に匂いが残るくらい行ったらええねん。

彌十郎 それができなかったんです。ドキドキして。

鶴瓶 向こうは役に入りますからね。特に宮沢りえはすごいですからね。

彌十郎 そうですね。本当にみんなに助けてもらいました。

鶴瓶 ええメンバー揃ってますからね。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

中村勘三郎、あんなオモロい男はいなかった

そんな話を続けていると、会場に遅れて入ってきた観客が1人。小さな無学、観客の様子はステージからすべて見える。申し訳なさそうに会釈した観客に、「あ、どうぞ、どうぞ、今、来はりました? 全然かまへん。なんで遅れはった?」と鶴瓶が声をかける。その人が「ちょっと前の用事が……」と言うと、「前の用事がやっぱり一番大事や」と鶴瓶。そのやりとりを面白そうに見ていた彌十郎もすぐさま乗ってきて、鶴瓶が「何が大事かというと」と言うと、「前の用事です」と続ける。

こういう観客も巻き込んだやりとりやハプニングこそ、小さな劇場の醍醐味とばかりに、会場からはあたたかい笑いが起きた。

話はほかにも、アルプスの山々の風景の素晴らしさに魅了された彌十郎が、これまで20回以上もスイスに一人旅をしている話や、互いが親しくしていた勘三郎との思い出話が飛び出す。特に勘三郎との話は尽きることがない。勘三郎がアリゾナに所有していた別荘に遊びに行ったとき、帰り道でパトカーに追いかけられた話、その別荘で鶴瓶が勘三郎家族を驚かせようと、素っ裸でガラス張りの窓にヤモリのように張りつくも、全無視されたという話、ゴルフでバンカーに入るといつも勘三郎の機嫌が悪くなる話などなど、仲がよかったからこその爆笑エピソードが続いていった。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 あんなオモロい男いなかったよね。

彌十郎 飲んでいても、絶対に「明日舞台があるから先に帰る」とは言わない。

鶴瓶 ふふふ。前もね、四国の「こんぴら歌舞伎」に行ったときに、こんぴらさん(金刀比羅宮)に登るんですよ。上まで登って、降りてガーッと酒飲んで。

彌十郎 もう、とにかく負けたくない(笑)。

鶴瓶 こんぴらさんって、奥の院からまだ奥があるんですよ。そこまで行く。

彌十郎 それがすごいですよね。本宮に行くまでに785段あるんですよね。そこに辿り着くまででも普通の人は疲れちゃうんですが、そこから奥の院には山道を登る。これがまた風情があるんですよね。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 俺もフラフラや。

彌十郎 奥の院まで行ったんですか?

鶴瓶 負けたないやんか、俺も。

彌十郎 (笑)。だから、勘三郎さんと鶴瓶さんが一緒に飲んでいる後ろで僕はいつもくっついてましたから。2人を見てると面白いんですよ。どっちも負けず嫌いですからね。

鶴瓶 俺はそこまで負けず嫌いじゃないのに、あの男には負けたくない、みたいなところがあって。

彌十郎 だから負けず嫌いじゃないですか(笑)。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

勘三郎の話をしているときの2人のうれしそうな顔。同じ時間を過ごした2人だからこその表情だ。今も2カ月に一度は勘三郎の家に花を持っていくと鶴瓶。一方、彌十郎は「直接伺うといろいろ思い出してしまうので、僕は浅草にあるお墓の方に伺って、2人で話をして帰ってきますね」と話す。

鶴瓶も「だから(彌十郎の)今の活躍が本当に嬉しいんですよ。大河も出てるわ、いろんな作品にも出るわ、とうとうこの人、出だしたなって。勘三郎も喜んでると思うよ」と頷く。

歌舞伎は世界に通じる

勘三郎、そして十代目坂東三津五郎と、彌十郎にとって近しい2人はそれぞれ、57、59歳という若さで亡くなっている。命は有限である。だからこそ今やれることを、という思いを持つ彌十郎。13カ月に及ぶ大河ドラマへの出演もその思いからだったと言っていたが、もうひとつ、歌舞伎俳優としてやり遂げたい夢がある。それは、これまで、猿翁、勘三郎と数々の海外公演をともにし、世界の人々を歓喜させる歌舞伎の凄さを実感している彌十郎だからこその挑戦だった。

それが、近年、長男の坂東新悟とともに開催している自主公演「やごの会」。彌十郎は、この「やごの会」でヨーロッパ公演も成功させている。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

彌十郎 最初は東京の日本橋で1回演って、その後、元々の夢だったヨーロッパ公演を、パリとジュネーブとマドリッドで開催したんです。

鶴瓶 (観客に)この人、そんなんやってんのよ。なんでもっとそのことを表に言わへんの?

彌十郎 そのときは、今みたいに皆さんにお顔を知っていただけていない状況ですから。スポンサーを取るのも大変でした。

鶴瓶 団体連れて行くのもお金も大変でしょ?

