マンガ編集者の原点 Vol.18 「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子

マンガ編集者の原点 Vol.18 [バックナンバー]

「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子(小学館 月刊flowers編集部)

マンガ家たちからの信頼厚い、医師免許を持つ異色の編集者

1

58

この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。

  • 12 34
  • 12 シェア

岩本ナオからもらった感涙のメッセージ

Sho-Comi編集部で4年間経験を積んだのちに月刊flowers編集部に異動となった永田氏は、今年で在籍13年目。同誌での担当作に関して印象的だったことを聞くと、長く担当していた岩本ナオの名前をまず挙げてくれた。

「『町でうわさの天狗の子』を9巻あたりから担当させていただくことになり、その後の『金の国 水の国』『マロニエ王国の七人の騎士』と、岩本先生が大きく羽ばたかれる瞬間に立ち会わせていただけたのがすごく大きいです。もちろん私が担当になった時点で、『天狗の子』で小学館漫画賞を受賞されていたりと確固たるキャリアを築いていらっしゃったのですが、そこに続く作品でさらに花開く瞬間にご一緒できたのは光栄でした」

「町でうわさの天狗の子」1巻

「町でうわさの天狗の子」1巻

2004年デビューの岩本は、2007年に月刊flowersで連載を開始した「町でうわさの天狗の子」で人気を博す。同作は、天狗と人間の間に生まれた娘・秋姫をヒロインに繰り広げられる“ヘンテコ青春ファンタジー”。天狗を信仰する田舎町を舞台にした、ちょっとだけ不思議でトボけた世界観は癖になるような味わいだ。2013年まで連載され、単行本は12巻で完結。岩本の代表作となった。

「読者が悶えてしまうような恋や慕情の豊かな表現はもちろん、ひとつの世界を生み出せるのが凄い。『天狗の子』も日常とファンタジーが混じった作品ですが、『金の国 水の国』ではさらに世界が広がっていきます。『金の国』を始めるときに、先生は『ファンタジーなら楽かなと思って』とおっしゃってたんですが、普通はどう考えてもファンタジーのほうが大変なんですよ(笑)。新人さんにも『ファンタジーは力がつくまでやめておけ』と言うことも多いんですが……。続く『マロニエ』でも、1話のネームがすっ……と届くんです。マンガ作りではプロットから組み立てることも多いのですが、岩本先生の場合はかなり仕上がった形でネームが届くので驚きます」

そう言って永田氏が見せてくれたネームのコピーは、単行本に収録されたものとほぼ内容が変わらない、完成度の高いもので驚いた。絵もかなり描き込まれている。

「『マロニエ』について、先生、初めは『読み切りで』とおっしゃってたのですが、いやいや読み切りで終わるキャラと世界ではないでしょうと(笑)。1話の時点で、このキャラクターたちをずっと見ていたいと思わせる力がある。岩本先生の中でひとつの世界ができあがっていて、素晴らしいですよね。

普通はプロットを作ってからネームに入る方も多いと思うのですが、先生はいきなり頭からネームを描きだして、どんどんできあがってくるんですよ。『天狗の子』もそうでした。以前、ファミレスでネームを描かれているところを目の前で拝見したんですが、真っ白い紙にキャラクターや世界が鉛筆一本で生き生きと生み出される。よく最後にページ数の帳尻を合わせられるなとも思うのですが、世界がすでに頭の中にあって、それをマンガという形で紙に落とし込んでいる。天才だと思いますし、それ以上に『前よりもいいものを、より面白いものを』と地道な努力をこつこつと積み上げる姿勢を尊敬しています。ファンタジーといっても、丹念な取材や膨大な資料を調べ上げたうえでマンガ表現に変換されているんです。一緒にフランスとスペインに取材に行った時も現地で大量の資料を購入されていましたし、ご自宅で壁一面に貼られている設定や膨大な資料の山にはいつも驚きます」

