佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ-Jonah」が、10月1日の東京芸術劇場 シアターウエスト公演を皮切りに、日本ツアーをスタートさせる。東京芸術劇場とルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場により国際共同製作された本作はルーマニアの国民的詩人マリン・ソレスクの代表作をベースに、旧約聖書に出てくる聖人ヨナの逸話を題材にした物語が展開する。漁師で預言者のヨナは、神に背いて鯨に飲み込まれるが、3日後に生還して……。4月末にルーマニア・シビウで稽古がスタートし、5月から6月にかけてルーマニアほか東欧各地で上演された本作には、主催である東京芸術劇場のスタッフもさまざまな形で関わった。なお今回佐々木は、シビウ国際演劇祭が毎年、世界を代表するアーティストを表彰している「ウォーク・オブ・フェイム」を受賞した。
ステージナタリーでは、シビウでの稽古や東欧ツアーに帯同した東京芸術劇場のスタッフにインタビュー。「ヨナ」誕生から成長までの道のりを振り返った。さらに佐々木のコメントを掲載しているほか、日本ツアーが行われる金沢・松本・水戸・山口・大阪の各劇場スタッフによる、佐々木と観客に向けたメッセージを掲載している。また東京公演は、芸劇オータムセレクションとして、舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」にて上演される。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 祭貴義道
ラドゥ・スタンカ劇場と芸劇の絆から生まれた「ヨナ」
──「ヨナ」は、ルーマニアを代表する演出家シルヴィウ・プルカレーテさんと佐々木蔵之介さんの3作目のタッグとなる作品です。第1弾「リチャード三世」、第2弾「守銭奴」ではプルカレーテさんが日本にやってくる形でクリエーションが行われましたが、今回は佐々木さんがルーマニアに滞在する形での創作となりました。
内藤美奈子(東京芸術劇場プロデューサー) そもそも、ルーマニアの「シビウ芸術祭」やラドゥ・スタンカ劇場と東京芸術劇場(以下芸劇)のつながりができたのは、野田秀樹さんが芸術監督に就任して間もない2011年、劇場が改装工事で休館していた時期に、野田さんがヨーロッパを遍歴していろいろなフェスティバルを回られたことがきっかけです。そのとき、野田さんにとってダントツで面白かったのがルーマニアで、ほかの都市では感じなかった、演劇の原初的なパッションのようなものがあると感じたそうです。中でも、プルカレーテさん演出の大作をいくつかご覧になって、野田さんはぜひプルカレーテさんの作品を芸劇に呼びたいとおっしゃり、2013年の東京芸術劇場リニューアル記念公演「ルル」を招聘しました。その後も「オイディプス」「ガリバー旅行記」(2015年)を芸劇で上演し、逆に野田さんの「THE BEE」や「One Green Bottle」をシビウに呼んでいただき、2022年には四代目鶴屋南北「桜姫東文章」を原作にプルカレーテさんが演出した「スカーレット・プリンセス」も芸劇で上演されるなど関係が続いていきました。さらにプルカレーテさんに日本の役者さんを演出してもらう形で「リチャード3世」「守銭奴」が上演されました。「守銭奴」上演中にプロデューサーのコンスタンティン・キリアックさんから「次は共同製作を一緒にやってみよう」と提案があり、蔵之介さんは「プルカレーテさんとだったらまた一緒にやりたい」とおっしゃって、今回の企画が立ち上がりました。
ただ、これまでは芸劇のプレイハウスのような大きな劇場で、出演者も多い大型の作品をやってきたのですが、今回は国際ツアーに出しやすい、小回りのきく作品を作ることが第一目的だったので、それに適した戯曲をいろいろ探したんですけれども、見つからなくて。さらにどちらかというと蔵之介さんはウェルメイドなものが得意で、プルカレーテはアバンギャルドなものが得意ということがあり、お二人に適した戯曲を探すのは困難でした。その中で、プルカレーテさんが「実はルーマニアにこういう戯曲があるんだけど……」と教えてくれたのが、「ヨナ」だったんです。
それで1年前ぐらいに「ヨナ」の英語台本ももらって翻訳したのですが、その段階ではまだかなりわからないことが多かったんですね。ルーマニア側からもルーマニア語から日本語訳したものをもらったりしたものの、それでもどう読んでいいものやらピンとこない感じで迷っていたのですが、蔵之介さんが「プルカレーテさんがおっしゃるんだったらやってみたい」とおっしゃって、「ヨナ」が始動しました。その後さらにドリアン助川さんに翻訳していただいたのですが、この“超訳”が素晴らしく、蔵之介さんの道しるべになりました。
「ヨナ」をさまざまな形で支えるスタッフたち
──今日お集まりいただいた皆さんは、どのように「ヨナ」にかかわっているのでしょうか?
