ナタリー PowerPush - m-flo
5年ぶりオリジナルアルバム「SQUARE ONE」
3人でがんばっていこうみたいなものではなかった
──☆Takuさんと最初に音源を作ったときのことって覚えてますか?
高校生のときですね。僕と☆Takuは小中高同じ学校だったんですけど、高校のとき学園祭みたいなダンスパーティがあって、そこで☆Takuのバンドが「Double Trouble」(オーティス・ラッシュ)のカバーをしようとしたら、1人がバックれちゃって、僕が飛び入りでラップすることになったんです。そのときしっくりハマって「何か曲作ろうよ」ってなったのがきっかけですね。それから普通にありもののループの上にラップを乗せてみたり、簡単な4トラックのMTRで作曲したり、ギターやベースを弾ける人も入れてミクスチャーバンドみたいになったり……。☆Takuの実家の部屋をスタジオみたいにして、曲を作ってました。
──その後、m-floとして初のCD「The Way We Were」はどうやってできたんでしょうか。
あるとき、☆Takuがバーブラ・ストライサンドの「追憶(The Way We Were)」のリミックス仕事を頼まれて、大学を卒業したばかりの僕を誘ってきたんです。「今こういう曲を作ってるんだけど、良かったら久しぶりにラップ乗っけてみない?」って。僕はもう4年くらい音楽やってなかったんですけど、「アナログ500枚刷れるってヤバくない?」なんてノリで参加したら、それが一瞬でソールドアウトしちゃったんで「もっと曲作ろうよ」ってなって、いつの間にかユニットになったという感じですね。
──そしてLISAさんが加入し「been so long」が誕生、と。
いや、元々m-floは☆Takuと2人でデモを作っては車のオーディオで聴きながら「うちら超かっけー」って気分になってたんですけど(笑)、「これ歌が必要だな」と思って。LISAは高校の先輩なんですけど、当時既にシンガーとして活動していたので「LISAなら間違いないから歌入れてもらおうよ」となったんです。だからLISAは元々ゲストボーカルとして参加するノリだったんですよ。
──すごくノリ重視なユニット結成のいきさつですね。
3人で力を合わせてがんばっていこう、みたいなものではなかった。ただ「カッコいい曲だから参加してみるか」と言って集まっただけなので、まさかデビューできるなんて思ってなかったですね。
m-floは全曲フィーチャリングするプロデュースユニットに変わろう
──そしてメジャーデビューして、認知が爆発的に広がったところでLISAさんが脱退します。あのときはどういう状況だったんですか?
2枚目のアルバム「EXPO EXPO」が80万枚とか売れて。思いもよらぬ忙しさになって、僕たちもまさかそんなふうに売れるとは思ってなかったので結構ピリピリしていたし、疲れてきた時期ではあったんですよ。で、LISAは元々ソロアーティストだったんで、このタイミングで背中を押して送り出して、☆Takuは☆Takuで自分のやりたかったレーベルを立ち上げたりして。僕はというと、それまで趣味で音楽をやっていた部分もあって、全く別の道に行くことも考えたんですね。大学では経済学と哲学を専攻して、卒業後も証券マンとして短期間働き、その後大学院在学中のときにm-floがデビューして。でも新人アーティストをプロデュースしたり、フィーチャリングのお願いもきたりして。そんなこと続けていくうちに「これ向いてるかも」と感じて、音楽の仕事に集中し始めたんです。
──各々のやりたいことに注力して、非常に充実した時期だったんですね。
でも世間の人は「m-floどうするんだ」って当然思うじゃないですか。LISAは抜けたけど解散してない。といっても、“ボーカルのいないm-flo”って“アクセル・ローズのいないGUNS N' ROSES”みたいなもんじゃんって話で(笑)。それでね、当時THE NEPTUNESがすごく売れてたんですよ。彼らはいろんなボーカリストをフィーチャーしたアルバムを作って。プロデューサーチームなのに自分たちのほうが前に出ちゃうくらい名前が立ってて。それにインスパイアされて、「m-floは全曲フィーチャリングするプロデュースユニットに変わろう」みたいな話をしたのが、lovesプロジェクトの始まりだったんです。
──なるほど。しかし当時の日本ではそんな前例はありませんでしたよね。勝算はどの程度あったんですか?
