Suspended Gardenはどういう場所か
──「Suspended Garden」について、会見で金森さんは“劇場”のイメージだとおっしゃっていましたが、作品のヒントになるようなキーワードを皆さんからもいただけますか?
井関 穣さんが言っていた言葉で「あり得たかもしれない」という言葉はけっこう重要なキーワードかなと思っています。あり得たかもしれない存在、あり得たかもしれない状況……。1つひとつのシーンが決してわかりやすくつながっているわけではないけれど、私たち4人それぞれの関係性から生まれているドラマは確実にある。ただ、それがお客さんにとってのキーワードになるかどうかはわかりませんが……。
山田 学童保育とも、穣さん言ってましたよね。
井関 そうそう、大人の学童保育(笑)。だから、誰かが去ったり入ってきたりで、それぞれの物語が見えてくるはずです。
中川 僕は、ある時ふと“過去を語る”っていいことだなって思ったんです。この年齢で、身体もまだすごく使える状況で、“あの頃はこうだったよね”って過去を語ることができるのは素敵なことなんじゃないか、この作品はそんな作品になるんじゃないかと思っています。
山田 なんとなく僕は、この“Suspended Garden”は、宙ぶらりんの思い出、というか、時間がない場所なんじゃないかなという感じがします。すごく未来だし、すごく過去だし、あるいは“あったかもしれないいろいろな可能性”のどれか。それがポッと映し出されたときに、僕らはその中で動いているけど、外から見たら時計が止まっているように見える……そんな場所なんじゃないかなと。
宮河 また中央にマネキンが置かれるんですけど、あのマネキンは穣さんなんじゃないかと思っていて、マネキンの周りにはかつていたダンサーたちが役割を変えたりしながら踊っていて、でも最後は去っていく……そんな雰囲気の作品なのかなって。
井関 「過去は自分の完全なる所有物だ」と、あるギリシャの哲学者が言っていて、私はそれがすごくいい言葉だなと思っているんですけど、つまり過去は、人によって時間軸が変わるし、時が止まっている可能性もあれば、“過去の時間”として集約されている場合もある。そんな過去をどう捉えるか、ということを今、私たちは問われているんじゃないかなと思う。
Noismを築いてきた人たちの背中を観てほしい
── “no ism”を掲げて活動してきたNoismも創設20年を迎えました。近年、井関さんからよく「若手の育成」というワードが出ていますが、20年の間にできた“Noismらしさ”と、これから新たに築いていくNoismらしさについて、どのようにお考えですか?
井関 Noismらしさという点では、アイチやサトシがいたときのほうが、穣さんが「Noismってこうだ」と言っていたと思います。10年ぐらい前にいた人たちは、その穣さんの思いについていくため、彼が目指すものを理解しないといけないという苦しみがあったかもしれません。でも穣さんも五十代を迎え、年齢を重ねて経験を積む中で変化したところもあって、自分がいつまでも牽引する形ではなく、私を国際活動部門芸術監督に、勇気を地域活動部門芸術監督にするように舵を切りました。では今、Noismらしさってどういうことかと言うと、実はもっと単純だったり、ふわふわしたりしたものだったりします。ただ若いメンバーの中には「Noismではきちんとしないといけない」という意識が先行しているところがあって、「Noismとして、これはやっていいことかどうか」と若いメンバーから質問されることもあり、そういうときは「やってはいけないことなんて何にもないよ」って答えるんですけど……。
宮河 まあ、でもそれはちょっとわかるような気もするな。今、僕は経験としていろいろな演出家や振付家とやってきたからチョイスできるけど、その選択肢がまだ少ない人にとっては、難しいことかもね。
井関 でもそのチョイスもね、私としてはみんなにもっと悩んでほしいし、闘ってほしい気持ちがあって。だから何がNoism的か、みたいなことはあまり簡単に言いたくないなという思いもある。
宮河 僕は11年ぶりに帰ってきて、全然Noismが昔と違うなって思った。メンバーも若いし、ダンサーの質も違う。みんなバレエがしっかりしてるし、踊れるんですよ。しかも振付もできる子がいたりして、Noismはこの10年、違う道を歩んできたんだなって感じました。だから昔のNoismを想像している人には今のNoismは違って感じるかもしれないけど、今のNoismは今でしっかり出来上がってきているなという印象です。
井関 まあ、私たち4人は確かに不器用でしたよね。身体的にも、ご覧の通り全然違うし、勇気は入ってきたとき大学生みたいな雰囲気で、サトシは……。
宮河 サトシは優秀だったよ!
中川 (ピースで応える)
一同 あははは!
井関 でもこういう4人だから、今すごく大事なリハーサルができているんだと思う。身体的に恵まれている舞踊家だったらあまり考えずになんでもできてしまうけど、クセがある身体だと試行錯誤が必要だし、不器用だからこそ、いろいろなことにクエスチョンを持てるんじゃないかな。
──さまざまな生き方の選択肢がある今、舞踊家という生き方を貫くには覚悟も必要かなと思います。皆さんは、日々どんなことを大事にされていますか?
