崔洋一のお別れの会 北野武から追悼の言葉「数え切れない素晴らしい時間をありがとう」

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2022年11月27日に73歳で死去した映画監督・崔洋一のお別れの会が、本日2023年7月7日に東京・如水会館で行われた。

「崔洋一監督 お別れの会」祭壇

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松山ケンイチ

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藤竜也

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お別れの会には約450名が出席し、発起人に名を連ねる藤竜也岸谷五朗、「月はどっちに出ている」などで組んだ遠藤憲一、「カムイ外伝」で主演を務めた松山ケンイチ、大島渚の妻で女優の小山明子、作家の北方謙三ら著名人も多数参加。「女囚さそり」シリーズなどで知られる監督・伊藤俊也は「崔ちゃん、君は今、私に、かなり残酷なことを強いている。順序が逆だろ。君と私はちょうど一回り年の離れた丑年生まれだ。そのことは君もよく承知の筈だ」という呼びかけから始まる弔辞を贈った。

血と骨」で主演を務めた北野武からもメッセージが届いた。北野は「崔監督とは、本当に長い付き合いで、振り返れば楽しい思い出ばかりでした」と切り出し、「御法度」で俳優として共演した際のエピソードや、「血と骨」で監督と俳優としてタッグを組んだ際の思い出話をつづり、「『TVタックル』の収録現場では、休憩中に、映画の話、そしてバカ話を沢山しましたね。そんな話ももう出来ないと思うと、悲しい限りです。数え切れない素晴らしい時間をどうもありがとう。ご逝去の悼み、謹んでお悔み申し上げます」と結んだ。

「崔洋一監督 お別れの会」祭壇

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遺影は写真家・白鳥真太郎が2013年に撮影したもの。お別れの会の開催に際し、当時の写真をより細密に現像プリントした太子サイズの写真が白鳥から贈呈された。祭壇は、故人が趣向を凝らした派手な飾りを好まなかったため、白い花を中心としたシンプルなものとなり、バラ、トルコ桔梗、カラーカーネーション、洋菊、マトリカリアの合計約500本が使用された。

また会場では、崔の代表的な映画作品を網羅した「主要映画作品映像集・崔洋一フィルモグラフィー」、常に“次の作品”を追い求めた崔の人生をドキュメンタリー映像と所蔵写真でつづる「崔洋一ストーリー」、撮影現場の記念写真やプライベートの記念写真による映像集「写真で綴る崔洋一監督と仲間たち」を上映。展示スペースには崔の主要映画作品のポスターや使用台本、日本アカデミー賞など受賞作品のトロフィー、愛用した眼鏡・帽子などの遺品が並べられた。

崔は「愛のコリーダ」「最も危険な遊戯」でチーフ助監督を務めたのち、1981年にテレビドラマ「プロハンター」で監督デビュー。1983年には、内田裕也が企画・共同脚本・主演を担った「十階のモスキート」で劇場映画監督デビューを果たし、同作はヴェネツィア国際映画祭に正式出品された。主な監督作は「月はどっちに出ている」「刑務所の中」「血と骨」など。2020年に発売された、松田優作に関するライブ作品「松田優作・メモリアル・ライブ」とドキュメンタリー「優作について私が知っている二、三の事柄」 が遺作になった。

北野からのメッセージ、伊藤による弔辞、岸谷・小山・北方・遠藤のコメント全文は以下に掲載した。

北野武 メッセージ

突然の訃報に、まだ信じられないというのが、正直な気持ちです。
本来であればお伺いしてお見送りしたかったのですが、事情により伺うことができず、心よりお詫び申し上げます。

