マンガ編集者の原点 Vol.18 「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子

マンガ編集者の原点 Vol.18 [バックナンバー]

「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子(小学館 月刊flowers編集部)

マンガ家たちからの信頼厚い、医師免許を持つ異色の編集者

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田村由美は「常に想像を超えてくる」

さらに、田村の有能さを象徴するエピソードを語ってくれた。

「田村先生には編集部からお願いして『flowersまんが教室』を何度かやっていただいたことがあります。これは新人マンガ家さんやマンガ家を目指す方々に向けて作家さんが特別講義を行うイベントです。2019年8月の回では、開催日前日、会場で展示する田村先生の原画をお預かりにご自宅に伺ったところ、『こんなの作ってみました』と、参加者に配るレジュメを突然見せてくださって。まんが教室のために、先生がデザインまで全部組まれた完璧な講義資料を十数ページも作ってくださってたんです(『田村由美デビュー40周年記念本 KALEIDOSCOPE』に『フラワーズ まんが教室 レジュメ』として収録)。コマ割りのよい例・悪い例、情緒を大事にするにはどう演出するか?など盛りだくさんの内容で、イベント当日はマンガ家さんだけでなくて小学館の若手編集者も多く参加しました。

「田村由美デビュー40周年記念本 KALEIDOSCOPE」

「田村由美デビュー40周年記念本 KALEIDOSCOPE」

当初は参加者の事前質問にトークで答えていただくことだけを依頼していたのですが、先生の何事にも手を抜かずに全力で向かう姿勢が現れていますよね。それから先生は、20名以上の参加者全員の原稿を見たいということで、それぞれの作品を事前に読み込んで、イベント当日に若手マンガ家さん1人ひとりに出張編集部のようにじっくりお話をされていました。それはもう何時間も。先生があまりにもパワフルすぎて驚愕した思い出です」

田村由美、カッコよすぎて語彙を失う。「記念本」に収録されたレジュメを見ると、実に12ページにわたって、「プロットは簡潔に3行で書けるぐらいでないとだめ」「すべてのページを同じペースでめくられないようにする」など、創作上のHOW TOはもちろん、マンガ家として生活するための非常に実用的なコツが微に入り細を穿ち展開されていて、正直、マンガ家でなくともライター・編集者である筆者にとってもものすごく参考になった。マンガ家以外の田村はあり得ないのだが、もし別の世界線でマンガとはまったく関係ない仕事に就いていたとしても、大成功を収めるに違いない。

「田村先生は常にこちらの想像を超えてくる。それは作品にも現れていますが、普通こうするだろうというところを、予想もしない形でドーンと出してこられる。そして情熱家でありながら、ちゃんとご自身を客観視する冷静さもある方です。情熱の炎と冷静さの氷、両輪を備えた方で、本当にすごいと思います」

「立ち上げ担当なんて言えない」の真意

とにかく、作家への賛辞を惜しまない永田氏の基本姿勢は、「自分が立ち上げ担当なんて言えない」という、インタビュー中に筆者が一番衝撃を受けた言葉にも詰まっているように感じる。

「作家さんには、うまくいったら作家さんのおかげで、失敗したら編集のせいぐらいのスタンスでいてほしいと思います。私は、『◯◯の立ち上げ担当です』とは絶対に言えなくて。責任逃れではなく、先生が立ち上げた作品に立ち合わせていただいたという感覚です。もちろん新連載に向けてアイデアを出したり、繰り返し打ち合せや取材をしたりということはありますが、あくまで編集は黒子であって、当たり前ですが作家さんが一番なんです。

もちろんいろいろなタイプの編集者がいていいと思うし、天才的なスター編集者が自分で仕掛けて作品を起こして……というのもひとつの形ですが、私の場合は自己顕示欲が混ざってしまいそうで、なかなか言えないですね」

何をおいても作家を一番に立てる。この徹底した姿勢こそ、多くのマンガ家が永田氏を心から信頼する所以なのかもしれないと感じた。そんな永田氏が、作家のよさを引き出すために、会話ややりとりの中で編集者として心がけていることも興味深い。

「基本は、相手が言っていることを否定しない。作家さんの感性と自分の感性は違うものなので、まずは作家さんが大事にしているものを一度受け止めて、信頼関係を作ってからお話しするようにしています。