中川 僕らの上の世代が穣さんたちで、穣さんたち世代は、その上の世代の、“本当に踊りが好きで、人生こそ踊り”みたいな人たちを見ながら、上の世代にないものを生み出そう、という意気込みでやっていたと思うんです。僕らはそんな穣さんたち世代の背中を見て「ああなりたい」という憧れで続けてきたけど、僕らの下の世代の子たちがどのようにダンスを捉え、ダンスを愛しているのか、僕にはわからない部分があって。だから僕が何か意見するには時代が違う気がするし、でもこれまでの舞踊家たちが時代時代に合わせて踊ってきたように、彼らもこの時代に合ったダンスをやっていくのかなと思います。
宮河 確かに昭和の考えを平成や令和の人に言うと通じない部分もあるかもしれない。でも今、小学生を教えているんだけど、僕はあえて昭和的な考え方でゴリゴリに教えることがあって、それで伝わることもあるんですよね。
井関 それも一理あると思います。
宮河 と同時に、大事なのはもしかしたら、世の中にウケないことでも信念を持ってやるということじゃないか。そういう信念が持てれば成功なんじゃないかとも思っていて。その信念は、すぐには世の中につながらないかもしれないけれど、いつかつながる可能性もあるわけなので……だから僕は、それぞれが幸せであればいいという気もします。
山田 「こうすればこうなる」っていう近道がたくさん用意されていて、速いほうが成功、という時代の風潮と、舞踊をするってことの本質は、ある意味逆行しているかもしれません。例えば過去公演の映像を観れば、振りの正解はすぐ掴めるけど、実際にその作品を作っている過程でどんなことが起きていたか、その振りが決まるまでにどんなやり取りがあったのかはよくわかりません。でも舞踊って、データ化できない、言語化できないところに美しさや愛を見つけていくものだと思うんです。今回で言えば、アイチやサトシって見た目だけだとわからないすごさがあって、若い舞踊家たちには彼らのすごさを間近で感じてほしい。彼らの踊る姿を見たらきっと感じるものがあるはずだし、踊りを通して自分も何か見せられるものがあるんじゃないかと思っています。……ああ、だから若手がNoism0の稽古を観に来る機会もあったらいいかもね。実際、この間自主的に来た子もいたけど、そういう子は伸びるだろうなって思います。
井関 そう、だから私、今回アイチとサトシを呼んだんですよ! これからの時代、舞踊家として生きていくのはますます難しくなってきていて、そのことを下の世代にどう伝えたらいいのか考える中で、私としては、まだまだ全然踊れる四十代のアイチやサトシ、勇気が舞台に立つ姿から、若い舞踊家たちに教えられる部分があるんじゃないかなと思ったんです。最初にお話しした、私が彼らと一緒に踊りたいとか、穣さんに彼らに振付してほしいという思いももちろんありますが、それ以上に、長くNoismにいてNoismを形成してきた人たちが今、穣さんと再び向き合うことでどんな作品ができるのか、この“円環”した感じをNoismの若手たちがどのように受け取ってくれるか、すごく楽しみなんです。このキラキラしている四十代、五十代をお客様にはもちろん、Noismの若い舞踊家たちにも観てほしいと思っています。
プロフィール
井関佐和子(イセキサワコ)
高知県生まれ。舞踊家。Noism Company Niigata 国際活動部門芸術監督。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。1998年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。2001年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。2004年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務める。2008年よりバレエミストレス、2010年よりNoism副芸術監督、2022年9月よりNoism Company Niigata 国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
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山田勇気(ヤマダユウキ)
北海道生まれ。舞踊家、振付家。北海道教育大学函館校で清水フミヒトに出会い、ダンスを始める。2005年にNoismに入団、2009年に退団後は武道家・日野晃に学ぶ。2013年にNoism2リハーサル監督、2020年にNoism1リハーサル監督に就任。2022年9月からNoism Company Niigata地域活動部門芸術監督を務める。
山田勇気 Yuki Yamada (@YukiYam69635169) | X
宮河愛一郎(ミヤガワアイイチロウ)
埼玉県生まれ。19歳でニューヨークに渡米、Alvin Ailey Schoolでモダンダンスを学ぶ。2005年から2013年までNoismに在籍し、舞踊家兼バレエマスター、ワークショップ担当として活動。現在は東京を起点にダンサー、役者、振付家、演出家、指導者などとして活動。自主製作したダンス映像作品「Move on」は10カ国19映画祭で上映され4つのグランプリを受賞した。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻非常勤講師。
AIICHIRO MIYAGAWA (@PINKDOKURO2020) | X
宮河 愛一郎 (@aiichiroman) | Instagram
中川賢(ナカガワサトシ)
富山県生まれ。6歳から現代舞踊を和田朝子に師事。2003年から2009年まで、現代舞踊公演「火の鳥」主演のほか「回転木馬」カーニバルボーイ役や「イーストウイックの魔女たち」マイケル役などミュージカルにも出演。2010年から2018年までNoism1にて活動。その後東京で平山素子、中村しんじ、川野眞子などの作品に出演。近年の主な出演作に新国立劇場「NINJA」、舞台「千と千尋の神隠し」カオナシ役など。
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トリプルビルについて、近藤良平&金森穣に聞く