崔監督とは、本当に長い付き合いで、振り返れば楽しい思い出ばかりでした。
大島渚監督の映画、「御法度」では、私が新選組の土方歳三を、あなたが近藤勇を演じました。
まじめなあなたは、休憩時間に、常に私相手にセリフの稽古をしていました。
ある時、私がトイレに行くと、中までついて来たあなたは、私の隣に立ち、「土方、例の件だが…」と、いきなりセリフの稽古を始めた事がありました。
そんなあなたとの思い出の中でも、あなたが監督をして、私が主演を務めた「血と骨」は、印象深い作品です。
あなたから出演依頼を受けた私は、「監督、出るのはいいけど、監督の演出は厳しいみたいだから、現場で怒鳴ったりしないで下さいね」と、一つだけ条件を出しました。
そして撮影が始まり、何度かNGを出す私に、怒鳴りたくても怒鳴れないあなたは、私が帰ったあと、一人トイレの中で、「たけしのバカ野郎!」と怒鳴っていたと、後日スタッフから聞きました。
「TVタックル」の収録現場では、休憩中に、映画の話、そしてバカ話を沢山しましたね。そんな話ももう出来ないと思うと、悲しい限りです。
数え切れない素晴らしい時間をどうもありがとう。
ご逝去の悼み、謹んでお悔み申し上げます。

北野武

伊藤俊也 弔辞

弔辞
崔ちゃん、君は今、私に、かなり残酷なことを強いている。順序が逆だろ。君と私はちょうど一回り年の離れた丑年生まれだ。そのことは君もよく承知の筈だ。だから、私が逝った時は、おれが面倒見てやる、そう思っていたはずだ。この皮肉な逆転は、君にとっても想定外だったはずだ。だが、今は、すでに、いつもの君の、何でも呑み込んで笑い飛ばそうという映画監督崔洋一に戻っている。だから、今、私のみじめな姿を見て君は笑っている。私には君の高笑いすら聞こえる。そう、君の高笑い、あれで、君を憎んだものも、君を許さないと思ったものも、機先を制せられ、黙り込むしかなかった。

大島さんの後を継いだ監督協会理事長の席を君は十八年全うした。それ以前あれだけ精力的に撮りまくっていた君が撮れなくなった。死ぬまで理事長をやれ、やってくれと云ってきた私は、胸が痛む。

その間、君が私の「わが映画人生」の相手をしてくれたのが二〇一四年六月、ちょうど九年前だ。久しぶりの撮影現場だったからか、君は終始楽しそうだった。君はニヤニヤしながら私の頭にヘッドランプよろしくカメラを付けさせ、すっかり様変わりした東映東京撮影所を案内させ、唯一つ昔と変わらぬ大道具倉庫の一角、神社のお札のように張り巡らされている映画のタイトルと何々組と書かれた木札の列を見ながら、探した。私のがあれば、君のもあった。そして、私の作品ポスターが張り廻らされたステージで、インタビューは始まった。君の推しては引き引いては押し返す話術に乗せられ、大いに語り、大いに笑い合った。

そして、今度は君の番が来た。何と、君の聞き役に私を指名してきたとは。そして、どんなに私は楽しみにしていたことか。「十階のモスキート」に始まって、いやそれ以前の話も聞いてみたい、何より君の出自と切り離せない「月はどっちに出ている」と「血と骨」。「月はどっち」は、まさに現代の一断面を立体化してみせた人間喜劇と呼ぶにふさわしい傑作だし、「血と骨」は朝鮮から日本に渡って来た男の破天荒な一代記として他の追随を許さぬ力作だった。また、沖縄へロケした「友よ、静かに瞑れ」や「Aサインデイズ」や「豚の報い」では、沖縄への思いも聞きたかった。特に君が愛した「友よ、静かに瞑れ」や「マークスの山」については、徹底した作品論もしたかった。いや、まだまだある。「クイール」から「カムイ外伝」、優作や裕也論も。だが、その機会は失われてしまった。

君亡き後の監督協会は? 幸い、理事長は君が自ら託した本木克英が後を継いでくれた。君が先頭に立って終始闘ってきた著作権奪還の道はまだまだ続く。だが、第二十九条は著作権法のアキレス腱だ。アキレス腱がある以上、アキレスは必ず倒れる。あの不死身と云われたアキレスも倒されたのだ。君の笑い声も聞こえなくなったぞ。君にはあの高笑いが似つかわしい。笑ってくれ、我々、君を心から愛した者たちに、君を憎々しいが、愛嬌と類稀な才能はあったと思う者たちに。
二〇二三年七月七日、君の七十四回目誕生日翌日の七夕の夜に
崔洋一様 伊藤俊也

