2019年より毎夏、狼蘇り信仰を軸に作品を作り続けてきた「狼蘇山」シリーズ。本作は渋川演じる修験者・鉄平の修行の様を描いた短編映画「生きている。」「ここにいる。」「すぐにゆく。」の3作を70分の作品としてまとめたものとなる。音楽を
ポスタービジュアルには画家・花堂達之助が描いた鉄平のイラストと、切腹ピストルズの飯田団紅がしたためた題字がデザインされている。YouTubeで公開された予告編には鉄平が滝に打たれる映像や、頭と両ひじ両ひざを地につけて祈る五体投地を繰り返しながら道を進む様子が収められた。
また豊田組ショップでは全国配給に向けたクラウドファンディング「そういうものの製作支援クラファン」が9月20まで実施中。返礼品として、完全受注生産の「狼蘇山」シリーズ全作品Blu-rayセットやオリジナルTシャツなどが用意されている。
公開に際して渋川は「豊田さんとの人生の旅のような祭りのようなものは続けていきたいし続けていく。そしていずれは横に寝そべっている物語『横になる』でしめる。涅槃。感謝」とコメント。豊田は「僕たちは4年間に渡り、映画の修行を続けていた。そして、それが僕たちの望む姿なのだと気がついた。そういう者に、なりたかったのだと。映画と映画館を愛する人たちに捧げます」と語った。
なお「狼蘇山」シリーズの新章にあたる「
映画「そういうものに、わたしはなりたい。」予告編
渋川清彦 コメント
「どういうものに、わたしはなるだろうか。」渋川清彦
本名、田中清彦。
18の時、生まれ故郷の渋川から上京したが、どうやら上京とは「首府に行くこと。都に上ること。」と AI が言っているが、自分が都の方に出てきて住んだのは千葉県だったので「上京」じゃなく「上県」じゃね? と昔、友達に言われた。
それでも東京で、右往しながら左往されながらめぐり合えた「役者」。
はじめてまもなく、初めての映画の現場が「ポルノスター」だった。
監督は豊田利晃。豊田さんも初めての監督作品だった。
23くらいの俺は当時「KEE」なんて名前をつけチャラチャラとやっていたが、30を機に国定忠治なんかをきどって、生まれ故郷渋川を名のり今に至る。
そんな俺も30年くらい役者をつづけられ、色々な映画監督と仕事をさせてもらっているが、初監督作品から現在までの全作品に出演させてもらっているのは豊田監督が唯一だ。
「アンチェイン」だけは参加できてないが。
この30年、豊田さんには光を見させてもらったり、闇のようなものを垣間みさせてもらったりしながら、今も一緒に歩ませてもらってる。
そして今、2025年8月20日23時すぎ、豊田さんから電話があり、切腹ピストルズの飯田団紅隊長と江戸部屋という隊長の隠れ家のようなところにいて何やら楽しそうに「そういうものにわたしはなりたい。」のコメントをできれば長い文章でほしいとの事で、文章はまったくもって苦手だが、日が変わり8月21日深夜1時前、勢いで筆を走らせた。
「そういうものにわたしはなりたい。」。
「狼煙が呼ぶ」以降の豊田利晃監督の怒りと祈りと修行。
というか、豊田利晃の人生の修行。
その修行の映画というか映画の修行は、火の粉をかぶったり、階段を全力で駆けあがったり、冷たい滝にうたれたり、地面を這いつくばったり、足を踏みはずしたら死んでしまうようなとこにいたり。
やる前は意気揚々とした心持ちで、「豊田の世界で暴れてやる!」なんて想像するが、いざ現場に入るとつらく大変な事が多く、早く終えて酒でも飲んでゆっくりしたいなんて思ったりもするが、まだこの修行のようなことをやりたいと想う自分もいるし、いつまでやるのかと想う自分もいる。
ただ、ひとついえるのは、豊田さんとの人生の旅のような祭りのようなものは続けていきたいし続けていく。
そしていずれは横に寝そべっている物語「横になる」でしめる。
涅槃。感謝。
豊田利晃 コメント
ひたむきに修行を続ける人たちと出会い、修行とは何かを考えた。
いくら考えても答えが出ないので映画を撮って答えを探した。
答えはいつまでも現れず、修行に終わりがないことを悟った。
僕たちは4年間に渡り、映画の修行を続けていた。
そして、それが僕たちの望む姿なのだと気がついた。
そういう者に、なりたかったのだと。
映画と映画館を愛する人たちに捧げます。
豊田利晃の映画作品
リンク
映画ナタリー @eiga_natalie
豊田利晃×渋川清彦の“狼蘇山”シリーズ3部作、再編集を経て長編映画として公開(予告編 / コメントあり)
https://t.co/TVQMOve1Af
#豊田利晃 #渋川清彦 https://t.co/UFpBME770o