今やっている仕事は、締め切りを設定しない
骨折などと違い、鬱病には“完治”がないと言われる。鬱病患者が目指すところは、完治ではなく“寛解”。広江の言う通り、一度ヒビ割れたものが完璧に元通りになることがないとすると、鬱を抱える人たちはそれとうまい付き合い方を探していかないといけない。広江は今、どのように鬱と付き合っているのだろう。
「これは僕の場合、完全に1つしかなくて。プレッシャーのかかる仕事はしないということ。夏目さんあってのことなんですけど、僕は今不定期連載でマンガを描いていて。基本的には締め切りを設定していない。その状態でしか、僕はもう仕事ができないんです。
毎日机に向かってちゃんと仕事はするんですけど、ケツが決まっていて、プレッシャーになるような仕事は、もうたぶんできないと思います。それをやってしまうと、心にヒビが入る。薬でごまかしつつ、様子をうかがいながらやっていくことしか、これからもできないと思うんですよね。だから、夏目さんが『そんなのダメだよ』と言ったら、僕のマンガ人生はそこでおしまいなんです(笑)」(広江)
担当編集の夏目氏の理解があるからこそ、今でも広江はマンガを描くことができている。鬱病を患いながら仕事をしていくには、やはり周囲の理解が必要になると感じる。
「(周囲の理解は)重要ですよ。無理に働き続けるのだけは、絶対にやめたほうがいい。心をひたすら壊し続ける以上の何者でもないので。周りが『いいからやれよ!』と言ってきたら、そこで全部おしまい。それはもう逃げちゃったほうがいいと思います。『俺だってがんばっているんだから、お前もがんばれ』っていうのはよくない。それがやせ我慢を増長させてしまう」(広江)
マンガを描いている限り、寛解はない
ちなみに、休載中もなんらかの仕事をしていたという広江だが、夏目氏曰く、広江は「休むのがヘタ」なんだという。「鬱病は真面目な方がなりやすいと言われるじゃないですか。広江先生もそうで、根がとても真面目。休みを設定しても、どう休んでいいかわからないから、とりあえず仕事場に来てしまう。数年前からサウナに行くことを覚えたので、気晴らしにもなるし、完全にマンガから切り離すこともできるので、無理しない程度にサウナに行きなさいと言ってます(笑)」と微笑む。
またTVアニメ「Re:CREATORS」に携わったことも、広江にとって目先を変える仕事になったようだ。同作は2017年に放送されたTROYCA制作によるオリジナルアニメ。広江はストーリーの原作、キャラクターデザインの原案を手がけた。夏目氏はそのときの印象を語る。
「なんとなく、広江先生がものを作る方向に戻れるようになったのは、『Re:CREATORS』がきっかけなんじゃないかと思います。絵を描くわけではなく、まずお話を文章で書くところから始まったので、そういう機会をもらって、徐々に執筆作業に戻れるようになった。ただ、まだ『BLACK LAGOON』に手をつけるのは怖いという話だったので、掲載誌などの詳細を決めないまま(2019年よりゲッサンで発表している)『341戦闘団』のネームを『描けそうだったら描いてみたら?』というところから、マンガの執筆も徐々に進めていきました」(夏目氏)
広江にとって、「BLACK LAGOON」を描くことだけが怖くなってしまったのだろうか。
「『ロベルタリベンジ編』を描いたときに、気力とかすべてを絞り出す感覚があって。燃え尽きたイメージが自分の中にありました。今は薬を飲んでなんとかものを描ける状態になっているけれど、あれくらい本気で作品に向き合ったら、たぶん次は死ぬなと思っています。何かを描いているとどこかで絶対にプレッシャーはかかってしまうものですが、『ロベルタリベンジ編』ではそれをどこまで制御しながら突き詰められるかを、力試しでずっとやっていた感じでした。自分ができることをすべて突っ込もうと思って描いていたので、それが終わり、なんとなく思っていた成果が出なかったから、ちょっと心がくじけてしまったのかもしれないです」(広江)
広江が命を燃やす勢いでいた『ロベルタリベンジ編』。評価は分かれたかもしれないが、今も「BLACK LAGOON」を愛し、続きを待っている読者はもちろんたくさんいる。「完結させたいという思いはあるか?」とはっきり聞いてみると、「もちろん、だから続けているわけです」と力強く言葉にした。「BLACK LAGOON」を描き続けるため、いつか完結させるため。今の広江は無理をせず休んでみたり、何かほかのことに挑戦してみたりと、試行錯誤を繰り返しているのだろう。
「昔だったら120キロで突っ走れたんだけど、今はエンジンが壊れちゃったから、50キロでしか走れない。50キロの走りに付き合える人は、付き合ってくださいという感じですね。どこかでガス抜きをしながらやっていかないと、次倒れたときには本当に描けなくなって、終わりになってしまうので。そうならないように自分もいろんなことを加減してやっているので、そこはわかっていてもらえるとうれしいです」(広江)
また最近の様子を聞く中で、広江はこうも語った。
「僕にとってマンガを描くっていうことは、絶対に負荷もプレッシャーもかかることなので。マンガを描き続ける限り、僕に寛解はないと思っています」(広江)
覚悟を感じる言葉だった。