岸谷五朗 コメント

岸谷五朗

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先ほどの崔監督の監督作品群映像を見させていただいて、あー、この場に崔監督がいたらどんなに楽しいパーティーになっただろうと思いました。

演劇をずっとやって10年ぐらいした時に、崔監督から映画のインビテーションをいただきました。それが「月はどっちに出ている」という作品でした。本当に映画の素晴らしさ、怖ろしさ、色んな事を崔監督から教わりました。
未だに演劇などで演技はさせていただいていますがあれから映画のお仕事のお話をいただくと崔監督からもらったご褒美のような気がしています。
崔監督とはもう一つ一緒に作品をやろうと話してはいたので、それだけが非常に悔いが残ります。
でも天国で崔監督が自分たちの頑張る作品を見ていてくれるなと思ってこれからも頑張っていこうと思っております。
以上でございます。

小山明子 コメント

小山明子

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崔さんと知り合ったのは、大島が「愛のコリーダ」を撮った際にチーフ助監督としておつきになった時で、まだとてもお若くていらっしゃいました。
お正月に私たちの家へ作品にかかわった皆さんがお見えになる機会があったのですが、崔さんのお人柄が素晴らしく、子供たちにも大変な人気でした。

昨年我が家に来てくださった際も、崔さんがご出演された「御法度」のお話で、奥様の(青木)映子さんもご一緒に大変盛り上がりました。お疲れでないか心苦しいようにも思いましたが、あの時崔さんはうちにお別れに来てくださったのかなと思います。
崔さんは映子さんという素晴らしい奥様とめぐり会われ、この会は映子さんの為の会だと私は思っております。
崔さんはお祭りが大好きでそれを仕切るのが大好きな人だったので、今日は楽しくお別れしたいと思います

ありがとうございました。

北方謙三 コメント

北方謙三

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崔さんとは、友人であり、映画監督と原作者というつながりもありました。
その映画監督としての崔さんに撮ってもらった一本目が、「友よ 静かに瞑れ」です。
実は私は出演もしており、撮影の為わざわざ沖縄まで行きました。公開時には(そのシーンが)切られてしまったんですが…。
公開後しばらくしてご紹介を受けた林隆三さんも、出演シーンが大幅にカットされてしまったとおっしゃっていたのが思い出されます。

映画については崔さんから教えてもらった、というより、議論したことが多かったように思います。特に映画祭の新人賞の審査員を二人でやっているときは、殴り合いになりそうになりながら議論をしました。
「日本映画」というと初めに崔さんのことを思い浮かべますが、やはりこうした約35年という長いお付き合いの中で、崔さんから教えられたことが多かったのかと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

遠藤憲一 コメント

遠藤憲一

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私が若い頃、映画の仕事に呼んでもらえなかった時に、唯一早く呼んでくれた監督が崔さんでした。
一番最初の仕事が「月はどっちに出ている」、「マークスの山」、「犬、走る。」そして、「刑務所の中」。
崔さんとの仕事で特に印象に残っているのは「犬、走る。」の撮影時の盗み撮りです。歌舞伎町で、バレないように静かに段取りをして、本番が始まる時に崔さんが「盗み撮りよーい」と大きな声で叫んだんです。こういう所がさすが崔さん、凄いなと思いました。

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読者の反応

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森本 泰平|意味と衝動 @Punchingmonster

崔洋一監督、お亡くなりになっていたのか...『太陽を盗んだ男』のDVD特典で、ゴジが首都高や国会議事堂を無許可で突撃撮影した時の様子を「革命家のようだった」と称し「ゴジの事は彼が死んだ時にまた語る」と語っていた崔監督の方が、先に逝く事になったんですね。今日の月はどっちに出てるだろうか。 https://t.co/2cmBO2MbhW

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