田辺・弁慶映画祭の受賞作品上映イベント「田辺・弁慶映画祭セレクション2025」の1作品として、「よそ者の会」が5月23日から東京・テアトル新宿、6月24日に大阪・テアトル梅田でレイトショー公開される。
第18回田辺・弁慶映画祭でキネマイスター賞を受賞、第20回大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門に正式出品された本作は、大学構内の“よそ者”たちの不穏な集いを描く青春群像劇だ。主人公は、大学の清掃員として働きながら密かに爆弾作りに没頭する青年・鈴木槙生。ある日、構内に貼られた「よそ者の会・会員募集」のポスターをきっかけに、彼はその集まりへ足を運ぶ。入会の条件は“よそ者”であること。表面的には平穏に見える会の内側で、やがて彼らの奥底に眠っていた衝動がゆっくりと目を覚まし始める。
鈴木を
このたび、監督と著名人によるコメントが到着。西崎は「この映画を作るときに考えたのは、誰もが心の中に、言葉にできない想いを抱えているということ。そして、それを抱えたままでも、人と人のつながりのなかでどうにか生きていけるのではないかということだった」とつづっている。
西崎羽美(監督)コメント
時々、「一人でも生きていけるかもしれない」と思うことがある。でも、ふとした瞬間に、その日に起きたこと、ムカついたこと、疑問に思ったこと、心を揺さぶられた映画のこと──そうした何気ない思いを、誰かに話したくなる。言葉にすることで、自分の気持ちが整理され、誰かと共有することで、思いがけない共感や新たな視点を得る。そんなとき、人の存在の大きさを実感する。
結局のところ、自分が何を感じ、何を考えているのかを知るためには、他者が必要なのだと思う。人との関わりのなかでこそ自分の輪郭ははっきりする。だからこそ、誰かとつながることは生きていく上で重要である。
「私は人ではなく、映画に支えられている」と言う人もいるかもしれないが、映画もまた誰かが作ったものである。誰かの思いや手によって生み出された物語が、誰かの心を支えるのなら、それもまた、人とのつながりのひとつの形なのだと思う。
この映画を作るときに考えたのは、誰もが心の中に、言葉にできない想いを抱えているということ。そして、それを抱えたままでも、人と人のつながりのなかでどうにか生きていけるのではないかということだった。
酒井善三(映画監督)コメント
もっともらしさのためのカットや、オーバーな説明的芝居もない。無粋なアップもなく、抑制がききつつ確実なカットが重ねられる非常に端正な演出……と思いきや、平穏な顔をしたその中では、圧力鍋のように破壊衝動が張り詰めていた! なんとパンクな作品だろうか……。いつの間にかヒリヒリした思いで一瞬も画面から目が離せず、見終った後は沸々と得体のしれない感情が湧いてくる。観客の中に何かを仕掛ける、会話劇でありつつ、冷たく熱い、まるでテロのような傑作中編。必見!
高橋洋(脚本家・映画監督)コメント
モラトリアムを描いた映画は数多いが、「よそ者の会」が描いているのは、いつかは終わるはずだったモラトリアムがいつの間にか終わらないものになっているんじゃないかということだ。自分は何者でもない、どこにも所属できないという感覚は一生続く。就職したところで自分たちは就職という形の引きこもりを選び取っただけだ。「よそ者の会」に集まったのはそのことに鋭敏に気づいた者たちである。そんな彼らに「暴力」の問題が突きつけられる。今とりあえずの居場所である大学を吹き飛ばしたら…。シナリオ執筆当時、現役学生だった作者のリアルが、雰囲気だけに終わらない、エンタメ性をはらんだ設定を通して描かれていることに僕は感心した。ちなみに作者の卒論は長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」である。
中川奈月(映画監督)コメント
特別、何にも感じていないというような顔で、「よそ者の会」の人間は不満を語り合う。ぽつぽつと話す言葉の奥で、見えない憎悪を燻らせている。その思いがどれほどのものなのか、私たちには推し量れない。彼らにも量れないからこそ、彼らは「よそ者」である。その黒い感情の矛先をどうすればいいのか、ゆるゆると大学を彷徨って、ギリギリまで迷っている。本当に必要なものは凶器ではなかった。誰かのためにと動き出す時、ようやく迷いを断ち切れるのだ。
西山洋市(脚本家・映画監督)コメント
昭和からずっとあるものと令和の現在がこすれ合って生じる軋り(きしり)のようなものを西崎さんは発生させようとしているのかもしれない。もちろん西崎さんは昭和の人ではない。それでもここには(この映画には)異なる時間軸が重層的に存在しているような感触がある。
「よそ者」というのは、現在という時間からはじき出されて、いつでもなく、いつでもありうるような時間を生きる人と映画のことだろう。いま、そこで、軋りを立て始めた西崎さんの映画は、いずれは激しい衝突音を響かせてくれるだろう。
藤井仁子(映画批評家)コメント
器用な映画とはいえない。だが、人影の消えた大学キャンパスという「無」から「有」を生みだそうとした気概はこの時代に貴重なものだろう。とはいえ、高く跳ぶためにはまずは二本の足で大地をしっかりと踏みしめて立つ必要がある。その意味ではがらんどうの階段教室で、友達とも恋人ともいえない一組の男女が机の上を土足で歩きまわる物語上は無駄かもしれない固定のロング・ショットに、信ずるに足る何ものかを見た気がする。
川野邉修一の映画作品
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映画ナタリー @eiga_natalie
田辺・弁慶映画祭キネマイスター賞「よそ者の会」が公開、よそ者たちの不穏な集い描く(コメントあり)
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