絹田村子先生が『数字であそぼ。』で小学館漫画賞を受賞されたとき、すごく素敵な受賞コメントをされていたんです。数学の世界のような、多くの人はあまり知らない世界でも、そこにいる人たちの価値観を少しでもマンガで表せたら、『自分とは違うものを大切にしている人がいる』ということを理解するきっかけになるのでは、と。(参考:やっぱり私はマンガが大好き!受賞者・審査員の思い弾けた小学館漫画賞の贈呈式)。この、『自分とは違うものを大切にしている人がいる』というのは、常に肝に銘じたいと思っています。

私にはピンと来なくても、作家さんにとって大切なことは千差万別でたくさんあるので、それを見落とさないように、自分の感覚だけでジャッジして取りこぼさないようにしたいと思っています。できているか分からないし、見落としていることもいっぱいあると思うのですが。あとは逆に、ベテランのマンガ家さんに対してであってもイエスマンにならないこと。相手との関係を悪くしたくなくて『いいですね!』と言うのは簡単ですが、そうやって言い続けているうちに作品の人気がなくなって売り上げが落ちるのが一番ダメなパターンなので、そこも気を付けています」

吉野朔実の最後の原稿

事もなげに語ってくれるが、編集者としてとても難しいことをやってのけている永田氏。インタビュー当日、机の上には永田氏がこれまで担当した作品や資料を用意して待っていてくれたのだが、見逃せない作品があったので記しておきたい。2016年にこの世を去った吉野朔実の、最後の読み切りとなった表題作を含んだ作品集『いつか緑の花束に』。吉野の直接の担当は編集プロダクションであるR社が担当し、編集部の窓口担当が異動したことに伴い、永田氏が引き継ぐことになった。

「いつか緑の花束に」

「いつか緑の花束に」

「『いつか緑の花束に』という最後の読み切りを掲載した月刊flowersの発売日直前に訃報が届きました。その後、編集部の窓口担当だった先輩編集者の異動に伴い、私がこの作品集を作ることになりました。なので私自身は吉野先生とは直接お会いしたことはないんです。

それでも、先生のご自宅に伺い、壁一杯に積まれた何十箱もの段ボールに詰まった原稿や、これから描こうと思われていたであろうネームを拝見すると、吉野先生の創作への情熱がひしひしと伝わってきました。『MOTHER』続編のネームは、ご遺族がネームの掲載をご了承くださったので、そのまま収録させていただきました。鉛筆で描かれたネームだけでも、吉野先生の描こうとされた物語を読者の方に感じていただけたのではと思っています。カバーは、もともと作品の予告カットだったものをデザイナーさんが素敵に仕上げてくださいました」

「MOTHER」とその続編のネームを読むと、吉野がこれまでにないスケールで本格的なSFに取り組もうとしていたこと、まだまだ壮大な展開が控えていたことがひしひしと感じられる。急逝が惜しまれるが、時間が経ってもまったく色褪せない名作がたくさんあるので、せめて繰り返し噛み締めたい。筆者個人としては特に、「記憶の技法」「グールドを聴きながら」「透明人間の失踪」「瞳子」「恋愛的瞬間」はいずれも、読む者の時を止め、心に不思議な彩りの花を咲かせてくれる傑作だと感じる。読書家の吉野が「本の雑誌」などで連載していたエッセイシリーズも滋味深い。吉野から教えられた文物や価値観を、まだ咀嚼している人生だ。

月刊flowersのファンタジー少女マンガを受け継ぐ作家たち

さて 月刊flowersと言えば、前身となる雑誌プチフラワーも含めて、少女マンガのエッセンスが色濃く詰まった名作ファンタジーやSFマンガが誕生する雑誌というイメージを持つ読者も多いのではないだろうか。先の話題に出た岩本ナオ作品はもちろん、萩尾望都「ポーの一族」に「バルバラ異界」、さいとうちほ「輝夜伝」「とりかえ・ばや」、吉田秋生「イヴの眠り」、田村由美「7SEEDS」など。個人的には、その流れを引き継いでいる若手作家の1人が、永田氏が担当している谷和野である。2010年にデビューし、代表作に「魔法自家発電」「オープンクロゼット」など。現在は月刊flowersで「終の花嫁」を連載中の谷は、少し前のヨーロッパ風の世界を舞台にした作品が得意で、美麗な絵で紡がれる、少しひんやりとした幻想的なストーリーの名手だ。