岩本作品では重層的な設定が自然に調和していることに驚嘆することが多いが、それが全部頭の中に詰まっていて、魔法のように紙の上に紡ぎ出される。永田氏は、岩本のすごさを語りだすと止まらない。

「岩本先生はコマ割りが唯一無二で、言葉がないシーンでも、言葉よりも強くキャラクターの感情が伝わってくる。小説でもアニメでもなく、マンガでないと表現できないことを描いていると思います。先生が羽ばたかれる時期に伴走させていただけたのが幸せでした」

「マロニエ王国の七人の騎士」1巻

「マロニエ王国の七人の騎士」1巻

現在連載中の「マロニエ王国の七人の騎士」は、ヨーロッパ中世を思わせるマロニエ王国を舞台に、7人の個性的な兄弟騎士たちが活躍する物語。「金の国」同様、まるで昔から語り継がれている壮大なおとぎ話が、美麗で精密な挿絵とともに、茶目っ気たっぷりの落語で語られているような錯覚に陥る、岩本ワールド全開のお話だ。

「『マロニエ』が7巻くらいの時に『金の国 水の国』がアニメーション映画になって、『金の国 水の国 スペシャル版』を刊行したところで担当を後輩に引き継いだのですが、そのときに岩本先生から頂いたメッセージが忘れられません」

その内容を、岩本の許可をとって掲載したい。

「天狗の子」が終わった後に1年描かなかったのに、そこからやる気を出させてくれてありがとうございました。ほんとに永田さんがいなかったら、この作品(注:「金の国 水の国」)が世に出ることはなかったと思います。永田さんはいつも仕事熱心で内容よりも作家のやる気の方を大事に考えてくれていて、多分ご自分で思ってるより素晴らしい編集者だと思います。私もまだまだ仕事がなくならないように頑張りますので、いつかまた一緒に新しい作品を作れたらと思います。スペシャル版もすごく装丁が素敵で、たくさんサインしていろんな方に献本させていただきますね。「金の国」は永田さんの作品ですので誇っていただけたらありがたいです。

敬愛する作家にこんな熱いメッセージをもらうことができたなら、ある意味、編集者人生“アガリ”かもしれない──そんなことまで感じさせる内容である。そういえば以前、田村由美と永田氏の対談企画でも、田村が「やる気を削がずに前へ前へ走らせてくださった」担当の1人だと、永田氏について語っていたことを思い出した。

「いやもう、泣いてしまいましたね……。岩本先生はこう言ってくださるんですが、私は何かすごいアイデアを出したわけでもないし、何がよかったのかは自分ではわからないんですが、先生のお力になれたのなら編集冥利に尽きるなと思います」

「100%の原稿より締切を守る」さいとうちほのすごさ

続いて、2012年から2018年まで連載していたさいとうちほの「とりかえ・ばや」は、最初から最後まで担当できた印象的な作品だったという。

「マンガ編集者は会社員なので異動も多いし、異動がなくても編集部内の担当替えはよくあります。なので、意外と長期連載作品を最初から最後まで担当できることは少ないんです。『とりかえ・ばや』は、1話目の原稿を受け取るときにさいとう先生にご挨拶して前担当から引き継ぎました。そこから最終巻の14巻までご一緒できたのは初めての経験でした」

「とりかえ・ばや」1巻

「とりかえ・ばや」1巻

現在、「とりかえ・ばや」「輝夜伝」に続く平安三部作の最後を飾る作品「緋のつがい」を連載中のさいとう。平家が支配する世界で、源氏一族の姫・瑠璃と、“紅い目の鬼”の出会いが巻き起こす愛と呪いの波乱万丈を描いた、禁断の異類婚姻譚だ。さいとうについてもまた、作家としての魅力は語り尽くせないという。

