渡邉りか子の監督作「
「すとん」はコロナ禍を経て俳優を引退した主人公・さえが、新たな環境で出会う人たちや、両親の老い、旧友の支えに触れていく物語。
渡邉が俳優として活動する中で経験したシアターゲーム(俳優が芝居に入る前に行う準備運動)から着想を得た「心玉」では、過去の恋愛をテーマに、マツダが自身から湧き出る言葉を紡ぎながら思考をめぐらせるさまが描かれる。“心玉”は摩擦によって生まれる服の毛玉のように、気持ちの摩擦によってできたものを表現する言葉。渡邉と舞台で共演経験のある
池松は「すとん」を「愚直でピュアで、控えめな切実さと素晴らしい映像センスに、渡邉りか子さんの才能と人生が詰まっていた。人生のある時期を見事に誠実に爽やかに、上品な抑制をもって捉えた、忘れ難い作品」と推薦。金子は「心玉」に関して「無邪気に二人の子供が遊んでいるようにも見えたが、交わした言葉からは物語が横溢しており、大人になるまでに積み重ねてしまった『傷つきと傷つけられの年輪』を確かに感じさせる切なさに満ちていた」とつづった。渡邉からのメッセージは以下の通り。
渡邉りか子 コメント
「すとん」「心玉」ともに、俳優(だった人・である人)の心の音にそっと耳を澄ますような作品に出来上がりました。「すとん」では一部、俳優の死について触れるシーンがあります。コロナ禍以降、俳優の訃報が目に留まるようになりました。ある方のもう更新されることのないInstagramを開いて投稿を読んだとき、「プレッシャー」という単語が妙に印象に残り、この方はプレッシャーと闘わなければならないと思っていたんだと感じました。さえが呟く台詞の中に、俳優にとって残酷な言葉かもしれないと思って怖くなることがありましたが、他の誰かにとってはそれが救いの言葉となることもあるのではないかと、公開を前に思っています。「心玉」は松田崚汰さんという俳優を通して、観ている皆さまが過去の恋愛にタイムトラベルして、もどかしい自分に再会したりするかもしれません。「シアターゲーム」の素敵なところは、全員が子どもに戻ったような顔つきになる瞬間があることだと思っていて、みんな昔は子どもだったんだという当たり前の事実に私は安心します。映画が好きな方はきっと人が好きなはずだ!という私のハッピーな思考から、観客を信頼した作りになっていると思います。信頼しすぎているかもしれません。しかし、相手を信頼しないとお芝居というものはできないと私は思っています。なので、なるほど俳優が作った映画だなぁと楽しんでもらえたらとても嬉しいです。皆さまにお届けできる日に向けて準備を進めてまいります。よろしくお願いします。
池松壮亮(俳優)コメント ※「すとん」に寄せて
自分がここに在ることを確かめるように、
日常に訪れる不協和に飲み込まれないように、
映画は確かな鼓動のリズムを丁寧に慎重に刻み続ける。
愚直でピュアで、控えめな切実さと素晴らしい映像センスに、渡邉りか子さんの才能と人生が詰まっていた。
人生のある時期を見事に誠実に爽やかに、上品な抑制をもって捉えた、忘れ難い作品。
公開おめでとうございます。
金子鈴幸(脚本家 / 演出家 / 俳優)コメント ※「心玉」に寄せて
体育館。二人の俳優によるセッションのような「シアターゲーム」。一人の俳優、マツダのぽつぽつとした語りに、絶妙なタイミングで挟み込まれるもう一人の俳優、ワタナベの「決められたセリフ」。そこからさらにマツダの心が導かれ、「心玉」が語られる。その過程があたたかくもとてもスリリングだった。無邪気に二人の子供が遊んでいるようにも見えたが、交わした言葉からは物語が横溢しており、大人になるまでに積み重ねてしまった「傷つきと傷つけられの年輪」を確かに感じさせる切なさに満ちていた。
三谷一夫 @mitani_kazuo
昨年の大阪アジアン映画祭に招待された俳優・渡邉りか子の初監督作。先日テアトル新宿でみた映画「わたしの頭はいつもうるさい」や早稲田でみた演劇ユニット「端栞里と高熱」、来月吉祥寺で公開される映画「レイニーブルー」いずれも20~30代の女優たちが自ら企画・プロデュースに動いた意欲作。日本で https://t.co/eh2OrIwBHP