「谷先生も本当に天才だと思います。『よくこんな物語を思いつきますね!?』といつも驚愕します。彼女の目には、この世界がどんな風に見えているのかをもっと知りたいと思ってしまう。もともとは小学館全体のマンガ賞である新人コミック大賞に応募されていました。ちょうど私がSho-Comiで水波風南先生を担当しているときに先生がマンガ賞の審査員を務めていて、先生が絶賛されていた受賞者が谷さんでした。いろいろな読み切りを描いてもらっているうちに彼女の中にあるすごく広くて深い世界が見えてきて、連載を始めることになりました」

「終の花嫁」1巻

「終の花嫁」1巻

連載中の「終の花嫁」は、例えば萩尾望都が描くヨーロッパ系のファンタジーが大好きで、テイストの合う作品をもっと読みたい人にはおすすめしたい。谷自身も、萩尾作品が大好きだという。そして、個人的にはさらにその系譜に連なるように思える空木帆子(ウツギホコ)も、永田氏がプッシュしたい作家だ。2015年にデビューした空木は、24年組の描く寮生活サスペンスを彷彿とさせる「尖塔の鳥」や、友人たちがだんだんと屋敷の家具になっていくという、安部公房風の不条理ショートを思わせる「おもてなし」(月刊flowers2024年10月号に掲載の短編)など、やはり少し硬質なファンタジーやサスペンスを得意としている。

「空木先生も絵のセンスがすごくあって、コマ割りも演出のオリジナリティもすごい。ご本人も緻密な画面を描くのが楽しいらしく、アシスタントを使わずに全部1人で細かい建築物や衣装を職人のように描き続けています。かわいらしい動物のお話や中世の魔法にかかったお姫様を描いたと思えば、女子校の友達が少しずつガラスみたいにひび割れてきて、ある日突然カシャーン!と割れてしまう──みたいな、不条理ものっぽい短編も描く。すごく自分の世界を持っていて、次世代の天才だと思っています」

「担当編集は代替可能である」という状態がいい

さいとうちほや田村由美など、キャリアの長い作家の担当も経験する永田氏に、作家のモチベーションを保つ方法、さらには、作家が息長く、心身ともに健康に良作を生み出し続けるために、編集ができることを聞いてみた。

「私はflowersでは雑誌の表紙作成を担当しているので、イラストをいろいろな先生に依頼するんです。flowersに来て日が浅い頃、あるベテランの先生に依頼して描いていただいたものがめちゃくちゃよかったので、電話で『最高です! なんですかこの表紙!』と興奮して感想を伝えたら、後でメールをいただきました。その先生はとてもキャリアが長い方なのですが、『あんなにストレートに褒めてもらえたことは初めて。少女マンガ編集っぽくていいわよね』って。

意外とそうしたベテランの先生でもストレートに感想をもらうことってないのだと驚きました。褒めればいいということではないのですが、よかったと思ったときは率直に伝えたほうがいい気がします。ただ、それだけではなく、合わせて何がよかったのかを細分化して言語化する。ここの手の角度最高ですとか、このコマの表情がいいとか、このページが泣けたとか。より具体的に言ったほうが自分の感動も伝わるし、相手の心に届くなとは思っています」

ダイレクトに心のまま伝えることと、具体性。マクロとミクロの二本立てということだ。さらに、編集者と作家のあるべき関係や、陥りがちな関係性についても、経験則を語ってくれた。

「作家と編集者は、女性同士だと友達になる危うさもあるなと。男性同士や同年代の場合でもそうかもですが。それでポンポン会話が進んで盛り上がることもあると思うのですが、そこからいい作品が生まれるかというとまた別の話で。編集者は友達でもマネージャーでもなくでマンガ家さんの力になるための仕事相手なので、ある程度距離感は取っておかないと、なあなあになる危険性があります。

作家さんによってはお互いにプライベートに入り込むこともありますが、親しき中にも礼儀ありというか、仕事であるという部分には自覚的でなければいけないと思います。私たちは先生方と一蓮托生できるわけではないし、数年で担当も変わってしまうので。もちろん、作家さんと編集の組み合わせによるので色々な関係性があっていいと思うのですが……」

