三味線を伴奏に用いて物語を語る演芸・浪曲のドキュメンタリー「
浪曲師の独特の唸り声やエモーショナルな節回し、キレのよい啖呵、そしてスリリングな三味線の音色で観る人を魅了する浪曲。平成生まれの浪曲師や曲師が育ち、女性の演者も増え、関東で唯一、浪曲を中心とした寄席を行う浅草・木馬亭では昔からの愛好者と新たなファンが入り交じって確かな盛り上がりを見せているという。
「絶唱浪曲ストーリー」は浪曲師・
川上は「映画が完成したとき、この映画そのものが浪曲で語られる人情物語の一席のようだと気づいた。昭和初期の最盛期に比べれば、いま浪曲は下火だという。けれど、寄席の中ばかりでなく、街や生活に浪曲はあって、人知れず絶唱し、赤々と燃えている。容赦なく流れていく時間の中で、いつ途切れるともわからないその声に耳を傾けたら、愛の投げ合いの物語が聞こえた。人間を少し好きになれた。(猫はもっと好きになった。)」とコメントしている。
メインビジュアルには写真家・五十嵐一晴によるスチルを使用。木馬亭の前で小そめと1922年生まれで今なお現役の曲師・玉川祐子がとびきりの笑顔を見せる姿が切り取られた。映画を鑑賞したシンガーソングライターの
大石始(文筆家)コメント
なんて美しくて誠実な映画だろうか。過剰な演出は一切なく、カメラは語るものをひたすら見つめ、耳を澄ませ続ける。そこで映し出されるのは港家小柳や玉川祐子らの名人芸だけではない。彼らを支える弟子や関係者の思い。何気ない日常と、その終わり。芸能が暮らしの延長にあり、人生と共にあることを実感させられる。なかでも港家小そめの名披露目興行の場面は、芸能をテーマとする近年のドキュメンタリー作品でも屈指の名シーンではないだろうか。大切な人に無性に会いたくなり、酒を酌み交わしたくなる、そんな愛すべき映画である。途方に暮れるような時間と労力をかけてこんな傑作を作り上げた川上監督に乾杯!
折坂悠太(シンガーソングライター)コメント
何度も何度もこすれてできた、一節のたこ。街に、生活に、芸に、それがある。
たこに人は集う。行き交う足跡が、またたこになる。一代で終わらない、憧れの痕。
この空は明るくも、暗くもない。ただただ、うまくなりたい。
九龍ジョー(ライター・編集者)コメント
浪曲師たちのパワフルな愛情!
いっしょくたになった人と芸と生活が、いまを生きる浪曲の魅力を伝えてくれる。
小森はるか(映像作家)コメント
ともに過ごした時間より、とても近くに居るという距離をカメラは掬い取っていた。
師匠と小そめさんが並んで歩く後ろ姿、背中に添える手が、稽古だけではない継承の営みを、その尊さを描いていた。
受け継いだ人の中に生き続ける記憶もまた、同じ近さで、その人を支えていくのだと教えてくれる。
青空に揺れる桜は、別れのときを報せながらもあたたかかった。
彼方から見守る人たちを、見上げる視線から想像した。
釈徹宗(相愛大学学長・宗教学者・僧侶)コメント
人間の情念をストレートに語ってみせる浪曲。さらにその浪曲を生み出す“浪曲師・曲師のパトスを描く映画”である。
港家小柳が途中で舞台を降りる場面から、小そめの名披露目までの展開は、まさに映画自身が浪曲をうなっているようである。
岨手由貴子(映画監督)コメント
師と仰ぐ人に出会い、学び、叱られ、可愛がられ、時として誰かの役に立ち、新たな門出に立ったときに祝福される。
これはなんと幸せなことだろう。
人の営みの中で継承されてきた芸をまるごと受け止める若き浪曲師の姿に、何度も胸が熱くなった。
平松洋子(作家・エッセイスト)コメント
ほとばしる人情、熱いLOVE。スクリーンのなかの人々が、時代の荒波をくぐり抜けながら浪曲がしぶとく生き続ける理由を描き尽くす。耳から耳へ、声から声へ、魂から魂へ。日本の芸能の宝、浪曲の核心に迫るドキュメンタリーだ。
港家小そめの映画作品
リンク
細馬宏通 @kaerusan
「絶唱浪曲ストーリー」試写。いやあ、これはすばらしかった。カメラの画期的な近さ。楽屋や食卓の親密と緊張の中に取り込まれて、気づいたら浪曲をききたくなる。| https://t.co/iVd7XtEzru