彌十郎 鳴物と地方さん連れて行って、役者はうちの弟子とうちのせがれと5人です。そして大道具さん。コンテナで所作舞台を運んで、約20日間まわりました。

鶴瓶 めっちゃお金かかりますよ。儲からへんもん。

彌十郎 それは借金ですけど、国も補助してくれたので、そんなに大きくなかったし、これはうまくやれば定期的にできるなと思ったんですよ。そしたらコロナ禍になってしまって。

鶴瓶 そうか。でも歌舞伎は世界に通じるやんか。それ、すごいよね。歌舞伎が観れるからお客が入って、それで感動してくれる。ヨーロッパの感動の仕方はどんな感じなの?

彌十郎 すごいです。国によって喜び方が違いますけど、歌舞伎をやればまず満席です。スペインなんかすごいですね。それこそ総立ちで「ブラボー!!」って歓声が上がります。スタンディングオーベーションになってからカーテンコールが5回ありましたね。北欧やオランダに行くとまた違う反応なんです。内側からグーッとくるようなカーテンコールなんですよ。床をドンドンドンって足踏みするんです。それを何千人がやるんですよ。鳥肌が立ちますね。ニューヨークもまた違います。すべて国によって感じが違う。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

世界の人々の心を震わす歌舞伎の世界。そもそも、スイスへの山を登るのが趣味となったのも、猿翁に着いていったヨーロッパ公演がきっかけだった。スイス公演の空き日程にアルプスへ行ったとき、何時間も山の上でじっとその風景を見続けている猿翁の姿が脳裏に焼き付いている。

鶴瓶が「猿翁さんはどんなでした?」と訊くと、「歌舞伎を外から見ていらっしゃる」と彌十郎が続ける。

「僕らにもよく言いましたけど、俯瞰で見れるようにしなさい。その代わり、演っているときは思い切り入り込むけど、世阿弥の言う『離見の見』、それをできるようになりなさい。それと、感動しなさい、と」

それこそ、ずっと彌十郎が大切にしていることだった。

パリに歌舞伎の劇場を作りたい

最後に「これからやりたいことは?」と鶴瓶が問う。

彌十郎は頷き、「ヨーロッパ公演をできれば定期的にやるようにしたいですね」と答える。

「それともうひとつ。歌舞伎の劇場って、日本にもそんなにないんです。花道がある劇場は10個ないんですよね。金毘羅(旧金毘羅大芝居『金丸座』)とか、熊本の八千代座を入れたらもう少しありますが、1カ月公演ができるような劇場は10個ない。ということは世界に10個しかないんですよ。一方、日本にオペラの劇場はいっぱいありますよね。なのに、世界に一個も歌舞伎の劇場がないのが悔しくて。だから自分が生きている間にパリにひとつ、歌舞伎の劇場を作りたい。花道があって、回り舞台があって、セリがある劇場を」

そのロマンに、鶴瓶は感嘆の声を上げた。観客からもどよめきが起きる。それが実現するまで、その夢を自分たちも共に見てみたいとそう思った。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

彌十郎は、この4日後、67歳の誕生日を迎えた。先日上演された尾上菊之助企画・演出の新作歌舞伎「ファイナルファンタジーX」では、ステージを走り回り、激しい立ち回りも見せた。歳を重ねてもなお、心身ともに強くしなやかであるために、日々、ジムに通ってトレーニングしたという。

「足がつらないようにしないといけないから」と彌十郎。それを聞いて、「67歳で足つらないようにジム通うって」と鶴瓶が驚くと、「だって、負けたくないじゃないですか」と彌十郎は朗らかに笑った。

勘三郎や鶴瓶を負けず嫌いと言っていたが、彌十郎もまたそうなのかもしれない。だからこそ、何事にも若い心で挑戦し続けることができるのだろう。

「無学 鶴の間」、13回目のゲストは、17歳で歌舞伎座で初舞台を踏み、約50年、先達たちから受け継いできた歌舞伎の道をより磨き上げようと尽力する、歌舞伎俳優、坂東彌十郎。この人が出る歌舞伎を観てみたいと思わせる、そんな魅力が坂東彌十郎にはある。そう思わせるこの日のトークだったと思う。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

左から坂東彌十郎、笑福亭鶴瓶。

第13回(2023年5月6日配信)
笑福亭鶴瓶×坂東彌十郎

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プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

坂東彌十郎(バンドウヤジュウロウ)

1956年、東京生まれ。往年の銀幕の大スターだった初代坂東好太郎の三男。1973年、歌舞伎座「奴道成寺」の観念坊で初舞台。その後、三代目市川猿之助の門下に入り、21世紀歌舞伎組のメンバーとして活躍。十八代目中村勘三郎との共演も多く、平成中村座の海外公演にも参加。2014年、長男の坂東新悟と共に自主公演「やごの会」を立ち上げ、日本橋劇場にて第一回公演を開催。2016年にはヨーロッパ公演を成功させた。6月3日(土)~25日(日)、歌舞伎座にて「六月大歌舞伎」に、7月3日(月)~25日(火)、大阪松竹座にて「七月大歌舞伎」に出演する。

2024年4月22日更新