「さいとう先生といえば『円舞曲は白いドレスで』や『花冠のマドンナ』などの名作はもちろん、『少女革命ウテナ』で幾原邦彦監督達と一緒に新しい表現に挑戦されていたのもすごかったですよね。今日のインタビューの質問リストに『天才を実感した瞬間は?』という項目がありましたが、さいとう先生で言うと、『私、100%で原稿を出したことないわ。締め切りが来るから、いつも70~80%で出してるの』とおっしゃっていて。こちらとしては、『あの美麗な原稿で!?』と驚きます。先生はデビュー以来、締め切りを破ったことも休載されたことも一度もないんですよ。プロだなと思います。

もちろん、『どんなに時間をかけてでも、最後までこだわり抜いて描くのがプロ』という考え方もあると思うのですが、さいとう先生はきちんと締め切りまでにベストの原稿を完成させてくださる。そして心底プロの商業作家だと感じるのは、自分が描きたいものも当然あると思うのですが、それ以上に、どうやったら読者さんが喜んでくれるか、読者さんが何を読みたいのかを一番に考えているところ。サービス精神旺盛なエンターテイナーだからこそ、40年以上もの間読者に愛されて、第一線で描き続けてらっしゃるんだと思います」

「緋のつがい」1巻

「緋のつがい」1巻

クリエイターやアーティストであれば、常に自分の「100%の作品」を追い求めたい気持ちはあって当然だ。だが、自分で設定しない限りものづくりに明確な答えはないし、「完璧な作品」は本質的には締め切りという概念と矛盾するのではないだろうか。そうした意味で、「いつも70~80%」で絶対に締め切りを守るさいとうの姿勢は、商業作家の鏡であり、痺れるほどカッコいいと思う。1982年のデビュー以来、これぞ少女マンガ!という美しい絵とエンタメ満載の大胆な作風で、ファンを魅了し続けているさいとうのすさまじさ。締め切りと完成度への考えは職種を問わずお手本にしたいが、これも「70~80%」がものすごいクオリティだからこそ成立する信念であるのは間違いない。

「ご本人の努力の賜物だとも思うのですが、少女マンガの大きな武器である“華”をお持ちの方です。これは、どれだけ皆が欲しがっていてもなかなか手に入れられないもの。いつも読者に美しい夢と恋と冒険を見せてくださる、少女マンガのひとつの完成形だと思います」

担当編集が語る「ミステリと言う勿れ」の魅力

担当する作家へのリスペクトが止まらない永田氏。さて、永田氏が田村由美の「7SEEDS」後半を担当した後、再び5巻から担当した「ミステリと言う勿れ」は、筆者も個人的に大好きで、新刊が出る前日と出た当日は、胸がバラ色に染まったような最高の気分で過ごせる稀有な作品だ。2018年に1巻が発売された時点ですでに、マンガ好きの間ではものすごく面白いと話題が沸騰していたが、2022年に第67回小学館漫画賞(一般向け部門)を受賞し、同年に菅田将暉主演でTVドラマ化されるなどもして、作品人気はいよいよ国民的なものとなった。永田氏いわく、「ドラマ前に900万部以上売れていて、映像化する前にこんなに売れるのは小学館で初めてではないか?くらいの勢いだった」というから、異例さがうかがえる。

幅広い読者から熱い支持を受けている印象のある同作だが、同作が社会に広く支持された理由の1つは、主人公である整の「言葉」にあると、永田氏は分析する。

「ミステリと言う勿れ」1巻

「ミステリと言う勿れ」1巻

「『ミステリ』が一気に広がったのは2020年のコロナによる緊急事態宣言が出た頃なんです。宣言は4月に出て5月半ばぐらいに解除されたのですが、読者の方が書店に行けない時期に電子書籍で爆発的に売れたんです。それで緊急事態宣言が明けたら電子で読んだ人が紙のコミックスを買いに走って店頭からなくなり、書店さんから注文が殺到しました。