内藤 みんな、「TMTギア─東京芸術劇場クリエイター支援プロジェクト」(編集注:東京芸術劇場が2024年度より実施している、“舞台芸術・音楽の未来を切り開く”ことを目指したプロジェクト。世界で活躍するアート・クリエイターを育成するとともに、その活動を支える東京芸術劇場のプロデューサー、舞台技術スタッフを充実させることを目的としている)のメンバーなんですよね。
吉田直美(東京芸術劇場プロデューサー) はい。私と黒田さんは、「ギア」のインハウススタッフのパフォーミングアーツ分野プロデューサー、行方さんと松島さんは舞台技術の育成対象者で、「TMTギア」は文化庁の文化芸術活動基盤強化基金(クリエイター等育成・文化施設高付加価値化支援事業)の助成を受けており、文化庁が掲げる“日本のコンテンツを海外に持っていく”という方向性と合っていることもあって「ヨナ」が「ギア」のオンジョブトレーニングのプログラムになりました。
黒田忍(東京芸術劇場プロデューサー) 私は今年の4月から本格的に「ヨナ」の副担当として制作に入るようになりました。「ヨナ」では2度現地に向かいました。最初は内藤さんが稽古始動から3週間立ち会ったあとを私が引き継いで現地入りし、プレミアに合わせて5月に吉田さんが現地入りするまでの1週間ルーマニアに滞在し、2度目は6月末の「シビウ芸術祭」の時期にもう一度現地に行きました。
内藤 私はルーマニアと日本を3回行き来しました。現地には蔵之介さんとこれまでプルカレーテさんの稽古にずっとついていた日本語・フランス語の通訳さん、ドラマトゥルク的な演出助手のスタッフの3人だけが滞在していたので、主催である東京芸術劇場のスタッフも必ず誰か1人はいることにしたんです。私の場合は、稽古が始まって3週間くらいと、プレミア開幕前、最後のシビウ国際芸術祭の前にルーマニアを訪れました。
吉田 私はプルカレーテさんと蔵之介さんの「リチャード三世」「守銭奴」に関わっていて、「ヨナ」では予算管理を担当したほか、プレミア直前に松島さん、行方さんたちとシビウに行き、その後の東欧ツアーに帯同して現地では主に取材対応をしました。
──ルーマニアには日本からどのくらいの時間で行けるのですか?
内藤 シビウには直行便がないんですよ。ミュンヘンやウィーンで乗り換える場合が多く、ドアトゥドアで、ざっと24時間はかかっていますね。
──何度も往復するのは大変なことですね。舞台技術のお二人は「ヨナ」にどんな関わり方をされたのでしょうか?
松島千裕(東京芸術劇場舞台技術スタッフ) カンパニーにはツアーに帯同するスタッフがついているので、東欧ツアーでは私たちが実際に音響や照明をやるということはなく、海外で公演を作っていく流れを劇場技術スタッフの目線で見るという関わり方でした。それはすごくいい経験になったと思います。またシビウの国立劇場のシステムがやはり日本とかなり違うので、いいところは絶対に取り入れたいと思いました。「カンパニー内での信頼関係が強く、ファミリーだな」と感じるところが多くて、日本のやり方にそのまま取り入れることが難しいこともあるなとは感じました。
行方太一(東京芸術劇場舞台技術スタッフ) 私も松島さんと同じく、この公演に関してはオンジョブトレーニングということで、実際に海外でどういうことが行われているかを勉強しに行きました。日本では比較的皆さん、スタッフの方もカチッとされていて、気持ちで動くというよりはある意味システマティックに進んでいくことが多いのですが、ルーマニアではそうではなく、いろいろな事件が起こると少しずつ現場でそれを解決する感じで、みんなが現場にいて協力しながら何かを良くしていく、という様子が印象に残っています。ツアー先は、プレミア後のハンガリーだけ一緒に行けたのですが、劇場が変わるとまた様子が違って、日本ではあまり考えられないやり方というか(笑)、車で何時間か移動し、着いたらすぐ劇場に荷物を運び込んで、打ち合わせをしながら準備をしていく様を見ながら、今後我々が海外でツアーをする際に、とても参考になったので、今回参加できて良かったなと思っています。
──ちなみにお二人は普段、芸劇でどんなお仕事をされているんですか?
