12編の連作短編となる小説のタイトルは「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」。京都へ撮影に出かけた役者の「私」が、たった3行のセリフが出てこなくなったことをきっかけに廃業を考え始めるが、ある寺で国宝の弥勒菩薩と出会い、己と向き合っていくさまが描かれている。
エッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」は週刊誌のサンデー毎日で連載されたもの。松重の日々の生活、修業時代のエピソード、食べ物にまつわる話などがつづられており、「愚者譫言」とリンクした内容になっている。北海道・旭川在住のイラストレーター・あべみちこがイラストを担当した。
松重は「小説はまさにコロナ禍の真っ最中に外出を自粛しながら自宅にこもって一気に執筆しました。これまでの人生での経験の楽しかったこと、つらかったこと、傷ついたこと、理不尽な出来事などもすべて、自分を見つめながら書きました」と述懐。「コロナというのはいろんな人に対して、生き方を揺さぶっているんだと思います。なんとかしていい方向に向けなきゃと、皆さんも思っていたでしょう。僕としては、書くことが心のよりどころになりました」とコメントしている。なお本書の装丁は、松重の熱烈なラブコールを受けた
YouTubeでは、10月3日より「愚者譫言」の各短編を松重本人が読み聞かせる朗読ムービーを1週ごとに公開。11名のミュージシャンが参加しており、第1回には
松重豊 コメント
小説やエッセイを書いた理由
エッセイはもともと「サンデー毎日」で月に1回、連載していましたが、小説はまさにコロナ禍の真っ最中に外出を自粛しながら自宅にこもって一気に執筆しました。これまでの人生での経験の楽しかったこと、つらかったこと、傷ついたこと、理不尽な出来事などもすべて、自分を見つめながら書きました。自分の中にあった澱みたいなものが、堰を切ったように外に飛び出てきた感じです。コロナというのはいろんな人に対して、生き方を揺さぶっているんだと思います。なんとかしていい方向に向けなきゃと、皆さんも思っていたでしょう。僕としては、書くことが心のよりどころになりました。
タイトルの由来
40代を過ぎてから「自我や自意識は邪魔なものでしかない。空っぽの自分になるしかない」と自覚するようになりました。作中に弥勒菩薩が出てくるんですが、その菩薩自体が空洞の木像なんです。実は「空洞」が一番強い構造なんだそうです。空っぽの器に徹すると、俳優として役者をやるときに、それから人生を生きていくうえでもすごく楽になれるので、僕にとって「空洞」はどうしても避けられないテーマになんです。タイトルではその「空っぽの自分」を表現しました。
コロナ禍と執筆時期が重なったことについて
俳優っていうのは自分を空っぽにせざるを得ない職業なんで、それがコロナで、この先どうなるかわからない、空っぽがもっと空っぽになってしまったというときに、どんな極限的な空気が漂っているのかが小説にもちょいちょい出てきます。
人生に悩む人にとって、背中を押してくれる内容にもなっているが
役者はある意味、わかりやすく「何々の役です」とはっきりと役が決まっているんですけれども、一般の方でも、たとえば「ああ、自分は医者だ」と思って医者をやっている人もいるでしょうし、「医者の役、やっちゃったな」っていう人もいるでしょう。「これ、俺には合わないな」とか、「この役、自分でどう演じればいいのかな?」って思っていらっしゃる方ってけっこう多いと思うんです。自分の「役」っていうのは「役割」という言葉にも置き換えられますし、果たして自分の役割になっているのか、そこに対してのアンチテーゼというか疑問符というか、あるんじゃないかと。自分くらいの年齢になってくると、「俺はもしかすると別の人生があったかもなあ」と夢想するわけじゃないですか。早期退職ということもあるでしょうし。そういう年代にも差し掛かってたんで、仕事や人生で悩んでいる人に、自分と置き換えていただけたらと思います。
松重豊の映画作品
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