確かに、編集者と作家が家族のような関係であればあるほど、トラブルの際に回復不能なほどこじれてしまう例も見てきた。

「蜜月のときはすごくうまくいくけど、関係性が一度こじれると本当に別れ話みたいになるのはよくない。だから、私は『あなたが担当じゃないと描けない』という状態は共依存のようであまり健全でないと思っていて。それに個人対個人で付き合っているという意識になると、仮に担当と合わなかった時に作家さんが辛くなると思うんです。それよりは、『誰が担当になってもあなたを編集部全体/会社全体としてバックアップします』というのが、持続可能で安定した形だと思います。会社員の編集者は異動もあるし、病気などでいつ休むことになるかもわからないので、いい意味で『担当編集は代替可能である』という状態がいいと思います」

何の仕事をするかは、何に命を使うかと同義だから

前職も含め、19年間編集職を続けている永田氏。少女マンガを長年見つめていて、「根っこの部分はあまり変わっていない」と感じるという。

「数十年前の名作が今も電子書籍で売れるように、読者が気持ちいい、面白いと思う部分はそれほど変わっていないと思います。先日、萩尾望都先生の『半神』という16ページの短編も無料公開をきっかけにSNSで話題になり、大きくバズったんです。マンガ読みには当たり前の名作でも、今の若い読者達が強い感銘をうけて口コミで広がった。ほかにも、主人公が溺愛される“愛され系”は少女マンガジャンルでは昔から人気ですし、流行の異世界ものも、『ふしぎ遊戯』(渡瀬悠宇)や『彼方から』(ひかわきょうこ)で描かれていたものとルーツは同じですよね。

ただ、今はとにかく展開の速さが求められる。そこは昔と変わりました。ドラマでもマンガでも、1巻どころか1話で面白くなかったらもう読まれなくなる。新人さんの作品もインパクト勝負になっている空気は感じます。一方で、月刊flowersには大河のような作品も多くあり、インスタントな楽しみだけではない、ずっと人生に寄り添える作品も載っているのは強みだと思います」

いわばコンテンツ戦国時代だが、生き馬の目を抜くような入れ替わりの激しいエンタメ界も、スイスイと涼しい顔で泳いでいる風情のある永田氏。そんな永田氏に聞いてみたいのは、「医者ではなく、少女マンガの編集者になってよかったと思えるのは?」。

「ありきたりの回答ですが、何をやっても仕事につながるところですね。旅行していても映画を観ても、プライベートの出来事も全部が仕事に活きる。さらに、雑誌や作品の感想をお手紙やネットで読むと、自分一人で生きていたら絶対に出会えないであろう多くの方達に、楽しみをお届けするお手伝いができたことがただ嬉しいです。自分も、そんな誰かが生み出す仕事や作品に救われているので。全部回り回っているんだと思います。

医者の仕事もとてもやりがいがあったのですが、当時、仕事が終わった後にマンガを読んでいてもエンタメと割り切って消費することができなくて。これを仕事にしないとまずいと思ったんです。私は『時間は命』だと思っていて、何に時間を使うかは、すなわち自分の命を何に使うかだと思っています。仕事は否が応でも時間の多くを注ぐものなので、自分の時間を何に懸けるかというと、マンガしかないと思っていた。人生を全部マンガに懸けられるこの仕事に就けて、自分はすごくよかったと思います」

仕事は、何に時間を、命を使いたいかで選べ──まったく同意するところである。

インタビューが2時間に迫ろうとする頃、永田氏が今後編集者として叶えたい夢を教えてくれた。

「才能があってダイヤの原石であるマンガ家さんたちがブレイクするのを見届けたいと思っています。給水や声かけをしながらマラソンのように伴走して、ゴールテープを切るマンガ家さんの背中を見られたらいいですね」

永田裕紀子(ナガタユキコ)

1979年、大分県生まれ。メディアワークス、スクウェア・エニックスなどを経て、2007年に小学館に入社。週刊ヤングサンデー、Sho-Comiに配属されたのち、現在、月刊flowers編集部の副編集長を務める。担当作品は「とりかえ・ばや」「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」「数字であそぼ。」など多数。

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コミックナタリー @comic_natalie

編集者が“担当デビュー作”を語るコラム【マンガ編集者の原点】

第18回は田村由美、岩本ナオ、さいとうちほ、絹田村子らflowersを代表する作家陣を担当してきた永田裕紀子氏が登場。
医師免許を持つという異色の編集者の、ライフヒストリーと編集道に迫った。

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