確かに過去の事例がないので、どれだけ数字で結果を出せるかはなんとも言えないけど、これ絶対カッコいいっていう自信だけはありました。それにしても、当時はまさか41組とやってアルバム3枚出せて、という大きなことになるとは思ってなかったなあ。
──しかし、あれほど大きなプロジェクトを一番良いタイミングで終わらせたのは、すごい決断ですよね。lovesシリーズ終幕に至るまではどんな流れだったのか、教えていただけますか?
正直1枚目の「ASTROMANTIC」まではヤバいな、面白いなと思っていただけなんですけど、次の「BEAT SPACE NINE」なんてオリコン(ウィークリーチャート)1位になっちゃって、すごいねすごいねみたいな。で、3枚目の「COSMICOLOR」を作り終えたとき、さすがにやり切った感っていうのが僕たちの中で若干あって。素敵なボーカリストはまだまだいっぱいいるけど、3部作みたいにしてサッと引くほうがカッコよくね?って。ホットなうちにやめるほうが次につながると思いましたしね。
──当時はその次の活動の構想はあったんですか?
全く考えてなかったです。わかんないけど、とりあえず1回終止符を打とうと思いました。
基本はm-floのラッパー
──しばらく過去のお話を聞いてきましたが、VERBALさんの役割ってその時期によって違うんでしょうか。
どうですかね? 基本はラッパーでフロントマン的なことしてますけど、だんだん役割が増えてる感じはします。
──どんな役割が増えたと思います?
僕個人の話になっちゃいますけど、元々自分はアート関係やクリエイティブな仕事をするのが夢だったんですよ。やりたいことを実際形にしていくのが楽しくて、「プロデュースしてください」とか頼まれたら、やったことないけどやってみようかなと思ったし、自分でこういうジュエリーがあったらいいなと思うから作ってみた。で、作り始めたら「どこのですか?」って訊かれたから、生産を増やしたら、結果が良かったからブランドを立ち上げてみて。そんなことをしていくうちに、m-floでもプランニングやマーケティング戦略をスタッフと一緒に考えるようになって、役割が増えたっていうことです。
──今ではMC、DJ、ジュエリーデザイナー、経営者など、たくさんの肩書きを持ってますもんね。
自分でも何屋さんだかよくわかんないです(笑)。基本はm-floのラッパーです。
──あ、今でも「基本はm-floのラッパー」という意識があるんですね。
外国に行くときに空港で「職業はなんですか」って訊かれるじゃないですか。そのときは「ミュージシャンです」って答えてます。人にも「結局なんなの?」ってよく言われますけど、まず最初にミュージシャンがあってのその他っていう感じです。
CD収録曲
- □ [sayonara_2012]
- Perfect Place
- ALIVE
- □ [frozen_space_project]
- Never Needed You
- Oh Baby
- □ [square1_scene_1_
murder_he_wrote] - Don't Stop Me Now
- All I Want Is You
- Acid 02
- Call Me
- □ [ok_i_called]
- Sure Shot Ricky
- RUN
- □ [square1_scene_2_
don't_blink] - So Mama I'd Love To Catch Up, OK?
- She's So (Outta Control)
- Yesterday
- □ [to_be_continued...]
DVD収録内容(※CD+DVD盤のみ)
- She's So (Outta Control) [4'38"]
- All I Want Is You [5'13"]
- ALIVE [4'49"]
- Live at “m-flo presents BŌNENKAI 2011”(TCY Snippet Edit) [18'53"]
m-flo(えむふろう)
MCのVERBALとDJの☆Takuからなるプロデュースユニット。1998年、インディーズを経てrhythm zoneからメジャーデビュー。当時は紅一点のメインボーカル・LISAを含むトリオ編成だったが、2002年にソロ転向を理由にLISAが脱退。2003年以降は各曲ごとにゲストシンガーを招く“loves”プロジェクトをスタートさせ、Crystal Kay、坂本龍一、BoA、安室奈美恵など計41組のアーティストをフィーチャーして、後のコラボブームの先駆けとなった。2009年にはデビュー10周年を記念し、ベストアルバム「MF10 -10th ANNIVERSARY BEST-」やトリビュートアルバム「m-flo TRIBUTE ~maison de m-flo~」をリリースしたほか、国立代々木競技場第一体育館にてスペシャルライブを開催。その後しばらくソロ活動が中心となり、2012年3月に約5年ぶりのオリジナルアルバム「SQUARE ONE」をリリースした。
2012年4月16日更新