松島 普段は劇場で公演をするカンパニーだったりスタッフの方を受け入れる形になることが多いですね。カンパニーが来て、カンパニーが「芸劇で公演するにはどうしたらいいか」を考えるときに、劇場の特性だったり持っている機材をお伝えして、「こういうものが欲しい」と言われたときにその機材を提供したり、「そういう効果が欲しいんだったらこういうものもありますよ」と、劇場が使いやすいようにサポートしたり。管理しつつ、ご協力できる部分で関わるという形が多いです。
行方 そうですね。機材を管理し、劇場が使いやすくなるようにご提案しながら、我々が今まで蓄積してきた知識や情報、たとえば「こういうときにこういうことが起こりやすいですよ」といったことを事前の打ち合わせでお話ししながら、なるべく円滑に、事故なく仕込みや公演ができるように管理するというのが主な仕事です。その中で、芸劇の自主公演があれば実際に現場に出て、松島さんだったら舞台監督をすることもありますし、僕は音響のオペレートをやることも年に数回あります。
4カ国語が入り乱れる稽古場、そして食事問題
──「ヨナ」の立ち上がりを振り返っていただきます。稽古は4月末にシビウでスタートしました。
内藤 稽古ではプルカレーテさんとは日仏語の通訳さんを介して意思疎通していたのですが、ルーマニアのスタッフはフランス語がわからずルーマニア語しか話さない人もいたので、そうするとプルカレーテさんが私たちに向けて通訳してくれたりして。4か国語が入り乱れながらコミュニケーションをしていました。
──クリエーションが始まった頃の佐々木さんはどんなご様子でしたか?
内藤 稽古初日、日本からは蔵之介さんと通訳さんとドラマトゥルク、そして私が参加し、ルーマニアのスタッフ一同とキリアックさんもいらっしゃいました。日本の顔合わせとは違って、プルカレーテさんがみんなをラフな感じで紹介し、ごあいさつなさってあっさりと「明日からがんばりましょう」と終わってしまったら、キリアックさんがちょっとソワソワしていたんですね。どうも親睦会の準備をしてくれていたのに想定外に早く稽古が終わってしまったらしくて……。30分後、塩漬け豚肉とツイカというルーマニアの焼酎が出てきて、親睦会が行われました。
稽古場ではあまりヒエラルキーがなく、みんなが好きなことを意見し合って和気あいあいとしていました。プルカレーテさんが来る日の稽古は、午前中は蔵之介さんがドラマトゥルクと一緒にセリフを返したり動きの確認をする復習の時間で、13時から15時くらいに稽古、終わると1時間くらい蔵之介さんの復習の時間があって、16時には蔵之介さんも上がり、お酒を飲んで寝て、また次の日に早く起きて自習する、という風に非常に規則正しい生活でした。ただプルカレーテさんの稽古場って積み上げていくタイプではなくて、1回最後まで台本を当たっても、2回目通すときにそれをなぞるのではなくまたゼロから始めるんです。俳優さんにしたらドキドキする状況だと思いますが、佐々木さんは「プルさんが言うんやから大丈夫やと思います」という感じで、あまり焦ってはいらっしゃらない状況だったと記憶しています。
──内藤さんは3週間滞在され、バトンタッチで今度は黒田さんがシビウに入りました。
黒田 私が稽古場を訪れたときは、ちょうどプレミア直前の佳境のタイミングでした。その頃の蔵之介さんは、プルカレーテさんが台本をバッサバッサとカットしたり置き換えたりするのですごくご苦労されたと思うんですが、通しを終えて「自分でも不思議なくらい自然とセリフが出てくるようになった」とおっしゃっていましたね。またアジア料理に飢えてはいましたが、蔵之介さんは最初の3週間でかなりルーマナイズされたご様子でした(笑)。
内藤 日本からいろいろ食材を持って行ったりはされていました。ルーマニアには日本食屋さんがほとんどないんですよ。
行方 食事に関しては、ホームシックになるぐらい、日本とルーマニアでは違いましたね。
吉田 メイクさんが作ってくれた巻き寿司的なものや、内藤さんが作ってくれたちらし寿司やお稲荷さんは好評でしたね。
内藤 今は便利なものがいっぱい売っているので、日本から持っていってそれを使いました(笑)。
行方 僕はそんなに長く滞在していたわけではないけれど、酢飯は涙が出るほどうれしかったです!
一同 あははは!
吉田 シビウでは、出てくる野菜が基本的にきゅうりとトマトとパプリカを切ったもので、あとはナスとトマトを煮たピューレのザクースカが必ず出てくるんです。あとはチョルバという……。
内藤 スープね。
行方 ちょっと酸っぱいスープ。
吉田 チョルバは美味しかったですね。あと、牛はあんまり食べなくて、豚かチキン。
内藤 豚もパンも、基本的には塩たっぷりでしょっぱいんです。
行方 人生で初めてしょっぱすぎて体調が悪くなりました(笑)。
黒田 蔵之介さんも食べ物には苦労されたんじゃないかと思います。
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現地で実感した、作り方の違い