「一生マンガ家を続けるためには、一生かけてこの状態をキープして、描けるようにしていくのが大事。いかに改善していくかというよりは、ここからどう落ちないようにするか。どこまで現状維持を続けられるかを考えています」(広江)
二人三脚の関係、そしてコミュニケーション
そんな広江にとって、やはり夏目氏の存在は大きいように感じた。広江にとって夏目氏は“終身担当”なのだという。夏目氏が「広江先生がマンガ家を辞めるって言わないと、僕も編集をやめられない(笑)」と笑うと、広江は「そうそう」と頷き「二人三脚ですよ、本当に。夏目さんのおかげで『BLACK LAGOON』は成り立っている」と、夏目氏への信頼を感じる言葉を口にした。
最後に広江を支える夏目氏にも、何か話しておきたいことはあるかと聞いてみた。
「後輩の編集者には機会があれば『作家のメンタルも含めて、とにかく健康管理に努めてあげてください』と伝えています。僕自身、若いときは理解が足りていなかった部分があって、根性論じゃないですが『連載に穴を開けちゃいけない』という思いがあったんです。けれど、後輩編集者には、作家さんのすべてを理解してあげられなかったとしても、寄り添って話を聞いて、作家さんの気持ちを大切にしてあげてねという話をしました。
今は自分も歳を重ねたし、自分の担当作家さんの年齢も全体的に上がったので、そこも含めて、健康的に無理なことはしないでいいですよという話をしています。周りの編集者にも理解がある人が増えてきたので、広江先生が鬱になって描けなくなった当時に比べたら『つらいときは無理をしなくていい』という認識が広まったように思います。
ただ、SNSを見ると、一般的にはまだそういったことに理解があるのは一部なのかもしれない、と思うこともある。理解してもらえる人に出会えるかどうかは運でもあるので難しいんですけど、周りに理解者を作るのは大事ですよね。作家さんであれば、担当さんとうまくいかなければよそにあたってみるとか、絶対にその人と組まないといけないということはないと思います」(夏目氏)
筆者の経験として、鬱の症状がひどい時期は体が動かないため、家にこもりがちになり、社会とのつながりがとても薄くなったように感じた。しかし比較的調子がいいタイミングで会社に赴き、同僚と何気ないコミュニケーションを取るだけでも、暗いトンネルの先に少しだけ明かりが見えるような感覚があった。母を亡くし、15年ほど2人で住んでいた家にひとり残された期間は、孤独感が日々強まっていたが、今は「おはよう」「今日は寒いね」といった、周囲との何気ない日々の会話がとても大切であることを強く感じている。
広江も「1人になると、それだけどんどん病んでいきますから。何かあったときに助けてくれる人が周りにいるかどうかというのは大事」だと語った。実際夏目氏は、広江が休載している間も広江のもとに顔を出し、雑談をしていたと話している。きっと広江にとっても、それは社会とのつながりを絶たないための大事なコミュニケーションになっていたのではないかと思う。
ただ、すべての人がそうやって周囲の人とコミュニケーションを取れる境遇や環境に恵まれているわけではないだろう。そのうえで、もし周りに少しでも頼れる人や言葉を交わせる存在があるのであれば、自分の中に残っている僅かな力を費やしてでも、周囲とのつながりを手放さないでほしいと、経験者としては願っている。
そんな私の思いを受けて、夏目氏と広江に改めて言葉をもらった。
「僕と広江先生も、今はこうやって友人のような感じですけど、そうは言っても仕事を依頼してそれを受けてもらっているという関係性がベースとしてある。広江先生のつらかった時期を見ていると、休むのがうまくないとか、コミュニケーションが苦手でなかなか人と話せないとか、そういう人はきっと同じ状況に陥ったときに、誰かに頼ったり、力を抜くことが難しいと思います。けれど、少しでも残っている力で、SNSなのか、友達なのか、会社の知り合いなのかはわかりませんが、誰かとつながりを持っていられるといいですよね」(夏目氏)
「全体的に不寛容な社会になっているのもよくないですよね。いろんな人がいろんなところにいるわけですから。小さいことからでいいから、それぞれの立場を考えて、触れ合っていけたらいいですよね」(広江)
現実は簡単には解決できないことばかり。広江にしても筆者にしても、社会や人とのつながりを保ったまま、自分なりのペースで仕事をして生きていくことができているのは、そういった意味ではとても幸運なことだろう。苦しむ人の中には、それこそ個人との交流だけでなく、福祉の力に助けを求めるべき場合もある。そんな中で、ただの会社員の自分にできることは決して大きくはないが、広江の言う通り、小さなことからでもいいので、自分が日々関わっていく人々とはお互いのことを考えながら触れ合っていきたい。そして、こうやってインターネットを通じて世界に届ける記事も、誰かの心に寄り添えるように作っていきたい。
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厚生労働省 まもろうよこころ
広江礼威 @hiroerei
鬱になったあたりのことをインタビューして貰いました。気恥ずかしいですがよろしくです https://t.co/P2dqujxjFT