当時、みんなすごく不安だったと思うんです。不安なときって弱者にしわ寄せが行く。多くの企業が在宅勤務に切り替わったことで、家庭内暴力や子供への虐待が増えたというニュースもあり、煮詰まった空気があった。そんな中、整くんの言葉は女性や子供、男性でも苦しい思いをしている方など、すごく弱者に寄り添うもので、当時の読者の弱った心や不安に沁みたのでは思います。先ほど話したように、『ミステリ』は電子書籍を買った人が紙も買ってくれるパターンがすごく多いのが特徴なんです。電子版はストーリーを追うにはいいのですが、折に触れて紙版で自分の好きなページを開いて整くんの言葉を読み返したいからなのではと思っています」

売れ方も異例づくしだが、確かに「ミステリ」1巻が出たときに読んで感じたのは、複雑な要素が絡み合った、読んだことのない読後感の作品だということだった。決してコミュニケーション強者ではないが、出会う人の言葉や挙動を聞き逃さず見逃さず、ふとした違和感から隠された真実に迫ろうとする主人公・久能整。事件の結末は、いつも予測不能な斜め上から訪れ、「ミステリと言う勿れ」とタイトルで謙遜する必要を感じないほど新しい感覚をもたらしてくれるミステリであり、ヒューマンドラマである。1983年にデビューし、「BASARA」や「7SEEDS」でメガヒットを経験しながら、ここにきてまだ誰も見たことのない大輪の花を咲かせられる田村を、心の底から尊敬する。

「絵や演出はもちろんですが、田村先生が特にこだわられているのがセリフ。考えに考えていらっしゃって、ネームから下絵でセリフがガラッと変わったり、下絵から完成原稿でまた変わったりもする。原稿アップの後にも電話がかかってきて、『やっぱりこっちのセリフにしてください』と変えることもあり、そして変更後の方がさらに面白くなってるんです。あと、先生はインプットの量も観察力もすごいんです。あらゆるジャンルの書籍や映像にも触れてらっしゃるし、普段でも『永田さん、10年前に◯◯って言ってましたよね』『あのときに××が□□をして永田さんは△△でしたよね』といった細かい情景まで覚えてらっしゃるので、びっくりします(笑)」

インプット量と観察力、記憶力は、整を地で行くような田村。整のキャラには不思議と読む人を癒す力があると感じており、人生全部ハッピー!というわけではないのだが、過去の傷を抱えつつも自分の機嫌をとりながら楽しんで生きていく様子がかわいらしく、読むたびに真似したいと思う。

「先生もおっしゃっていますが、整くん自身がまだ大学生で発展途上なので、間違えることも、先入観や偏見で喋ってしまうこともある。だけど、『自分も間違ってるかもしれない』という自覚があって、間違っていたらそれを認めて『間違いました』と言える人なので、言えてよかったねと思いながら見守っています。人と交わって、少しずつ変わっていく彼自身の成長も見られるのが素敵ですよね」

次のページ
田村由美は「常に想像を超えてくる」

読者の反応

  • 1

コミックナタリー @comic_natalie

編集者が“担当デビュー作”を語るコラム【マンガ編集者の原点】

第18回は田村由美、岩本ナオ、さいとうちほ、絹田村子らflowersを代表する作家陣を担当してきた永田裕紀子氏が登場。
医師免許を持つという異色の編集者の、ライフヒストリーと編集道に迫った。

https://t.co/yLNwgzTJBK https://t.co/ZGAk9zQYd7

コメントを読む(1件)

田村由美のほかの記事

リンク

あなたにおすすめの記事

このページは株式会社ナターシャのコミックナタリー編集部が作成・配信しています。 田村由美 / さいとうちほ / 岩本ナオ / 絹田村子 / タアモ / 衿沢世衣子 / 谷和野 / 水波風南 / 佐藤まさき の最新情報はリンク先をご覧ください。

コミックナタリーでは国内のマンガ・アニメに関する最新ニュースを毎日更新!毎日発売される単行本のリストや新刊情報、売上ランキング、マンガ家・声優・アニメ監督の話題まで、幅広い情報をお届けします。