本作は東京の下町でマンガ家を目指す主人公・草介が、不思議な女性・ミドリとの出会いを通して、命の重みを知っていくさまを描く幻想譚。笠松が草介、阿部純子がミドリを演じ、安田顕と片岡礼子がミドリの両親に扮した。
森泉によるイラストは、生い茂るススキの中に佇む草介の姿をモチーフにしたもの。水で描き、そこに墨を落とす技法によって描かれている。
映画監督の
「リング・ワンダリング」は、2月19日より東京のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開。
森泉岳土 コメント
僕は、水で描いてそこに墨を落とし、そこで生じたにじみや均一ではない線を活かしてマンガを描いています。細かいところもペンを使わず、爪楊枝や割りばしなどでその「墨」を伸ばして描きます。マンガを描くにはちょっと変わった画法ですが、なぜそんな手間のかかることをするのかというと、コントロールが効きにくいという「利点」によって、自分の意思や意図を越えた「余白」を生むことができるからです。そしてその余白というものにこそふくよかな文学性が宿るのではないか。そう思っています。金子監督からこのお仕事の依頼があったときに真っ先に頭に浮かべたのはその「余白」です。主人公草介が異界への旅を終えて現実に帰還したとき、彼のなかに自分ひとりの世界を越えた「余白」を抱えてきたのだろう、そういった言葉を越えたものを表現するために僕の画法が必要なのかもしれない──そう理解しました。
石橋英子(音楽家)コメント
金子監督の映画の中の自然は映像に包まれて眠りたいと思えるほど、実際に見る自然よりも美しいと思っていたのですが、
今回は東京の街並みも、またそこにいる人間もまた実際よりも遥かに美しかったです。
絶滅した生き物、叶わぬ夢が支える美しさ。
リングワンダリング状態に陥った私たちにこれからも新しい地図を与えて頂きたいと思います。
深田晃司(映画監督)コメント
前作でも思っていたことが「リング・ワンダリング」を拝見し確信に至りました。
金子雅和監督の最大の魅力はその圧倒的なロケーション力にあると。
それも、当たり前の景色をそれらしくデザインしてみせるような類のものではなく、間違いなく膨大な時間と労力をかけ見つけ出され、それと同等のエネルギーをもって切り取られたであろうロケーションのひとつひとつが眼福でした。
最高の景色を探そうとする金子監督はニホンオオカミを求め歩く登場人物と同じ目をしていたに違いない。
山本奈衣瑠(女優、モデル)コメント
私が生まれる前からそこにいて、私が死んだ後もきっと、そこにいるもの達。
自然のものに触れるとき、いつもそれを思います。
この作品の中で出会ったもの達を見てよりそれを実感しました。
昔に会ったあの山や風の音の事を思い出しました。
深津さくら(怪談師)コメント
まっさらな紙に引かれる線や、地層に野生の痕跡を探すまなざしが、静かであればあるほどに、死者のほほえみは瑞々しく、カミの息は温かい。今を生きる鑑賞者もまた、優しい霊たちに抱かれているのかもしれない。
柴崎まどか(写真家)コメント
私たちは漠然とした不安に苛まれながらも、不自由ない生活を当たり前のように生きていて、その豊かさに疑問を抱くことなく日々を過ごしている。
漫画家を目指す若き青年が不思議な人々と出会い紡いでいく物語は、今私たちの生きる場所が尊い命の上にあるということを気づかせてくれた。
笠松将という役者の細やかな芝居に引き込まれ、主人公が辿る時空を超えた物語を追体験した心地よい感覚が残る。
睡蓮みどり(女優、文筆家)コメント
過去に、創作物のなかに、そして現在に、迷い込んだのは一体誰だったのか。
言葉を交わすから忘れられなくなり、言葉を交わさないから記憶にこびりついて離れない。
金子雅和はいつだって人、動物、時間に優劣つけることなく対等に見ようと挑戦し続けている。
この闘い方〈映画〉はかっこいい。
畑中章宏(民俗学者)コメント
この映画の監督は精霊的な自然を発見し、それを映像化することに最も力を注いでいるようにみえる。
つまり、監督こそがだれよりも狼に翻弄され、未踏の領域に到達したのだと言えるだろう。
関連記事
森泉岳土のほかの記事
関連商品
手袋をはいた猫 @sora_umi_areno
森泉さんの絵にはどれにも静かに内奥から耀う銀色のような気品を感じる。 https://t.co/R4faNv8Rvr